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如月駅  作者: 小島もりたか
停泊
14/17

幻影

少女が去って数年が経った。

あの日以来、彼も、その他の鬼達も毎夜彼女のことを考えては物取りない毎日を過ごした。


そうしてやがて、彼等は一人の少女に恋をしていたことを知った。


それは手を伸ばしたくても伸ばす宛のない哀しい恋心だった。


彼女への想いを募らせては、何もできない辛さに夜な夜な胸を掻きむしった。


そうしていく間に、彼女を一目だけでも見ようとさ迷い歩く者まで現れ始めたが、なかなか彼女を見つけ出せるものは現れなかった。



ある日、山に鬼よりも恐ろしい顔をした大男が現れた。


若い鬼を捕まえて彼を呼び出すと、大男は自分は閻魔だと名乗った。


閻魔が言うには、

罪の大きい妖怪を閉じ込め、浄化する地獄谷を監視する者が欲しい。最近のこの山の鬼達は仏門に厚く、また鬼であるが故に強いので是非地獄谷の監守にならなってほしい。

とのことだった。


現世から離れてしまえば、いっそ楽になるかもしれないと彼や他の鬼達は快諾した。



しかし現世から離れ、地獄谷で忙しい日々を送っても彼等の空虚感が癒えることはなく、こっそり地獄谷を抜け出しては現世に行くものは後をたたなかった。



お頭、とある日手下の鬼の一人に呼び出された。

どうやら彼女を見付けたらしい。


彼の話に依ると、彼女は貴族の長男に見初められ、それなりに幸せに暮らしているとのことだった。


彼は安堵したのと同時に失望した。



少女と出逢うまでは気紛れに逢い引きしていた女とも、とうの昔に会うのを辞めていたので彼を慰める女は誰もいなくなっていた。



逢魔時、彼女を想い夕陽に身を沈める。


幾日もそれを繰り返していたある日、夕闇に身を隠しながら近づいてくる一つの影があった。


天女の様に美しい女性だった。

しかしその姿にはどこか妖艶さが混じっており、それがより一層彼女の美しさを際立てている。


彼は一目でそれがあの幼かった少女だと気がついた。


「主は何ぞや?」


彼は訊くまでもなかったことを問い掛ける。


「吾は鬼の子分であった者よ」


彼女は口元を手で隠しながら笑んだ。


「主は何故に鬼の山に戻った?」


「頭に逢うためなり」


「何故逢うか?」


彼が気がついたときには、彼の顔は彼女の手に挟まれていた。


意表を突かれたことと、恋しかった彼女の顔が目の前にあることに彼は心の余裕を失う。


そっと彼の額に己の額を重ねる。


「想いを遂げるため」


まだ鬼に成りたかったのか、と思った瞬間、彼女は彼の大きな口にキスをした。


彼はより混乱する。


少女だった頃の彼女が頭の中で走馬灯のように思い出される。



そうして彼女は彼をそっと押し倒した。



気がつくと夜更けだった。


今までに感じたことがない程の頭痛が彼を襲う。


目を瞑って、芋虫の様に身悶えしながら痛みに堪えていると、少しずつ痛みに慣れてきた。


どうやら角の根元が痛いらしい。


「ーーっ!?」


ふと気がつく。


先程から手で押さえている場所には、本来角がある場所だと。


「角が…ない?」


言葉を発するだけで激しい痛みに襲われる。


顔をしかめながら両手で何度も角がある場所に触れるが、そこには切り株のようなものがあるだけで、その先が存在しない。


「うふふふ…」


隣から気味の悪い女の笑い声が聞こえた。


なんとか目を開けて確認すると、顔を醜く歪めた女が座っている。

膝に何かを乗せ、嬉しそうに手に持っては眺めている。


「角…!」


彼の声に女が振り向いた。

醜く笑む。鋭い牙が口の中で光る。

髪が脱色に失敗したように小麦色に変わり、そこからツンとした耳が生える。

頬から長い髭が生え、尻からは長く美しい尻尾が九本生えた。


「嗚呼、愛しの吾が君」


彼にはその言い回しによく覚えがあった。


「玉藻…」


玉藻が見せびらかすように彼の角を上に上げた。

にぃと穢く笑む。


「これで酒呑童子様は吾だけのものよの」


「…娘はどうした?」


「娘? …あぁ、この身体の娘なら喰ろうた。吾から吾が君を奪った罰よの」


玉藻の喰らったという意味は、魂ごと食べたということが訊かずともわかった。

妖怪に魂を喰われるということは、妖怪の一部になるということ。その妖怪が消え果てるまで妖怪の中で生き続けるということだ。


彼は悲痛な、声にならない叫びを上げた。

二つも同時に大切なものを奪われた。



「酒呑童子様が吾をなおざりにするからいけぬのだ」


痛みと悲しみで丸まる背中を玉藻が甲斐甲斐しく撫でる。


「しかしこれで吾が君も吾もこの娘も幸せになるであろ」


「なれぬ」


彼は玉藻の腕を払いのける。しかし玉藻は嬉しそうに笑んだ。


「もあ酒呑童子様は吾がものなり」


心底嬉しそうに玉藻は笑むと、彼の二本の角を自分の側頭部ーー彼の頭にある位置と同じ場所ーーにグリグリと捩じ込んだ。


血を滴らせながら、嬉しそうに玉藻は捩じ込む。

彼はその修羅のような行動を止める力もなく見た。


歪な、鬼のようなものが生まれた。


それは緩慢な動作で彼に近づく。


彼はそれに浮かんだ笑みが、彼女の面影を僅かに残したそれが不快で仕方がなかった。


後退りしようとするが、これ以上は身体がいうことをきかない。

睨もうにも睨む力すらなく、ただそれを見上げるだけで精一杯だった。



「ーーお頭!!」


聞き慣れた声が聞こえたと思った瞬間、彼の意識は途切れた。




******




弥生は起き上がり、腕を組んだ。


こちらに来てから見続けている夢について考える。



あれは鬼の誰かの記憶だろう。

鬼の頭は如月もそうみたいだが、如月の他にもいたのだろうか?


あの鬼の頭の名前は『酒呑童子』というらしいが、如月の名前とも違う。

しかし『如月』という名前は、あの女の子が名乗ろうとしていた名前だ。


ならば今の如月は夢の最後で生まれたあの鬼のようなものだろうか?

いや、あれは玉藻という妖怪のはずだ。

玉藻は今地獄谷にいる。


しかし今地獄谷にいる玉藻は『酒呑童子』ではなく、別の名を呼んでいた気がするが、違っただろうか?


『玉藻』という名の妖怪は他にもいるのだろうか?



弥生の中ではもう結論が出てていたが、性分確実性がないと他の答えもないか探してしまう。


考えていると、如月が弥生の部屋をノックした。


朝食を食べながら考える。

弥生の気を知ってか知らずか、如月は特に何も話さない。


ーーいや、もうこれは本人に直接訊こう。


結局自分一人で考えるより、答えを知るものに訊いた方が早くて確実だ。


自分の中で一つ頷いて、口を開く。


「ーーっ」


言葉が出てこなかった。

驚き、もう一度口にしようとするが、やはり話すことができない。


困惑していると、如月が首を傾げた。


「どうした?」


「ーーっ」


もう一度試みて失敗する。

何となく、無意識にそれは言ってはいけないことだと思っているのかもしれない。


「なんでもない」


「そうか」


飄々とした如月の顔を見て、弥生は閻魔が言っていたことを思い出した。


ーー呪いの影響?


如月には、失った力に関して何らかの呪いがかけられていると、閻魔は言っていたはずだ。


誰から誰にも伝えることができないと。


ーーなら私が見ていた夢は如月の過去の可能性が高い。もしくは、力を失った要因を含んでいる。


そういうことかもしれない、と弥生は一人納得する。


ーー夢からすると、呪いは玉藻からのものか…。



ふと疑問に思う。


何故自分は、見ている夢が如月の過去だとなんとなく気がついていても、本人に直接確認してみる気にならなかったのだろか?


ーー何故?


呪いのせいだと思う半面、そうじゃないと否定する自分がいる。



様々な疑問が頭で渦舞いていると、チャイム音がした。


如月が素早く玄関に行く。


賑やかな声が上がったと思うと、複数の足音がリビングに向かってきた。


「こんにちわーー?」


弥生は見覚えのあるような、ないような顔に首を傾げる。


そんな弥生の反応を見て二人が笑んだ。


「姿は変わったが、こいつは佐武郎だ」


「え、佐武郎?!」


意外な回答に弥生は佐武郎の顔をまじまじと見た。


印象的だった嘴はなくなり、大きな口から少しはみ出る程度の牙が生えている。

顔色はくすんだ緑色、背中の甲羅と頭頂部で輝いていた皿はなくなり、皿の後にはふさふさとした髪と、小指の先程度の大きさの角の様なものが生えていた。


「お久しぶりです、弥生様」


見つめる弥生に佐武郎が僅かに恥ずかしそうに言った。


「最近会ってないなぁと思ってたけど、何があったの? 頭の上のは角? 鬼っぽくなった?」


「はい、めでたく鬼に成ることができました」


「え、河童って鬼になれるの?!」


弥生の反応を見て佐武郎が困惑し、如月に振り向く。


「まだ説明されていなかったので?」


「そういや機会を逃していたな」


如月の言い草に弥生は見当が付く。


ーー面倒臭かったんだな…。



如月は、最初こそはあれやこれやと丁寧に説明してくれていたが、ここ数年は面倒臭いが勝ってきたらしく、説明も雑になった。

弥生が気がついていないことをいいことに、説明をしないことも多々ある。


「弥生、佐武郎を鬼の里に案内してくれ。佐武郎はその間にこのことについて弥生に説明してくれ」


弥生は呆れながら頷き、佐武郎は真面目に頷いた。



見慣れた森の中を、こちらは初めてだという佐武郎と二人でゆっくりと歩く。


「弥生様は『徳』の説明を受けましたか?」


「あ、それは聞いた気がする。徳を積むと妖怪も人間になれるんでしょ?」


「人間といいますか、魂ですね。実は魂に一番近い妖怪は鬼なのです」


そこまで聴いて弥生は納得する。


「そうか、佐武郎さんは徳を積んで鬼に進化したのか!」


「そうですね、進化という言い方もある意味正しいです。徳を積んで魂になることを『昇華』といいます。鬼は昇華に最も近く、そして彼岸では最も徳が積みやすい存在になります」


「でも、そうすると鬼ばっかり減って、他の妖怪が沢山残っちゃうんじゃないの?」


弥生はなんとなく蝉の一生を想像した。

蝉(鬼)に成れるまではとても時間がかかるが、死ぬ(昇華する)まではとても早い。


佐武郎は頷く。


「なので、他の妖怪に酒として妖力と共に徳を配るのです。弥生様も運んでらしたあのお酒です」


「え、そうだったんだ!」


本当にただの物々交換かと思い込んでいた。

まさかそこまでの理由があるとは思ってもいなかった。


弥生の反応に佐武郎は微笑む。

鬼にしては小さめな、しかし普通の歯としては大きすぎる犬歯がちらりと光る。


「鬼は早い者でおよそ百年程で昇華できます。なので私も精進すれぱあと百年で魂に成れるたいうことですね」


「それでも百年掛かるんだ…。佐武郎さんは今何歳なの?」


「私はおよそ三百歳ですね。まだまだ若造です」


「本当に妖怪って時間感覚違うよなぁ…」


弥生は心底関心する。


「肉体の死がありませんからね」


「じゃあ、妖怪はどうやって生まれるの?」


佐武郎は首を傾げる。


「様々な謂れはありますが、よく魂の欠片が集まって生まれると言われていますね」


「魂って欠けるの?」


「ほんの僅かにですがね。何かを強く畏れたり、願ったりそうすることで、ほんの少しだけ欠ける、それが集まって意思を持ち、形を成す。妖怪とはそんな継ぎ接ぎだらけの魂の寄せ集めなのだと、よく言われます」


「だから、魂として転生できないんだ?」


「そうですね。転生として必要な魂の大きさがないのです。だから『徳』としてさらに魂の欠片を集めるのです」


「そういえば、現世で徳を集めることはできないの?」


「できますよ。そうしていて現世では神と呼ばれる妖怪も少なくありません」


「え、妖怪と神様って同じなの?」


「私達からすると同じです。しかし、そういった者達は人間より遥かに強い力を持っていたりしますね。如月様のように」


「如月も現世では神様?」


「崇められていませんので、人間にとっての神ではないでしょうね。結局、私達からすると神など称号でしかないのです」


なるほど、と弥生は笑む。

知らなかった知識が増えていくのはとても楽しかった。


ーーあれ?


ふと佐武郎の話の矛盾点に気がつく。


「如月が妖力を失ったのて、千年以上前なんだよね?」


「そうだと聴いております」


「佐武郎さん、生まれてないのにどうやって如月と知り合ったの?」


確かに、と佐武郎が笑む。


「如月様は他の者との交流を断つようにしていましたが、僅かには交流があったのです。私の場合は、生まれて間も無く、夏の日照りで皿が乾いて死にかけていたところを如月様に助けて頂いたのです」


「やっぱり河童は皿が乾くと死ぬの?」


「そうですね、消滅します。それで弱い私をこちらに連れてきていただき、それ以来数十年程度に一度、様子を窺いに来てくださっていたのです」


「そうだったんだ…」


如月が本当の孤独を味わっていたわけではないことに、弥生は少なからず安堵した。


「如月様によく目をかけて頂いたお蔭で、こうして他の妖怪より早く鬼に成ることができました」


「あ、そういえば、河童じゃないってことは、もうキュウリは作らないの?」


佐武郎は首を傾げて瞳を閉じた。

悩んでいるようである。


「どうしましょうね。もう甲羅もありませんし、作ったとしても以前よりは美味しくないでしょうし…」


弥生は肩を落とす。

もうすっかり佐武郎のキュウリの虜になってしまっていた。


「佐武郎さんが鬼になったことは嬉しいけど、もうあのキュウリが食べられないのは残念…」


「一度作るだけ作ってみましょう。それで今後も作るかを決めましょう」


「本当?」


「美味しいとは限りませんがね」


「ううん、ありがとう! 気持ちだけでも嬉しい」


弥生の笑顔に、佐武郎も釣られて笑んだ。



「…そういえば、佐武郎さんは『酒呑童子』って知ってる?」


弥生は成るべく自然に切り出したつもりだったが、佐武郎の反応は明白だった。


立ち止まると目をぱちくりとさせて弥生を見つめる。

そして思い出したように口を開いた。


「どうしてその名を?」


「その…夢で…」


子供のような発言に思われ、弥生はもじもじしながら言った。


しかし佐武郎は特に馬鹿にする風でもなく、納得したように頷く。


「ああ、閻魔殿が計らったのでしょう?」


「閻魔様が? なんで?」


「それは追々説明があるでしょう」


そう、と頷く弥生を佐武郎は改めて見返す。


「回答がまだでしたね。酒呑童子という妖怪はもう存在していません」


「それは死んだってこと?」


「その名の妖怪としては、消滅したと言っていいでしょうね」


「酒呑童子はーー」


佐武郎は弥生を手で制した。


「その話は鬼の里でーー茨木様達に訊くべきでしょう」


困惑する弥生に佐武郎は笑む。


「きっと皆さんお喜びになるでしょう」


その言葉で弥生は余計に困惑した。




鬼の里に着くと、新しく仲間に加わる佐武郎が歓迎された。


今すぐにでも祝盃を上げようとする金熊達を制して、佐武郎は弥生の話を切り出した。


「あの…酒呑童子って鬼の夢をみたんです。皆さんご存知ですか?」


気の進まない中、佐武郎に促されてやっと言うと最前列にいた金熊が弥生の肩を掴んだ。


あまりの力の強さに弥生はたじろぐ。


「本当っすかっ?!」


弥生を見る視線の熱さに、弥生は思わず視線を逸らした。


「たぶん、だけど…。でも、呼ばれてた名前は酒呑童子だったはず…」


金熊は一瞬嬉しそうな顔をしたが、直ぐに真顔に戻し、


「茨木さんと熊呼んできます!」


と森の中に駆けていった。

程なくして、金熊は茨木と熊を連れて帰ってきた。


「弥生様! その名は如月様の前で言っておりませぬか?」


茨木が慌てたように弥生に問い掛ける。


「言ってないです。何故か、訊けなくて…呪いの影響なんですか?」


弥生がそう言うと、茨木は安心したように顔を崩した。


「安心しました。むしろ訊くことが呪いの蓋が開いてしまう恐れがあったのです」


「どういうこと?」


それは追々話しましょうと茨木は言い、座敷にどかりと腰を下ろした。



湯呑みのお茶で口を湿らせた熊が口を開く。


「先に宣言しておきます。呪いの関係で私どもは婉曲的な言い方しかできません。答えは弥生様自身が導きだすしかありません。

もしその答えを知り、如月様の力を取り戻す為に弥生様が行動を起こすのならば、私どもは惜しみ無く弥生様を手助け致します」


「俺達は今のままでも満足です。だから俺達から弥生様にお願いすることはありません」


弥生は重苦しい雰囲気に対して何度も瞬きをした。


佐武郎に伝えるのも躊躇われたあの夢は、如月や鬼達にとって重要であったのだと自覚する。


茨木が咳払いをした。


「おそらく、弥生様が見ておられた夢は閻魔殿が見せていた、過去の事実でしょう」


「何故見せたのですか?」


「本意は判りませぬが、概ね現状を打開するためでしょうな」


「現状?」


「酒呑童子様の力を取り込んだ影響で、玉藻は地獄谷ですら浄化されない存在になりました。玉藻は地獄谷で己の庭に住むように暮らし、地獄谷に堕ちた他の妖怪を取り込んでおります。このままだといずれ、玉藻は地力で地獄谷から抜け出る力を蓄え、彼岸も現世にも大きな禍となるでしょうな」


「あとどれくらいでそうなるの?」


茨木は肩を竦めてみせる。


「場合によりますのでそれはわかりませぬ。長くて二千年、早ければ今日にでも出てくるでしょう」


あまりにも幅が広すぎて、弥生は反応に佐武郎困る。


ーーつまり、どういうことだろう。


悩んでいると茨木は更に言葉を足した。


「そのあたりは、如月様の呪いに関係しております」


「ーーあ」


思わず口から声が漏れた。


「そっかーー」


考えを口に出そうとすると、素早く金熊が弥生の口を抑えた。


「無礼は承知の上ですがご容赦を、口に出してはいけないっす」


「?」


困惑して茨木に目配せすると、説明をしてくれた。


「玉藻は常に鬼の里に耳を傾け、酒呑童子様を探しております。玉藻に見つかってしまえば、玉藻はすぐにでも弱った酒呑童子様を捕らえてしまいます。ですから、決して彼岸では酒呑童子様の現在について口にしてはいけないのです」


弥生が頷くと金熊はそっと弥生の口を解放した。


「現在って…」


生きているみたいだ、と言いかけて口をつぐむ。

そんな弥生を見て茨木は少し笑んだ。


「もう答えはほとんど見えているでしょうな。しかし、一つ、さらに大切なことがありまする」


「…なんですか?」


「ご本人は過去のほとんどを忘れています。辛うじて覚えているのは、ご自身の立場と関係性程度です」


「え…」


弥生は思わず言葉に詰まった。

茨木は続ける。


「記憶が戻ってしまえば、玉藻の誘い従って地獄谷に行ってしまう。だから記憶の蓋を閉じているのです。しかし何が切っ掛けで記憶が戻るかも判りませぬ。だからご本人に過去の記憶に関する切っ掛けを与えてはいけないのです」


だから茨木はあれほど焦っていたのか、と弥生は納得する。



ーー記憶がないの…?


記憶がないまま、如月は独りで何百年と時を過ごした。


そう思うとより一層、如月が不憫に思えた。



ーー如月を助けたい。


その思いは弥生の心の底にすとんと落ちてきた。


ならばどうしたら如月を助けることができるだろうか?


如月が玉藻の誘いに導かれてしまうのは、如月が弱っているからだ。


如月が弱っている原因は、角を玉藻に奪われたから。


玉藻が地獄谷で浄化されないのは、如月の角を取り込んで強くなっていることが原因だ。



「ーー全ては、玉藻から角を取り返せば解決する?」


鬼達が一瞬笑んで、しかしすぐに元の顔に戻った。


弥生はふと彼女のことを思い出した。

鬼達に愛でられていた彼女。


「角を取り返しても、取り込まれたあの女の子は戻らない…?」


熊が重々しく頷いた。


「玉藻が浄化されるまでの数百年は、玉藻に取り込まれたまま、転生もできませんね…」


「地獄谷以外で浄化する方法はないの?」


「幾つか方法はございます。しかし、どれも私ども妖怪には遣うことが叶いません」


「例えば?」


「破魔の矢があります。破魔の弓を用いて霊力の高い弥生様が射れば、玉藻すら浄化できるはずです」


「破魔の矢…」


咄嗟に女子中学生が半妖の少年と旅をする漫画が思い浮かんだが、慌てて記憶の片隅に追いやる。


熊に続けて、茨木が口を開く。


「しかしそれだと一つ問題があります」


「問題?」


弥生は首を傾げる。

玉藻を浄化できるのに、何が問題のだろう?


「そのままだと角まで浄化されるのです。全てを円満に解決するためには、玉藻から角を取り返した後、破魔の矢にて射る必要があるのです」


なるほど、と弥生は頷く。


「なら角を取り返すためにはどうしたらいい? もぎ取る?」


熊がコクりと頷く。


「そうですね、もぎ取ると言った方がいいでしょう。完全に力を取り戻すためには、角の部分を寸分残らず玉藻の頭から取り除く必要があるのです」



ふと、当たり前に聞こえ続けていた玉藻の声が止んでいることに気がつく。


まるでこちらこ会話に耳を傍立てているかのような沈黙。


弥生は急に落ち着かない気持ちになる。



「…私達の今の会話って、玉藻に聴かれても問題ないの?」


心配そうな弥生の表情に茨木が苦笑いをする。


「案ずることはありませぬ。今の玉藻にそこまで考える頭はありませぬので」


「玉藻は酒呑童子様の力を取り込んだ影響で思考能力が著しく低下したのです」

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