エルフの狂気。
わぁ、ビックリ。
父様、まじで卒倒してしまった。
奴隷を見た所為でというより、スライムに溶かされてる私を見てって感じかな?
服どころか、皮膚、溶けてたしねぇ。
というか、溶けても溶けても治ってく、私の治癒力半端ない。
ヤバいわー。女神の祝福、ヤバいわー。
そして、運ばれてく父様を遠目で見つめながら、オズワルドにエルフを邸の風呂場に運ぶように指示。
もちろん木箱ごと。だって汚いし。
オズワルドが、やれやれと溜息を吐きながらも、一旦地面に置かれたエルフ入り木箱を「よいしょっ」と持ち上げる。
その時だった。
――事件は、起こった。
木箱の底が、……抜けたのだ。
エルフ、落下。体操座りの姿勢で、落下。
落ちる瞬間、木箱の端で、はみ出た頭を強打していた。
何か色々変な音が鳴ったけど、大丈夫だろうか。死んでないだろうか。
台車、邪魔だったから駐車場の管理人にあげてきちゃったんだよなぁ。
今ではそれが悔やまれる。
でもまぁ、邸にも台車ぐらいある訳で。侍女の一人が、「これ使いますか!?」と慌てて持って来た。
エルフを乗せてみる。
……だらーんってなる。
意識がない所為か、当初よりもだらーんってなる。
試しにオズワルドに押させてみた。
……拒否られた。詰まらんな。
最終的にエルフの子は、柔らかい毛布に包まれて、オズワルドが抱えていきましたとさぁ。めでたしめでたし。
――とはならず。思わぬ弊害が。
風呂場に着いたはいいが、流石に瀕死状態でお風呂は不味いと侍女たちに諭された。
ふむ、一理ある。
そう思った私は、体力と魔力を回復させようと、ポーションを大量に飲ませてやった。
気絶してたから苦労したなぁ。途中で「もががっ」って声が聞こえた様な気がしたが、多分気のせいだろう。相変わらず白目だし。
そうしてポーションの瓶を何本も口に捩じ込んでいたら、鼻から流れてきた。
……勿体無い。公爵家のポーションよ?超高いやつだよ?
鼻を塞いで続行していたら、侍女たちが「もう回復したんじゃないですか!?うん、回復しましたよ!大丈夫ですよ!さぁ、お風呂!お風呂に入れましょう!」と言ってきたので、後は任せておいた。
詰まらん。……いや、何でもない。
そして現在。
月明かりのみが照らす薄暗い部屋の中。
私はエルフが眠るベッドの横で、スライムのスーちゃんを抱えながら椅子に腰かけていた。
エルフは自分が付きっ切りで介抱するから、しばらく部屋には誰も入るなと、というか、近付くなと言ってある。
父様も、それに了承してくれた。
なので、食事の運搬時以外は誰も来ない。
……ふぅ。静かで、落ち着く。
暇なので、スーちゃんを撫でつつ、エルフの寝顔をじっと見つめてみた。
……整った顔だ。さっきの白目で薄汚れたエルフと同一人物だとはとても思えない。
とても穏やかで、安らかな表情だった。
死んでないよね、これ。
「ん、……すぅ、すぅ」
あ、生きてた。
私はもっちゃもっちゃと、手にしていた夕食に齧り付く。
……何故か、昼に食べたものと同じ物だ。
料理長に作らせたものを、父様が満面の笑みで持ってきたのだ。「ノーラはナムドの様な食べ物が好きだったのかい?」と。
……意味が分からない。
とりあえず無言で受け取って、ドアを閉めた。それの名前すら知りませんでしたけど、何か?
エルフは、ポーションや回復魔法のお陰で命の危険は既に脱している。
だから、介抱と言っても見守る程度。特にやることはない。
スーちゃんが膝の上でぷるぷる震えている。
落ち着いてきたのか、さっきの様に常に溶解液を出しているという事はなくなった。
「スーちゃんも食べる?」
というか、食べるのかな
私はナムドの半分をスーちゃんに近づけた。
……溶解液がスーちゃんの体を湿らせる。しゅわわー。
「ああ、ごめんごめん。あんな事があったんだ。人間を警戒しちゃうよね」
苦笑しながらスーちゃんを撫でる。
スーちゃんはぷるぷるしていた。
か、かわいい。しゅわわー。
「でも、お腹空くだろう?君は何を食べるんだ?」
返事はない。当たり前だけど。
試しにもう一度ナムドを近づけてみた。
「食べないかい?」
「……」
スーちゃんはナムドに体を近付け、暫く震えていた。
そして、
「……あ」
食べた、……んだと思う。
何か、スーちゃんが触れたところだけ、ナムドがしゅわーって溶けて消えていった。
あれ?もしかして、私も食べられてた?
そういえば、瀕死だった割には元気そうな……。
保留。
今は、私の手からご飯を食べるスーちゃんへの感動で、胸がいっぱいである。
「美味しい?美味しい、スーちゃん?」
顔がつい綻んでしまった。
ふふ、何この子。めっさ可愛い。
ナムドを食べ終わったスーちゃんを思わず全力で抱きしめたら、溶かされた。
「さて、そろそろ寝ようか。今日は疲れた」
エルフがお風呂に入ってる間に、実は私も入浴していた。もちろん違う風呂場だが。
だから後は寝るだけである。
まだ夜になってそう時間も経っていないが、私は幼児だ。
あれだけ街を歩き回ったのだ。眠気がヤバい。幼児の体力、ヤバい。
私はごそごそとエルフの眠るベッドに潜り込み、スーちゃんを抱いたまま瞼を閉じた。
はぁ……。この感触、落ち着くわー。しゅわわー。
******
声が、響く。
愛しい人達の声が。
あの日からずっと、私を責めるように。
――あなただけでも逃げなさい!
――生きろ。何があっても、生きろ。
――だって、愛しているから。私の可愛い娘。
――仕方ないから、姉さんは俺が守ってやるよ。
――ああああぁぁぁぁっっ!!!どうして!?どうしてよ!!!
――何もこんな時に……!クソッ!!
――許さないから。死んだら、許さないから。
――ああ、お前が死ねば良かったのに……。
「……っ!!」
目を覚まして、今日もまた、生きてる自分に絶望した。
息をして、瞬きをして、思考して、心臓の鼓動に耳を傾ける。
……何故、私は生きているんだろう。
そう思うこと自体が、既に生への実感だ。
苛立たしいのに、そう感じる事も煩わしくて。
私は無気力に、無感情に、死を渇望した。
……ああ、死にたい。
何か死ねる物はないだろうか。ガラス片、釘、木の枝、何でもいい。
なければ爪で皮膚を割こう。
なければ歯で嚙み千切ろう。
キョロキョロと辺りを見回して、そこで漸く気が付いた。
ここ、どこだろう?
シンプルながらも質の高い部屋だという事は、素人目でも直ぐに分かる。
寝ているベッドはふかふか。シーツは肌触り抜群。毛布はお日様の匂いがして気持ちがいい。今まで、こんな寝具で寝たことなどない。
というか、どういう状況?
「やぁ、おはよう。といっても、もう昼だけど」
「……!?」
誰かいる。
私は目を見開いて、声のする方へと顔を向けた。
「え……」
そこにいたのは、小さな男の子。
ベッド横の椅子に腰かけ、何故かスライムを抱きしめていた。
ていうか、スライムだよね?スライムでいいんだよね?
何か服が所々溶けて穴が開いてるけど、気にならないんだろうか。
「……うっ!?」
幼児を凝視していると、突如、悪寒と共に頭が痛み出した。
何だろう。色々死にかけたような気がする。
……ううっ、ダメだ。思い出せない。
というか、思い出さない方がいいような気もする。
「大丈夫?」
「……っ、ええ」
私は大きく深呼吸をし、頭痛を治めた。
「あなたは、誰?」
「あ、やっぱり分かんない?」
幼児は仮面を手に持ち、自身の顔に当てた。
……あ、奴隷商にいた子供。
首元を確認すると、首輪が着けられていた。
そうか。買われたんだった。
「……あなたが買ったの?」
「そうだよ」
果物ナイフでリンゴを器用に剥きながら、幼児は答える。
剥かれた皮は幼児の膝上に乗るスライムの頭上へと垂れていき、そのまま吸い込まれるようにして溶けていった。
色々と聞きたいことやツッコみたいことは多々あったけれど、今や私の視線はナイフのみに絞られる。
――どうやってナイフを奪い取ろうか。
頭の中が、それ一点に埋め尽くされた。
奪うのは簡単だろうが、生憎この幼児は私の主人だ。
奪い取ろうとした時に驚かれ、私が危害を加えようとしていると幼児が思ってしまえば、首輪の魔法印が発動し、私は死ぬだろう。
別に死ぬのは構わない。
でも、出来る事なら、私は自分の手で自分を殺したい。
……子供だし、ちょっと貸してくれと言えば、素直に渡してくれないだろうか。
「食べるかい?」
考え事をしている間に、幼児はリンゴを剝き終わり、一切れをナイフに刺して私に向けてきた。
……ウサギリンゴ。
手で持ちながら切っていたというのに、上手いものだ。
というか、これはチャンスだ。
ナイフごと受け取ればいいのだから。
「ありがとう。出来ればナイフごといいかな?手が汚れたくないの」
幼児は一瞬目を見開いたが、直ぐにその瞳は細められ、「いいよ?」と笑みを浮かべた。
そして、はい、と果物ナイフをあっさりと手渡してくる幼児。
……あれ。
ナイフが難なく手に入った事に少し戸惑いながらも、私は上半身を起こして、それを受け取った。
そして、リンゴをナイフから抜き取って、躊躇なく毛布の上へと落とす。
刀身を見つめた。
ああ、これで漸く、思う存分、自分を殺せる。
自分の手で、自分というゴミを消してやれる。
大っ嫌いな、殺したくて仕方がない自分という相手を、憎しみのままに殺してやれる。
楽になんて殺してあげない。
何度も何度も突き刺して、痛みに悶絶しながら死ねばいい。
憎い相手を殺せる事に喜ぶ自分と、殺されることに絶望し、死を悲哀する自分とが入り混じる。
私は今、どんな顔をしているんだろうか。
両手でナイフを握りしめたまま、両腕を前方へと伸ばす。
刃先は腹を向いている。
お前が――私が、悪いんだ。
恨むなら、自分を――私を、恨め。
手に力を込めると、自身の口角が吊り上がったのが分かった。
「――ああ、いいなぁ」
突如響く、色を帯びた声。
場にそぐわないその声に、私はほんの少しだけ気が逸れて、幼児を流し見てしまった。
……幼児は、恍惚とした表情を浮かべていた。
「死にたい。ああ、死にたい。死にたいよね。死にたいよ。……いや、それよりもっと、消えてしまいたい。ああ、ああ、ああ……!!何故、何故、私は…!!あとどれだけ生きればっ!!!……あはは!あははははははははははは!!」
私は狂っている。
そう思っていたけれど、これは……。
ふと、興味が湧いた。
この幼さで、この子供は一体何を見てきたのだろうかと。
何がこの子供をここまで狂わせ、絶望させたのだろうかと。
私は、この子供の狂気に恐れを感じながらも、問いを口にせずにはいられなかった。
「……あなたは、何故、何の為に生きているの?」
「きゃははははははは!!何故、どうして!?何故何故何故!!私は、生きて、いるのか……!」
幼児は、突如目を見開いて、自身の手の甲に、齧りついた。
……肉が、引き千切られる。
「何、を……」
血を滴らせながら、そのまま咀嚼し、飲み込む幼児。
人はここまで狂えるのかと、恐怖が頭を支配した。
ああ、嫌だ。私はまだ、正常だ。
狂ってなんか、いなかったんだ。
手が震えて、ナイフが、落ちた。
「く、ふふ、ふふふ。……ふぅ、ふぅ。……失礼。興奮してしまった。今のは少し、ヤバかったかな。ふふふ。すまない。……はぁ。少し、感情の制御が難しくてね」
笑いを落ちつけ、その瞳には理性が戻る。
幼児は手の甲の血を、無表情で舐め始めた。
「だ、大丈夫、なの?手当とかは……」
「ん?ああ、優しいんだね。でも大丈夫だよ。傷はもう塞がってるから」
「は……?」
そんな馬鹿なと、幼児の手の甲を凝視した。
……傷が、なかった。跡形もなく。




