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如月駅  作者: 小島もりたか
停泊
15/17

弥生は自宅に帰ると改めて考えた。


取り敢えず今は佐武郎の歓迎会が先だという話になったのだが、生憎、如月は物々交換の仕事に出掛けていた。


普段も静かな家はより一層静かさを増している。

そこに遠くからの呼び声が響く。


玉藻の悲痛なまでに酒呑童子を想う声。


そうして気がつく、あの声は鬼達が慕っていたあの少女の声だということに。


鬼達が慕っていた声の主が今では最も憎む者の声になっているなど、なんという皮肉だろうか。



ーーあの少女の意識は、今でも玉藻の中にあるのだろうか?


意識があるままずっと過ごしていたら…それはきっと悲しすぎる。


弥生は眉間に寄せた皺を指で延ばす。



何にせよ、まずは破魔の矢と破魔の弓を準備しなければならない。


破魔の矢と弓は現世にまで捜しに行かなければならない。


そして、現世に行くためには如月の力ーー正確には、車が必要だった。


妖怪は彼岸と現世の境を容易に越えられるが、一度死んだ魂が彼岸から現世へ行くことは難しいらしい。


ただ、如月の車に乗車している場合は例外で、その理由は閻魔に許可されているからだ。



だから如月が帰ってくるなり、弥生は忘れないうちにと如月にその旨を伝えた。


「如月、佐武郎さんの御祝いが終わったら現世に連れてって欲しいんだけど…?」


「なんで?」


恐る恐る訊いた言葉に、如月は冷たかった。


「ちょっと取りに行きたいものがあるんだけど…」


「何を取りに行くんだ?」


「その…破魔の矢を取りに…」


如月の瞳孔が僅かに開くのが見えた。

思いの外強く肩を捕まれる。


「誰に唆された?」


「唆される?」


「誰に玉藻を退治するように頼まれたんだ? 茨木か? 熊か?」


弥生は頭を振る。


「違うよ、私の意志」


如月はどうすべきか困惑したように頭を掻く。

弥生は畳み掛けるように懇願する。


「お願い如月、連れていって。私、このままじゃ嫌なの」


如月の瞳に藍色の陰が過る。

弥生は慌てて言葉を付け足す。


「如月と暮らすのは全然嫌じゃないよ。如月に大切にしてもらってるのは分かってたし、ずっと一緒にいても平気なくらい」


咄嗟に握った手は氷のように冷たかった。


「でも、このままじゃ誰も幸せになれない。如月も分かってるでしょ?」


逸らされた如月の瞳が痛いほど悲し気で、弥生にもその感情が伝播する。


「如月、お願い。連れていって」


弥生が強く見つめると、如月は眩しそうに目を細めてから弥生をそっと抱擁した。


「分かった。連れていく」



佐武郎の歓迎会は賑やかで楽しく、長く続いたが始終、緊張感と寂寥感が会場の中に漂っていた。


緊張感は鬼達のもので、寂寥感は如月のものだと、弥生は笑いながら感じ取っていた。



茨木が背中を丸めながら弥生の隣に座る。

しかし大きすぎるのであまり目立ち度合いは変わらない。

少し離れている所で佐武郎と呑んでいる如月がチラリと二人を見た。

そのやり取りが面白くて、弥生は思わず少し笑む。



「如月様は説得できましたか?」


「うん。連れていってくれるって」


茨木が安心したように溜め息を吐く。


「それはようございました…」


しかし弥生にはまだ不安が残る。


「破魔の矢のありかは、やっぱりヒントとかないんですか?」


「申し訳ありませんが、現在の在処は分かりかねまする…」


「昔は知ってたんですか?」


「噂程度には…しかし、それも不確かです」


なんだ、ヒントはあるじゃないかと弥生は溜め息を吐く。


「それはどこです?」


「コシにある神社だとしか…」


「コシ?」


全く記憶にない単語だった。

しかし、なんとなく懐かしい響きも感じる。


「今のどこ…?」


「申し訳ありませぬ、それも存じ上げません」


茨木はとても気落ちしたように肩を落とす。


「他の鬼達は知ってますか?」


「んー、分かりかねます…」


「一度ダメ元で訊いて回ってきます」



そうやって一通りの鬼達に訊いてみたが、結局知る者は誰一人としていなかった。


諦めて行く前にインターネットで調べることにする。


「コシの神社に遣える神主は非常に徳が高く、神にも愛されていたと聞きます」


熊童子が弥生の隣に座る。


「その神様って、なんという名前だったんですか?」


「さて…?」


首を傾げる熊に弥生は心の中で地団駄を踏む。


神の名前が分かれば、その神を祀る神社で調べることができたはずだ。


今度は祀られている神の名前を訊いて回るが、やはり誰一人として知るものはいなかった。


困ったと頭を掻いている弥生の隣に佐武郎が笑みを浮かべながら座った。


一瞬誰か分からず、目を瞬かせる。

まだ見慣れていなかった。


「お忙しそうですね」


「あ、ごめんね、佐武郎さんが主役の席なのに!」


「いえいえ、いいんです。私はこうして鬼に成れただけで十二分に嬉しいんです」


「佐武郎さんはコシって知ってる?」


佐武郎は小首を傾げる。


「知りませんね。私が生まれたころにはなくなった土地なのかもしれません」


弥生は予想できた答に小さく溜め息を吐く。


「そこに破魔の矢があるんですか?」


「茨木さんが昔そこにあるって噂を聞いただけなんだけど…他に探す宛がないから…」


「何も分からずお困りでしたら、一度閻魔殿に相談しに行くのもよろしいのでは?」


意外な発想に弥生は勢いよく顔を上げる。


「そんな事できるの?」


「我々では難しいでしょうが、如月様にお願いしたら容易でしょうね」


まさかそんなチートのようなことができるとは思わなかった。


「むしろ閻魔様に破魔の矢を貰ったりとかできないかな?」


「閻魔殿は知や繋がりを与えてはくれても、物質的な物は与えてくださらないと聞きます」


「そっかぁ…そうだよね…」


弥生は少し肩を落としたが、すぐに元に戻す。


「佐武郎さん、ありがとう! 凄いヒントになった気がする!」


「お力になることができて、光栄です」




弥生は宴が終わり、一休みすると早速如月に願って閻魔の所に向かった。


法廷に行くのはこれで二度目だ。


変わらず白いままの空間に飛び込み、車から下りて法廷の入口に向かうと、既に閻魔が立って待っていた。


「待っていましたよ」


閻魔がやんわりと笑む。

何でもお見通しなんだ、と弥生はぼんやりと思った。


するすると衣擦れの音をたてながら閻魔が歩く。

閻魔に案内された部屋は、どこか見覚えがあった。

なんとなくあの時目覚めた部屋だろうと思った。


優雅に茶と菓子の用意をし終わると、閻魔はやっと腰を落ち着けた。


如月は遠慮なく、閻魔が出したスナック菓子に手をつけ始める。


「ご用件はなにかな?」


弥生が狼狽えていると如月が言えよ、とばかりに肘で弥生の脇腹を突ついた。


「あの、破魔の矢の在処を教えて頂きたいんです」


「破魔の矢は破魔の弓を用いないと意味がないことは念頭においている?」


指摘されて弥生は固まった。

全くもって念頭に置けていなかった。


ーー破魔の矢だけじゃなく、破魔の弓も探さなきゃいけないのか……。


少し頭がくらりとした。


そんな弥生の仕草を見て、閻魔が笑む。


「念頭に置けていたら問題はないですよ。破魔の弓は破魔の矢と一緒にあるはずですから」


「え、そうなんですか!」


「はい。月並弥生さん、君は私にそれらの在処を訊きに来たんですね?」


悪いことをするつもりではなかったが、図星をつかれて思わずドキリとする。


「はい、そうです……」


「その答えは私がする必要はないかな。何故なら、君自身が知っているから」


「え? 私が……?」


弥生は意外な言葉に目を白黒させる。


ーー私が知ってる?


閻魔は笑みを崩さない。


「君が『偶然』、如月の波長に合ったと思う?」


そう思っていた弥生は目を瞬かせる。


「現世に行ったらよくよく自分の魂の記憶を呼び起こすといいよ。そうしたら全て分かる」


「私は生まれる前から如月と関わりがあるんですか……?」


「偶然なんてないんだよ」


そう言って笑みを深くしてから、閻魔は手を一つ叩いた。

驚いたように如月が振り向く。ポロリと食べていたスナック菓子のカスが落ちる。


如月は何度か瞬きをしてからジロリと閻魔を睨んだ。


「俺だけ省けにしたな」


「如月に聴かれたらいけない内容だったからね」


しれっと言う閻魔を、如月は妬むように睨む。


「またそれかよ」


「いいかい如月、君は君の思っている以上に色んな者に慕われ、支えられている。君の存在は君だけのものじゃないんだ」


「なんだよ急に……」


「釘を刺してるんだよ。本当のことを知っても、早まった行動を起こさないようにって」


「どんな行動だよ」


「それは言わない。つまり君の行動次第では、皆のーー君の大切な者が、君のためを想ってしていた努力が無になるってとを忘れないこと」


「わかったよ……」


如月は照れたように頭を掻いた。


「さあ、話はもう終わり。行ってらっしゃい」


再び閻魔が手を一つ叩くと、二人は車の中にいた。


如月が頭を掻く。


「行くか」




現世への道のりはゆったりとしたものだった。


何せ魂を帰すために何度も通っている道である。

現世に行くことに対しては何の緊張もなかったが、破魔の矢に辿り着けるかが不安だった。


「如月、魂の記憶を呼び起こすって、どうやるか知ってる?」


「さぁ? 俺には前世がないから分からんなぁ……」


「閻魔様、そこは教えてくれなかったんだよね」


「説明しなくても感覚で分かるってことだろうな」


「全然、その感覚が分からないんだけど?」


さあなぁ、と如月が頭を掻く。



そうこうしている間に現世についてしまった。


地上、遥か上空を車がぷかぷかと浮かぶ。


現世は昼間で、ちょうど太陽が一番高い所に来ていた。


夏空で、目線を少し上に上げると入道雲のてっぺんが見える。


車はクーラーをかけておらず、本来瞬時に蒸し風呂となるはずだが、そこは都合がいいことに暑さを全く感じない。


そもそも現世の物質でできていないので、熱を吸収、密閉することがないらしい。


「で、どこに行く?」


「どうしよう、現世に来たのに全く品とこないよ!」


「例えば手を繋ぎます」


「繋ぎます」


言われた通り弥生は如月の手を掴んだ。


「目を閉じます」


「閉じます」


今度は目を閉じる。


「心を無にします」


「心を、え、無?」


「何も考えるな」


「言われると余計難しいよ」


「いや、そこは頑張るんだよ」


「うーん……」


弥生は懸命に何も考えないようにする。


しかし考えることを止めようとすればするほど、雑念が混じった。


長い間頑張るが、なかなか思考を止めることができない。

いい加減にしろよ、と如月から野次が飛ぶかと思ったが、むしろ何も言われなかったので真剣にしなければと思った。


さらに長い間、思考を止めることに集中した。



やがて弥生の身体がシートベルトをするりと抜け出した。


シートベルトどころか、車の天井までもすり抜ける。


うっすらと開いた目はどこも写していなかった。


「やっとか……」


如月は弥生に聞こえない程度の声で呟くと自信も車をすり抜け外に出た。


車を玩具のサイズにしてポケットにしまう。


弥生の姿が陽炎のように揺らめき、溶けたかと思うと綺麗な坊主頭をした坊主に変わった。


その姿を見た如月の動きが止まる。


そして如月の瞳だけが揺らいだ。




********



彼は法話を聴きに来ている厳めしい男達を見つけてうっすらと頬に皺を刻んだ。


ーーこれで7日目よの。よう増えよった。


御堂の片隅で座りもせず腕組をしたまま、ただむっつりと彼の法話を聴いている男たちが、この辺に住む鬼達であることを彼は知っていた。


初めの日から3日目までは、一番体躯のいい男1人が、次からは1、2人程度ずつ増えて、今日で7日目。鬼たちのあたまかずはとうとう二桁に達した。


彼が見ると異形の姿をしている、変化下手の者も数人いるが、どうやら彼以外には意外と普通の姿に見えているらしい。


どちらにせよ、異様な雰囲気を放つ人の姿をした鬼達は、彼以外達から少し怯えられている。


ーー今日は童が増えたの。しかし、あれは……。


彼は初めて見る童ーー少女に目を凝らす。


年の頃は10ぐらいだろうか? 服は少々小汚なかったが、長く伸ばされた髪は小綺麗に手入れされている。

鬼達に大切にされているのだろう、同世代の子供と比べ、肌は艶やかでふっくらとしている。

しかし一際美しい顔に納められた瞳には、強い意思と僅かな憎しみが浮かんでいた。


彼は少女に潜む陰に僅かに顔をしかめる。


そして彼は、鬼達がしたいことが理解できた気がした。



だから法話が終わった後、他の坊主達が触れぬようにしてきた鬼達に声を掛けたのは彼にとっては当然の流れだった。


「今日の話はどうだったかえ?」


全ての鬼達に語りかけるつもりでいたが、いざ近づくと一番大きな男以外は怯えるように後ろに退いていってしまった。

結果、彼は一番大きなーー恐らく来ているなかで一番偉いであろう鬼だけに声をかけることになった。


「今まで成してきた過ちに恐れおののいておりまする」


大男はぶっきらぼうに言った。

一見不機嫌そうにも見えるが、きっとこれが男の平素なのだろうと彼は予想をつけ、構わず続ける。


「周りに居る者らは同胞かえ?」


「そうでござりまする」


「仏門に興味がおありか?」


「はい」


「そうかそうか」


少女がしがみつくように大男の服の裾を掴むのが見えた。睨むように彼を見上げる少女を安心させるように、彼は優しく笑んだ。


「小生は紫雲と申す。童よ、名は何と申すかえ?」


「かぐや……。ここでは皆、麿をかぐや姫と呼ぶ」


「かぐや……」


紫雲は驚き、納得する。

かぐやと呼ばれる少女は、果たして竹取物語を知っているのだろうか? いや、知らないだろう。知っていたら恐らく少女はそれを許さない。

少女が鬼達を慕っているのは、少し見ただけの紫雲にも十二分に分かった。


ーー月にいずれ還すのか。


それはきっとお互いに身の裂かれる思いになるだろう。


大男は自らの名を「大江」と言った。

偽名であることは明らかだったが、紫雲はそれを気に留めなかった。


それ以来、紫雲は法話が終わる度に鬼達に声を掛けた。

始めは怯えていた他の鬼達や少女も徐々に彼に心を許していき、法話がない日も彼に会いに来るようにまでなった。


鬼達はいたって真面目に彼に教えを求めていた。



「今日も山が明るいのぅ」


鬼達の気配がする山を見上げて紫雲が呟く。

隣にいた小坊主か首を傾げた。


「そうでございまするか?」


「明るい、明るい」


実際この頃の鬼の山は、鬼が棲んでいるとは思えない程穏やかに澄んでいた。


しかし、それも数年で終わった。


鬼達が少女を連れて来なくなった途端、山は哀しくじめじめとした空気を漂わせ始めた。


そして鬼達の居ない御堂に寂しさを覚えつつ、しかしそのことに慣れ始めた頃、今度はストンと山から鬼達の気配がなくなった。


「居を転じたか……」


山を見上げて呟いた紫雲の声は、風に巻かれて空に消えていった。



「何事かえ……?」


彼はある晩、禍々しい気配に目が覚めた。


哀しみと痛みを伴った気配は脈打ちながら彼に助けを求めている気がした。


「……大江殿」


彼は寝室を駆け出した、気配の場所は明らかだった。

彼はかつて鬼達が棲んでいた山をかけ上る。


直ぐに息は切れ、足が縺れ幾度も転んだが、すぐに立ち上がって山頂を、気配がある場所を目指した。



息も絶え絶えに山頂にたどり着く。


幾十もの鬼達が途方に暮れたように立ちすくんでいた。

その異様な光景に、彼は呼吸をすることを一瞬忘れた。


数人の鬼が彼に気がつく。

気がついた鬼は何かを言いかけて慌てて口を抑えた。


彼は鬼達の姿を気に求めず、声を掛ける。


「大江殿は、ご無事かえ?」


喉がカラカラに渇いていて、それを言うだけで精一杯だった。


彼の声に全ての鬼が振り向いた。


恐ろしいはずの鬼達は、皆涙に濡れた瞳で心底驚いたように目を見開く。


やがて鬼達は困惑しながらも道を開いた。


彼はふらふらの脚で駆ける。


先には大きな赤黒い樹のようなものが倒れていた。

しかし、禍々しい気はそこから発せられている。


よくよく見ると顔のようなものがあり、側頭部と目と思われるところから赤い液体が流れ出していた。


彼は何の躊躇いもなくそれを掻き抱く。

触れた皮膚が爛れたような熱を帯びたが、彼は気に留めなかった。


「大江殿……何が……?」


「……紫雲、殿か?」


「そうだ」


「どうか、我を滅してくれ……」


更に赤い涙が大江の頬を伝う。


鬼の命とも言える角が切り株のように大きく損なわれている。

力が暴走しかけているのは言われずとも分かった。


それてこのまま大江を捨て置けば大きな禍になることも……。


「かぐや姫を守らなくてよいのか?」


大江は潰れかけた瞳を大きく見開いて、更に涙を流した。

周りからも鬼達の慟哭が聞こえる。


「もう、おらぬ……おらぬのだ……! 紫雲殿、我を祓え」


紫雲は答えに窮した。

祓うべきだとは理解していたが、どうしても祓う心持ちになれない。

彼には真面目でぶっきらぼうな、一人の人間の少女を愛した鬼を悪として扱うことができなかった。


どうすべきか、大江の暴走への制限時間に追われつつ考える。

しかし、考えども考えども、答えは出ない。


ーー滅するしかないのか……。


そう思った瞬間、彼の頭上から光が射した。


「何事?」


眩しすぎてまともに目を開けることもできない。


少しして光が弱まったところで顔を上げる。


紫雲は目尻が裂けるくらい目を見開いた。


「ーー御仏」


彼には確かにそれが仏の姿に見えた。


鬼達は畏れおののき後ずさる。


仏はその背に光を背負ったまま紫雲に微笑んだ。


「そなたはその、鬼だった者を助けたいか?」


「やめろ……やめろ……!」


大江が呻き叫んだが、紫雲はそれを無視する。


「はい、小生にできるのならば、助けとうござりまする」


「何でも差し出せるかえ?」


「はい」


「そなたの命でも?」


「やめろ!」


紫雲は必死の形相で訴える大江を一瞥し、微笑んだ。

助けられると聴いた瞬間、何にでも差し出すと覚悟は決まっていた。


さそれに大江を失うには、哀しむ者が多すぎる。

まだ己の命を差し出した方が哀しみは少ないだろう。


「ーーはい」


紫雲は力強く頷いた。

大江が絶望したのが、より熱を帯び始めている腕から伝わった。


仏は笑む。


「そなたから封する為の力を頂き、 空いた穴に悪しき心を入れてもらいましょうーー」



そうして彼はほとんど鬼なった。


仏は大江と彼以外の全ての鬼を連れ、空へ還っていった。


彼は人として保ったままの魂に手を充てる。


不思議なことに、すぐ側に刀が落ちていた。

恐らくこれも仏が残してくださった、情けなのだろうと紫雲は笑む。


落ちた刀を拾ったところで、人の気配がした。


何十もの武装した人間が紫雲の姿を見て怖じけ付く。

そんな人間の姿もいとおしくて、彼は醜く変形した口を更に歪めた。


刀を抜く。


「我はこの山の主なり。この首、すきに持ち去るがよい」


ゴトリと鈍い音が聞こえた気がした。




******




弥生は目を開く。


緑の匂いが強く鼻を突いた。湿った土の臭いも混じっている。


目の前には大きな岩穴がぽっかりと口を開いていた。


それ以外は鬱蒼とした木々が続いているだけである。


右手が温かい。振り向く。如月と目があった。



「ーーここが?」


「そう、ここ……」


弥生はつぅと一筋の涙を流す。



ーー全部、思い出した。



如月が一歩前に進もうとすると、岩穴の中から一筋の白銀が伸び出てきた。


その白銀の蛇は、鎌首を持ち上げると一つお辞儀をする。


一つ瞬きしている間に人の姿に変わった。

如月より光沢を帯びた白銀の髪に顔や手足まで純白のそれは、さらに白の着物を着ている。

目元と開いた口の中だけが、やたらと赤い男の姿をしたそれは、感慨深げに言った。


「お久しゅうございます」


「久しぶり、白緋ハクヒ


如月が困惑したように何度も白蛇と弥生の顔を見比べる。


その姿がおかしてくて、弥生は少し笑った。


「私のかなり前の前世の友人」


「前世……」


如月は置いてきぼりを喰らったように小さく呟く。


「今のお名前は何と申すのです?」


「弥生。月並弥生」


「弥生殿、この日を待ち兼ねておりました」


「うん。待たせてごめん」


「最後に転生されてから、幾年が経ったでしょうか……。そちらの御仁が、仰られていた方なのですね」


「うん」


「弥生、どういうことだ?」


如月が途方に暮れたように問いかける。

気恥ずかしそうに弥生は笑んだ。


「私は如月のために、今に生まれ変わる前から頑張ってたってこと」


「俺のために? なんで?」


「全部終わったら分かるよ」


如月の困惑もお構いなしに、白緋は久しぶりに会った友人に質問をする。


「……お逢いできましたか?」


その言葉で俄か雨が来たかのように弥生の顔が曇った。


「逢えたよ……」


「真でございますか!!」


「でも、今はまた別れた……」


晴れた顔をしていた白緋の顔も曇る。

弥生の姿を改めて確認して、痛々しげな表情をした。


「そうでございますか……。仕方なきことです。来世でもご一緒になれましょう」


弥生が頷いた。

俯いた頬に幾筋もの川ができる。


如月の胸にも哀しさが伝播する。

余りに痛く、堪えがたいほどの哀しみが。


切り替えるように白緋は笑んだ。


「約束のものは奥にございます」


「ううん、今までありがとう」


「いえ、主との最期の約束でもあります。礼には及びませんよ」


「ありがとう……」


弥生には白緋に感謝することしかできなかった。

白緋はこの約束のために、今まで、数百年自分の願いを圧し殺してここで独り暮らしてきたのだ。


白緋の身体が宙に浮く。


「募る話もあるかもしれませんが、これにて私も逝かして頂きたいと思います」


「うん」


「また来世でお逢いしましょう。弥生殿の輪廻に幸多からんことを」


そう残して白緋は光の粒子になって消えた。


「ありがとうーー」


弥生は残った光の余韻にもう一度礼を言った。


「昇華した……?」


「うん。白緋はずっとこの時を、私がここに戻るのを待っていたから」


また頬を涙が伝う。

弥生は岩穴に足を踏み出した。


「ここはね、元々は神社だったの。今はすっかり山に呑まれちゃったけど、そこそこ大きい村もあって……。私はここの神主の子として何度も何度も生まれた」


本来なら篝火がなければ何も見えない岩穴の中も、霊体の今は必要がなかった。

昼の空と同じぐらい明るく見える。むしろ生きていた頃よりよく見えるかもしれなかった。


ーー何も変わらない。


白緋がよく手入れをしてくれ続けていたらしい岩穴は、当時の美しさを保ったままの弥生の目の前に存在する。


少しすると社が見えた。

流石に社は細かく手入れできなかったらしい。かなり傷んでいる。


弥生は社の扉を開く。


中には美しい円形をした鏡と、その前に横たえられた人の亡骸があった。


隣で如月が息を呑む。


亡骸は亡骸に着せるには勿体無い程の着物を着させられ、その手には3本の弓矢と弓が握られていた。


「これは私」


言った自分の声が虚ろであることを弥生は自覚していた。


亡骸を見つめる横顔が、亡骸の生前のものに変わる。

細い切れ長の目をした気高い女性に。


「私は何度もここの神主と住職の家に生まれて、修行を積んだ」


「なんでそこまで……?」


「如月を救いたかったから」


振り向いた姿が一瞬紫雲に変わる。

しかしまたすぐに元の女性の姿に変わった。


「そうして転生を繰り返しているうちに、私はここに住まう神と恋に落ちてしまったの……」


女はそっと鏡を手に取り抱き締める。


「でも、それは禁じられたものだった。私と彼は他の神々の逆鱗に触れ、私を含め彼を信仰していた村の者は皆無惨に殺された」


女は顔を上げる。あの時の苦しみは今でもはっきり思い出すことができた。


「村の者は飢餓と疫病で。私は三日三晩、身体中の全ての穴から全ての体液を出し続け死んだわ……」


「なんて惨い……」


「そうして彼は神を捨て、人になる道を選んだ」


女が亡骸から弓と弓矢ーー破魔の弓と破魔の矢を受け取った。


しかし姿は弥生に戻らない。

如月はこのまま、この目の前にいる女性が弥生に戻らない気がした。


弥生と名前を呼びたいのに、呼ぶことができない。


あんなに呼んでいた名前を、こんなに身近にいた者の名を。


「ーー紫雲!」


咄嗟に出た名前だった。

しかし名を呼んだ如月自身も、そのことに驚く。

雷に射たれたように、全身に衝撃が走った。


紫雲が驚いたように如月を見上げる。


「ーーなんぞや?」


「あ……あーー」


竜巻が如月の中を掻き乱す。


そうして総てが一つに集束した。


「ーーかぐや」


「如月ーー?」


我に還った弥生が首筋に汗を流す。


如月の中で一人の少女が、自分が愛して止まなかった、自分の存在を壊してしまった少女の姿が像を結ぶ。


「かぐや!!!」



如月が地を蹴った。


地がめり込み、岩穴に光が射した。


弥生が天まで一っ飛びに駆け昇る如月に掴まれたのは奇跡に近かった。

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