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公爵家の男装令嬢は、  作者: とりふく朗
第一章 スキル鑑定編
22/217

お日様の匂い。

 ――ここは、どこだろうか。

 目の前にいる、この人は誰?

 顔が朧気で、よく分からない。

 

 『ごめんね、ごめんね。……ごめんなさい』


 涙を流しながら何度も謝るその人は、幼い私と兄を両手いっぱいに抱きしめる。

 お日様の匂いが、した。

 ああ、どうか、そんなに謝らないでくれ。

 私は貴女が、たった一人で、頑張っていたのを知っている。

 こんな、細い身体で、今まで耐えてくれたのだ。

 向けられる理不尽を、その身一つで引き受けて、今まで必死に守ってくれた。

 今度は、貴女自身が守られるべきだ。

 手だってもう、荒れてボロボロじゃないか。

 この手で、貴女は、どれだけの涙を拭ってきたのだろう。

 部屋の隅で独り、顔を覆いながら、声を押し殺して泣いていたのを知っているよ。

 頑張ったね。辛かったね。

 幼すぎて、支えてあげられなかった私を、どうか許して。

 私は、骨の感触が目立つ、今にも壊れそうな彼女の身体を、優しく抱きしめた。

 もう顔も覚えていない貴女。

 どうか、どうか、私たちの事など忘れて、せめて幸せになってくれ。

 貴女だって人間なのだ。自分の幸せを求めて何が悪い?

 貴女は何も悪くない。貴女だって被害者なのだ。

 それを弱さだと、甘えだと、周りが貴女を責めるなら、私はそんな社会こそを憎んでやろう。

 貴様らに何が分かるのかと。貴様らこそ、何も出来なかったではないかと。彼女がこんなに追い詰められ、ボロボロになっても尚、未だ気付くことすら出来なかったではないかと。

 だから、頑張った貴女は悪くない。

 だから、もう、逃げていいんだよ。

 

 『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……』


 その人は一頻り謝罪の言葉を口にした後、私と兄から体を離す。

 そして涙を拭うと静かに立ち上がり、こちらを振り返ることなく去って行った。

 その場に残されたのは、兄の泣きじゃくる声と、あの人の体温と、お日様の香り。


 ……さようなら。

 もう、会う事はないけれど、伝える事も出来なかったけれど、今まで、ありがとう。

 『――お母さん』




「……」


 目を開けると、目の前には母様のお美しい寝顔があった。

 時々、こういう事があるのだ。もう驚かなくなったが。

 この人、時折私のベッドに入ってきては、私を抱き枕に二度寝をするのだ。

 全く、……お陰で下らない夢を見てしまったではないか。

 うんしょうんしょと、纏わりつく腕から抜け出そうとしていると、母様も目を覚ました。

 おはよう、母様。今日も相変わらずお美しいですね。


「んー……。おはよう、ノーラ。……ふふ、起こしに来たのだけれど、よく眠っていたから悪いかと思って。暫く寝顔を見つめていたら、私も眠くなってしまったわ」


 寝顔、見つめないでくれ、母様。

 寝起きの柔らかい笑みを、至近距離から炸裂させないでくれ、母様。


「おはよう。もう起きるから、離してくれ」

「あら。もうちょっとイチャついていましょうよ。ロベルトにこれすると、照れて嫌がるの。もうそんなお年頃なのね……。母様は寂しいわ」

「母様、苦しい。マジ、苦しい」


 悲しそうな表情で母様は私を力強く抱きしめた。

 この細い腕のどこにそんな力があるのか。母様の腕力は凄まじい。

 スーちゃんが私と母様の間で潰れかかっている。

 救出を急がねば。


「あらら。ごめんね、ノーラ?」


 母様は直ぐに腕の力を緩めると、私の頭を優しく撫で始めた。

 ……いい加減、解放して欲しいのだが。


「ふふ。それにしても、よく寝てたわねぇ。お腹空いたでしょう?」

「いや、あまり空いてないよ」

「そうなの?……ふふ、昨日の夜もいっぱい食べてたものねぇ。この小さなお腹の一体どこに、あれだけの量が入っていくのかしら?」

「ちょ、母様、やめ……!あは、あはははは!」


 突如として、母様は私のお腹をくすぐりだす。

 まじ、やめてくれ。

 ちょっとした感情の昂りが、私にとっては洒落にならん。


「ふふふ。そういえば、ノーラ。昨晩は、エルちゃんに遊んでもらってたの?床にマントやら仮面やらが脱ぎ捨てたままだったわ。元気な事は良いことだけれど、ダメよ?遊んだ後はお片付けしなくちゃ。あと、寝るときはちゃんと着替えなさいね?……というか、どうせなら母様も混ぜてくれれば良かったのに。もう!」


 母様は不機嫌そうに口を尖らせると、そのまま私の頬に唇を押し付けた。

 ……やめて下さい、母様。


「……ん、ごめんなさい」

「いいわ。でも、次は私も混ぜるのよ?」


 そっちじゃないです、母様。


「さて、遅い朝食にしましょうか。ロベルトもきっと待ってるわ。エルちゃんもお腹を空かせてるんじゃないかしら?……そういえば、今朝からエルちゃんをみかけないわねぇ。お散歩でもしてるのかしら?」

「……」


 ……エル。

 エル、エル、エル。

 ……。

 あ、しまった。


「ごめん、母様。せっかく待っててくれたのに、朝食は要らない。エルとちょっと、……うん、ちょっと出かけてくる。夕食までには戻るよ」

「あらあら。また母様は仲間はずれなのね?分かったわ。別にいいわよ。このモヤモヤはロベルトにぶつけてやるんだから」


 だそうだ、兄様。

 悪いが頑張れ。


「本当にすまない。……その、次は、母様も一緒に遊んでくれると、嬉しい、かも」


 くぅ……!

 言いたくはないが、仕方ない!

 俯きながらも小声で言う私の言葉に、母様の機嫌は、ほらこの通り。

 めっちゃご機嫌だ。


「もう!可愛いんだから!えい、ゴロゴロゴロー!」

「わわ!?」


 母様は、私を抱きしめたままベッドを転げ回る。

 激しいです、母様。

 何往復か転がった後、母様は漸く私を解放し、ベッドから下りてくれた。

 安堵に息が零れる。


「ふふ。久しぶりにノーラを補給出来たわ。……さて、次はロベルトね」


 補給って何だ。

 そして兄様、次は貴方の番らしい。


「それじゃ、気を付けていってらっしゃい。エルちゃんにもよろしくね」


 母様は私に笑顔で手を振ると、ドアを開けて部屋から出て行った。

 ……嵐の様な人である。


「さて、……うん。迎えに行くか」


 エル、生きてるかなぁ。

 強姦やら強盗やらに襲われていないだろうか。

 無事に一晩、乗り切れただろうか。

 心配である。


「……あ」


 というか、夜じゃないけど影移動って出来るのかな。

 エルの影を目印にすれば、出来……ると信じよう。うん。

 母様か侍女が置いてくれたのだろう、テーブルの上に綺麗に畳まれたマントを羽織ると、仮面を装着。

 スーちゃんを抱きしめながら、私は影へと潜っていった。



 ――そして案の定、エルの影から出てくることに成功。

 思ったとおりである。

 場所が分かっていれば、影が繋がってなくても移動可能なようだ。


「エル」

「……」


 エルは路地裏で膝を抱えていた。

 こちらをチラリと見た後、再び膝に顔を埋めて無言である。


「すまない、エル。眠気のあまり、エルを置いて邸に戻ってしまった。……ごめんね?無事で良かったよ」

「……」


 私は苦笑すると、エルの隣に寄り添うように腰かけた。

 暫く無言が続く。

 そして、長い沈黙の後、漸くエルが口を開いた。


「……私を、置いていった」

「うん」

「一人に、した」

「うん」

「私の事、忘れてたでしょ」

「うん」

「そこは否定してよっ!」


 エルは勢いよく顔を上げ、私を睨み付けた。

 はて。正直に答えただけなのだが。

 それにしても――、


「ふふ、あはは!ごめんごめん」


 涙目で怒るエルの顔が面白くて、つい破顔してしまう。

 いや、悪いとは思ってるんだけどね?

 そんな私を見て、エルは脱力したように俯きだすと、力ない声で言葉を続け出した。


「私がいなくても、レオは、大丈夫なの?弱い私は、要らない?」

「……それは、有り得ないよ。エルがいなければ、私は今頃、狂気に飲まれていた。破壊衝動のままに周りを壊し、殺し、そしてそれは、自分に対しても例外じゃない。狂気に狂喜し、笑いながら自分を殺していたことだろう」

「……なら、置いてかないでよ」

「うん。ごめんね?」


 私は困った様に笑いながら、エルの手を繋ぎ、頭を撫でた。

 可哀想に。すっかり冷えてしまっている。

 エルの手を自分のマントの中に引き入れて、温めてやる。

 するとエルは、膝に顔を埋めながら、昨晩の事を語り始めた。

 後半は涙声であったが。


「……心配、したんだからね。暫くしても戻らないから、荒野に戻って探したのよ?でも、魔物の死骸ばかりで、あなた、いないんだもの。入れ違いかと思って、い、急いで、街に戻ったけれど、やっぱりいないし。……う、ひっく。……ど、どこに行っちゃったのかなって、ひっく、私、私、心配、したのに……!」


 ぐはっ。

 流石に良心が痛んだ。


「そうか。……心配してくれて、ありがとう。心細い思いをさせて、ごめんね」

「うっ、……ひっく。ぐすっ」


 とりあえず、エルが泣き止むまで、私はエルの頭を撫で続けたのだった。

 普通、絵面的に逆じゃね?というツッコミは、この際置いておこう。

 ……そういえばエルも、母様と同じお日様の匂いがするよなぁ。

 あと、森?みたいな匂い。

 エルフって森に住む種族らしいし、その所為だろうか。

 何となく、空を見上げる。

 路地裏の薄汚い建物の間からは、青空にまん丸と浮かぶ太陽が。

 日陰の中から見るそれは、眩しさだけが欠けた、どこか優しい色をしていた。

 ああ、本当、今日もいい天気だ。


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