閑話 『神々のお茶会。』
闇の中にも拘わらず、彼女の姿は美しい。
輝くようなその白金の髪は、本当に光を放っているのではないかと錯覚する程に。
曇りないその透き通った青い瞳は、全てを見通しているのではと思える程に。
彼女の美しさは神々しく、唯々美しい。
「……ねぇ、ちょっと。その気障ったらしいナレーション、どうにかならないのかしら?わたくしの美しさが汚されていく様で、不快だわ」
「おや、そうかい?僕としては最高の賛美を送ったつもりだったのだけれど。まぁ、君の美しさは言葉なんてものじゃ言い表せないからね。その不快感は素直に受け取っておくよ。悪かったね」
「ふふ、分かってくれたなら別にいいのよ」
「君のそういう単純なところ、とても愛おしいよ」
「あら、ありがとう。というか、突然訪ねてきて挨拶もないのかしら?失礼にも程があるわよ?」
「おっと、すまない。やり直すよ。……ああ、仕事を取って悪かったね。もう僕は出しゃばらないから、いつも通りやってくれ。天の声」
男は上を見上げ、誰もいない空間に向かって話しかけた。
そして、仕切り直すかの様に数歩後ずさり、咳払いを一つ。
「やぁ。こんにちは、女神様」
「あら。こんにちは、神様。」
女神様と呼ばれたその女性は、椅子に腰かけ、優雅な笑みで男を出迎えた。
神様と呼ばれたその男は、片手を挙げ、軽快な笑みで女に近づいて行った。
「あなたも飲む?」
女神は手に持ったソーサーからティーカップを持ち上げ、香り高い紅茶を口に含む。
そして、ほぅ……、と息を吐き、再びソーサーへとカップを置いた。
「頂こうかな」
「そう。じゃぁ、どうぞ」
女神はテーブルの向かい側に置かれた椅子を流し見て、腰かけるように勧めた。
先程までは、女神が腰かける椅子以外に何もなかったにも拘わらず。
神は、その光景に何の疑問を思うでもなく、平然とした様子で椅子に腰かけた。
そして、自身の目の前にいつの間にか置かれているティーカップに、躊躇いなく口を付ける。
「うん、美味しいね」
「ふふ。手創りのお菓子もどうぞ?手は使ってないけどね」
いつの間にか置かれている数々の物は、何故か最初からあったのではないかと思える程に、あまりに自然な様子で現れる。
というよりも、彼らのその当たり前だという様な態度が、その様な錯覚染みた考えを過ぎらせるのかもしれない。
「ありがとう。君の創った物は何でも美味しいよ。……ああ、そうだ。これ、お土産」
神はどこからともなく現れた紙袋を女神に差し出した。
「あら、何かしら。……まぁまぁまぁ!!嬉しいわ!ありがとう」
「ふふ。君に喜んでもらえるなら、3日前の夜から並んだ甲斐があったよ」
紙袋の中身を見て、瞳を輝かせながら喜ぶ女神を、神は愛おしむ様な笑みで見つめていた。
「まさか、この限定物を手にすることが出来るだなんて……!!」
「君がそのゲームの全シリーズを制覇していたことは知っていたからね。これも欲しいんじゃないかと思って、頑張ってみたよ」
この笑顔を見るために、3日も並び続けた努力を笑顔でアピールする神だったが、喜々とする女神の耳には入って来ず。
そんな女神の様子に、神は一切気にする素振りもなく、変わらず笑みを湛えていた。
「……さて、女神様。僕としては、その可愛らしい笑顔をいつまでも眺めていたいけれど、そろそろ本題に移ってもいいかい?」
一通り女神の笑顔を眺めた後、神は微笑んだまま、唐突に話を切り出した。
その様子に、女神も優雅な微笑みへと表情を戻し、紙袋を足元に置く。
「ええ。拉致ったことでしょう?」
「そう。拉致ったことだよ」
互いに微笑みを向け合う二人。
「君、また僕の世界から一人連れて行ったね?異世界召喚とかで、人間が人間を拉致っていくのはいいとして、神である君が干渉するのは良くないでしょう?」
「あら、違うわ。神だからこそ、何でもありなのよ?」
「……まぁ、君のそういう暴君なところも愛おしくはあるけども」
「あら、ありがとう」
女神はスコーンを一口齧ると、紅茶で喉を潤した。
「それで?今回はどんな子を拉致ってきたんだい?」
「あの子よ」
女神は何もない空間を見つめ、答える。
「……僕にも見える様にして欲しいな」
「あら、ごめんなさいね?」
神はテーブルに現れていた液晶テレビに顔を向け、画面に映し出された映像を眺める。
そこに映されていたものは、スライムを抱いた幼い子供とエルフの少女。
「……どっちだい?まさかのまさかで、このスライムって事はないよね?」
「あら。それはそれで面白そうね?」
「うん。面白そうだね?」
「ふふふ、でも残念。拉致ってきた子は、そのスライムを抱えてる方」
「まぁ、そんな気はしてたけどね。……君も残酷な事をする。そんなところも愛おしいけれど」
「あら、ありがとう」
「君がここに連れてきてしまったせいで、この子は更に絶望した事だろう。あのまま死なせてやれば、何も知らずに、何にも気付くことなく、次の生を歩めたというのに」
神は溜息を一つ吐くと、マカロンを口に放り込む。
「仕方ないじゃない。彼女、面白そうだったんだもの。実際、退屈しなかったわ。わたくしの首を絞めてきたのよ?……ふふふ。あんな事されたの、初めて」
女神は恍惚とした表情を浮かべながら、画面越しの幼女を見つめた。
神は、そんな女神に色を帯びた視線を向け、微笑む。
「君が楽しかったなら良かったよ」
「ふふ。この子が何を思い、何を成し、何になっていくのか。今はそれを見守っていくのが、とても楽しいわ」
「観察の間違いでしょう?」
「そうともいうわね。……ああ、それと、ごめんなさい?一人拉致ったお返しに、目を付けてた子をそっちに送ろうと思ってたのだけれど、死ななかったわ。このエルフの子だったのだけど……。何の因果かしらね。ふふふ」
「えーっと、……絶望した子がマイブームなのかい?以前は、勇者願望が強いお馬鹿な子ばっかり拉致ってただろう?」
「だって、見てる分には楽しいのだけれど、直ぐに死んでしまうんだもの」
女神は頬杖をつき、不快そうに頬を膨らませた。
そして少し間を置いた後、今度は悲しそうな表情を浮かべると、「それに……」と言葉を繋げる。
「ああいう哀れな子には、次の生では幸せになって欲しいのよ。この境界はマナで満ちているから、ここに来た魂は少なからずその恩恵を受けるわ。マナで満たされた魂には様々な力が宿るから、当然幸せな生を歩みやすくなる。だから呼んだ、っていう理由もあるの。でもまぁ、……ふふふ、興味本位の方が強いけれどね?」
片手を頬に付け、小首を傾げる女神。
そんな彼女に、神は困った様な笑みを返した。
「全く君は……。優しくも残酷で、本当に惚れ惚れするよ」
「あら、ありがとう」
「でも僕としては、君が傷付くところは見たくないから、ああいう子には関わらないで欲しいところだけどね」
「やだわ、それが楽しいんじゃないの。あなただって分かっているでしょう?確かに、あの子と関わったことで、わたくしは感傷に浸って泣いてしまったわ。でも、わたくしたちにとっては、そんな出来事こそがとても尊い。暇で暇で、死にそうな程に暇な、この永遠に続く時の中で、自身の感情こそが唯一の娯楽。だからこそ、その感情を揺さぶる刺激を求めて止まない。無感情に、無関心に、時が流れるのも忘れて無を漂うのもいいけれど、そういった遊びをする事にはもう飽きてしまった。それ程に長い時の中を、わたくしは存在し続けてきたのだから……」
「……でも、今は僕がいるだろう?」
神は腰を上げると、俯く女神のもとへと移動し、彼女の肩にそっと手を置く。
女神はその手に自身の手を重ね、「ええ、そうね」と儚げに微笑んだ。
そして暫く、彼らは互いに見つめ合う。
「女神様……」
「神様……」
「結婚しようか。そろそろ」
「あら、ごめんなさい」
玉砕。
しかし、そんな事には慣れているのか、神は気にするでもなく「あはは」と笑う。
「それじゃ、僕はそろそろ帰るよ。また来るね。良い夜を」
「ええ、良い夜を」
神は笑顔で手を振った後、闇の中へと溶けていった。
“こんにちは”とやって来て、“良い夜を”と言って去っていく。
そんな滅茶苦茶な挨拶を、当人たちは気にしない。
何故なら、この境界という空間に、そもそも時の流れなど存在しないからである。
あるとすれば、女神こそがこの空間の時そのもの。
女神の体内時計とでも言うべき曖昧な時の流れのみが、この空間の時を示すのだ。
女神は一人椅子に腰かけ、手に持ったソーサーからカップを持ち上げ紅茶を啜る。
何もない空間を見つめながら、彼女は呟いた。
「そうまでして、貴方は消えたいのね……」
それが、何を見つめて呟いた言葉なのか。
彼女は瞼を閉じると、深く息を吐きだした。
しかし、その息が吐きだし終えた後、突如として口元は緩みだす。
「……ふふ。この感情も中々に楽しいものだけれど、今はこっちね」
女神は足元に置かれた紙袋を手に取り、立ち上がった。
そして、いつのまにか置かれていた、目の前のベッドに倒れ込む。
椅子も、紅茶も、既にその場に存在しない。
いつから消えていたのか、テーブルも、神が腰かけていいた椅子も、当然のことながら消えている。
まるで、元から置かれてなかったかの様に。
「ふふふ!さてさて、これはどんなお話なのかしら?どんな結末なのかしら?どんな主人公に育てようかしら?」
女神は紙袋から取り出した箱の中からカセットを取り出すと、枕元に置かれていたピンクのゲーム機にセットして、鼻歌交じりに電源を入れた。