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ヤイバガタマシィ  作者: 夜方宵
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ヤイバガタマシィ


 校舎は朝礼時と同じようにスタンドへと変形していた。


 全校生徒は各自が席に着き、そしてグラウンドを見下ろす。


 朝礼時であればホログラム投影機が設置してあるはずのグラウンド中央には、今は違った装置が設置してあった。


 一般の学校で使用される朝礼台を数十倍の大きさにした懲罰台、そしてその上には左右に柱を持つ絞首台が乗せられていた。


 だがそこに首を吊られた生徒の姿はない。


 あったのは、台から吊るされた縄に両手を縛られた千氷火ヶ吏の姿だった。


 公開懲罰が開始されてから数十分が経過していた。


 既に全身傷だらけの彼女に縄を千切る力はなく、ヤイバを具現化する気力も残ってはおらず、尻を突き出す姿勢で無様にぶら下がる。


 そんな彼女のだらしなさに憤りをぶつけるように、仁王川が加減なく鞭を振るった。


「あああううううっ!!」


 火ヶ吏が悲鳴を上げ、そしてまたがくりと顔を落とす。


 その制服は体育館での戦闘を終えたとき以上にズタボロだった。ほとんど衣服としての機能を失っており、火ヶ吏の真っ白な地肌はその大部分が衆目に曝け出されてしまっていた。そしてその肌の至る箇所で真っ赤に膨れる蚯蚓腫れの数が、これまでに彼女がどれほど多くの鞭を受けたのか物語っていた。


「どうだ、千氷火ヶ吏。この鞭打ち一つ一つがお前の罪であり、お前への罰だ」


「はぁー……はぁー……」


 顎の先から血と汗の混じった液体を滴らせる火ヶ吏の様子を、顔に喜色を浮かべたミガカが特設の観覧席から見下ろす。


「まさかこのような催しを考えつくなんて。仁王川も案外、底意地の悪い男ですね」


 しかし台詞の内容とは逆に、ミガカの声色に仁王川を責める意思は露ほども感じられはしなかった。


 ミガカの眼下、再び繰り返される鞭打ちと、


「ううううううんぐっ!!」


 その度に学園内に響く火ヶ吏の喘ぎ声。


 幾度目かに鞭がしなった後、仁王川の手が一旦止まる。


 もう蚯蚓腫れを重ねた火ヶ吏の皮膚は裂け、出血を生じていた。


「己の過ちを悔いるか? 無知を恨むか? そうでなくては、お前への制裁に終わりは見えんぞ」


 仁王川の台詞が、もう他人の声を聞く余裕などない火ヶ吏の耳に、それでも無遠慮に入り込んでくる。


「はぁー……はぁー……はぁー……」


 責め抜かれた火ヶ吏の身体はもう大人しく息を吸うことも吐くこともできない。


 加えて朦朧とする意識の中。


「私、は……間違っ、て、いた、のか」


 塞がらぬ彼女の口から声が漏れる。


「わた、し、は無知……だっ、たのか」


 守るべき者たちのために戦っていたはずの自分が、実は誰よりも生徒たちに疎まれては恨みを買っていたというのか。それを知らずに私は、誰にも望まれぬ戦いを続けていたというのか。


 火ヶ吏の言葉を否定してくれる生徒はいなかった。


 誰もが皆、ただ黙して彼女を見下ろしていた。


「そうだ」


 仁王川が肯定する。


「お前は自らの正義を盲信していたに過ぎない。それが、その正義こそが一般生徒を苦しめていたことに気づこうともせず、お前はただ徒に、そして我儘に、戯言をほざきながら剣を振り回していただけなのだ」


「だ、が……私、は」


 それでも足掻こうとする火ヶ吏を。


 心ごと踏み躙ろうと仁王川は言葉を振るう。


「まだ理解出来んのか。お前の存在を受け入れる者など一人として存在せんのだよ。お前が傷つく様を見て、一体誰が助けに来た? 一体誰が止めろと声を上げた? 誰もおらぬ。それこそが唯一の答えにして現実。学園生徒の総意なのだ」


 唇を噛み締める火ヶ吏に再び鞭の雨が降り注ぐ。


「さあ、鳴き! 叫び! そして喘げ! お前が声を上げる度に、顔を歪める度に、見下ろす生徒達はそれを戒めとして己を律し、学園への忠誠、延いてはミガカ様への服従を誓うであろう。だから傷つき、血を流し、嘆くのだ。それこそが、最後にお前が出来る唯一の償いなのだからな!」


 仁王川が言葉を終えるまでに、一体何十回、鞭が火ヶ吏の身体を叩いては彼女の柔肌に傷を増やしただろうか。


 その間中、火ヶ吏は断末魔の叫びにも似た悲鳴を上げ続け、最後に喉を裂くほど叫喚して沈黙した。


 火ヶ吏からは荒い呼吸音しか零れない。


 意識が飛んだのか。


 仁王川がそう考えたときだった。


「……はは」


 火ヶ吏は、笑った。


「はは、ははは、あはははははは」


 壊れた人形のように笑って。


 けれども、ほどなくして火ヶ吏の頬を伝ったのは無色透明な一筋だった。


 唇を噛み締めるが、もうそれを止めることは彼女にはできなかった。


「はは、は………ううっ」


 溢れ出す感情の波を、壊れた心では堰き止められない。


 火ヶ吏の双眸から、涙が、とどまることを知らずに溢れては零れていく。


 そして、遂に。



「――うわあああああああああああああああああああああっ!!」



 火ヶ吏は声を上げて泣いた。


 それは彼女の中で必死に耐えていた最後の意地が瓦解していく音だった。


「ふん、遂に折れたか」


「あらあら、とうとう壊れてしまいましたか」


 無表情に見下す仁王川と、愉しげに口許を緩めるミガカ。


 二人の前で、いや、それを含めた全ての生徒の前で火ヶ吏は泣く。


 もうそこに自身の正しさを信じる彼女はおらず。


 もう彼女の中に、意志も覚悟も強さも存在しなかった。


 存在するのは、ずたずたに心を裂かれて泣く、独り(・・)の少女の姿。


「いかがでしたか、ミガカ様」


 と、仁王川がミガカを見上げる。


 ミガカは満足げに頷いた。


「実に素晴らしい余興――いえ、見事な粛清でした、仁王川。これでまたこの学園はより清浄とすることでしょう」


 無言で頭を下げる仁王川を一瞥して、ミガカは火ヶ吏を見やる。


 火ヶ吏は号泣し、啼泣し続ける。希望を失くした顔で泣き喚く。


 彼女の慟哭が、ミガカの表情を喜悦に染める。


 それは紛れもなく華画ミガカの勝利、そして千氷火ヶ吏の敗北を表していた。

 そうして。


 やがて独裁者の哄笑と、か弱い少女の嗚咽がグラウンド中に響き渡った――。



「――泣くなよ、火ヶ吏」



 ミガカのものでもなく、仁王川のものでもなく、そして校舎にあった生徒らの誰が発したものでもない声。


 その声の主は校門の前にあった。


 泣き腫らした火ヶ吏の顔が彼を見る。


「……君、は」


 驚嘆に染まる彼女の視線を受けて。言葉を受けて。


 にやり、と。



 ――雑木噺ミノルが不敵に笑んだ。



「雑木噺、ミノル……!」


 仁王川が呟き、眉間に皺を寄せる。


 けれどミノルは気にかけない。気にかけず、グラウンドの土をのしのしと踏み、火ヶ吏のもとへと歩んでくる。


「ったく、コーヒーに一服盛るとは恐れ入ったよ。流石のお前も薬には手を出さないとばかり思っていたんだが、どうやら予想以上に破天荒な性格をした女らしいぜ、お前は」


 歩みながら、ミノルは言葉を続ける。


「ま、それはいいとしてだ。泣くなよ、火ヶ吏。お前が泣いたら、ミガカに怯える奴らの涙は誰が拭いてやるんだ」


 学園理事長が見下ろす中、そして仁王川轟鬼が鋭い眼光を向ける中、お構いなしにミノルは口を止めず、足を止めない。


 火ヶ吏はミノルを見つめ、失意に沈んだ表情のままに言葉を返す。


「……皆の涙を拭ってやる、資格、など、私には……なかっ、たのだ。だって……皆を苦しめ、て、いたのは、他でもない、私……だったの、だから」


 息も切れ切れに、血濡れの唇を動かして火ヶ吏は言う。


 だが、ミノルはそんな彼女の言葉を一蹴した。


「何言ってるんだよお前。ひょっとしてそこに突っ立ってる丸太野郎に何か吹き込まれでもしたか? ったく、いつもは俺の減らず口に負けず劣らず達者な言葉を吐き出すもんだが、肝心なところで言い返せずにどうすんだよ」


 そしてミノルは口角を上げる。


「お前がミガカ達に刃向かえばそれだけ弱い奴らが一層の恐怖と暴力に押し潰されちまう。だからお前のやっていることは間違っていた、ってか? いや違う。そんなもん、恐怖の大本をぶっ潰しちまえば何の問題もない。それに、それこそが一番正しいやり方だ」


「あら」「お前……!」


 各々に声を漏らすミガカと仁王川に八重歯を剥いて、けれどすぐにミノルは火ヶ吏へと視線を戻す。


 火ヶ吏は肩を震わせ、声を震わせる。


「私だって……そうしたい。そうした、いと……思ってい、た。けれど、できなか、ったのだ。私は、……負けた」


「そりゃそうさ。なんたってお前は冷静じゃなかったからな」


 ミノルの身体はだんだん懲罰台へと近づいていた。


「なあ火ヶ吏。昨日、屋上でお前は言ったよな。正義の味方は、ヒーローは孤独な存在なんだって、だから自分は孤独で構わないんだって。けど、そりゃまるで不正解なんだよ」


 ミノルは歩む。


「孤独なヒーローなんて、それこそ俺はアメコミくらいでしか見たことがないぜ。でも生憎とここはアメリカ合衆国なんかじゃない。日本だ。孤独な人間は、日本っつう世界の中じゃ正義のヒーローにはなれないのさ。だからお前は負けたんだ」


「じゃあ」と言って、ミノルは続ける。


「日本で正義のヒーローになるには何が必要なのか。簡単だ。――仲間との(・・・・・)だよ。日本の少年漫画じゃ『友情・努力・勝利』が合言葉だし、戦隊モノの特撮じゃ敵の怪物一人相手に五、六人で殴りかかる。おまけに、アニメに出てくる可愛い女の子たちですら大人数で悪役のキャラをぼっこぼこにしてるぜ。つまりはそれが条件だ。日本のヒーローには力を合わせる《仲間》って奴が必要不可欠なんだよ」


 ミノルの身体はもう、懲罰台の真下にあった。


 彼の話を聞くうちに、火ヶ吏は顔を上げ、じっと彼を見つめていた。


 もう一度、ミノルが笑う。


「ここまで話をしてやったのにまだそんな顔をするのかよ。こりゃ本格的にやられちまってるようだな」


 そして。


「それじゃとびきり分かりやすく言ってやる」


 ミノルは告げた。


「――今から俺が、お前の仲間になってやる。お前の代わりに、今から俺がそこに生えている大木を綺麗に斬り倒してやるって言ってるんだ」


「君が……仁王、川、を……!?」


 目を丸くする火ヶ吏から視線をそらし。


 そこでやっと、ミノルは仁王川を真っ直ぐに見据えた。


 ミノルの挑発的な笑みを払うように、仁王川は小さく鼻を鳴らす。


「何をしに現れたのかと思えば、実にくだらん冗談を言ったものだ」


 ぎろり、と仁王川の眼光がミノルに刺さる。


「お前にも忠告したはずだぞ、雑木噺。あまり我々の目に入るような真似をするなと。聞いてはいなかったのか」


「お前の方こそ聞いてなかったのかよ。言っただろう。お前の言葉を置いておくのは頭の片隅だからすぐに忘れちまうってな」


 仁王川の眉がわずかに動いたのを、ミノルは確かに認めた。


 小さく息を吸い。


「本気で私を相手にするつもりか。この女のために公開懲罰を妨害するつもりか。であれば一切の容赦無く、私はお前に対して制裁を下すぞ」


 仁王川はそう言う。


 だがしかし、ミノルは微塵も怖気づく素振りを見せない。


「やめ、ろ……ミノル……っ!」


 か細い声で訴える火ヶ吏を無視して、ミノルは。


「だからそう言ってるだろ。本当に教師やってんのかよお前。いくら体育とはいえ、言葉もろくに理解できない脳筋が人にものを教えているんじゃ溜息の一つもつかなきゃやってられない気分になるぜ」


 そしてわざとらしく息を吐いて、仁王川を挑発する。


「馬鹿者……っ!」


 火ヶ吏は焦りを抱かずにはいられなかった。


 何を考えているのだ、ミノルは。


 わざわざ仁王川を煽るような真似をして。


 しかも自分はヤイバを持たぬ一般人だというのに。


 骨の一本や二本では済まないぞ。


 大声を出せない自分を悔やむ火ヶ吏の眼前、今までずっと感情を表に出さなかった仁王川が、ぎり、と歯を噛んだ。


「いいだろう、雑木噺。特待上級生であるこの私をそこまで愚弄するのならば、それなりの覚悟はあるのだろうな」


 稲妻が消魂しい音を鳴らして剣を形作る。


 瞬きを一つ、二つこなす間に、その太い腕には轟剣・金剛丸鬼綱が握られていた。


「容赦はせんぞ。血反吐を吐くまで叩きのめし、お前もすぐに懲罰台に縛り付けてくれる」


 その長大なヤイバを目の前にしても、ミノルは。


 やはり、ふてぶてしく笑んでみせた。


「御託はいいからさっさとかかってこいよ。それとも怯んで身体が進まねえのか」


「口だけはよく動く男だ」


 懲罰台の上にあった仁王川の姿が、消えた。


 一瞬後には、ミノルの頭上で岩の塊が振りかぶられる。


「だが言葉に実力が伴わぬのであればただの愚か者。そして正にお前はそれそのものだ。ミガカ様の右腕たるこの私をお前が倒すだと? ヤイバを持たぬ一般人風情に一体何が出来る。何が出来ると言うのだッ!!」


 空気ごと押し潰すかのように、轟剣・金剛丸鬼綱が轟音を伴ってミノルの脳天に振り下ろされる。


 当たれば重傷を負うのは避けられないというのに、ミノルは身じろぎ一つしない。


 仁王川の動きが見えていないのか。


「ミノ、ル――――っ!!」


 火ヶ吏の懸命な叫び声が響く中。


 ミノルの双眸は、しかし確かに仁王川を捉えていた。


 そして口端を歪め、


「ったく、根本から話が違ってんだよ――」


 ミノルは言い放った。



「――俺がいつ、ヤイバそのものを持っていないなんて言った」



 刹那、仁王川に振るわれていた大剣が何かに弾かれたように軌道を変えた。


「な、なんだと――――ッ!?」


「弾き、斬り上げ、そして叩き込む」


 ミノルの言葉に操られるようにして、いや、見えない剣に叩かれるようにして仁王川のヤイバは動き、それに伴って仁王川の身体が宙で踊る。


 そして終いには、凄まじい衝撃と共に仁王川は数メートル先の地面に叩きつけられた。


 巻き上がる砂埃に乗じて、ミノルは懲罰台に飛び乗ると火ヶ吏のもとに歩み寄る。


 そして「こっ酷くやられたもんだな」と苦笑すると、


「その縄、斬ってやるよ」


 その途端に火ヶ吏の両腕を縛っていた縄は勝手に千切れ、彼女の身体は自由を取り戻す。


 唐突のことだったし、散々傷めつけられた後で自身を支えることができなかった火ヶ吏を、ミノルは滑らかに抱き上げた。


 怪我と疲労のために憔悴した表情を見せる火ヶ吏だったが、それでも驚いた顔をしてミノルを見上げる。


「君は……一般人では、なかったのか」


「だから何度も言おうとしてただろ」


「しかし君のヤイバは一体どこに」


 火ヶ吏の言葉を遮るように、薄くなってきた砂埃の先で、ずしん、と重い音が鳴る。


 ぶんっ、と岩塊が振るわれ、煙が一瞬にして霧散する。


 その先に佇む仁王川は、信じられないような顔をしてミノルを睨み上げていた。


「雑木噺、お前は今一体何をしたのだ……! 奇妙な技か、それともヤイバか。ヤイバだとして、それは一体どこにあるというのだ……ッ!」


「ここにあるさ」


「なに?」


 怪訝な表情をする仁王川に笑みを投げるミノル。


「だから俺のヤイバは今もここにあるって言ってるんだよ。お前は言ったよな、仁王川。この俺を口だけはよく動く人間だと。その通りだよ。俺は、口だけは他人に負けやしない。理屈だって屁理屈だって幾らでも並べられるから、俺は勝つと決めた舌戦において敗北の二文字を知らない。好きなんだよ、言葉ってやつが。言葉は俺の武器、俺の剣なのさ。そして同時に俺の魂だ。それが俺という人間だ。もう分かるだろう、仁王川。俺の言いたいことが一体何なのか」


 ミノルの言う通り、仁王川は彼の言わんとすることを理解していた。


 だがそれ故に、仁王川はその表情をより驚愕に染めていた。


 額から鼻の脇にかけて一筋の汗を流し、仁王川はその低い声音を震わす。


「お前のヤイバは、まさか――」


 ミノルは揚々として顎を引いた。



「――俺のヤイバの名は《無形言ノ(むけいことのは)》。すなわちこれに形は無く、言葉こそが俺の刃だ」



「……無形、言ノ刃」


 言葉の響きに魅せられる火ヶ吏に対して、


「無形言ノ刃……! 言葉そのものが剣となるヤイバだと……!?」


 と、仁王川は苦々しい表情を浮かべて奥歯を噛む。


「であれば雑木噺、お前は自身の剣が実体のない種類のヤイバ、《型無類(かたなしのたぐい)》であるとそう言うのか……!」


「ああ、そうだ」


「馬鹿な! 有り得ん! お前のような人間が《型無類》など、ミガカ様と同じ種類のヤイバを持つことなど許されてなるものか!」


 怒鳴り、仁王川は轟剣・金剛丸鬼綱をミノルに突きつける。


「……ハッタリだ。ハッタリに決まっている。いくら口が上手かろうともそれだけでこの世に十も無いとされる《型無類》を己のヤイバに持つことなどあるはずがなかろう!」


「んなこと言われても本当のことなんだから仕方がない。世界に十とないくらいの才能の一つが、たまたま俺にあったってだけさ」


 腕の中に火ヶ吏を抱え、飄々と佇むミノルの望む仁王川の顔つきが見る見るうちに険しくなる。火ヶ吏と相対していたときとは違って、仁王川はまるで冷静ではいられなくなっていた。


「違う。断じて違う。ミガカ様と同じく稀有な才能をお前が持つだと。それこそがハッタリ。そうだ、それを今から私が――」


 仁王川のこめかみに血管が浮き出て、制服を破らんばかりに筋肉が膨れ上がる。


 そして地割れが起こるほどに土を蹴って、仁王川はミノルへと飛びかかった。


「――お前の言葉が虚言だということを、今から私が証明してやるッ!!」


 ミノルはまた動かない。


 火ヶ吏の身体を抱いたまま。


「ミノル、このままでは両腕が塞がって――」


「問題ない」


 そう火ヶ吏の言葉を蹴って、仁王川を見据えた。


「注ぎ裂け――《降り頻る剣雨(さみだれ)》」


 刹那、空気の裂ける音が幾多にわたって巻き起こると仁王川の全身に数十、数百の裂傷が生じる。それはまるで剣の雨が彼に降り注いだようだった。


「ぬ、ぐ、ぐおおおおおおおおッ!!」


 目に映らぬ斬撃に呻きながら、仁王川の巨体が再び土に塗れる。


「なんて、強さ」


 火ヶ吏の唇からは、無意識のうちにそんな言葉が零れていた。


 彼女の双眸に映る口達者な男は、どこまでもふてぶてしく笑っていた。


「どうした仁王川。自分の言葉には責任を持てよ。このまま特待上級生でしかも教師役を任されるお前が俺に手も足も出ないままやられてみろ。俺の言葉が真実だったと証明しちまうことになるぜ」


「おのれ小僧……ッ!」


 特待上級生であり、しかも六年生であり、そして何よりミガカから体育科教師の役目を任じられた立場にある自身が名もなき転校生ごときにここまで虚仮にされる。これほど仁王川轟鬼という男にとって屈辱的なことはなかった。


 だから負けられない。いくら無様な格好を晒そうとも、負けることだけは決して許されない。


 ミノルに対する怒りは敵意へと変わり、それ以上の感情へと変貌を遂げつつあった。


「私は負けん……ッ! 己の誇りを汚さぬため! ミガカ様の誇りを汚さぬため! 私は必ずお前を粛清してみせるッ!!」


 そう言い放ち、仁王川は身を震わせて唸る。


「うおおおおおおおおおおお…………ッ!!」


 するとなんと、仁王川の身体が一回りも二回りも巨大になったのだ。


 筋肉が膨張したなんていうレベルではない。


 それはもう、変身と呼ぶに相応しい変化だった。


「おいおい。不利な状況からの巨大化って、それこそ一体どこの戦隊モノに出てくる怪物だってんだよ」とミノルは笑う。


「それと、ついでに良いことを教えておいてやるけどよ。無暗やたらとでかくなるってのは、それだけでいわゆる負けフラグが立っちまうもんなんだぜ」


 ミノルの悪態に、巨大化した仁王川は笑みを返す。


「私の場合には当て嵌まらん。これはスキル《心身鋼化》を最大限に発揮した姿。通常のスキル発動状態が身体能力を約三倍まで引き上げるのに対し、この姿ではそれが約十倍となる……ッ!!」


「それで? そこまで身体を丸々と太らせてどうしようってんだ」


「決まっている」


 躊躇いなく答え、仁王川は轟剣・金剛丸鬼綱を構える。


 巨大な岩塊だというのに、仁王川の身体が膨れ上がったためにその剣はまるで小太刀のように見えた。


「言葉を発せばそれが刃となるのならば――」


 ミノルに注いでいた日の光を至大な肉の壁が遮断した。


「――口が動くより早くお前を倒すだけだ!!」


 圧倒的質量の塊が、ミノルと火ヶ吏を一緒に挽肉へと変える――。


 ――――――。


「だからお前は脳筋だって言うんだよ」


「な、なに……ィ……ッ!?」


 力の限り押し潰そうと力み、けれど叶わず、小刻みに震える仁王川の腕の下。

「簡単な算数だぜ。10×10と1000×1はどっちが大きな数字だ? つまりは、そういうことさ」


 火ヶ吏のその腕に抱えたまま、ミノルは片足で仁王川のヤイバを受け止めていた。


「薙ぎ飛ばせ――《天地転動の大剣(そらがえし)》」


 実体を持たぬ大剣が仁王川のそれを易々と弾き上げる。そして続く二撃目が今度は仁王川の巨体を打ち沈めた。


 仁王川は懲罰台との熱い接吻を果たし、そのまま台本体を自身の質量をもって破壊して地に落ちていく。


 華麗に宙を舞い、着地したミノルの前には既に瓦礫と化した懲罰台の残骸。


 しばらくして、瓦礫の山に埋もれていた巨人が煤けた姿で立ち上がる。


 ヤイバを幾度となく叩き込まれた仁王川の表情は、いくら人外じみた肉体をしていようと隠しきれないダメージの蓄積があることを伺わせた。


「残念だったな、見せ筋野郎」と、ミノルが白い歯を剥く。


 仁王川はヤイバを地面に突き立て、肩を上下させるだけで答えない。


「聞こえない振りをするなよ」


 ぐんっ! と仁王川の顎が弾かれて、顔が上げられる。


「そんなことをしたって無駄だぜ。無形言ノ刃の持つ固有スキルは《強制対話(ワンサイド・トーク)》。相手が俺の言葉を正しく聞き取る必要はないし、正しく理解する必要もない。すなわち、俺の発した音を認識した時点で攻撃を回避する術はないのさ」


「く……ッ!」


 仁王川は忌々しげに表情を歪め、ミノルを睨みつける。


 睨み続け、そして憎々しげに歯を噛みながら、しかし仁王川は言った。


「……何故だ」


「なにがだよ」


「実体無き無双のヤイバ、そしてそれを扱いこなす技量と度量。認めねばなるまい。雑木噺ミノル、お前は強い。だがそれ故に疑問を抱かずにはおれん。何故お前は我々に刃を向ける。何故お前はミガカ様に抗う。何故お前はその女に与するのだ。弱者を虐げ、強者こそを至上とするミガカ様のご思想は、それによって形作られたこの学園は、お前にとっては居心地の良い場所となるはずではないか。だというのに、何故お前はそれを己の手で破壊しようとするのだ」


 仁王川の言葉を聞き終えて。


「分かりきったことだ」


 と、ミノルは笑んだ。


「そっちの方が面白いからに決まっている」


「面白いから、だと……!」


「そうだ。前にも誰かに話したが、俺は退屈が嫌いだ。そして面白いことが好きだ。だから俺は常に、最も面白くなりそうな選択をする。プラスにもマイナスにも振れ幅の大きい選択をするのさ。それが今回はお前らの敵になることだった。それだけだ」


「馬鹿な、そんな理由で……ッ!」


「それによ。さっきも言った通り言葉の上手さに自信がある俺だが、そのせいか少々言葉の扱いにはうるさい性格をしていてな。だっつうのに、どうやっても俺の前で間違った言葉の使い方を続ける奴がいたのさ」


 そうしてミノルは腕に抱く少女に視線を落とす。


「お前だよ、火ヶ吏」


「私、が?」


「ああそうだ。生徒会ってのは生徒の集団だって言ってるのに、ひたすら独りぼっちで生徒会長を名乗りやがってよ。むずむずして堪らないったらありゃしないんだよ」


 呆れた顔で文句を垂れて、しかしやがてミノルは口端を緩める。


「けれど強情なお前は生徒会長を名乗ることを止めない。だからこの不快な気持を収めるには、お前の国語力を一から鍛え直すよりもお前の言葉が正しい状況を創り出す方が手っ取り早いと思ったわけだ」


「それは、つまり――」


 ミノルは火ヶ吏の言葉を肯定しつつ、顔を上げて仁王川を見据えた。


「ああ。俺が役員として加入すりゃあ、それはもう立派な真・生徒『会』だぜ」


「ミノル……!」


 火ヶ吏は薄く目尻に涙を浮かべた。それは、さっきまでのものとは違ってとても温かい涙だった。


「分からん……ッ」


 仁王川が呻きに近い声を漏らした。


「私にはお前が全く分からん! お前のように巫山戯た人間が何故にそのような才能を持つのか! 或いはお前程に至高の才能を持った者が何故にそのように巫山戯た人間なのか! 私には微塵も理解出来んのだッ!!」


 憤怒に筋肉を膨張させて、大剣を握り締めて、仁王川は半ば狂乱に近い状態でミノルへと突貫する。


「雑木噺ミノル! 貴様は一体何者なのだアアアアアッ!!」


 面倒くさそうに一つ息を吐いて、


「だから今言っただろ」


 ミノルは実にはっきりと告げる。


「刃ヶ剣山学園、真・生徒会副会長、雑木噺ミノル。それが俺の肩書きだ!」


 同時にミノルが発した言葉が剣となって仁王川を押し返す。


「ぐうううううううううううううううッ!!」


 そして仁王川は再び瓦礫の山へと放り込まれた。


 砂埃が舞う空間の中、ミノルに抱かれていた火ヶ吏が口を開く。


「ありがとう、ミノル」


 火ヶ吏の微笑みを受けて、ミノルも大胆に笑む。


「どうだ火ヶ吏、仲間がいると心強いだろう。何があったって負ける気がしないだろう。自分の正義を貫ける気分になってくるだろう」


「ああ」


「だったらまだ礼を言うには早いぜ」


「おっと」と、唐突に腕から下ろされた火ヶ吏はよろけながらも自ら地に立つ。

 顔を上げる火ヶ吏。


その目を見つめながら、ミノルは言った。


「俺はお前の協力者であってお前のヒーローじゃない。俺は副会長であって生徒会長じゃない。ヒーローはお前だ。生徒会長は紛れもなくお前だ。だったらお前がするべきことはお前がしろ。お前自身の正義のために、今のお前自身ができること、あるだろ?」


 ミノルの言葉を受けて。


 ミノルの笑みを受けて。


 千氷火ヶ吏は、力強く笑った。


「ああ。私の喧嘩は私が終わらせる。私の敵は私が倒す。これは私の――真・生徒会会長千氷火ヶ吏の役目だ」


 もう彼女の瞳に涙はなく。


 そこにあるのは、意地と、誇りと、覚悟と、そして確固たる意志だった。


 懲罰台の残骸へと火ヶ吏が顔を向けると、ちょうど砂埃が晴れ、仁王川が立ち上がるところであった。


 眼前に立つのがミノルでなく火ヶ吏だということに気がつく仁王川。


「なんだ千氷火ヶ吏。お前が私の相手をすると言うのか」


「ああそうだ。貴様にトドメを刺すのは、この私だ」


 仁王川は厭らしく笑った。


「大して《心身鋼化》の能力を発動させていない状態の私にも傷一つつけられなかったお前が今の私に敵うとでも思うのか。更に言えば、既にお前の肉体は満身創痍に近い状態ではないか。そのような身体で私に傷をつけるなどと、ましてや倒すなどと本気で言っているのか」


「当然だ。私は、必ず貴様を倒す」


 火ヶ吏の眼差しを睨み返して、仁王川は哄笑する。


「いいだろう。ならば次の一撃で公開懲罰は終了だ。今度こそ我がヤイバを以てお前を心身共に粉微塵へと変えてくれるッ!」


 仁王川が気合いを込めると、隆々とした巨体がさらに膨れ上がり、逞しさを増していく。


 対する火ヶ吏は剣姫白鳳を具現化し、腰を低くそれを構える。


 訪れたのは、刹那的な静寂。


 互いが、疲弊した肉体に残る全ての力を自らのヤイバに託していた。


 あと一度の剣戟が始まるそのときを、誰もが固唾を呑んで見守る。


 やがて、両者の視線が交わり合った。


「いくぞ千氷火ヶ吏!! 我がヤイバ全身全霊の一撃によって無様に果てるがいいッ!!!」


 瞬間、仁王川の身体が、まるで瞬間移動でもしたかのように火ヶ吏へと肉薄する。


 それを真っ直ぐに見据え、火ヶ吏は叫ぶ。


「スキル――《不染の領域》!!」


 須臾を待たずして、外敵の侵入を一切許容しない絶対不可侵の領域が展開される。


 だが仁王川は嘲笑した。


「愚か者が! そのスキルが既に私に敗れたことを忘れたかッ!!」



 そしてそのまま仁王川の身体は進撃を続けて。



 そして、止まった。



「――な、なにいッ!!」


 体育館での戦闘時と比して軽く二、三倍には巨大化しているであろう仁王川の体躯を、疾風の鉄壁はぴたりと堰き止めていた。


 どれだけ力を振り絞っても。


 どれだけ歯を食い縛っても。


 仁王川の身体は、一歩たりとも前には進まない。


「何故だッ! 何故進めんのだッ!?」


 仁王川が吠える。


「何故に私のスキルがお前のそれに負けるのだッ!!」


 目の前の事実を否定しようと声を荒げる巨体を。


 一つ芯の通った声が射る。


「信じているからだ!」


 火ヶ吏の双眸に宿る意志は炎のように燃えていた。


「自分を信じているからだよ、仁王川。貴様は言ったな。私のヤイバ――心は、孤立しているが故に脆い存在だと。だが今の私は独りじゃない。今の私にはミノルという仲間がいて、だからこそ私は自分の正義を信じ抜ける。自分の心を信じ抜ける。そうであるからこそ、私の剣はもう折れることなく、私の心が闇色に染まることはないのだ!」


 気高き純白の剣、その白銀の刀身に風が収束してゆき、やがては全てを斬り裂く旋風となって巻きつく。


 剣握る腕に力を込めて、火ヶ吏は言う。


「聞けよ仁王川。私は貴様たちに抗うことを止めない。全ての敵を打倒し、必ず在りし日の学園を取り戻してみせる。そうすることでか弱き者たちを救ってみせる。これが私の覚悟であり決意だ。そして、それこそが――」

 

 振り抜かれる火ヶ吏の《ヤイバ(心)》。



「――刃ヶ剣山学園、真・生徒会会長、千氷火ヶ吏という人間の魂だ!!!」



 澄み渡る彼女の声音を伴って、白鳳を模った嵐風の刃が空を疾駆する。


 それは揺るぎなく真っ直ぐに仁王川を目指し、瞬く間に飲み込んだ。


 憤りに、そして悔しさに仁王川の顔が歪む。


「ぐ、ぬ、お、おおお……ッ!! このつ、強さ……ッ!! おの、れ……ッ!! ミガカ様の近衛兵たるこの私が……まさか……ッ……まさかこのような、小娘に……ッ!!」


 しかし、それも疾風の中に消える。



「小娘にいいいいいいいいいいいイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」



 そのまま身体を宙に巻き上げられた仁王川が吹き飛んでいったのは、一部始終を悠々と眺めていたミガカの座る観覧席だった。


 ――バシイイイイイイインッ!!


 丸々とした仁王川の巨体が観覧席のど真ん中、ミガカの座していたその場所へと突っ込み、壁やら天井を滅茶苦茶に破壊する。


 気を失った仁王川の身体が縮小していき、元の高身長な青年に戻る。


 そうして現れた光景にあったのは、いまだ絢爛とした椅子に腰を落ち着けたままに片腕で仁王川を受け止める華画ミガカの姿だった。


 身震いするほどに冷たい金眼がグラウンドに立つ二人を見下ろす。


 左右両脇に控えていた特待上級生ら、仁王川以外の教師役を任された者たちが身を乗り出そうとしたのを、


「止めなさい」


 その一言でミガカは制する。


 仁王川を足元に投げ捨てて、ミガカは愉快げに笑みをたたえた。


「まさか仁王川を倒すとは驚きました。淘汰すべき学園の屑かと思っていましたが、案外そうでもなかったようですね」


 ぬるり、とミガカの瞳が動き、ミノルを映す。


「特に雑木噺ミノル君。あなたのヤイバ、《無形言ノ刃》には忘れて久しかった好奇心を呼び覚まされて心が躍りました」


「そりゃどうも」


「《型無類》、ですか。私以外にそれを持つ人間を見たのは、実は初めてなんです」


 ミガカの金眼が鋭くなる。


 実に冷ややかな眼差し、実に冷ややかな笑みを模って、ミガカは言った。


「一つ質問をさせて頂きたいのですが、雑木噺ミノル君。あなたは――一体どこからこの学園へ転校していらっしゃったのですか?」


 一拍を置いて。


「――あなたは、一体何者なのですか」


 ミガカの声音は一見して優しげだったが、答えを言えと強制するような威圧感が確かにあった。


 けれどミノルは動じない。ミノルに言葉での脅しは通用しない。


 ただ挑発的には笑って、ミノルは。


「さあどうだかな。つうかふざけんなよ。質問が二つになってんぞ」


 そう言って、ミガカの問いを撥ね退けた。


 しばらく無言でミノルを見つめて。


「これはこれは。申し訳ありません」


 とミガカは今度こそ優しいだけの表情を浮かべる。


「そうですね。こんなに距離を置いてお話しをしても実のある会話はできませんよね。いつかあなたとは、もっと近い距離で、もっとゆっくりとお話しをさせて頂きたいものです」


 そんなミガカの言葉に答えるようにして、火ヶ吏は、


「すぐに近くで話ができるさ」と言った。


「すぐに私たちは、貴様のもとへ辿り着くのだから」


 そしてつけ加える。


「ただし、そのとき貴様にゆったりと会話を楽しむ余裕があるとは限らないがな」


 火ヶ吏の憎まれ口に対し、ミガカの唇が愉快げに歪んだ。


「それは実に愉しみなことです」


 そして席を立つと、くるりと身を翻して火ヶ吏たちに背を向ける。


「いいでしょう。仁王川は貴女方に敗北しました。よって本日全ての無礼を不問と致します。明日からも貴女方は、我が学園の生徒として切磋琢磨に励む学生生活を送るよう努めてください」


 加えて最後にもう一度笑んで、


「こうして目を瞑って差し上げたのです。貴女方が単に薄汚れた豚ではないことを願うと共に、再び相見えることができるよう祈っておりますよ。それでは失礼致します、真・生徒会会長に、副会長さん」


 ミガカは観覧席の奥へと消えていった。


 その後もじっと押し黙り、誰もいなくなった観覧席を見つめ、火ヶ吏は拳を握る。


「……次こそは、必ず」


 その様子をしばらく見守りながらも。


 やがてミノルはふっと息を吐いた。


「まあなんだかんだとありはしたけどさ、火ヶ吏」


 振り返った火ヶ吏に、ミノルは微笑む。


「今回はこれで一件落着。それでいいんじゃないか」


 その綺麗な瞳にミノルの姿を映し、ほどなくして火ヶ吏は頷く。


「ああ、そうだな」


「それにさ。俺以外にだって、お前が無事でホッと胸を撫で下ろしている奴らはいるみたいだぜ」


 ミノルが指差すのは、一般生徒らのいる校舎。


 促されるままにぐるりと見渡してみれば、そこには安堵の溜息をつく生徒たちの姿が点々と見受けられた。


 そしてその中にあったのは、東條煽から救った彼女が目尻に涙を溜めて笑む光景。


 火ヶ吏は思う。


 ――そうか。私は初めから孤独ではなかった。


 ――そして私の正義は、決して独り善がりなどではなかったんだ。


 それに気づけたことが。そう心から思えたことが。


 火ヶ吏にとってはこの上ない喜びに違いなかった。


 燦々と降り注ぐ日の光を浴びる火ヶ吏の頬に、一筋の澄んだ滴が煌めいた。



「ああ、本当に。今日はこれで一件落着だ」


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