幸せ、幸せ、幸せ。
家に、帰ったら。
お母さんとお父さんは、何て言うだろう――。
まずは笑顔で、『おかえり』って言ってくれて。
それから、
『すごいわ、ポア!』『頑張ったな、ポア!』って褒めてくれて。
それから、……それから、
「だいすき、だよ、ポア……」
そう言って、優しく抱きしめてくれるのだと。
ポアは想像した。
「ポ、ポアも、ポアも大好き、だよ……」
自分で言って、返事をする。
部屋の隅で独り、膝を抱える手に力を込めた。
ぼーっとする。
何かが抜け落ちて、空っぽになったような。
それなのに、体は重たくて。
ああ、でも。
現実に拒絶されたとて。
まだ胸に残る、一抹の希望。
――ヴェラさんは、まだ生きているかもしれない。
“奇跡”と呼ばれる事象。
それだけが、ポアの心を繋ぎ止めていた。
だから。
少しでも早く、確かめたかった。
だから、
クロードがヴェラの死体を引き取りに行く際、ポアも付いていった。
分かってる。
頭では分かっているけれど。
でも、気持ちはどうしようもなく縋ってしまう。
もうずっと、細い糸の上に立っているような感覚で。
今にも切れてしまいそうな現実を、空想で塗り固めて、ないはずの足場を作って生きてきた。
でも、大丈夫。
これが最後の夢だから。
どうか、1つくらい――。
――案の定。
夢は、夢でしかなく。
分かっていた筈の現実が、ポアの心を砕いた。
『ヴェラに会いに来てくれてありがとう』
『あの時、一緒に泣いてくれた子だよね。お母さんのこと、悲しんでくれて嬉しい』
通された死体安置室で。
横たわる死体と、
それを囲む“家族”たち。
自分では踏み込めない世界を目の当たりにする。
その場に於いて、ポアはどこまでも部外者だった。
後のことは、よく覚えていない。
気付けば白亜の城に戻っていて、クロードの誕生日会が開催されて――、
『クロ、誕生日おめでとう!いただきまーす!』
楽し気な光景。
ただ見つめて、息をする。
溢れてくる“何か”に気付かぬよう、ポアはいつものように空想した。
――幸せ、幸せ、幸せ。
ポアは、幸せ。
なんて幸せなんだろう。
(幸せだなぁ。だって、みんな楽しそう)
そう思って、顔を上げる。
賑やかに行われるクロードの誕生日会を、視界に映した。
何故だか、自分の感情は分からなかったが。
今、自分はどこにいるのか。
この場にいるようで、いないような感覚。
きっと、みんなとの間に透明な壁があるのだろう。
とりあえず口角を上げて、その壁を眺めた。
(幸せだなぁ。だって、今日もご飯がある)
そう思って、ポアは出された食事を口に運ぶ。
何故だか、味は分からなかったが。
今、自分は何を食べているのか。
とりあえず咀嚼して、飲み込んだ。
(幸せだなぁ。だって、今日もベッドで寝られる)
そう思って、目を瞑る。
何故だか、寝られなかったが。
今、自分は寝ているのか、起きているのか。
頭の中がぐるぐるする。
ごちゃごちゃとした考えが、記憶が、映像が、延々と止まらない。
意識と夢の狭間に居続けて、目を開ける。これで何度目だろう。
寝汗と、動悸が酷い。
何か叫んでた気もするが、夢か、ただの想像か。
布団から顔を出してみると、眠そうに目を擦るエルと視線が合わさる。
ああ、多分また、起こしてしまったのだろう。
とりあえず謝って、部屋を出た。
(幸せだなぁ。だって今日はいい天気)
そう思って、空を見上げる。
何故だか、とても色褪せていたが。
雲一つない、灰色の空。
…………あれ?
顔を前に戻す。
空どころか、周りも全て灰色で。
空も草木もこんな色だっただろうか。
――――……。
――――――――……。
――――――――――――………………。
あ
れ
?
幸せ
って、
な ん
だっ け
なんだか、
静かに、なった。
静かだなと、ポアは思った。
世界は、ぼんやりしている。
クロードの誕生日会から一夜明け。
白亜の城近く、日当たりの良い場所にヴェラの亡骸が埋められた。
いくらか気持ちの整理がついていたのか、意外にもイヴァンとラビィは静かな涙を流すだけだった。
数歩後ろでは、ポアが無機質な視線を彼らに向けている。布で巻かれた何かを大事そうに抱きしめているが、その心中までは窺えず。
――……。
ポアは空を見上げた。
雲った瞳に映るのは、あの時と同じ良い天気。
あれは数日続いた雨が止み、久しぶりの晴天だったから。
少しだけ、浮足立っていた。
それでも気を付けてはいたのだ。
だから止めた――筈だった。自分以上にはしゃぐあの子を。
気が付けば、あっという間で。
伸ばした手は小さすぎて、届かなかった。
自分が助かるので精一杯で、村に助けを求めたけれど間に合わなくて。
その時も、空を見上げたのだ。
木々の合間から覗く青い空と、暖かな木漏れ日が眩しかった。
けれど、地面はぬかるんでいて。
水嵩の増した川が、激しい音と共に泥水を撒き散らす音ばかりが響く。
濡れた髪と服とが肌に張り付き、体温が奪われる。
ポアは寒さで震えながら、その場に立ち尽くしていた。
頭の中は真っ白で。
前を向けば、嗚咽し絶叫する両親の姿が。
その腕に抱えられたものは、あまりにも幼すぎる男児であった。
少しして。
憎悪に満ちた母の顔が、こちらに向けられる。
――お前が死ねば良かったのに。
お前が、お前がお前がお前がお前がお前が
死ねば死ねば 死ねば 死ねば死ね死ね死ね死ね死ね
お前が
死ねば
良かったのに――
『こんな化け物!!いらないのよ……ッッ!!!』
*****
「――ッ!!!あ゛あ!!……っ、ぅ、うぅ、ご、ごめ、なさ……、ひっく、うぅ……」
ポアの小さな悲鳴と、啜り泣く声。
またか……。
無音を求め、私はもぞもぞと布団を頭まで被り直した。
「ぅ~ん……、大丈夫よ、ポア……」
眠たそうな声で宥めながら、優しいエルがポアの体を優しく叩く。
ぽん、ぽん、と優しいリズムが布団を通して伝わってきた。
あー、優しい。本当に優しいなぁ、エルは。
「っ、あ、す、すすみ、すみ、ませんっ!ごご、ごめ、なさ、ポ、ポポア、また……」
「大丈夫よ。何か温かいものでも飲む?」
「っ、っ、あ、っ、だ、だだ、だい、丈夫、です……!」
ポアの口角が歪に上がる様を、布団の隙間から覗き見る。
さて、どうしたものか。
正式にポアを引き取ってから2、3日経つが、この状況が毎晩続いている。
しかも、一晩で何回も起きるんよね。
もうね、ぶっちゃけ怠い。寝不足半端ねぇ。これ以上続くと、うっかり誰か殺しそう。
男女で部屋を分けたから、こんな状況でもクロとシロはぐっすり寝てやがるのだろう。
いいよね。今朝のクロードなんか、誕生日会の余韻に浸りながら超ご機嫌で起きてきてさ、なんとなく腹パンしたくなっちゃった。誕プレで、えーっと、あれ、あれあげたんだけどさ、誕プレをにこにこ眺めてるクロード見てると、無性にぶっ壊したくなっちゃって。
ダメだよね、分かる。だからやってないよ?
でも私、寝不足で今苦しいんだ。どうしたらいい?
自分が苦しい時に、人の幸せ面とか見ても殺意しか湧かなくない?どうしたらいい?
クロとシロは何も悪くないけど、なんかイラついちゃうよね。睡眠不足だと、ちょっとした事でも理不尽にイラついちゃうからやっぱり睡眠って大事だなってここ数日の間ですごく痛感しました。
「っ、お、おお水、の、飲んで、っ、きます!」
「……そう」
へらりと笑い、布で巻かれたそれを棚から取り出すと、振り返ることなくポアは部屋を後にする。
これもまた、いつものことである。
昨夜までは付いていこうとしていたエルも、今はポアの気持ちを汲んで送り出すのみ。
1人になりたいんだろうね。
「……はぁ。……ポアだけ別の部屋にした方がいいかなぁ?そっちの方が、ポアも私達も落ち着くような気がするけど」
「そうだとしても、今は1人で寝かせるのはダメだと思うの……」
「じゃあ、イヴァンとラビィの部屋で寝てもらう?」
「それもちょっと。まだお互い慣れてないだろうし……」
「じゃあ、クロ達の部屋で寝てもらうのは?」
「うーん……、今はポアとクロを一緒にするのは気不味いんじゃないかしら……」
「あー、あの話ね」
ヴェラの葬式後、何を思ってか急に打ち明けられたポアの告白。
要は、ルヴ村(仮)でヴェラと出会い、一緒に旅をしていたという話だ。――ヴェラは喰種蒐集家に攫われたイヴァンとラビィを助ける為、取引材料であるクロを帝都に連れていくのが目的だったこと。そして自分もその計画に協力していたこと。だからこそ、カスパー・ロドリゲスが喰種蒐集家であり、息子のアウグストも悪者だと知っていたが黙っていたこと。
虚ろな目を下に向けながら、吃る口調でぼそぼそと、それは一方的な話し方だった。
罪悪感から逃れたかったのか。ただ事実と感情とを吐き出すだけの、自分勝手な語り。
最後はクロに頭を下げて、「ご、ごごごめ、ン、っ、なさい。す、すみま、せ、せん、でした……」と謝って、クロの「あ、うん」という返事で終わった。
ヴェラは何故、明らか足手纏いになるポアを旅に同行させたのか。取引材料として、わざわざクロが指名されたのはどうしてか。――他にも浮かぶ疑問は多々あるけれど、すごく気になる訳でもないからどうでもいいや。知ったところで私には関係ないだろうし。
「まぁでも、巻き込まれた側のクロが気にしてないならいいんじゃない?その件に関して、ポアの気持ちまで汲みとる必要はないでしょ」
「そう、ね……。でも、クロ達がポアの面倒を見れるとはどうしても思えなくて……」
あー、なるほど。
確かにポアを宥めるとかはしなさそう。
「チッ。使えねぇなぁ、あいつら。うんこかよ」
「……落ち着いて、レオ」
おっと。イライラしてしまった。
これも全て睡眠不足のせいです。
やっぱり睡眠って大事だなってここ数日の間ですごく痛感――あれ?これさっきも言ったけ?
「こほん。……んー、じゃあエルには申し訳ないけど、私だけでもクロ達の部屋に――」
「それはダメよ。レオは女の子なんだから私と寝るの」
「え、でも――」
「ダメよ。だって、その、えーっと、女の子が男の部屋で寝るなんて危ないじゃない」
「まぁ間違ってはないけど、私まだ6歳――」
「ダメよ」
「はいダメです」
食い気味でめっちゃダメって言われた。
意味分かんねぇです。
小児性愛の変態クソキモ野郎じゃなければ、こんな可愛い女児相手に性欲なんて湧かないでしょ普通。
……あ、そういえばクロってロリコンっぽいところあったんだった。将来が心配だなぁ。
やれやれと溜息を吐きながら、立ち上がって上着を羽織る。もちろんスーちゃんも忘れずに。
「……レオ?こんな時間からどこ行く気?ダメよ?」
「ごめんね、ママ。目が冴えちゃったから、ちょっと夜の散歩でもしてくるね。ついでにポアの様子も見てくるし、ママは寝てて?私より寝不足でしょ?」
「ちょ、待っ――」
――というエルの言葉を聞き終えることなく、いつものように外へと旅立つ。
戻ったら怒ってそうだなー。ウケるー。
感情のままに口角を上げ、夜風の心地よさに目を瞑って空を見上げた。
「はー、ねっむ……」
目を開ける。
眠いのに寝られない、ぼんやりとした脳内。
それに反して今日の夜空は雲1つない晴天。
瞬きをした後に、月光に照らされた自身の影を見下ろした。
くすりと笑い、影に問う。
「――お前は誰だ」
赤毛混じりの黒髪が、脳裏にチラついた。
「前世でも大した関わりなんかなかったクセに、存外察しがいいんだねぇ、元お兄ちゃん?」
皮肉を込めて、くつくつ笑う。
自分の影を見つめながら、独り言という会話を重ねた。
「嗚呼、ご名答。お前の妹は、黒沼優美は、……もうとっくの昔に消えてしまった」
「じゃあ私は?」
「……そうだな、私は、黒沼優美を名乗っていた何かだ。……いや、もう私が黒沼優美だろうか?」
「いや、それはない。私が彼女である筈がない」
「私はレオだ。漸く私は、彼女以外の私になれた」
「……本当に?」
「……ごめん、優美。本来なら、ここにいるべきは君だったんじゃないのかな」
私が喋っているのか、影が喋っているのか。
まぁ、どちらも私だけれど。
ぐちゃぐちゃとした感情を握り潰すように、胸の辺りを鷲掴む。
再び空を見上げれば、先程と同じ景色が広がっていて。
闇の中を幾万もの光の粒が点在するが、天文学に無知な私では、これらに意味は見出せない。
全ては有意味?
誰か曰く、全ての事象には意味があるのだと。
そうだとして、しかしその意味に気付くのは一体いつなのだろう。
それは少なくとも、知を得た先の未来の話。
いや、そもそも、意味なんてものは後付けに過ぎない訳で。
「――ふふふ?……やぁ。月が綺麗だね?」
正面に顔を向けると、見開かれたその瞳と視線が交わる。
来ると思ったよ、ポア。
「っ、ど、どど、どう、して……」
ポアは身体を強張らせ、布で巻かれた何かを抱きしめる。
負けじと私もスーちゃんも抱きしめ、自分の背後を指差した。
「見ての通り、私も墓参りだよ。奇遇だね?」
後ろを見下ろし、そこにある墓石へ微笑みかける。
平たく真っ白な石板に、刻まれた名前は“ヴェラ”。
ラビィが供えた花冠の彩りは、昼間よりも少し陰りが見えた。
「どうしたの?こっちおいでよ」
「……っ、ぁ、」
何か言いかけて、口を噤むポア。
一歩、一歩と、躊躇いがちに近付いてくるその足音を耳に入れ、私は腰を下ろして墓を見つめる。
少しして、ポアは私の真後ろで立ち止まると、もじもじとした視線を頭のてっぺんに刺してきた。
君、なかなか居心地悪い場所に立ちやがるね?
「……ぇっと、」
「良ければ座りなよ、隣」
「あ、……う、うん」
言われた通りに動くポアを一瞥し、やれやれと肩を竦める。
なんというか、鬱陶しい程に“良い子”だなと思う。
正直言って、嫌いなタイプ。
私は冷めた笑顔で、ポアが抱えている物に目を向けた。
「――それで人を刺した感想は?」
ポアは「え?」と呆けた声を零しつつ、私の視線を追って言葉の意図を理解する。
布で巻かれたそれ。
中身は、ヴェラが所有していたらしい何の変哲もないナイフである。適当な武器屋で買ったのだろう。
「ほら、アウグストっていう騎士。そいつを何度も刺してたでしょ?」
「……?」
「ヴェラのため?復讐だろうか」
「……え、っと、よ、よく分からない。……だ、ダメ、だったの?」
「ダメというか、予想外の行動だったから面白くてね。……ふふ、まぁいいや」
本当によく分からないといった無垢な表情。
あー、そういうタイプね?
不毛な問いだったと悟り、肩を竦める。
あれだな。黙々と蟻を殺し続けてる子供に、『何で蟻を殺してるの?』って聞いてるような気分。
「ポアとヴェラの話聞かせてよ。ポアにとって、ヴェラはどういう人だったの?」
「…………」
間を置いて、ぽつり。
ポアは俯きながら「分からない」と呟いた。
「そっか。分からないけど、死んで欲しくはなかったんだね」
こくりと頷く。
それを見て、私はにっこり笑みを湛えた。
ああ、私はこれから蟻を潰すのだ。
君と違って、私は嬉々として蟻を殺す。
一匹一匹に感情込めて。
潰した時の指の感覚と、自身の感情と、蟻の様子を観察するのがとても楽しい。
「ねぇ。それならどうして、ヴェラを見つけて直ぐ私を呼ばなかったの?護衛対象だった君に教えた筈だよね。――何かあったら影を3回叩いてねって」
見開かれたポアの瞳に動揺が映る。
嘘がバレたことよりも、私の反応を恐れているような表情で。
驚きから恐怖、不安に染まっていく様を見つめ、やはり子供だなと思った。
今年中にもう1話、多分更新します。多分。
面白かったらリアクションボタンお願いします。
ちょっとだけでいいから。
先っちょだけでいいから、マジでマジでお願いします。




