彼女は今。
第二章もよろしくお願い致します。
ルドア国に於いて、王族に次ぐ権力を持つ一族――カーティス公爵家。
その家の、御年6才となられた幼き御令嬢、エレオノーラ・カーティスの謎の失踪という一大事件は、ルドア国全土へと瞬く間に広まり、世間を大きく騒がせた。
――何故彼女は、その歳で奴隷を従え、家を出たのだろうか?
民たちは、何故だ何故だと推測し、そしてそれらを実しやかに語り始める。
尾ひれが付き、はひれが付き、噂が更なる噂を呼んで。
そして人々は、口々にこう呟いた。
「なんて狂った子だろうか」
「寧ろ出て行ってくれて良かったよ」
けれど、果たして6才の幼子が、自ら家を出ていく事などあり得るのだろうか?
しかも子煩悩の両親に甘やかされて育ったであろう、貴族の子供。
普通に考えて、それは有り得る筈もなく。
そこで人々は、一つの結論に辿り着いた。
「度重なる娘の愚行に、遂にはアルバート様が見限って追い出したのだ」
貴族の家柄は、時に子よりも重し。
家名に傷をつける者は、例え子と言えど勘当するのが貴族の常識である。
幼い内から奴隷を、しかも喰種を買って従える様な子など、論外であろう。
――ああ、どうやら公爵様にもその辺りの分別が備わっていたようだ。重度の親バカと言えど盲目という訳ではなかったらしい。
そう思って、人々は安堵した。
しかしそれと同時に、幻滅もした。
良くも悪くも、家族愛を貫くその人柄は美しくもあったのだ。
けれど実際は、所詮彼も唯の貴族だったという訳だ。
何ともまぁ、民衆とは身勝手なものである。
それから暫しの時を置いて、『本当は秘密裏に娘を探し回っていたらしい』という新たな噂が広まる事で、彼らの考えは再びコロコロと変動するのだから、全く呆れてしまうというものだ。
噂に振り回され、推測でしかものを言えない彼ら。
民衆とは、人間とは、どこまでも身勝手な生き物である。
だがまぁ真相はどうであれ、エレオノーラ・カーティスの失踪という事実が、国を超えて他国にまで大きく広まっていく方が、ずっとずっと先の話ではあるけれど。
*******
――魔法都市『スファニド』
魔導を極めんとする者達が多く集い、学問は開かれたものであるべきという考えから生まれた大都市。
『学びたければ訪れよ。
学びを乱す者には制裁を。
学問は広く、平等且つ自由であるべきものである。』
この様な謳い文句を掲げるだけあって、中央に聳え立つ大きな建物は、城ではなく魔法学園である。
学園は叡智ある5人の大賢者達によって管理されており、都市を治めるのもまた彼らの務め。
大賢者達の持つ知識量、万人には計り知れず。
そして、世界の魔導知識を有するこの都市の利用価値もまた、計り知れず。
だがしかし、この都市にだけは間違っても手を出してはいけない。
それが全ての国が持つ共通認識であり、暗黙の了解であった。
なぜなら、魔導知識が集約するこの魔法都市、その戦力すらも計り知れない。
当然の事ながら、魔法は戦争に欠かせない。
剣や弓なんかよりも、遥かに効率的且つ強大な戦力なのだから。
そんな魔導を極め続け、世界一の魔導力を持つこの都市を支配しようなど、あまりに無謀。
嘗てスファニドによって滅ぼされた愚国から、世界は学んだのである。
だからこそ、他国はスファニドへの不干渉を貫く。
同時に、元より学問にしか興味のないスファニドもまた、他国への不干渉を貫く。
――力を欲するならば、支配ではなく学ぶがいい。
我らが都市は国に非ず。
我らが都市は一枚の羊皮紙。一冊の学術書。
故に、武器での支配は叶わず。
武器を捨て、筆を持て。
学び、刻み、考え、深めよ。
知識はそれによってのみ得られる至宝也――。
これが、全世界へと発信したスファニドの言い分。
この言葉通り、強大な魔導力と知識を持っているにも拘らず、スファニドは知識の独占を行わない。
故に他国は、スファニドの在り方に異を唱えることなく、兵士ではなく学者を送る。
これはある意味、学問が武力に勝った瞬間とも言えるだろう。
そして。
長らく学問の地として繁栄と平穏を築き上げてきたこの都市に、突如としてやってきたとある幼子。
後に大賢者どころか、世界さえも巻き込む程の出来事が起こったり起こらなかったりするのだが、言わずもがな、その原因はこの幼子だったりそうじゃなかったりする。
はてさて。
それについての真相は、これからゆっくりと語っていこう。
物語は、まだ動き出したばかりである。
「ふあぁぁ……」
シロを背凭れに、大きく欠伸。
……あれから、既に数日が経過した。
邸を出て直ぐ、このスファニドへと闇転移してきた私達は、そのまま宿屋にチェックイン。
この都市に来たことは無かったが、私の吸血鬼遺伝子の親元であるヨハネスの記憶を頼りに転移してみた。
ちょっと自信はなかったが、成功して何よりである。
……あ。今まで影移動って呼んでたけど、正確には『闇転移』。
つまり影からでなくても、暗闇があればそこから転移が可能だ。
そして転移せずに、闇の中に身を隠しながら移動するのを『闇移動』。
以前、影から頭だけ出した状態で、床をスイスイ移動していたのもそれに当たる。
……まぁ、そんな細かい技名、私としてはどうでもいいけれど。
「ふぅ……。そろそろかな」
日が暮れてきた空を窓越しに見つめながら、私は本を閉じてゆっくりと立ち上がった。
学問の都市を謳っているだけあって、ここの蔵書量は半端ない。
読み終わる度に学園の図書館に闇転移で忍び込み、夜な夜な本を無断拝借している。
……え、無断は駄目だろうって?
だってさー、学生しか持ち出し不可なんだもんよー。
だったらもう、無断で持ち出すしかないじゃない?
仕方ないと思うんだ。うん。
「シロ。散歩がてら、出かけようか」
「グル……」
本を読んで知識を蓄えるのもいいけれど、ちょっとは体を動かさないと鈍ってしまう。
シロも寝てばかりじゃ駄目だと思うんだよね。
欠伸をするシロを一瞥し、私は緩く握った手の中の影からリードを生やした。
そしてそれを、シロの首輪へと繋げる。
「グルル……」
「我慢して?街の中でリードも無しに猛獣が跋扈していては、騒動になってしまう」
繋がれたリードを見つめながら、苦々し気な表情を浮かべるシロ。
申し訳ないが、こればかりは仕方がないのだ。
「露店で何か買ってあげるから、いい子にしてて?……ね?」
「……我をなんだと思っているのだ」
「おお!久しぶりに喋ったね!」
「グルル……」
「あらら」
直ぐに口を閉じて唸るシロに苦笑しつつ、私は頭を数回撫でた。
「ふふ、もっと喋ればいいのに。シロの声、私は好きだよ?」
微笑む私から顔を背け、シロは小さく喉を鳴らす。
俯くその瞳には、悲し気な影が落ちていた。
時折見せる、この目。
ま、別に誰かの過去に何て興味はないから、聞きはしないけど。
誰もが何かを抱えて生きているものだ。
人に歴史あり、ってね!
「さて。行こっか、シロ。……エル達を迎えに」
そう言って、もう一度シロの頭を優しく撫でると、私達は宿屋を後にした。
冒険者ギルドにそろそろ戻って来るであろう、エルとクロを迎えに行く為に。
……そう。
この度、目出度くエルとクロは冒険者となりました。
というか、冒険者にしました。
私のお願いという名の命令で。
「ふふ。今日も五体満足で帰って来てるといいねぇ?」
「グルル……」
複雑な表情で視線を向けてくるシロを一瞥し、私は鼻歌交じりに歩を進めた。
世界各地を移動する冒険者の為に、ギルドは大抵の都市や町には建設されている。
その為、ギルドの持つ情報網は随一。
魔物や魔族の動きから薬草の群生地まで、ありとあらゆる世界中の情報がギルドへと集まる。
だからこそ、エル達を冒険者とする事で、ギルドや冒険者達の間で飛び交う噂や情報を探らせている。
転生という世界の理を壊す為には、少しでも情報が必要なのだ。
けれどそれは、元より神でしか知り得ない様な事。
だから、どの知識がそれらに繋がっていくかが分からない。
故に、無駄な知識など有りはしない。
神しか知り得ないというのなら、神に等しい知識を持てばいいだけの話。
可能性を探って、仮説を立てて、それについての知識を更に探す。
不死の私には、時間だけはたっぷりあるのだ。
幸い、エルも長寿な一族。
時間はかかるだろうが、必ず成し遂げてみせるとも。
「ふぅ。……着いた」
冒険者ギルド、スファニド支部。
そんなプレートが貼られた大きな建物を見上げながら、私は息を吐いた。
背伸びして窓から中を覗いてみるが、人が多くてよく見えない。
この時間はやはり混み合う。
首輪の位置情報的にもう戻ってはいる様だけど、少々時間がかかりそうである。
奴隷契約の際に首輪に流した血と魔力。
それによってエル達の位置情報が分かる訳だが、これも吸血鬼の能力に因るものだ。
『分体』から派生した小芸である。
魔力を込めれば子を創れるが、そこまでいかなくても、蝙蝠なんかの生物を一時的に創り出す事も出来るのだ。
それは自分の一部でもある為、創り出したその生物の位置を察知したり、自在に操って感覚器官を共有したりなんかも可能。
つまり、魔力を込めた血を垂らしたおかげで、エル達の首輪にも同じような力が宿ったのである。
……まぁ、首輪は生き物ではない為、位置情報の把握ぐらいしか出来ないけれど。
「ちょっと待ってようか」
人の出入りの邪魔にならない様に隅に寄って、ギルド前に座り込む。
影から本を取り出して、壁に背を預けながら私はページを捲った。
しかし、そう時を待たずして、その小さな平穏は破られる事となる。
「おいおいおいおい。ガキが来るとこじゃねぇぜ?おいおいおいおい」
「迷子でちゅかー?オジちゃんがママのとこまで連れってってあげまちゅよー?ぎゃはははは!」
「僕ちゃん。あっちでオジちゃん達と遊ぼうか。ハァハァ」
冒険者という名のチンピラ×3に絡まれた。
……チッ。ゴミ共が。
私は眉を顰めながら、モヒカン共を横目で一瞥。
何だその頭は。流行ってるのか?
「……」
頭の悪そうな髪型を暫く見つめた後、私は再び本へと視線を落とした。
もはや何もツッコむまい。
理解は出来んが、髪型なんて個人の自由だ。
「おいおいおいおい。無視かよ、おいおいおいおい」
ポッケに両手を突っ込んだ男が、おいおい言いながら前かがみになって私に顔を近付ける。
……その言葉、言わなくちゃ会話出来ないのだろうか。
せめて言う回数を減らすことは出来ないのか?
「グルルルル……、ガゥッ!!!」
顔を近付ける男に、シロが吠えて威嚇する。
男は「おいおいおいおい」と言いながら私から急いで距離を取った。
ギルド前で流血沙汰は避けたかったから、君がビビりで助かったよ。
「ぎゃははははは!動物如きにビビりすぎだろ!!そのペット、パパにでも買ってもらったんでちゅかー?ぎゃはははは!!」
……こいつもこいつで、一々笑わないと気が済まないのだろうか?
というか、テンション高すぎだろ。
さっきから、ぎゃははぎゃははと笑い続けているこの男。
頭の方が色んな意味で心配である。外も中も。
「ハァ、ハァ……。君、可愛いねぇ?本当に、可愛いねぇ?ハァハァ。……オジちゃんが何でも買ってあげるよ?何か食べたい物はないかな?あっちでオジちゃんと何か美味しい物でも食べようか。……オジちゃんと、何か、食べる?……ハァハァハァ。オジちゃんの、オジちゃんの、……ナ、何か、ナニかをぉぉおお!!」
やべぇぇぇぇええええ!!!!
こいつが一番やべぇぇええええええ!!!
私は鳥肌を立たせながら本を閉じると、防衛本能のままに立ち上がった。
スーちゃんは頭の上で激震し、シロも低い唸り声を上げながら臨戦態勢である。
……いつでも来いや。
構えもなしに無表情で突っ立っているだけだが、その内心は闘志に燃えていた。
来るなら来い。
その瞬間、息をする以外何も出来ない体になっていると思うけど。
「ぎゃはははははは!お前、本当ガキ好きだよなー。ぎゃはは!」
「おいおいおいおい。ギルド前でヤバくねぇか?おいおいおいおい」
「ハァハァ。何もしないよー。怖くないよー。ハァハァ」
……うん、キモイ。そして殺そう。
一度死んで、生まれ直してこい。
それが君らの為であり、世界の為だ。
私は瞳を細めて彼らを視界に捉えると、口元を歪に吊り上げた。
「く、くふふ――!」
「やめないか!!!」
「っ!?」
笑い声を上げる直前、制止を叫ぶ声が辺りに響く。
反射的に私は、チンピラと共に声のする方へと顔を向けた。
ざわつき始める野次馬の人混みをかき分けて、姿を見せたその人物は――。
「きゃーーっっ!!リヒト様一行よぉぉ!!!」
「リヒト様ぁぁ!!こち向いてぇぇぇ!!!」
「ニック様ぁぁああ!!」
黄色い声を浴びながら堂々とこちらへと近付く、リヒト一行なる5人の若者。
彼らの服装的に、パーティーを組んでいる冒険者達であろう事が分かる。
「……君達。こんな幼い子供に寄って集って、何をしている。怖がっているだろう?……今すぐやめろ。そして去れ」
彼らの先頭に立つリーダーらしき男が、腰に差した剣に手を当てながら、低い声色でチンピラ共を威圧した。
固まるチンピラ×3。
「――だそうだ。うちのリーダーは怒らせない方がいいぜぇ?テメーらも分かってるだろう?」
「もう大丈夫よぉ、僕。……可哀想に。怖かったでしょう?よしよし」
大きな弓を背中に背負った強面の男が、カッカッカ、と笑いながらこちらを見遣る。
そして私をよしよしするのは、大きな胸を携えたお姉さん。
……うむ。おっぱいで顔が埋もれて息が出来ん。
「早く消えてくれないかなー?世界のゴミが。……ペッ」
「こらこら。路上に唾は駄目ですよ?吐くならゴミ箱にしておきなさい。丁度目の前に3つ、あるではありませんか」
「カー……、ペェェッッッ!!!」
ゴミ箱×3目掛けて、物凄い威力を込めた唾を吐き捨てる幼い少女。
生憎ゴミ箱に命中はしなかったが、唾が吐き捨てられた地面は小さく抉れていた。
そしてその様子を、少女の後ろで困った様に見守る華奢な体格をした優男。
「ヒィィッ!!?」
軽く抉れた地面と、彼らの威圧にすっかり顔を青くしたチンピラ達は、そそくさとその場を去ってゆく。
マジで雑魚である。
「ふぅ。……君、大丈夫だった?」
剣の男が、心配そうに私へと歩み寄る。
「ふが、」
しかし私の言葉は、お姉さんのおっぱいによって必然的に遮られる訳で。
というか、いい加減離れろ。
「……ローニャ。離してやれ。苦しがってる」
「あら~。ごめんなさいねぇ?可愛くってつい」
「ぷはっ!……ありがとう。お陰で助かったよ」
大きく呼吸を数回した後、私は剣の男に礼を述べた。
自分でも何とか出来たけれど、それすると間違いなく目立ちまくっただろうから、余計な手間が減って正直有難い。
「いや。怪我が無いようで何よりだ。冒険者の中には危険な連中も多いから、君も気を付けるんだよ?特にモヒカン。あれは駄目だ」
剣の男は苦々し気に表情を歪めると、チンピラの逃げた方を見つめながら、「冒険者の面汚しが」と呟いた。
「ふふふ。御忠告ありがとう。今後は気を付けるよ」
「うん、そうだね。お利口さんだ」
私が愛想笑いがてら微笑んだのに同調し、剣の男も柔和な笑みを浮かべた。
そして、「いい子だね」と言って私の頭へと手を伸ばす。
触るんじゃねぇぇええ!!
バシーンと、私はにっこりと笑んだまま、その手を叩く。
「え」
まさか拒絶されるとは思わなかったのだろう。
剣の男は叩かれた手を呆然と見つめながら、暫し硬直。
「ふふ、……失礼?ところで、君たちは?」
「……あ、ああ。そういえば、まだ名乗っていなかったね」
私の呼びかけに我に返った剣の男は、口元に小さく笑みを浮かべながら地面に膝を着くと、私の顔を直視して名を告げた。
「初めまして。俺の名前はリヒト。これでも……、勇者だ」
リヒトは優しく微笑んで、「よろしく」と私に手を差し伸べる。
……勇者って、こんな簡単に出会えちゃうものなんだなぁ。
私は遠い目をしながらその手を見つめると、口元を引き攣らせながら握手に応じたのだった。
――カーティス家の御令嬢、エレオノーラ・カーティス改めレオ。
彼女は今、魔法都市スファニドにて、……勇者一行と遭遇していた。




