太陽とネズミと、王冠と。
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ルドア国の現国王、ベルンハルト・ルドア・バルテル。
彼はとある一室で、ソファに腰かけながらその男を流し見た。
鼠色の髪を時折さらりと揺らしながら、机に山積みにされた書類に目を通していく美男子、アルバート・カーティスを。
碧の瞳は釣り目ながらも優し気で、彼がよく浮かべる微笑みの所為もあり、温和そうなな印象を受けてしまう。
いや、実際彼は温和である。
だがしかし、アルバートをよく知る人物からすれば、それは唯の一面にしか過ぎないのもまた事実。
“重度の愛妻家であり親バカ”
それだけ聞けば単なる笑い話であり、寧ろ有能過ぎる彼への良いギャップとなって好印象さえ抱かせる。
しかし、彼をよく知る人物の一人、ベルンハルトにとっては笑い話でも何でもない。
彼は正しく“重度”なのだ。
アルバートを支持する国民の中には、彼が王となる事に夢見る人も少なくない。
実際、アルバートはベルンハルトよりも優秀であり、国王として資質もある。
だが、本人も認めている様に、アルバートは王には向いていない。
彼は確かに国と民を愛しているが、それは飽く迄も妻子の二の次。
妻子へ向ける愛に比べれば微々たるものである。
それこそ、妻子の為ならば国民を虐殺する事さえ厭わない程に。
だからこそ、ベルンハルトは彼が王になる事を許容出来ない。
といっても、アルバートは王位などに興味はないので、そんな可能性はないのだろうが。
だが、だがそれでも……。
ベルンハルトは仏頂面という標準装備を顔に貼り付けたまま、チラチラとアルバートを横目で見る。
国王と言う立場であるベルンハルトにとって、アルバートは数少ない気心の知れた友人。
そんな友人を脅威に思うなど、我ながら自分の小心振りに呆れる。
でも、だからこそ怖いのだ。彼をよく知っているからこそ。
彼の有能さも、妻子の為ならば手段を選ばないその純粋さも。
妻子の為になるならば、興味のない国を乗っ取る事も、滅ぼすことにも躊躇しないであろうこの男。
ベルンハルトは紅茶を一口啜ると、口内の熱を逃がす様に、小さく溜息を吐いた。
「……何か御用でしょうか?国王陛下様?」
一方で、チラチラと視線を向けてくるベルンハルトに対し、先程から気が散って仕方がなかったアルバート。
彼は書類から目を離すと、観念したようにベルンハルトを見た。
舌打ちと共に。
「舌打ち、聞こえているぞ」
ベルンハルトは仏頂面のまま眉間に皺を刻むと、冷たい濃紺の瞳を鋭く細め、睨み付ける様にアルバートを横目で一瞥。
……睨んでるつもりはないんだろうなぁ。
思わず微苦笑を浮かべるアルバート。
だが、ベルンハルトが内心どう思っていようとも、国王に舌打ちを打つなど言語道断である。
不敬罪で捕まっても文句は言えない。
国が国なら、死罪だって有り得るのだ。
だから当然、アルバートは口を開くと、舌打ちに対する申し開きを――、
「あっはっは☆聞こえる様に鳴らしたに決まっているでしょう?」
「……」
言い訳どころか、実に清々しい程の開き直りであった。
ベルンハルトは無言で紅茶を手に取ると、口へと運ぶ。
……その手は、僅かに震えていた。
彼をよく知らない人から見れば、それは怒りを表す動作だと思う事だろう。
実際は違うのだが、真の理由を聞いたところで信じる者も無し。
なぜなら彼は、厳格な国王。
笑った顔などほぼ皆無。常に仏頂面で、その眼光は鋭い。
その冷徹な表情と、鮮やかな赤い髪色との印象から、周囲の者は彼を『氷炎の王』と呼び、畏れ敬っている。
アルバートは、ベルンハルトのその二つ名を噂で聞いた時、部下達の前で思わず噴き出してしまったのだが、今ではいい思い出である。
表情筋が無いだけの、唯の小心者だとは誰も思うまい。
……面倒くせぇ。
アルバートは、手を震わせる幼馴染の姿に口元を引き攣らせると、席を立ち、ベルンハルトの向かいのソファへと腰を掛けた。
「……ゴホン。まぁ、あれだ。冗談だからね?仕事の邪魔だなとは思っていたけれど、厄介払いしたかった訳じゃ、……あるな」
「……」
ベルンハルトの手の震えが、増した。
「陛下……、ベル。とりあえず、カップを置こうか。零れる」
ベルンハルトは表情一つ変えず、震える手でカップをソーサーへと置き、ゆったりとソファに座り直した。
アルバートの言葉で傷心している様には全く見えないが、内心涙目である。
「全く、貴方は人からの評価を気にしすぎだ。態度に出ていないのがせめてもの救いだよ」
「……アル。国民からの支持、また上がったそうだな」
「ふふふ。……話、聞いてた?」
アルバートは微笑みながら「ん?」と小首を傾げると、苛立ちを抑える様にテーブルに置かれたカップに紅茶を注ぎ、口に含んだ。
そしてベルンハルトも、その行動に同調するかの様に紅茶を啜る。
「……それで?何か用があったのでは?」
少しの間の後、アルバートが本題を切り出した。
「私の息子、クリストフについて聞きたいことがあってな」
「ああ、あの馬鹿……ゴホン。第二王子がどうかしたのかい?」
「……クリストフについて、どう思う?」
「バ……、えーっと、……元気一杯な御子さんだね?」
アルバートは「あはは」とわざとらしい笑みを浮かべて答えた。
「そうか……」
「要件というのは、それだけかい?」
「いや、ここからが本題だ」
「そうだよね?」
アルバートは口角を持ち上げながら、小首を傾げる。
寧ろこれで終わりだったら殴り飛ばしていたよと、そんな物騒な事を考えながら。
「お前の娘に、クリストフを会わせてみたらどうかと思ってな」
「……」
アルバートの笑みが、固まる。
「……どうした?」
「いや、どうしたじゃねぇよ」
笑顔のまま、口調が荒くなるアルバート。
クソ。朝食の時に結婚どうのという話題にはなったが、あれは伏線というものだったのか……!!
アルバートは笑顔を貼り付けたまま膝上に両肘を立てると、組んだ手の上に顎を乗せて前のめりになった。
「それはまさか、婚約を視野に入れてる訳じゃないよね?ん?」
「そうだが」
「いや、そうだがじゃねぇよ」
あの馬鹿王子に、うちの大事な娘をくれてなどやるものか。
笑顔に影を落としながら首を傾げ、アルバートは下からベルンハルトを見上げた。
満面の笑みにも拘らず、その絵面からは「あ゛ぁん?」というアルバートの声なき声が聞こえてくる様であった。
「……駄目か」
「うん」
「会わせるだけでも、駄目か」
「うん」
これが同性であったなら会わせもしただろうが、生憎エレオノーラは男装していても女である。
子供の人脈を増やす為、貴族間の交流を深める為、そういった意図から子供同士を会わせて親しくさせる事は多い。
ましてや、カーティス公爵家と王族の関係性は、建国時から続く由緒あるもの。
子供たちも必然的に関わりを持つようになってくることは必然な為、アルバートとしても仲良くさせる事は吝かではない。
だが、だがしかし。
異性となれば別である。
貴族間で異性の子を会わせる場合、それは即ち、婚約を視野に入れたもの。
駄目だ。それだけは駄目だ……!
しかも、今のノーラは非常に不安定で、そんな時に婚約どうのなど論外だ。
アルバートは軽く額に青筋を立てつつ、満面の笑みで国王の申し出を拒否ったのだった。
「そもそも、何故行き成りそんなことを?」
「そんな不自然な話でもないと思うのだが……」
「確かにね?私の叔母も王族に嫁いでいるし、家柄的に何も可笑しな事ではない。でもさぁ、古くから続くカーティス家と王族の強い関係性からして、今更政略結婚させて関係の強化を図る必要もないだろう?仮にその必要があったとしても、私がそれを許すとでも?子を政治の道具になどする筈がないじゃないか」
「……」
ベルンハルトは無言でアルバートをじっと見つめた後、小さく溜息を吐く。
そして、「邪魔したな」と立ち上がると、そのまま部屋を後にした。
アルバートはその後ろ姿を見届けた後、一人苦笑を漏らしながら紅茶を啜る。
王族と並ぶほどに国民からの支持を得るカーティス家。
大方、これ以上カーティス家の力が増すのを懸念しての提案だったのだろう。
あの小心者のベルからすれば、国を乗っ取られないか気が気ではない筈。
だからこそのノーラとの婚約。
ノーラを王族に引き込めば、私は迂闊に手が出せなくなる。
まぁ、王位に何てものに興味はないから、国を乗っ取るとか頼まれてもしないけれど。
……国が私の妻子に牙を向けない限りは、だけど。
つまりは、君がそんな事態を引き起こさなければ、私はカーティス家の紋章に誓って、国を守り、君を支える無害で優秀な友人で在り続ける訳だ。
ベルもそれを分かっているだろうに、それでも不安なんだろうなぁ。
本当――、
「小者だな」
我が友人ながら呆れるよ。
アルバートは鼻で笑い、ソファに深く凭れ掛かると、天井を見上げた。
小物。周りの反応ばかりを気にする小心者のベル。
私の方が国王としての能力は高い。
これは過大評価ではなく、客観的に見た単なる事実。
だが、駄目だ。私に王は向いていない。
国や国民などよりも、家族の方が大切なのだから。
いや、全てにおいて、家族に勝るものはない。
だからこそ、そんな私が国を、王族を脅かす存在になることを、ベルは懸念している。
国を、民を、真に想って愛する君だからこそ、私が間違っても国のトップになる事が許せないのだろう。
まぁ、そんなベルだからこそ、君は王に向いているのだが。
周囲の評価を気にするその繊細さも、ある意味では武器となるだろう。
それに、私程ではないにせよ、君だって十分過ぎる程に優秀なのだから。
それでも君が至らない点に関しては、私が支え補おう。
だからどうか、私の愛する家族の為に、頑張ってこの国の平穏を守ってくれよ?
その間は、私は国をより良く照らす太陽として、そして陰から支えるネズミとして、この国を、そして君達王族を支える駒で在り続けよう。
でももし、私がその役目を果たせなくなる程に君が醜態を晒し、国を、私の家族の安寧を壊す様な事態になったその時は――。
アルバートは不敵に微笑みながら右手を天井へと向けると、その親指に嵌められた銀の指輪を見つめる。
太陽とネズミと、王冠と。
その刻まれた紋章を緩く撫でると、アルバートは指輪に口付けた。
「――その時は、私が本当に、国を乗っ取ってしまうよ?」
あるいは、壊す。
全ては家族を守る為。
アルバートはゆっくりと立ち上がると、書類が積み重なった机へと目を向けた。
そして幸せそうに微笑んで、思う。
さて、今日中にこれを終わらせなければ。
家族の為に、――と。




