仮面を付けた子供の噂。
エルさんが寝込んでいるので、主人公もお休みです。
俺は、何の為に生まれてきたんだろう。
どうして、生きているんだろう。
俺の存在理由は?存在価値は?
そんなもの、……無意味で無価値。それが答え。
生きている。俺は、唯、生きているだけ。
……ああ。
俺は、それだけの存在なのか。
「ふぅ。……疲れた」
抱えた木箱ごと、俺は平原に倒れ込んだ。
その拍子に、木箱の中身をぶちまけてしまったけれど、どうでもいい。
ごろん、と仰向けに寝転がり、大の字になる。
固く、滑らかな肌触りをした物が、指先に当たった。
木箱の中身だなと、見ないでも分かる。
ひんやりとした夜の空気を肌で感じながら、空を見つめた。
「今日は、満月か」
静かで、綺麗な、月夜。
このまま死んでしまいたくなる程に。
そして俺は、自然の一部になっていく。
魔物や動物、虫の餌として肉を食われ、内臓を食われ、骨となる。
そして糞となって大地を肥やし、土となり、草木を生やす。
どんな死に方をしようとも、どんな生き方をしようとも、死んだら土へと返るのだ。
こればかりは、人間だろうと魔物だろうと変わらない。
みんな同じだ。
「喰種だって、同じだ……」
ああ、何故俺は、生まれてきた。
喰種の俺は、何の為に生まれてきた。
俺は、指先に触れる木箱の中身を手繰り寄せ、ボールの様に丸くて大きい物体を、天高く持ち上げた。
月に被せて見たそれは、醜く哀れな頭蓋骨。
欠けてしまった後頭部の穴から月明かりが差し込んで、眼球が入っていた窪みから弱い光が漏れ出している。
その様はまるで、命が宿ったかの様。
……昨日死んだ、獣人の爺さん。
奴隷の死体処理用に飼われている魔物と一緒に、俺も食った。
いつもの事だけれど、仕方のない事だけれど、魔物と一緒に死体を貪っている俺って、何なのだろう。
「ははっ……」
ふと、自嘲的な笑いが零れた。
人を食う以外は大して人間と変わらないから、人間社会に紛れなければ喰種は生きられない。
怪我もするし、病気にもなるのだから。
でも、人を食うから表社会では生きられない。
だから、こういう生き方しか選べない。
息を潜めて、死体を食って、骨を外に捨てに行く。
それをずっと繰り返す。
その為だけに、トーマスに飼われているのだ。
唯、人の死体を食う為だけに、俺は全てを捨てて生きているのだ。
下らない。詰まらない。無意味で無価値な俺の人生。
ああ、本当――、
「死ねばいいのに」
手を離し、地面に転がる頭蓋骨。
小石に当たったのだろう。カタン、という音が聞こえた。
たった、それだけ。
……ああ。これは、俺だ。
俺自身なのだ。
「あははっ!はは、は……、うっ、ううぅぅーーっ……」
涙が溢れる両目を覆う。
何ともまぁ、女々しいものだ。
泣くほど惨めなら、死ねばいいのに。
生きるのに疲れたのなら、死ねばいいのに。
「うっ、ううっ、……あ、うぐっ、……ひっく」
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
死ねばいい。
俺なんて、死ねばいいのだ。
死ねば、いい。……そう、思うのに。
無意味に、無価値に、誰にも記憶されることなく、死ねばいいと。
思って、いるのに。
「糞がっ!!!!糞が糞が糞が糞が糞が!!!俺なんか、俺なんか……!!……死ねよ。死ねよ。もう、死んでしまえよ。……バーカ」
ははっ、と力の抜けた笑いを零して、俺は両目から手を離した。
相変わらず、月は綺麗で。
相変わらず、夜風は心地よくて。
涙でぐしょぐしょの火照った顔を、ひんやりと夜の空気が撫でていく。
どれくらいそうしていただろう。
思考を停止して、ぼんやりと月を見つめ続けること暫く。
夜の静寂を破って、声が聞こえた。
魔物の声と、笑い声。
明らかに、異様である。
危険を知らせる早鐘が、心臓を打ち鳴らす。
早くこの場を去らなければ。
そう思い、上半身を起こして立ち上がった。
……何故?
本能が逃げろと言っている。
それに従う俺は、何?
こんな無様な人生を嘆きながら、死を願いながら、それでも、生きるための本能に忠実な俺は、何?
「ははっ……」
俺の思いとは無関係に、身体は生を渇望している。
生きる為に人を食えと、無様でも生きろと、危険から身を守れと、俺に命令をするのだ。
無意味でも無価値でも生きていろと、生きているだけ十分ではないかと、そんな綺麗事で、俺を洗脳するのだ。
「黙れよ、糞が」
この体は、俺の物だ。
この体だけが、俺の物だ。
俺から、俺を奪うんじゃねぇ。
「ほら、行くぞ。無意味になんて、もう……」
俺は震える足を叱咤して、声のする方へと歩いて行った。
歩くたびに、声はどんどん近くなる。
甲高い、小さな子供の笑い声。
そして、魔物の断末魔。
そんな異常な声の中心に、その影はあった。
俺は生唾を飲み込んで、それを、見る。
月明かりに照らされて繰り広げられる、幼児による魔物の殺戮を。
平原に広がる血の海の上で、宙を舞う魔物の血肉を浴びながら、その子供は踊っていた。
楽し気に、そして優雅に、そして――、
「美しい……」
そんな錯覚をしてしまう程に、それは綺麗で。
美しくも力強い、生き生きとした生と死が、そこにはあった。
恐怖と感動で、俺の脚の震えは限界となる。
腰も砕け、遂にはその場にへたり込んでしまった。
だが、そんなことはどうでもいい。
俺は唯々、その情景に魅せられてしまったのだ。
一瞬も、目が離せなかった。
血を、肉を、生を、死を。
それを食べるその子供の、なんと美しい事か。
それに比べて、犬の様に死体を貪る俺は、なんと醜い事か。
こんなにも美しく、死は昇華出来るものなのか。
死は、無意味じゃない。無価値じゃない。
だって、こんなにも美しいではないか。
死は、死は、美しいのだ。
不意に、魔物の声が消えた。
少しして、血塗れだった子供の髪が輝きだす。
月明かりに照らされて、宙に浮く赤い玉と、金糸の髪が淡く光り、思わず息を呑んだ。
醜いだけの肉塊も、地面に広がる血の海も、全てが美しかった。
この子供の周りだけ、死は輝いていた。
死んだ後の死骸でさえも、輝いていた。
それからまた少しして、子供はすべての肉塊を更に破裂させ、血の海へと溶ける様に消えていった。
ミンチになって宙を舞う肉と、雨の様な血飛沫が、その子供の後を追う様に、地面へと落ちていく。
血の海が跳ね、びちゃびちゃと音を奏でた。
後には、静寂だけ。
……ああ。この静けささえも、美しい。
暫く余韻に浸りながら、俺は悟った。
死があるから、生は際立ち、輝くのだと。
生があるから、死は際立ち、美しいのだと。
生は死だ。死は生だ。
それ以外の意味などない。それ以上の価値などない。
唯、生きて、死んでいく。
それだけなのだと。
だからこそ、その単調さが美しいのだ。
俺は、何かを求める様に、血溜まりの傍へと歩き出す。
不意に、突風が吹いた。
髪が乱れ、視界に長い黒髪が映る。
あの子供の金糸の髪とは正反対の、闇の色。
仮面の下の瞳は、どんな色をしていたのだろう。
ふと、足元に広がる血の海を見た。
俺の瞳と同じ、赤い色。
月明かり照らす暗闇の中、赤を撒き散らす子供の姿を思い出す。
あの子供ならば、俺に生を与えてくれるだろうか。死を与えてくれるだろうか。
あの子供の傍でなら、俺の生も、死も、全てが輝くのだろうか。
もしそうなら、それは、……救いだ。
空を、見た。
相変わらず、綺麗な満月がそこにはあった。
静かで美しい、血の臭い漂う、月夜だった。
*********
「オーナー。よろしかったので?」
「何がだ?」
カジノ2階に設けられた、店内を全て見渡せるオーナー専用の監視部屋。
フランクはソファに腰かけて、大きなガラス窓から店内を見下ろしつつ問い返した。
「さっきのお客様の事です。大損にも程がありますが」
「ふふっ!」
自身の横に立つ、眼鏡を掛けたディーラー服の女性を一瞥し、フランクは子馬鹿にする様な笑いを零した。
「ティーナ。ここを一体どこだと思っている?そして、僕を誰だと思っている?」
「……」
フランクの問いかけに、その女性、ティーナは眉間に皺を寄せながら口を噤んだ。
その表情を満足そうに見届けたフランクは、髪を掻き上げて言葉を続ける。
「そう。ここはカジノ。ここでは力なんて野蛮なものは意味をなさない。知力を振るい、運に恵まれた者だけが勝者となる場所だ。彼女……、レオ様は、人並み外れた強運で勝者となられた。僕はギャンブラーだ。勝者には、その運に見合った富が授けられるべきだし、敗者はそれを差し出す義務がある。そして、僕は負けた。運は完全に、レオ様に向いていた。金を取り返そうとゲームを挑んだところで、更に負けが嵩んでいた事だろう。寧ろ、あの程度の損害で済んだことを喜ぶべきだ。……まぁ、それでも勝負をしてみたくはあったけれどね」
「これは、遊びではないのですよ!?あなたは経営者でしょう?ここが潰れたら、ここの従業員たちはどうなるのですか?この国の経済だって、傾いてしまう。ギャンブラーである前に、人を雇う側の立場だという事を、人の上に立つ立場であるという事を、どうかご自覚なさって下さい。貴方は、……この自治国ガドニアの、首長の一人でもあるのですから」
ティーナは首を緩く振りながら、切実な思いでフランクを諭した。
無駄だと分かっていながらも。
「あははっ!そうだとも!僕は経営者で、この国の首長の一人。でもね、ティーナ。ギャンブラーである前に、とは聞き捨てならない。僕はギャンブラーさ!ギャンブラーでしかなり得ない。なぜなら人生はギャンブルだから!全ての人は、何かである前に、生きている以上、人生というゲームで遊び続けるギャンブラーなんだよ。もちろん君もね?」
……この人は。
ティーナは深いため息を吐きながら、眉間を揉み込む。
オーナー代理として、またフランク首長の秘書として、私がこいつにどれだけ振り回されてきたか。
唯の遊び人として、女と金に囲まれながら一生を終えればいいものを、何故こんな責任ある立場に立ちやがったのか。
駄目だ。こいつに責任者は向いていない。
カジノの経営権を賭けた勝負でさえ、国を賭けた勝負でさえ、こいつなら喜んで参戦するだろう。
そしてそれに負けても、こいつは興奮に悶えながらも、潔く敗者としての義務を果たすのだ。
……というよりも、
「オーナー。貴方、あの額の10倍を払うから勝負をしてくれと、レオ様に言ったそうですね」
「それが?」
事も無げに首を傾げるフランクに、ティーナは小さく舌打ちを打ちながら、「屑が」と呟いた。
「こらこら、聞こえているよ?」
「貴方、馬鹿ですか?そんな金、一体どこにあるというのですか?あの金貨1万枚で、金庫の3分の1が消えました。なのに、その10倍?馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、遂に計算も出来なくなったのですね」
「……全く、ティーナは手厳しい。たかが金貨10万枚、簡単に用意できるだろう?カジノの景品も売り払えば余裕だ。僕は、自分が支払えるもの以上のものは賭けない。だってそれは、ギャンブルへの冒涜だ。負けておいて払えませんでは、敗者の風上にも置けない。唯の、屑だ」
「ええ、屑ですね」
「……今、僕に対して言わなかった?」
ティーナはフランクに冷ややかな視線を送りながら、終いには床に唾を吐き捨てた。
「掃除、しておきなさいよ?」
「オーナー。金庫も景品も全て支払ってしまっては、カジノは潰れます。そんなこと、ギャンブルを愛する貴方が許すはずがない。……経営権を、譲渡するつもりでしたね?」
吐いた唾を靴で踏みにじり、掃除とばかりに床に伸ばしながら、ティーナは真剣な表情で言う。
フランクは笑みを引き攣らせてその行動を見届けた後、視線をガラス窓へと戻し、小さく溜息を吐いた。
「どうだろうねぇ。もし僕が負けたらそういう提案はしただろうけど、全ては勝者の望むままに、だよ。彼女が望まなければ、僕はカジノを潰して、金を支払うだけさ」
「……それで、多くの従業員達が路頭に迷う事になりますが」
「そんなの、僕を選んだ君たちが悪い。僕に賭けて、僕の下で働くことを選んだのだから、その行動に責任を持ちなさい。僕が負ければ、君たちも敗者に決まっているだろう?」
……やはりこいつとは、価値観も思考も全てが合わない。
ティーナは、改めてそう思いながら、眼鏡を片手で上げ、鋭い視線をフランクに送った。
フランクはその視線を横目で見遣ると、呆れ気味に溜息を零した。
「……はぁ。もうこの話は止めだ。そんな賭け事、結局なかったのだから。それに、金庫の3分の2ぐらい直ぐに取り戻せる」
「3分の1です。増えてどうするんですか」
「……細かいな」
「額が額なだけに、全く細かくありません」
ティーナの言葉に、フランクは苦笑気味に両手を軽く挙げ、「分かった分かった」とソファに深く凭れ掛かった。
「どっちにしろ、その程度直ぐに取り戻せる。僕を誰だと思っている?プロのギャンブラーだよ?幸運こそが、僕の全て。この運が僕を生かし、僕を導く」
「負けましたけどね」
「ふふ!レオ様の運は正に別格!!ギャンブルで僕を殺せるのは、彼女ぐらいなものではないか?」
フランクは腹を抑えてくつくつと一頻り笑った後、ゆっくりと立ち上がった。
そして、広い店内を手の平で差しながら、歪な笑みを浮かべる。
「見てみなさい、ティーナ。この、浅ましい愚者共を。金も運もない癖に負けを認めず、必死に夢に縋りつく醜い敗者共。こいつらが勝手に、湯水の如く金を落としていってくれる。……ああ!!何て快感だろうか!唯座っているだけで、こうしてしゃべっている今も!僕は!こいつらに勝ち続けているのだ!!負けろ、負けろ、負けろ!敗者は勝者に全てを差し出せ!代わりに僕も、全てを賭けて差し出そう!!……ふ、ふふ!!ふはははははははははは!!」
美しい顔を歪に歪めながら、魔王の如く邪悪な笑いを響かせるフランク。
ティーナは、もう何も言うまいと、手元の資料を無言で眺める。
そして、さっくりと話を変えだした。
「首長フランク様。昨夜の件についてはどうされますか?」
「ふははははは!!……はん?」
「昨夜の、仮面を付けた子供の件です」
「……ああ、その話か。首長といっても、僕は経済担当だ。そんなもの、治安部に任せておけ」
「しかし、その話が本当だとしたら、この街に住む私たちも無関係ではありません。その子供が何者なのか、人に危害を加える存在なのか、そもそも人間なのか。それを見極めることは必須です。……噂がどうあれ、そういった存在がこの国に入って来たことは事実なのですから」
「はぁ……。治安部は無能だからなぁ。傭兵や冒険者に頼り過ぎている。あの豚共。その金を作り出しているのは、一体誰だと思っている」
フランクはソファに倒れ込む様に腰かけると、テーブルに置かれたグラスを手に持ち、中身を一気に呷った。
そして、負けに苛立ちながらも、カジノに夢中になっている中流層以下の客達を眺めながら、またもや歪な笑みを浮かべる。
「この国も、そろそろ潮時かねぇ……」
「は?」
「いや、何でもない。その話、僕も覚えておこう。調査を続け、また何か分かり次第、報告してくれ」
「畏まりました」
ティーナはグラスに酒を注ぎ直すと、「失礼致します」と深く頭を下げ、部屋を後にした。
「仮面を付けた子供、か……」
一人になった部屋で、フランクはグラスに口を付けながら、思考を巡らした。
その噂が流れた翌朝に、レオ様はやってきた。
唯の偶然?
「……」
果実を何かの技で弾き飛ばし、金貨の袋を影に仕舞い込むあの幼子。
運だけでなく、力さえも並外れた何かを持っていることは明らか。
「まさか、ね」
フランクはくつくつと笑みを零しながら、指と指の間からコインを取り出し、宙に投げた。
そして――、
「……表」
手を退かし、コインを見る。
コインの面は、表か裏か。
「ふふ!ああ、やはり、貴女様は……!!」
フランクは両腕を抱きながら蹲り、暫くの間、呼吸荒く悶えていた。
ふと思う。
あれ。
この小説、キチガイばっかやん。




