剥がれた塗装。
魔王軍幹部“十二死徒”の1人――ジーク。
見た目の年齢は3歳だが、実年齢は5歳。
加えてややこしい事に、前世の記憶を思い出した今、精神年齢は21歳となった。
ジークの前世――黒沼優希。
レオの前世である、黒沼優美の実兄だった人物。
享年21歳。
マンションから飛び降り、自ら命を絶った。
対して妹の優美は、享年17歳。
とある事件の被害者として命を終えた。
優希と、優美。
漢字にすると、よく似た名前。
容姿も2人して整っていた為、子供の時は“カッコイイ兄”と“可愛い妹”として、周囲からレッテルを貼られていた。
“カッコイイ兄”は能力こそ平凡であったが、明るく、女にモテた。それでも“良い子”だったので、同性から妬まれることもなく、友人は多かった。
“可愛い妹”は学力に優れていたが、感情表現が希薄で、孤立しがちだった。それでも“良い子”だったので、男子生徒と教師からは好意を、同性からは妬みを向けられることが多かった。
何れにせよ、良くも悪くも羨望の的となっていた兄妹である。
しかしながら、そのお綺麗な蓋を開けてみれば、どこまでも深い闇が広がっていた。
優希の社交性も、優美の秀才さも、それぞれが生き残るための力に過ぎず。
彼らはただ、闇の中で必死に足掻き続けているだけだった。
特段、優希は対人面のストレスを強く抱えていた。
常に明るく、人懐っこく、攻撃性は隠して打算的に。
外面が良い反面、そのストレスは妹で発散してバランスを取っていた。
けれどその度に、黒い沼の底へと沈んでいくような重たさを、心のどこかで感じていた。
そして、中学卒業後。
優希は日の出よりも早くに家を出て、そのまま行方を晦ました。
今思えば、何かを変えたいと思ったのかもしれない。
結果、現状は確かに変わった。
年上の彼女の家に上がり込み、寄生する生活の始まりである。
更に言えば、暴力を振るう相手が、妹から彼女に変わっただけ。
別れを切り出されたら、ストックしていた次の寄生先へ。その繰り返し。
そうしている内に、優希の中でまた何かが沈んでいった。
自分は結局、何も変わらない。腐ったままだ。
変わり方も分からない。何故なら既に腐っているから――。
――という悲観もまた甘かったのだと、18歳の時に知る事となった。
『坊主、ちょいとおイタが過ぎたなぁ?』
それは、風俗嬢に寄生していた頃だった。
とある日、怖いお兄さん達に囲まれ、暴行を受ける。
『男がさぁ、女に手上げちゃいかんでしょ~。それもさぁ、君、お兄さん達のシマでさぁ、――何してくれとんだオラァッッ!!!商品だぞクソが!!顔の痣消えるまで何日かかると思ってんだ、ああッ!?』
体中蹴られ、殴られ。
久しぶりの感覚である。
自業自得だとも思った。
このまま殺されるのだろうか。
暴力のある環境で育ち、自分もまた暴力を振るい、最後は暴力で殺される。
正しく、似合いの死に方ではなかろうか。
『ほら、何か言うことあんだろ?』
髪を掴まれ、地面から顔を上げさせられる。
『……っ、ず、びば、ぜん……』
謝罪の言葉を口にしながら、力なくも口角が上がっている自分に気が付いた。
無意識である。
引くつきながらも笑おうと細められた瞳から、涙が零れた。
無性に、悔しかった。
こんな時でも、自分は笑顔を作ろうとしているのだから。
『おーおー。外面ばっか塗装して、テメーは何がしてぇんだ?』
その集団内でのリーダー格と思しき男が、優希の顔を覗き込む。
『綺麗な顔して、性根は腐ってんねぇ。坊主、まだ10代でしょう。そんな腐り方してどうすんの。親御さんはいらっしゃる?』
優希は静かに首を振る。
男は一度だけタバコを咥え直した後、言葉を続けた。
『あーそう。でもまぁ、若いからまだまだやり直せるよ。大丈夫。腐り方を間違えちゃっただけもんねぇ?』
『……?』
その言葉の意味を聞き返す力はなく、意識は途切れた。
次に目を覚ました時、彼は無職ではなくなっていたのだが、それは良かったのか悪かったのか……。
前世の職業――暴力団組織の下っ端。
殴る相手が、一般人の男や抗争相手に変更。
塗装していた外面は、1枚も2枚も剥けまくった。
ある意味で、腐敗物から発酵した何かにジョブチェンジしたとも言えるだろう――
「――みたいな、美化した時期が俺にもあったわ。良い子ちゃん面する必要もなくなってさぁ。ありのままの自分、みたいな。いや、でもさ、……ねぇわ!!!最悪だわッ!!やってもねぇ犯罪擦り付けられて、上の代わりに豚箱入れられるわ、パワハラの温床……!!更に腐っただけだろクソがッ!!!腐り続けることを仕事にしただけじゃねぇかッ!!そんぐらいの分別あるわボケがッ!!」
「がふ……ッ!?」
「あばッ!?」
記憶の整理が進んでいく中、ジークは荒れる。
適当な騎士を数人、力任せに殴り倒した。
鎧が砕け、壁際まで吹き飛んだものの、腹部に穴が開かなかったのは幸いである。身体強化の賜物だろう。
「あー、頭痛ぇし、うぜぇ。タバコってどこで売ってんだろ……。魔族って5歳でも喫煙出来んのかな……。つーか、マジで何だこのオタクくせぇ世界はよぉ」
大きく溜息。
前世では、漫画やアニメといったサブカルチャーには、あまり馴染みがなかったジーク。
あの実家に、漫画やゲームが置いているはずはなく、テレビは父が観ている番組を遠目で眺める程度のもの。
学校では、アニメやゲームの話をする友人も多かったが、それについていけない自分が惨めであり、やがては妬みに変わった。
友人や彼女宅で、漫画やゲームに触れた機会はあったものの、「楽しい」より「妬ましい」が勝るだけ。
終いには拗れ、内心で嘲笑し、見下す思考に辿り着く。
だからこそ、ジークにとってこの現状は、黒歴史と言っても過言ではない。
記憶が戻る前の自分を思い返すと、羞恥心で死にたくなる程に。
「――ぅお、危ねっ」
音もなく、横からアロイスが斬りかかる。
紙一重で回避が叶った――が、斬撃は弧を描いてジークを追撃した。
比喩ではなく、アロイスの剣から生じた斬撃が、縦横無尽に周囲を飛んでいるのだ。
「私を無視とは、寂しい事をしてくれる」
「あ?キモイこと言ってんなよ」
続けられる、アロイスからの無音の剣戟。
避けはするが、宙を舞う斬撃の数は増え続けていった。
地下に残っていた奴隷商人が、1人、また1人と斬撃の餌食になっていく。
「ははっ!酷ぇなぁ!」
切断される奴隷商人らを横目で一瞥し、ジークは笑った。
本心からの笑いである。
元から自分は、お綺麗な存在ではないのだ。
それこそ、前世の時から汚れていた。
そして今世では、魔族という立場上、既に殺しは経験している。
この惨状に、何ら心揺れるものはなし。
自分にとっての優先順位は、レオとフリード。それだけである。
「あっはははははははははっ!!!なーんか、酒も飲んでねぇのに愉快だなぁオイ!!でもさぁ、テメーら早くぶち殺して、あの医者にフリードの治療続けてもらわねぇとなんだわ。つーわけで、――遊びも終いだなぁ?」
「っ!!」
ジークの両手から、魔法弾が連続的に放たれる。
その数、少なくとも100は超えているか。まるで光線のように、繋がったものとして見えてしまうが、全て弾としてバラバラに動くのだから質が悪い。
しかも対象に当たるまで、追撃してくる高度なもの。
アロイスは何発か剣で防ぎ、急ぎ距離を取った。
斬撃を自身の周囲に呼び寄せ、全ての魔法弾を弾き返す。
同時に、砕け散る斬撃。
それでも魔法弾の数が圧倒的に多く、最後は自身の剣で捌き切った。
この間、僅か数秒の出来事である。
「……末恐ろしいな」
幼児の段階でこの強さなのだから、成人後はどんな化け物になっているのか。
絶望が過った。
他の騎士達は動けぬまま、超人染みた戦いを目に焼き付けるばかり。
それは、マリウスとて例外ではない。
「ふふっ。……これ以上の見物は、やはり危ないね」
マリウスは圧倒されながらも、その表情は愉悦に満ちていた。
しかし、危険を冒してまで観戦するつもりはなく。
「お供致します」
ルイーゼが言葉を返し、彼らは密かに舞台裏を後にした。
とはいえ、もしアロイスが敗れれば、どこにいようともジークが追いかけてくるのだろうけれど。
「まぁ、それはそれで面白いか」
「何がです?」
「いや、何でもないよ」
地上へと続く、石畳の階段。
先行するルイーゼと、後に続くマリウス。
2人だけの足音が、静かに響く。
コツ、コツ、コツ……
コツ、コツ、コツ……
「……何故、教えてあげなかったのです?それどころか、恨みを買うような言い方を」
ルイーゼが口を開いた。
意味深にマリウスの足音が止んだの聞いて、自身もまた足を止める。
「ふふふっ。……気付いていたか」
くつくつ笑うマリウスを、ルイーゼは無表情で流し見る。
「当たり前です。マリウス様の施術は完璧ですから」
「んー、それは買い被り過ぎじゃない?」
苦笑し、頬を掻くマリウス。
「それ以外はクズですし、唯の変態貴族ですが――、」
「一気に落としてくるね?」
「どうあろうとも、マリウス様はやはり医師なのです。周りがどう評価しようとも。治療に於いてはどこまでも真剣で、手は抜かない。……それを私は、知っています」
「ルイーゼ……」
暫し、見つめ合う。
マリウスは照れたように表情を緩ませ、ルイーゼの一段下まで歩を進めた。
今だけ、目線がほぼ同じ高さである。
ルイーゼの頬に触れ、マリウスは顔を近づける。
「……ありがとう」
目を瞑り、額同士をくっつけた。
数秒後、額を離して目を開けると、ルイーゼが表情のない顔を赤くさせていた。
思わず「ふふっ」と、笑い声が零れる。
「……変態ですね。盛ってんじゃねーぞ」
「盛ってはいなかったけど、そういう反応見ちゃうと盛りそうになるね」
「斬り落としてよろしいでしょうか」
「何をかな!?」
「斬り落として、家宝に致します」
「だから、ナニをかな!?やめなさいね!?」
「……」
「唐突に黙るんだね?」
「……」
「……行こうか」
再び上り始める2人。
ルイーゼの後ろ姿を見つめながら、マリウスは本題に戻って答えを返した。
「……ジーク君へのね、ちょっとしたドッキリだよ。とはいえ、嘘は何も言ってないけれど」
「悪趣味で救いようがないですね」
「まぁ、それについては反論のしようがないね……」
「悪戯の結果は、見届けなくてよろしかったのですか?」
「欲を言えばね。……けれど、ここは離脱が賢明だろう。僕の娯楽に、君まで危険に曝すのは嫌だからね」
「……」
「まただんまりかい?」
ルイーゼの耳が赤くなっているのを確認し、穏やかに笑う。
次いで、階下を一瞥した。
頭の中で思い出されるは、フリードの施術。
心臓は確かに止まったままだった――にも関わらず、起こった出来事。
「全く、興味深いね……。一番ドッキリを喰らったのは、僕の方だろうさ」
意味深に笑い、呟いた。
***
――舞台裏。
腹部に穴が空いたまま、横たわるフリードの遺体。
主要な血管と、流れる臓器に繋がれた管は、そのままである。
「……」
心臓は動かず、息は止まったまま。
されど、――指先が僅かに微動した。




