幸不幸は平等であれ。
主人公、さっそく発狂します。鬱展開ありです。苦手な方ご注意を。
「ねぇ、何か悪い事考えてない?神殺し、的な事考えてない?」
……流石神。
「えー?でもぉ、どうせ殺せないんでしょ?」
「もう、やっぱり考えてたのね!」
あはははは、うふふふふ。
「――っとまぁ、糞茶番は置いといて。……えーと、転生するのか?私が?」
「そうよ?死後の世界なんてある訳ないじゃない。人間たちの言う成仏、それ即ち転生!魂だってリサイクルよ。毎日何人生まれてくると思ってるの?その度に魂なんて作ってたら、世界のマナが枯渇してしまうじゃないの。まぁ、殆どが同じ世界で転生を繰り返すのだけど、偶にわたくしが気に入った魂を境界に拉致って、違う世界に転生させてるの。まぁ、気に入ったといっても、異世界ではどんな人生を送るのかなーっていう軽い好奇心でしかないのだけどね?」
「おい」
「とりあえず。転生、いっちゃおっか」
「そんな、飲み屋行くノリで言われても。っていうか、嫌だからな。転生とか聞いて、私の心はより深い絶望に沈んじゃってるんだけど。死んでから更に絶望するとは思わなかったんだけど」
ああ、嫌だ嫌だ。本当に嫌だ。
もう生きたくない。生きたくないよー。
また人生を歩めとか、どんな拷問?
ああ、無になりたい。魂ごと消えて無になりたい。
「ぷ、ふふふふふー。わたくしも、人間の瞳がここまで濁る事があるだなんて、知りませんでしたわ。面白い顔ですこと。っぷ、ぷふふ。……あら、失礼?」
このクソ女神め。
「とにかく、やめろ。私は眠りたい。何もしたくないでござる。消えてしまいたいでござる」
「だめよ。もう決定したことなの。わたくしの独断で」
この独裁者がぁ!!
「……絶対?」
「ぜーーったい」
「そっか。なら、仕方ないな」
「あら、案外聞き分けがいいのね。ふふふ。そんな諦観しなくても大丈夫よ。次こそは幸せな人生で――!?」
私はゆっくりと女神様に近付くと、彼女の首に手をかけ、締め上げる。
綺麗な青い瞳が大きく見開かれ、驚愕に染まるのを見た。
しかしそれも一瞬の事で、女神は直ぐに瞳を細めると、その艶やかな小さな唇をゆっくりと開き、こう告げる。
「……ビックリドッキリですわ」
「……ん?」
「まさか、わたくしにこんな事をする人間がいるなんて、驚きですわ」
平然とした声色。
最初の一言は聞かなかったことにしよう。うん。
まぁ、神を名乗る存在が、こんな事で死ぬとは思っていないけど、苦悶の表情一つしないな。
一瞬驚いた顔したぐらいで、あとは涼しい顔のまま。
というか、彼女の首を絞めている手も、何かに触れているという感覚こそすれ、生きてるものの首に触れてるという感じはしない。
温かくも冷たくもないし、柔らかくも固くもない。
言うなれば、触れるほどに空気を凝縮したらこんな感じかなー、って例えが一番ピンとくる。
まぁ、兎にも角にも。
これで女神様、怒ってくれないかなー。というか、怒るまでやるよ?消し炭にしてくれるまで、わたしゃ頑張っちゃるよ?
ぎりぎりと指に力を込め、ノーダメージの攻撃をし続ける私。
どうよ、どうよ?オラオラオラ。
それから暫く、百合要素何一つない見つめ合いを続けた後、女神様がポツリと呟いた。
悲し気な、そして酷く哀れむような表情で。
「……それほど、ですか」
「…………」
……何を言ってるんだ、この女神は。
当り前だろう?当り前じゃないか。
お前は私を知ってるんじゃなかったのか。
私を見てきたんじゃなかったのか。
私は怒りを宿した瞳で、女神様を睨みつける。
けれど、その怒りは指に込めてた力と共に、直ぐに霧散してしまう。
……なぜなら、泣いていたから。
頬を伝って、首を絞めていた私の指を、彼女の涙が濡らしたから。
「……ごめんなさいね。どれ程嫌がろうと、あなたは転生させるわ。いいえ、尚の事、転生しなければ」
「何故?」
「幸不幸は平等であれ。これが私の信念だから。願いだから」
何言ってんのこの女神?
人は平等じゃない。
だから、幸せも不幸も平等じゃない。
幸せか不幸かは、その人の感じ方次第だとも言うけれど、それこそ幸せな奴らの妄言だ。
幸せだと誤認識出来る程度の、温くて幸せな不幸だったというだけの話。
どう言い繕っても、自分を誤魔化しても、この世にはどうしようもない程の、絶対的な不幸がある。だからこそ絶望があるんだ。
「ええ、そうね。そんな苦々しい表情しなくても、言いたいことは分かりますよ。ですがそれでも、幸不幸は平等です。一つの人生のみで見てしまえば、確かに平等ではないでしょう。でも、人は転生を繰り返す」
「なるほど?魂のトータルで見たら平等ですってか?」
「そうです。だからこそ、次はきっと幸せになれます。だからどうか生きて下さい。転生して下さい。幸せを、諦めないで下さい」
「……ははっ。ははははははははははははははっ!!!!……はぁ、……君、本当に神かい?分かってない、分かってないよ?君は今まで、私の何を見てきたのかな!?……ふざけるな。ふざけんな!!ああ!!最悪だ!!絶望だ!!何て不幸だ!!終わらない終わらない終わらない!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!幸せ?不幸?そんなお話をしたいんじゃないんだよ!生きる前提の話を進めるんじゃねぇ!!幸せも不幸も、肉体も魂も、自我も全ていらねぇよ!!なのに、転生だと?ふざけんな!!!死ぬ度に転生するのか?なら、私にあと何回死なせて何回転生させる気だ!?何回幸せを経験して、何回不幸を味わう!?絶望的なトラウマを魂に刻まれるぐらいなら、満たされた幸せなんか要らねーだろうが!!平凡な糞つまんねぇ人生の方がいいに決ってる!!満たされない幸せと、生ぬるい不幸の中で、無気力に生きる!ああ、なんて幸福な事だろう!……って待て待て。えーと、なんの話だった?ってか、そもそも幸せってなんデスカ?不幸ってなんだろうか?……ぷっ、あははははは!!!何の話だよっつーの。哲学かよ!きゃはははは!!……って違う違う違う。論点ズレてるから。やめろ。そうじゃねーって。えーと、……そう!だから私を消してくれ!」
……今、半狂乱になって支離滅裂な事を叫ぶ私は、とても醜いのだろう。
そう理性が囁いて、そして告げる。
自分は狂っていると。
でも、定まらない感情が、喜々とする狂気が、悲哀を孕んだ絶望が、溢れて溢れて、止まらなかった。
そして一通り興奮した口調でしゃべり終えた後には、狂気は次第に萎んでいく。
荒い呼吸の中、僅かばかり理性が戻ってくる感覚を感じながら、睨みつける様に女神に視線を戻す。
女神は、ただ見つめていた。
軽蔑するでもなく、哀れむでもなく、私を、見つめていた。
……ああ、どうか、分かって。
私を、分かってくれ。女神様。
そんな願いを込めて、私はまた口を開く。
語る様に、縋る様に、今度は静かな口調で、神への祈りを口にした。
「……もう、生きたくないんだ。私は、生きるのがどうでもよかったから、死んだんだ。死こそが希望だったんだ。なのに、死は、無じゃなかった……。ただの区切りで、永遠に生かされ続けるだけの絶望だ……。これから続く未来を想像するだけで、気が狂う。次は幸せでも、何回目かの転生ではどうなるんだ?虐待か戦争か拷問か、どんな不幸が待ってる?そしてその先の転生では?……ああ、もう、キリがない。身体の皮膚を掻き毟って、肉を引き千切りたいよ。腹を裂いて内臓を握り潰したくて仕方がない。……生も死も絶望なら、私はどうすればいい?どこに逃げればいい?いくら自傷行為に走ったところで、どうしようもないこの真実を、私はどう受け止めればいい?……受け止められる訳がない。でも逃げ道がない。死んでも逃げられないのだから……」
ふいに脚の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
女神様の涙が伝染したのか、気付けば私の頬にも温かいものが伝っていたことに気付く。
「優美。確かに、魂は同じだけれど、黒沼優美が全て背負う訳じゃない。転生すれば、記憶は消え、生まれた環境によって、人格も変わる。……酷な事を言うけれど、あなたにとっては救いになるでしょうから、言うわね?……つまり、あなたでない貴方が、この先は生きていく。消えたいというのなら、あなたが死んだ時点で、黒沼優美は既に消えているわ」
「……だから、何?」
「…………」
ああ、この女神は馬鹿だろうか。
それとも、神如きに期待した私が馬鹿なのか。
そんな事ぐらい分かってるに決まってるというのに。
そんな事ぐらいじゃ何の救いにもならないというのに。
「私は、消えたいと言った。黒沼優美が消えたいんじゃない。私という魂が消えたいんだ。黒沼優美が転生を拒んでる訳じゃない。私という魂が拒んでるんだ。黒沼優美は絶望の中で生きて、生きて、絶望して死んだ。それで黒沼優美の人生は終わったんだよ。私はただの魂にすぎない。だからどうか消してくれ。だって、あまりに彼女が哀れだろう?次に生きる私は、きっと幸せなんだろう。でも彼女は?お願いだから消してくれ。次の幸せなんか要らない。私を、黒沼優美と別れさせないでくれ。黒沼優美でいさせてくれ。黒沼優美で終わらせてくれ。私まで彼女を見放したくはないんだ。絶望を経験するのも、のうのうと幸せになるのも耐えられない。転生するたびに、私はきっと呪ってしまう。幸せになった自分を。絶望した自分を置いて、また違う自分を生きる私自身を」
だから、消してほしい。
彼女はもう死んだんだ。
なら、私も消えているべきだ。
「……消してなんかやらないわ。絶対に、あなたは転生させます」
「…………」
ああ、もう、どうしようもない。
「……そっか」
本当、どうしようもないな。
理不尽に抗えるだけの力を持たない私が悪い。
弱くて無力な私が悪い。
不幸に抗えなかった私が悪い。
力が無ければ、どうにもできない。
誰の所為でもない、私の責任。
だから黒沼優美を幸せに出来なかった。
だから黒沼優美は幸せになれなかった。
私が悪い。私が悪いんだ。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が悪い。私が、私が、私が!!!
だから死ねばいい!!
全てが死ねばいい!!消えてしまえばいい!!
「は、ははは。ははははははは!!!きゃはははははははははははははははははぁあああぁああぁあああああああああっっっ!!!!!!」
「…………」
座り込んで、涙を流し、虚を見つめ、笑いとも絶叫ともつかない声を張り上げる私の視界に、女神様の掌が覆い被さる。
「黒沼優美さん。本当に、お疲れ様でした。本当に、……頑張ったね。どうか今は、ゆっくり休んでください。次目覚めるときは、違う貴方として、きっと幸せな日々が待っている事でしょう。容姿・能力・家柄・家族・運、それら全てに祝福を。……力が欲しいのなら、望めばいい。あなたの運に見合った力が、きっと授けられるでしょう」
狂気の中、自分の身体が光の粒へと変わっていくのが分かった。
春の陽だまりの様だと、薄れゆく意識の中、そう感じた。
――どんな表情をして、彼女は私を見送っているのだろう。
消える瞬間、ふとそんな事を思ったけれど、まぁ、どうでもいいか。
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光の粒が、少女の目を覆っていた女神の掌をふわりと掠め、消えた。
暗闇の中で、少女が居た場所を変わらず見つめながら、彼女は呟く。
「……どうか、その魂が幸福で満たされる程の幸が、あなたに訪れん事を」
それは、祈りだった。
神が祈る、神への願い。
叶えてくれるどころか、聞いてくれる存在すらいない、無意味で無価値な祈り。
その小さな呟きは、まるで少女の後を追うかの様に暗闇へと溶け、後には静寂が残るばかりであった。