魔王の素質その3 眷属は魔王の所有物ではないことを理解する
「私は魔王を継がない。ハーデース魔王統は19世で終わりよ」
この時点で、ものどもの驚くさまが見てとれます。表情とかあってないようなものな魔物でも、どうやら驚いているらしい、ということが見てわかるようになっていました。6年の月日ってすごい。
「あなたたちは好きに生きなさい。野生として冒険者を襲うもよし、焼け残った魔王城で新たな主を待つもよし、新たな魔王の座を争うもよし、難しいだろうけど、真っ当な職を探すもよし——ただし、私についてくるのは認めないわ。私は魔王じゃない。眷属は必要ない。私は自由になるの。自由の身になるには、多すぎる仲間は足枷。自由である私にはタレイアがいれば充分よ」
お嬢様——そんな風に、そんな特別な存在としてわたしのことを見ていてくださったなんて…!
でもダメです、まだ泣いてはいけません。今のわたしは、魔王ハーデース20世の侍従長。父魔王との盟約により、お嬢様はそのお父上である魔王ハーデース19世が命を失った瞬間、自動的に魔王ハーデース20世としてその魔王位を引き継ぎます。
つまり、お嬢様はたった数時間とはいえ、確かに魔王であったのです。
そして、侍従長は魔王の一番の側近。「魔王の侍従長は、眷属にとって魔王よりも恐ろしい存在であるくらいがちょうどいい」とは、先の魔王と運命をともにした侍従長のお言葉です。
わたしにとっては、厳しい口調で丁寧な指導をしてくれるただのいかついお爺さんでしたけどね。
「——私がいいたいことはそれだけ。好きに生きなさい。こんど私がこの街に来た時、私はあなたがたをこの地の新たな魔王もろとも討伐するわ。そこだけは、覚悟しておくことね。以上よ——解散ッ!」
解散。お嬢様がそう声を上げると、魔法を使える眷属は空間転移で何処かに消え、そうでない眷属は散り散りにどこかへ行ってしまいました。
「つまらん在位期間だったわね。時間でいうとどれくらい?」
「お城を脱出した時から数えて四、五時間といったところですね。お疲れ様でした」
何百年後か、歴史の雑学の本に載りそうですよね。
「——嬉しそうね、タレイア」
「当たり前ですよお嬢様!6年前、街では邪魔者扱い以外の扱われ方をされなかったわたしが、お嬢様にただ一人同伴を許されるような存在になれるなんて……感激で——!」
このあたりでもう、抑えきれず涙が溢れてきました。
泣くのなんていつぶりでしょうか。それも、こんな感激の涙を流すなんて。
母を亡くし、近所の老夫婦に騙され、ただでさえ無いに等しかった学校での居場所がいよいよ物理的になくなりかけていた当時のわたしには、感情なんてほぼ無いに等しい状態でした。
思うことといえば。
蹴られれば「痛いなぁ」
教科書に落書きされれば「読みづらいなぁ」
泥水をぶっかけられれば「洗濯めんどくさいなぁ」
机と椅子を窓から放り投げられれば「持ってこなきゃ」
その程度のもので、怒りとか憎しみとか悲しみとか、そんなものはありませんでした。無駄なんです、そんな感情を覚えても、状況は変わりませんから。それが、当時のわたし。
「——私が初めてタレイアと出会ったとき、私は8歳だった」
わたしより背の低いお嬢様の声が、いつもよりさらに低い位置から聞こえていました。隣を見ると、廃屋の屋根の上にお嬢様が腰かけていたので、わたしも隣に腰掛けます。
「黒騎士とか黒魔道士とか、あとは使用人。その辺の子供がいたにはいたけど、みんな私より一回り以上歳上で、しかも見事に男ばっかり。ま、魔王城の人たちって娘は早々に里子に出しちゃうのが普通だから仕方ないんだけどね。で、私の世話係だって、魔女かな?って感じのお婆さんばっかりだったでしょ?」
これは覚えています。魔女さんとお嬢様の世話係って本当に見分けがつかなくて、最初の頃はよく間違えていました。
「——だから、嬉しかったのよ。タレイアが入って来たとき。年の近い女の子が来てくれて。今でもよく覚えてるわ。当時はまだ普通に魔王になるつもりでいたから、タレイアを侍従長にするー、ってお父様によく言ってたの」
短い時間でしたが、本当にそうなりましたね。実質、ですけど。
「タレイア、あなたは自分のことを、ただの魔王城労働者だと思ってるかもしれない。でも、私にとっては、使用人であると同時にただ一人の友達であり、姉のような存在でもあるのよ。そして、数時間だけだったけど、あなたは立派に私の侍従長を務めてくれたと思ってる。だから、あなたに——タレイアに、一緒に来てほしかったの」
魔王は世間一般に、冷酷非道な大悪人とされています。
ですが、そんな大悪人が育てた娘が、こんなことを言ってくださるでしょうか。
居場所を失い、金に目が眩んで魔王城に飛び込んだわたしに、こんなことを。
言ってくださるような方だから。
だからこそ、魔王の位を棄てたのかもしれません。
でも、そんなことはもうどうでもいいんです。
魔王の娘だろうがなんだろうが、そんなことは関係なく、このペルセフォネーという女の子が大好きなんです。心から崇敬しているんです。
だから、何処へでもついていきます。
貴女が命じるならば何だってします。魔王城に足を踏み入れた時点で一度死んだも同然の命。実際、先の魔王様が雇ってくださらなければ、魔王城から飛び降りて自殺するつもりでした。そんな命、今更惜しくはありません。
ペルセフォネーお嬢様、愛しています。
だから、この今だけ、わたしの無礼をお赦しください——!
「——!?」
気がついたらわたしは、隣に腰掛けるお嬢様に思いっきり抱きついていました。
お嬢様のお召し物は肌の露出がかなり多いので(それでも大鎧を遥かに凌ぐ防御力をもつ優れものです)、お嬢様の肌の温もりが直接伝わってきます。
「タレイア——?」
「申し訳ありませんお嬢様、あまりに嬉しくてつい——!タレイアはこれから先、生涯お嬢様にお仕えする為だけに生きます。お嬢様が死んだらわたしも死にます。お嬢様にとってわたしが邪魔になったら殺してください。だから——」
「ちょ、ちょっと、私そんなことまで求めるつもりは——」
「もう少しだけ、こうしていさせてくださいませんか……?」
ああ、私としたことが、なんて大胆な告白を。学校ならいよいよ物理的に居場所を失うところです。もし、これでお嬢様がわたしを嫌いでもしたら——
「気がすむまでそうしていればいいわ。あなたは6年間ずっと私のために頑張ってきたんだもの。お安い御用だわ」
「ありがとうございます……」
本当に、お優しい方。年甲斐もなく泣きじゃくる、3つも歳上のわたしの頭をなでなでしてくれて、まるでお母さんみたいです……
「と、言いたいところなんだけど、もうすっかり夜になって冷えてきたし、どこか寝床を探しましょ。この廃屋、使えるかしら。また今度、二人でゆっくり過ごしましょ」
そう言って、お嬢様がわたしの肩を手で押してご自身の身体からわたしを剝がし、それから小さくくしゃみをしました。
お嬢様の服は、剣は防げても夜風は防げないみたいですね。