カーティス家の朝食。
……落ち着こう。
一旦落ち着くのよ、エル。
枕がスライムに代わってる事にも驚きだけど、今はそんな事どうでもいい。
私はもう一度目を瞑り、そして数回深呼吸。
スー、ハー。スー、ハー。
……よし。
意を決して、私は再び目を開けた。
「スピー……。スピー……」
「……」
うん。レオだ。
というか、え?どういう状況?
レオの寝顔を見つめつつ、頭の中を整理する。
「……そっか、倒れたんだっけ」
レオ越しに窓を見るが、まだ外は夜が明け切らない薄暗さ。
昨日の昼頃から寝ていたのだと思うと、かなりの睡眠時間だ。
……まぁ、ガドニア国では寝てなかったからね。
というか、あんな場所で寝られる訳がない。
何度ヒト族に絡まれたことか。
その度に魔法やら剣やらで返り討ちにしたけれど、流石に疲れたわ。
ちょっと殺しかけちゃったけど。
「はぁ……」
私は小さく溜息を吐いて、おでこを抑えた。
思い出すとまた頭が痛くなってくる。
それもこれも全部レオの所為だ。
私はおでこから手を離すと、恨めしそうな目でレオを見つめた。
全く、呑気な寝顔だ。
……。
「か、かわいい……」
じゅる。
……おっと、顔がにやけて涎が。
全く、けしからん。何なの、この幼児は。
普段あんな大人びていながら、一緒に寝に来るとか反則だわ。
「はぁ、はぁ……」
お、落ち着くのよ、私。
悶える。悶えるのは分かる……!
でも、駄目よ!
普通の子供みたいに可愛がったら、絶対レオは嫌がるもの!!
「くぅ……!!」
指をわきわきさせて、レオの方へと手が勝手に伸びていく。
ああ……!耐えるのよエル!
でも、でも、……触りたいっ!!
ほっぺをプニプニして、頬擦りして、あの真ん丸後頭部をなでなでしたい……!!
腕の中にすっぽり収まる程の、あの小さな体を抱きしめて、くんかくんかしたい……!!
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
も、もう少し。
駄目よ、エル!
もう少しで、この指先に……!!
だめぇぇぇぇぇ!!!!!
「んー……」
「……!!」
欲望と自制心の葛藤の中、レオの小さな唸り声で我に返った私は、慌てて手を引っ込めた。
危ない危ない。
しかし、安堵したのも束の間。
仰向けに寝ていたレオは、一度深い呼吸をした後、ゴロンと寝返りを打ったのだ。
――私の方に。
「ぐ、はっ……!!」
天使……!!
顔面天使……!!
天使の顔が、私の、目の、前に……!!!
普段は何か色々あれだけど、そんなものを差し引いてもお釣りがくるほどの天使振りだった。
こんな可愛い子供、見たことない。
「レ、レオ……」
顔をこちらに向けて身体を縮こまらせるレオに、私は生唾を飲み込みながら手を伸ばした。
昨日抱きしめたあの温もりを、感触を、もう一度私に……!!
「ん、……うっ、……」
「……」
レオの顔に私の指先が当たる寸前で、手が止まった。
「どんな、夢を見てるの?……レオ」
苦しそうに顔を顰めながら、小さく声を漏らすレオ。
そして、閉じられたその瞳からは、涙が一筋零れた。
「大丈夫よ、レオ。私が死ぬまで、貴方は私が守るから。私、貴方がいないと、生きていけないもの……」
だって、私は寄生虫。
そして貴方は、私の最後の宿主。
一緒に生きると決めたんだ。
生きる為に、死ぬ為に、私は貴方と生きると、貴方を守ると、そう誓ったのだ。
守らなければ。この強くてか弱い狂人を。
守らなければ。この哀れで愛しい幼子を。
「大丈夫よ、レオ。大丈夫……」
私はレオを優しく抱きしめると、小さく震えるその背中を、静かに擦り続けた。
*******
「……」
目が覚めた。
どうやら誰かに抱き枕にされている様だ。
一瞬また母様かと思ったりもしたけれど、頭が覚醒して昨夜の事を思い出し、直ぐに違うと悟る。
視界に映るこの長い金髪。……エルである。
まぁ、エルのベッドに潜り込んだのは私だしねぇ?
エルしかいないよねー。はっはっはっ!
「うんしょ……」
エルの腕から這い出して上半身を起こすと、エルの頭の下敷きになっているスーちゃんを撫でた。
おはよう、スーちゃん。
君がいない事に耐えられなくて、つい来ちゃったよ。てへ。
それにしても、何故抱きしめられていたんだろうか。
ガドニア国での抱っこの時も思ったけれど、エルって実は子供好き?
抱っこもしなれてる感じだったしなぁ。
何かこう、安定した居心地だった。
幼児にしか分からん感覚だと思うが。
「熱は、下がったか……?」
エルの額に手を置いてみる。
……うん。流石はブルーノお手製の解熱剤。
まだ安静にはしていないとだが、熱はもうすっかり下がっている。
これならもう、スーちゃんを返して貰っても問題ないだろう。
「おいで、スーちゃん……!」
私は両手を広げ、スーちゃんに呼びかけた。
スーちゃんはエルの頭からズルリと抜け出すと、私の傍へと這って来る。
プルプルと私の膝へと這い上り、そしてゆっくり腕の中へ。
「スーちゃん……!!」
ひしっ!!
力強く、スーちゃんを抱きしめる。
ズルズルと這ってくるその姿、何と愛おしい事か!!
暫く、一夜振りの抱擁を噛み締めた後、私はよいしょとベッドから下りた。
「さて、着替えて朝食でも食べに行こうか」
私はスーちゃんを抱きしめたまま、鼻歌交じりに部屋を出たのだった。
バターの香り豊かなパンが数種類と、新鮮な朝採り野菜のサラダ。
ふわとろのスクランブルエッグには、角切りにされたトマトの食感も楽しめる、色鮮やかなトマトソースをかけて。
え、軽い朝食じゃ物足りない?
そんな貴方には、熟成ベーコンと、ハーブが薫るソーセージなんてどうかしら?
デザートには様々な地域のフルーツをどうぞ。
お好みで、緩く泡立てた生クリームをかけても美味しいですよ?
「てな訳で、いただきます」
食卓に並べられた朝食を、私はもっちゃもっちゃと、いつもの如く食べてゆく。
美味いわぁ。
朝から美味いわぁ。
もっちゃもっちゃ。
「ふふふ。今日も朝から腹ペコさんね」
母様が紅茶を啜りながら私に微笑んだ。
別に、空腹という訳ではないんだが……。
「もっちゃもっちゃ。……ごくん。ソーセージ、焼きで!」
「畏まりました」
近くに居た執事に追加注文。
茹でた物も美味しくはあるんだが、今日は焼きの気分である。
まぁ、茹でてるのも食べるけども。
もっちゃもっちゃ。
「ノーラはよく食べるなぁ。将来太って、嫁の貰い手がなくなっても知らないよ?」
隣に座る兄様は、穏やかに笑いながら私の頬を突っついた。
やめろ。
口からモザイクが飛び出すぞ。
「……あ。でも、そしたらずっと結婚しないで済むのか。やっぱりノーラ、太っても大丈夫だよ?兄様がずっと面倒みてあげるから!ふふ!」
お、言ったな?
30、40になっても、デブのまま豚の様にご飯を貪りながら、ずっと家に居座ってやるからな?
「こらこら、ロベルト。……結婚なんて、父様が許すはずないから安心しなさい?というか、ノーラに釣り合う男なんている訳ないだろう?」
「もう、アルったら!ノーラが選んだ人なら誰でもいいじゃないの。……私より強い男なら、だけど」
齢5才にして、どうやら豚人生が決定した様だ。
まぁ、私も結婚どうのに興味はないので、別に構わないが。
「ソーセージ、焼きで御座います」
「もっちゃ、もちゃもっちゃ(ありがとう)」
運ばれてきた焼きたてソーセージを口に頬張る。
パキパキジューシー。美味美味。
あ、スーちゃんもどうぞ。
膝上でぷるぷるしているスーちゃんへの差し入れも忘れない。
「……あらやだ。アル、そろそろ時間よ?」
「おっと。ゆっくりしすぎたね。……昨日は早退してきてしまったから、今日は遅くなるよ」
「そう……。じゃあ、先に寝てるわね?ふふ」
「ああ、そうしてくれ。私は君の寝顔を見つめながら眠る事にするよ」
「ふふふ。やだわ、気持ち悪い」
あはははは。うふふふふ。
うむ。今日も仲が良い二人である。
「あ、そうだ。……ノーラ」
ん?
私は、もっちゃもっちゃと頬を膨らませたまま、父様に顔を向けた。
「もうすぐ、ロベルトの10歳の誕生日だろう?」
こくん、と無言で頷く。
確か、その日まであと20日程だったか。
「貴族の家では、10歳の誕生日の時に鑑定の儀、つまりはスキル鑑定を行う慣わしがあってね。それにノーラも出て欲しいんだ。といっても、身内だけで行うつもりだから、そんな大したものではないよ。……いいかな?」
こくん。
何かよく分からんが、とりあえず頷いておく。
「そうか!……良かった。詳しくは明日、説明するね?私も休みだから、久しぶりに父様とお茶をしながら、ゆっくりおしゃべりしようか」
父様は顔を緩ませながら、紅茶を啜る。
おい、そんなゆっくりしていていいのか。
早く仕事行け。
「あらズルい。私もノーラとお茶がしたいわ」
「なら僕も!母様のクッキー、また食べたいなぁ」
「ふふふ。じゃあ、久しぶりに作っちゃおうかしら」
わいのわいのと、お茶会計画が勝手に盛り上がっている。
結局みんなでお茶会らしい。
「……ごくん。父様、時間」
「おっと!……じゃあクレア、行ってきます。ブルーノ医師が来たら、当主不在で申し訳ないと伝えてくれ」
「分かってるわ。行ってらっしゃい」
父様は立ち上がると、母様に行ってきますのキスをする。
熱々ですねぇ?
静かに父様の背後に立ったセバスが、上着を父様に羽織らせた。
「ロベルト」
父様は、兄様の傍で中腰になると、頬にキスをして「行ってきます」と一言。
そしてお次は私のもとに。
「ノーラ、行ってくるね?」
父様の唇が、もっちゃもっちゃと膨らむ私の頬にゆっくりと近付く。
思わず顔面を掴む。
むぐ……、っという父様の呻き声が聞こえた。
腹パンしなかっただけ感謝して欲しいものである。
……あ。
「……ごくん。ベーコン、カリカリで!」
「畏まりました」
ふむ。程よい焼き加減の柔らかベーコンも美味しいけれど、カリカリも美味いよねぇ。
マッシュポテトと食べたら、ポテトの滑らかさとベーコンのカリカリ食感が合わさってグッド。
ここで芋はちょっと粗めに潰すのがポイントだ。
芋のホクホク食感もプラスされるので、更に美味くなること間違いなし。
まぁ、そこまでの細かい注文は面倒臭いのでしないけれど。
「ふふ。じゃ、行ってくるね」
父様は苦笑しながら私の頭を撫でると、漸く急ぎ足でダイニングルームを後にした。
全く。食事の邪魔をするんじゃないよ。
もっちゃもっちゃ。
それから少しして、ベーコンのお届けが。
「ベーコン、カリカリで御座います」
「もっちゃ、もちゃもっちゃ(ありがとう)」
頬を膨らませながら、頷くように軽くお辞儀をして礼を伝える。
これ食べたら、そろそろデザートにいこうかな。
よく泡立てた生クリームを貰って、フルーツサンドにしてもいいだろう。
……あ、こら。
兄様、頬を突っつかないでくれ。
マジ、モザイク出ちゃうんで。
「……ん!」
咄嗟に、スパンっと兄様の手を払いのける。
危なかった。
危うく自主規制する羽目になるところだった。
「……ごくん。兄様、そういうのは鬱陶しいから止めてくれ」
口元を拭き、兄様を横目で流し見る。
兄様は、キョトンとした顔でこちらを見ていた。
そして――、
「ごめんね?」
少しして状況を把握したらしい兄様は、シュンとした顔をして俯いた。
……別に、怒ってる訳じゃないんだが。
こういう時は何て言うんだったか。
えーっと……。
「……いいよ」
その言葉に兄様は「えへへ」と顔を綻ばせ、母様は「うふふ」と笑みを湛えながら、こちらを微笑ましそうに見守っていた。
……全く、単純な奴等である。




