奴隷商会。
「――さぁ、どうなることやら」
クロードが転移するのを見届けて、トーマスは声色低く呟いた。
新聞にて連日報道されている内容の数々を、果たしてレオは知っているのだろうか。
少なくとも時事に関心がないクロードは、今自分達が置かれている状況について無知に近いと思われる。
加えて、自分達が住んでいる場所をトーマスに話してしまう軽率さ。それだけ信頼してのことだろうが、トーマスとしては彼の危うさを禁じ得ない。
(白亜の城……。これも近々騒がれるでしょうね。レオ様は何をお考えなのか……。吸血鬼の存在を世界に知らしめるおつもりか)
どちらにせよ、時代が動くのは確実だろう。
果たしてどれだけの人が、組織が、国が、この荒波に耐えられるか。
「……備えを急がなければ」
荷が下りたと思えば、また別の荷が増え。
とはいえ、今まで背負ってきたものと比べれば、この程度は軽いように感じる。
二歩、三歩と前進し、ヴェラの死体が引き取られて空となった死体安置室の扉を潜った。
ゆっくりとした足取りで中央まで入ると、天井に設置された魔道具へと手を伸ばす。しかし、触れる間際で逡巡し、僅かに止まる指先。
「ふっ」と苦笑した後、今度こそ魔道具に触れてその機能を停止させた。
空気が抜けるような音を最後に、放たれていた冷気が止まる。
長年クロードの食糧庫として使ってきたが、これももう必要ないだろう。
「はぁ。……入れ違いのようで何より」
慌ただしくなった店の雰囲気を感じ取り、トーマスは吐息を零す。
到着したのであろう客人の顔を思い浮かべて、死体安置室を後にした。
「トーマスさん!ロレッタちゃ……じゃなくて、会長がお見えです!」
案の定、フレッグが嬉々として報告に来る。
そのにやにやした顔は何だと思いながらも、トーマスは最低限の返答と共に歩を進めた。
「でしょうね。直ぐ向かいます」
「クロードが帰った後で良かったですねぇ。何故か会長、クロードのことはお気に召さないようで。いや~、何ででしょうねぇ??」
「黙りなさい」
「はい!失礼しました!」
そう言いながらも、「いひひ!」と笑うフレッグに悪びれる様子はなく。
もう慣れたとはいえ、甚だ不快である。
トーマスは眉間に皺を寄せたまま、ロレッタの待つ客間へと足を踏み入れ頭を垂れた。
「――お待たせして申し訳ありません、会長。ご足労頂きありがとうございます」
いくらか柔和な表情を作った後、椅子に腰かける対象へと顔を向ける。
その人物――奴隷商会会長、ロレッタ・ハルフォード。
首から足元まで体のラインに沿って流れる白いドレスと、腰の括れ辺りでふわりと揺れる薄ピンクの髪。目元に巻かれた白いレースは、異様ながらも神秘的な美しさを引き立たせている。
見た者に『清楚』『可憐』という言葉を浮かばせるその様相と雰囲気は、およそ奴隷商のイメージとは対極であろう。
「い、いえいえいえ、そんな、全然待ってねぇですから!あたくしも今来たところで……あ、やだ、これじゃまるでデートの待ち合わせみたい……きゃっ!」
ロレッタは赤くなった顔を両手で覆うと、「違うの違うの!そんなつもりで言ったんじゃねぇの!勘違いしねぇで欲しいわ!デートなんかじゃねぇんだからね!」と、誰も勘違いしてないことを勝手に訂正し始めた。
「お元気そうで何よりです」
苦笑しながら、対面の椅子に腰かけるトーマス。
背後に立つフレッグがにやにやしているだろう事が、容易に想像出来て腹立たしい。
「え!?あたくしが元気なことが何より一番嬉しいだなんて、そんな、もう、……好き♡」
「…………なるほど」
最後の言葉は聞き流すとして。
拡大解釈するとそういう意味にもなるのかと、トーマスは素直に感心した。
一方で、ロレッタの後ろから聞こえる気怠そうな溜息。見遣ると、黒いレースで目元を隠した黒スーツの男が、こちらに顔を向けていた。
――名は、マイン・ハルフォード。
ロレッタの実弟であり従者。
黒味のあるピンクの髪を指先で弄り、マインはトーマスから姉へと視線を移す。
「ネェ様~、いつまでもこんなオッサンに恋なんてしてねぇで、早く俺みてぇな若くて良い男を見つけたらどうです?」
「こ、ここ、恋?な、ななな、なんのことを言ってやがるのかしらこの子ったらやだわぁ。……あと口は慎みなさいクソガキが」
「あー、やだやだ。一途が過ぎてババァになるネェ様なんて、俺見たくねぇなぁ。まぁでも、ババァになっただけ歳の差とかも薄れていくから、ジジィになったトーマスとも案外お似合いになるんでしょうが。あ、もしかしてそれが狙いだったりします?」
「マイン、ぶっ殺しますわよテメー」
「え~、ネェ様の幸せを願ってるだけなのに酷ぇ」
声色低く殺気を放つロレッタに、マインはわざとらしく腕を組んで唇を尖らせる。
見かねたフレッグが、「まぁまぁ。ロレッタちゃ……会長もマイン君も、一旦お菓子でも食べて落ち着きましょうよ。王族御用達のクソ美味いやつだからそれ」と、テーブルに置かれた焼き菓子を指差す。
しかし案の定、「「ガキ扱いすんなよオッサン殺すぞ」」と殺気立つ2人。とはいえ、息ピッタリである。仲良しじゃねぇかと、フレッグは心の中でツッコんだ。
「……フレッグが失礼致しました。ご無礼をお許し下さい」
「本当だよなー。フレッグに言われねぇでも菓子ぐれぇ食うっつーの。……お、マジで美味いじゃんこれ」
「こら、マイン!……申し訳ねぇですわ、トーマス。あたくしの方こそ、先程から愚弟が馬鹿なことばかり。……ほ、本当に、ここ、恋とか、何を言ってるのかしらね?そんなんじゃねぇんだから、か、勘違いしねぇで欲しいわ!」
「お気遣い痛み入ります。もちろん存じておりますので」
柔和な笑みを貼り付けて、ロレッタの言葉を肯定する。
両腕を組んで、「そ、それならいいのですわ!」と顔を逸らすロレッタ。
姉弟揃って素直な性格をしているなと思う。良くも悪くも。
最初、ロレッタから好意を向けられたのは15年以上前。その当時、ロレッタはまだ10歳に満たない子供であり、会長の孫という立場だった。
当然の事ながら、トーマスとしては「子供に懐かれた」という認識でしかない。奴隷商会に所属している以上、会長の孫を無碍に扱うことも出来ず、とりあえず丁寧な対応を心がけていた――だけだったのだが、ロレッタの好意は年々大きくなるばかり。
正直、普通に困る。
組織のトップから恋愛感情を向けられて、どうしろというのだろう。
そもそもロレッタを恋愛対象としては見れない。仮に見れたとしても、諸々のリスクを乗り越えてまで交際したいとは思わない。
下手すれば仕事を失うどころか組織から消される危険もあるというのに、命がけの交際をし続けろと?
無理だ。
正直に交際を断ったとしても組織には居られなくなるだろう。退職届を出す他なくなる。
それならば、ロレッタが明確に告げてこない限りは知らないフリをするのが最善であり、且つ、告白されないよう2人きりになるのは極力避ける。
その他にもあれやこれやと対処をし続けていたら、『恋愛回避術』というスキルを獲得していたのだが、未だトーマスは誰にも打ち明けられていない。
「では会長、ザハールの件ですが……」
「あ、そ、そうですわね!」
笑みを崩すことなく、本題を捻じ込むトーマス。
“日が沈む前に帰らせるべき”――なんとなくそう思った。スキルによる直感である。
時刻は夕暮れ。急ぐとしよう。
***
下り始めた夜の帳に抗って、街灯が燈る。
昼間とは違った店の明るさと、大人達の騒ぎ声。
時間が経つにつれ、酒気の混じった賑やかさは増していく。
この時間になると街中に貴族の姿はほとんど見かけず、飲食を楽しむ庶民ばかりで溢れかえっていた。
そんなルドア国王都にて。
あちこちで酔っ払いがふらつく大通りを、凛として歩く美しい女――ロレッタ。
彼女は今し方、奴隷商でトーマスとの対談を終えたばかりであり、その余韻から抜け出せずにいた。
脳内ではトーマスの姿と声とが再生され続け、心ここに在らず。
ぼんやりとした様子は、彼女の見た目と相俟って儚さを感じさせる。
まだ早い時間とはいえ、明らか庶民ではない身なりの女が、こうもふらふら一人歩きとは危険極まりない。
(はぁ……。トーマスったら暗くなる前にこのあたくしを帰らせるだなんて、――あたくしの心配をしているに違いねぇのだわ。本当は今晩、と、とと、泊まらせてもらおうと思っていたのに、あたくしの為に宿まで用意してくれているとかどれだけ準備がいいのかしら。でもそんなところが好き♡あたくしのこと大事にし過ぎじゃねぇかしら?過保護すぎて心配になるけれど、でもそんなところも好き♡)
艶めかしい吐息が零れる。
その姿を見て、生唾を飲み込んだ者は1人2人だけではない。
男に限らずである。文字通り、周囲の視線は全てロレッタに釘付けであった。
しかし不思議なことに、これだけの注目を浴びながらもロレッタに近寄る者はおらず。
何故ならば。
余りにも、清楚すぎるのだ。
清らか過ぎて、全てが畏れ多いと感じてしまう。
思わず、女神や聖女と呼びたくなるほどに。
そんな存在に対して触れたいどころか、穢したいと僅かでも思ってしまった己の欲情を、醜さを、どうか罰して欲しいという気持ちが湧く。
彼女を視界に入れるだけでも畏れ多いというのに、目が逸らせない自分を罰して欲しい。
彼女と同じ空気を吸って、吐いて、それもまた万死に値するほど畏れ多いというのに、呼吸を止められない自分を罰して欲しい。
罰して欲しいと思ってしまうこの思考すらも畏れ多いというのに、思考を止められない自分を罰して欲しい。
自分の全てが罪深い。
赦しよりも、罰を。
嗚呼、生まれてきてすみませン。
どうか、罰して下サイ。罰してクダさイ。
どんなバツでも受け入れマス。
出来るコトなら、貴女サマに殺サレ――
「――ネェ様ぁぁああああアアッッッ!!!!!」
大声を上げながら、人混みを黒スーツの男――マインが駆け抜ける。
マインはロレッタの許に辿り着くや否や、姉の目元を白いレースで覆い隠した。
「……あら。やっちまいましたわ」
我に返ったように呟いて、ロレッタは「はぁ」と熱い吐息を零す。
周囲を見回すと、“おすわり”をした人々が道の両脇に並んでいた。
前方では、うつ伏せになった人達で道が出来ており、犬のような荒い呼吸を繰り返していた。ロレッタは直ちに、足下にいた男の背から地面へ下りる。
「やっちまいましたじゃねぇんですよ!!宿に荷物運ぶ間ぐらいじっとしてられねぇんですか!?マジで!!焦ったッ!!!レースも落としてっし!!マジでマジで気を付けねぇとジジィに殺されるの俺なんだからな!!?」
「熱冷ましに少し夜風に当たりたかったのですわ。面倒かけて申し訳ねぇですわね、マイン。でも殺されるだなんて大袈裟な……。おじい様はお優しいから、精々5、6発殴られる程度じゃねぇかしら」
「それ、やっぱり死ぬじゃねぇか」
「次期当主ともあろう者が軟弱ねぇ?その程度で死ぬのなら、死んだマインが悪いのではなくて?」
「うわ、ネェ様最悪。もうやだこの家族。家督とか絶対ぇ継がねぇし。滅びろ」
「それなら尚の事、継いでから自分で滅ぼせばいいじゃねぇの」
「あ、そっか。じゃあそうしよ。やっぱりネェ様は最高です」
「好き♡」と言いながら、マインは姉を抱きしめる。
ロレッタは弟の背を優しく叩くと、「心にもない事を」と小さく笑った。
「――さて、皆様?お待たせ致しました」
マインを抱きしめたまま、ロレッタは目元のレースに指をかける。
雑な結び目はすぐに緩んで、するりと、首元辺りまで落ちていった。
それは、
花であった。
例えるなら、砂漠や荒地に咲いた一輪の花。
一輪だけにも拘わらず、その存在感は強烈である。
次第に周囲の空気までもが清らかさで満ちていき、全てが花に引き寄せられる。
守りたい、この清楚で可憐な存在を。
しかし同時に、穢し、蹂躙し、踏み潰し、或いは摘み取って自分だけのものにしてしまいたい。
いや、それよりももっと。
自分が死んで、この方の養分になれたなら……。
そんな、錯覚を。
――こほんと、花は咳払いをする。
周囲は、その花が奏でる全ての音に全神経を集中させた。
「ふふふ。あたくしとしたことが、申し訳ねぇですわね。けれどまぁ、美しい眺めじゃねぇですか。これこそが秩序。これこそが平和。なんて美しい世界でしょう」
髪色以上に澄んだ薄ピンクの瞳が、穏やかに細められる。
それは容姿同様に美しかったが、惹きつけられる理由は他にあった。
――特殊スキル『隷属化』。
ロレッタ曰く「愛を以って人々に秩序を示すスキル」らしいが、分かりやすく言うと、眼球に宿った魔力によって対象を支配下に置くスキルである。
強力だが扱いは難しく、感情の起伏によっては今のような暴走も起こりやすい為、魔力制御装置の魔道具で目を隠さなければならないのは面倒なところだ。
マインは溜息を吐きながら、自身もまたその魔道具へと指をかけ、乱雑に下ろした。
姉よりも黒味を帯びたピンクの瞳が、ゆらりゆらりと周囲を捉える。
依然として、姉弟は抱き合ったまま。
やや紅潮する顔の熱を自覚しながら、互いに互いの後方を見つめて口を開いた。
「これは夢幻」
「今夜は何も起こってねぇ」
「今日も一日お疲れさまでした」
「早く帰って秒で寝ろ」
「起きる頃には何も覚えてねぇでしょう」
「だって全部夢だから」
「それでは皆様、ご機嫌よう」
「回れ右で全力疾走」
最後に「「さようなら」」と言葉を合わせて締め括り、人々が全力で走り去るのを見届ける。
数秒の内に周囲は無人となり、姉弟はゆっくり体を離して見つめ合った。
火照った顔。
瞳に映った自身の顔と、その奥で揺らめく♡の形。
興奮している。
このまま曝し続けると、またスキルが暴走するであろう。
姉弟は艶めかしくも微笑んで、互いにレースを結び合って目を隠す。
「……ふぅ。宿に戻りましょうか。明日はザハールを引き取って、また本社に戻らねぇといけませんし」
「あーあ、そいつの所為で忙しいったらねぇですよ。テメーで尻も拭えねぇ雑魚がうんこ垂れ流しやがって。奴隷商の面汚しが」
「あら。尻拭いは自分でやらせますわよ?その為に回収したのだから。帝国側も、奴隷商会と前ロドリゲス公爵に全ての責任を押し付けてぇようで。……舐められたものですわね」
人気のなくなった大通り。
体の熱を冷ますように、姉弟はゆっくり歩きながら夜風を浴びる。
声色は静かながらも怒気を孕み、しかしどこか楽し気であった。
「俺達は必要悪。今更悪評が増えたところで痛くも痒くもねぇけど、……気にくわねぇなぁ?」
「逆に帝国側は、事の中核を知るザハールを始末出来なかった。ふふふ、これは相当痛ぇでしょうね。死人に口なしとはいかず、まさか帝国から遠く離れたこのルドア国で、その死人が生き延びているなんて一体誰が想像するかしら?こちらの手札にザハールがいる以上、皇帝も下手な事は出来ねぇでしょう。……全く、トーマスってば流石だわ。あたくしをどれだけ惚れさせれば気が済むのかしら。好き♡」
「落ち着きましょう、ネェ様。トーマスの話じゃ、今回はレオとかいうガキのお陰なんでしょう?本名、エレオノーラ・カーティス。親子共々、時の人ですねぇ」
通りに落ちた新聞を一瞥し、マインは肩を竦める。
一面を飾ったエレオノーラ・カーティスの似顔絵は、遠目からでもよく見えた。
見出しは、『十二死徒、帝都襲来 主犯は悪の令嬢か』。
「クロードちゃん見かけねぇと思ったら、まさかそいつに飼われてるとはなぁ……。超ショック」
「ふふ、その件含めてレオ様には借りが2つ出来たわね。クロードが去って、これでトーマスも少しは自分のことに目を向けるでしょう。れれ、恋愛とか、け、結婚とか、そ、そろそろ?身を固めようかなって?思うんじゃねぇかしら??……きゃっ♡」
何を思ってか、ロレッタは赤くなった顔を両手で覆った。
それから、「子供は何人がいい?男の子?女の子?どっちでもいいけれど、欲を言えば両方かしら?休みの日は家族みんなでピクニックしましょう。サンドイッチをたくさん作って……、そうだわ、おやつにクッキーとマフィンも作りましょうね。ふふふ、コラみんな、ケンカなんてしねぇでもたくさん持ってきたから大丈夫よ。え!?やだ、トーマスったらそんな大胆!子供達の前で膝枕だなんて、きゃっ♡好き♡」と独り言がぶつぶつ続く。
気付けば周囲には人気が戻り、ロレッタは注目の的である。色んな意味で。
マインは「いたたたたたた」と額を抑えた後、姉を横抱きして逃げるように走り出した。
「え!?トーマスったらお姫様抱っこ!!?は―――――ンン!!好き―――――♡♡」
「ネェ様、俺!!もうやめて!!!!恥ずかしいッッ!!!!!」
この日、ロレッタの叫びとマインの悲鳴が、ルドア国王都を騒がせた。
悪名高い奴隷商会のイメージとはかけ離れた2人である。
それ故か、これだけの注目を集めながらも、周囲は誰1人として彼らの正体に気付かなかったという。
え、リアクションしてくれるの?
マジかよ、好きです。




