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ヤイバガタマシィ  作者: 夜方宵
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崩れ去る孤高

 

 刃ヶ剣山学園が誇る巨大体育館。


 その中に、二千人規模を誇る学園生徒のほぼ(・・)全員が整列をしていた。


 無駄な隙はなく、あるいはわずかなズレさえもなく、俯瞰して見れば学生らは碁盤に並べられた碁石のようにきっちりと置かれている。


 それはさながら一国の護り手として訓練された軍隊のようであった。


 黙々と直立をして、静粛に彼らが待ち続けるのはこの学園の理事長であり、支配者であり、独裁者である一人の女性。


 焦らすようにたっぷりと待たせて、彼女は壇上の袖から現れた。


 充分に張り詰めていたはずの空気が、さらなる緊張感に満たされる。


 ピンクブロンドの髪を揺らし、闇色に染まるゴスロリ衣装からは梔子のような香りを振り撒いて、小柄な彼女は悠々と壇上を歩く。


 やがてその中央、鮮やかな木目の入った演台の前に置かれた絢爛な椅子へと彼女は静かに腰を下ろした。


 そして、その黄金色の瞳をもって一同を見渡して。


 華画ミガカは、にこりと可愛らしく微笑んだ。


「これより私立刃ヶ剣山学園、全校集会を開会する。一同、礼ッ!!」


 仁王川の号令がかかり、整列していた生徒らの頭が一斉に下がる。


 それらがまた少しの狂いもなく上がったのを確認した仁王川が、


「先ずは我らが学園の理事長であられる華画ミガカ様よりご挨拶を頂戴する。生徒一同、心して聞くように」


 と、腹の底に響くほど重々とした声音を体育館の中に響かせる。


 ミガカの小さな手が演台に乗るマイクを掴み、胸元に寄せる。それは既に彼女の口許の高さにぴったり合うよう調整してあった。


 こん、と可愛らしい咳払いを一つして、ミガカは語り始める。


「皆さん、おはようございます。昨日の放送でお願いしました通り、皆さんきちんと身なりを整えて来てくださいましたね。そんな皆さんの素直さ、誠実さに、私は今、胸を打たれております。学園の指導を真摯に受け止め、学園の方針には実直に従う。そういった姿勢、または精神こそが学園生徒として在るべき姿。皆さん、くれぐれもお忘れなきよう、よろしくお願い致します」


 ことあるごとにミガカは生徒の在り方を説く。


 これは一種の洗脳だ。特待上級生の連中が鶏のように首を縦に振っているのは当然として、一般生徒の中にも表情を強張らせた者とは別に、感慨深そうに頷く生徒の姿があった。


 しかし慄きもせず、加えて首を振ることもせずにただ真っ直ぐにミガカを直視する学生の姿が一つばかりあった。


 言うまでもなく、火ヶ吏だった。


 やっとミガカの実物を肉眼に見据えることができた火ヶ吏は、昂る感情を必死に抑えて壇上を見つめる。


 まだだ、まだだと、そう言い聞かせて。


 火ヶ吏の視線に気づくことなく、ミガカは挨拶を続ける。


「さて。本日皆さんにお集まり頂いたのは他でもありません、昨日の放送でお伝えした通り先日行われました実力考査における成績優秀者の方々に私、学園理事長自らより表彰状をお渡しさせて頂きたいと考えたからです。ですからこの後、表彰に移ると思いますが、その際に名前を呼ばれた方は壇上に上がって演台の前に立たれるようお願い致します」


 火ヶ吏は人知れず拳を握る。


 よし、予想通りだ。思った通り、奴は自分の手で優秀者に対して表彰状を渡すつもりでいる。よって私の計画に狂いは生じない。


「加えて表彰をお受けになる方々にご連絡なのですが、全校生徒の前に立つせっかくの機会です、表彰状を受け取るのみにとどまらず、是非とも生徒の皆さんへの一言をお願いしたいと思っております」


 ミガカの口から放たれた予想外の言葉に、火ヶ吏は一瞬目を丸くする。


「優秀な成績を残すということには、必ず理由が存在するのだと私は思います。そしてそれは、きっと学業に限らず全ての事柄に繋がっている。私たちで言えば、そう、ヤイバという存在に繋がっていることでしょう。優秀な人間の言葉を他の皆さんが吸収すれば、それだけで個々人の人間性・精神は成長し、ヤイバという才能は高みへと昇る。そしてそれは、すなわちこの学園をより頂へと導くことに繋がるのだと私は信じています。ですから優秀者の皆さん、学園のためを思っての一言をどうかよろしくお願い致します」


 火ヶ吏の口端がわずかに上がる。


 予想外ではあったが、実に好都合だ。スピーチの時間を与えられれば、それだけミガカの隙を窺う時間を長く持てる。


 神が味方をしてくれていると、火ヶ吏はそう思った。


 ミガカの挨拶が終わると、仁王川の進行に従って一人目の生徒、一年生の優秀者が壇上へと上がる。


 畏怖か、あるいは恐怖かで緊張した面持ちの彼が表彰を受けてから一言を終えるまでのわずか数分の時間が、火ヶ吏にとってはまるで数日の間を直立しているかのように長く感じられた。それほどに待ち焦がれた瞬間が、火ヶ吏の目前には待っていた。


「続いて二年部優秀者、千氷火ヶ吏。壇上に上がれ」


 どくん、と火ヶ吏の鼓動が弾けた。


 身体が小刻みに震え、掌にじわりと汗が滲み出してくる。


 きた。遂にきたのだ、このときが。


 学園の現状を知り、怒りに打ち震え、いつか必ずあの独裁者から正しき学園を取り戻してみせると誓った日より、一年と余り。私の悲願は今日ここで成就する。


 力という名の恐怖に押し潰されて心病める者たちを、今日こそ私が救ってみせるのだ。


 火ヶ吏の胸中を、そんな感情が巡っていた。


 だが、まだだ。まだ顔を変えるな。火ヶ吏はそう心の中で呟く。


 一つ小さく息を吐いて、火ヶ吏は足を前に出した。


 列を出て、階段を上り、壇上に立つ。そこからまた数歩と歩みを進めれば、もうそこには大きな演台が現れた。


 そして、その向こうには。


 紛れもない、学園理事長の姿。華画ミガカの生身。打倒すべき敵の微笑みが、火ヶ吏を待ち構えていた。


 ミガカの金眼に自分の姿が映っているのを火ヶ吏は認めた。認めることができるほど、二人の距離は近かった。


 手に剣を握りたくなる。目一杯の敵意をぶつけてやりたくなる。けれど火ヶ吏は我慢した。我慢して、努めて平静な表情を模り続けた。


「表彰状、授与」


 仁王川の声が耳を過ぎると、ミガカが賞状を手に取る。


 表彰状の文面が読み上げられるが、そんなもの火ヶ吏にとってはどうでもよかった。ただひたすらに火ヶ吏は機会を狙っていた。


 文面の読み上げが終わる。


「おめでとうございます、千氷火ヶ吏さん」


 子供のように幼げで人形のように可愛らしい笑顔と一緒に、火ヶ吏の前へ表彰状が差し出される。


 それを火ヶ吏は恭しく受け取った。


「それでは千氷さん、全校生徒の皆さんに向けて一言お願い致します。各学年の優秀者の方々と比べても、あなたの成績は特に素晴らしいものでした。そんなあなたの言葉であれば、きっと皆さんにとって役立つものとなるはずですよ」


 火ヶ吏は内心で言う。


 学園理事長直々のお願いとあれば断るわけにもいくまい。


 ならば伝えさせてもらおう。私の、私自身の言葉を、彼らに。


 そしてくれてやろう。私の、私自身の決意を。貴様に、そして貴様らに。


「はい。それでは失礼します」


 澄ました表情のままに少しだけ唇を三日月型に模ってみせて、火ヶ吏はミガカに背を向けると全校生徒を見渡した。


「この度、学園理事長様より表彰を頂きました二年二組の千氷火ヶ吏です。本来私はこのような表彰を受けるべき立場にある人間ではなく、それ故に皆さんにお話しできるような言葉も持ち合わせてはいないのですが、せっかく理事長様より頂いた機会なのですから、自分なりに一生懸命言葉を紡いでみたいと思います」


 真面目な生徒らしく、従順な生徒らしく、けれど実にわざとらしく。


 火ヶ吏はスピーチを続ける。


「先ほど理事長様は『優秀な成績を残すということには、必ず理由が存在する』とおっしゃいましたが、私の場合、その理由は明確です。私には目的がありました。そしてその目的を達成するためには、どうしても今回の実力考査において成績優秀者となる必要があったのです。だからこそ私は努力しました。そして努力した結果、私はここに立つことができた。つまり、私が優秀な成績を収めることができた理由は『目的を持っていた』からに違いないと、自分では思っています」


 ふふ、と笑うミガカの声が火ヶ吏の背中には届いていた。


 火ヶ吏の言葉はまだ続く。


「これを踏まえた上で、私が今回皆さんに伝えられるのは『目的を持ち、そのために行動すること』ではないでしょうか。目的、それは言い換えるならば希望や願望といった言葉に変わるでしょう。例えば今の自分が置かれた状況に不満を抱き、もしくは不安を抱くことがあるかもしれません。あるいは悲しみ、苦しみ、憤りを感じ、ときには恐怖すらも抱くことがあるかもしれません。そのような状況の中で、変えたいという希望や願望を心に持つのです。そしてそれを目的とするのです。そして目的を達成するために行動を起こすのです。それこそが自分を変えてくれるのだと、それこそが自分を導いてくれるのだと、私はそう、思っています」


 そして火ヶ吏のスピーチは終わりを見る。


 体育館を満たす静寂。


 どれくらい経っただろうか。


 やがて一つ、また一つと拍手の音が聞こえてきたのは、火ヶ吏の背後からだった。


 華画ミガカが火ヶ吏へ拍手を送っていた。


 彼女を追うようにして数多の拍手が鳴り響く。


「素晴らしいお話でした、千氷さん。あなたの言葉、きっと皆さんの胸のうちに強く刻み込まれたことでしょうね」


 火ヶ吏は、ミガカの方を振り向かない。


 しかしミガカは、火ヶ吏の背中を眺めながらにこにこと声をかけ続ける。


「自身の置かれた状況に不満を抱いたとき、それを変えることを目的に定めて自身を導く。あなたのお話を聞いて私、昔の自分を思い出してつい頬を濡らしてしまうところでした。それにとっても説得力のあるお声でしたよ」


「それはよかった。実体験を元にお話をさせて頂いたので説得力を持たせることができたのかもしれません」


「なるほど、そうだったのですか。それならあの力強い言葉にも納得がいくというものです。御苦労をなされてこられたのですね、あなたも」


 眉を下げて、情を寄せるような表情をしてみせるミガカ。


 いまだミガカに背を向けたまま、火ヶ吏は自分以外に届かないほどの小声を漏らす。


「……いえ。でも、それも今日で終わりですから」


 それは、ミガカの耳には届かない。


 と、ミガカは一つ疑問を口にする。


「そういえば千氷さん。あなたはお話の中で、自分には目的があったとおっしゃっていましたが、それは一体何だったのですか」


 満ちる。満ちていく。


 ミガカ自らが、溢れそうな甕に水を注いでいく。


「目的、ですか。それはこうしてあなたと近くでお会いすることです」


「まあ、この私に?」


「ええ」


 満ちる。満ちる。満ちていく。


 あと一滴で、それはもう満ちてしまうというのに。


 華画ミガカは最後の一注ぎを甕に落とす。


「けれど、どうして私を間近にしたいなどと思われたのですか?」


 それはとうとう、満ち満ちて。


「それは勿論――」


 そして、遂に溢れた。



「――貴様をこの手で葬るためだ」



 吹き荒れる疾風と駆け抜ける閃光。


 刹那のときを経ずして、火ヶ吏の手に収まった純白の剣が輝きを放つ。


 そして振り向きざまに疾駆する銀の刀身が。


 会話に気を取られていたミガカの首を一気に刎ねた――。



「そんな、馬鹿な……っ!!」



 火ヶ吏の双眸が驚愕に揺らぐ。


 剣姫白鳳はミガカのヤイバに受け止められていた。


 そして、それは。



「剣姫白鳳、だと……っ!?」



 白銀の刃に、純白の羽を思わせる鍔、そして美しくしなる柄。


 火ヶ吏の持つそれと、剣姫白鳳と瓜二つの様相を呈していたのだ。


 銀の鋼と銀の鋼がぶつかり合っては火花を散らす。


 その向こう、ミガカの顔は笑っていた。


 実に楽しげに、そして実に愉しげに、白い八重歯を剥いていた。


「あらあら、これは一体どういうことでしょうか」


「……くっ!」


 ミガカとは対照的に火ヶ吏の顔が苦々しく歪む。


 だがしかし、一撃を防がれたばかりで諦めるわけにはいかない。


「固有スキル――《不染の領域》!!」


 瞬間、火ヶ吏の周囲に疾風の防壁が展開される。


 一切の外敵を拒み、排除する絶対の能力。


 いくらミガカとはいえ、その力には逆らえない。


 逆らえない、はずなのに。


「ふふ、涼しい風」


 いまだミガカの姿は火ヶ吏の目と鼻の先にあった。


 なんだ。何なんだ。


 一体何が起こっているというのだ。


 火ヶ吏には眼前の事象の一切が理解できなかった。


「千氷さんったら、額に汗をかいてしまっているじゃありませんか」


 余裕に満ちた表情で、微笑んで。


 ミガカは言った。


「でしたら私からも風を送って差し上げないと」


 ――――――――――ッ!!


 瞬刻の間にミガカの身体を旋風が囲み尽くす。


 それは火ヶ吏の用いるそれより遥かに広大で、しかし本質的には同じ能力。


 紛れもなく《不染の領域》を、華画ミガカが展開した。


「うぐうううああああああっ!!」


 その領域の広さは異常だった。いや、領域などではない。それはもう、相手がミガカと同じ空間に存在することを許さないのと同義であった。


 壇上から向かいの壁まで、五十メートルはあろうかという距離を、火ヶ吏の身体はドミノのように並んでいた生徒の列を押し倒しながら弾き飛ばされ、最終的に背中を打ちつけ床に落ちる。


「あら、ごめんなさい。加減を少々間違えてしまいました」


 ミガカの声音は喜々としていた。


 横隔膜が麻痺して思うように呼吸ができないのを必死にこらえて、火ヶ吏は遥か遠くになってしまったミガカを睨みつける。


「かふっ、かはっ、貴様……それは一体」


「これですか? 勿論、私のヤイバに決まっているじゃありませんか」


 そう言ってミガカは純白の剣を掲げた。


「――《虚無(うつなし)》。それが私のヤイバの名前です」


「虚、無……!」


 やはり名は違う。


 しかしあれは、一部の狂いもなく剣姫白鳳そのものだ。加えて、固有スキルまでが火ヶ吏の持つそれと同一だった。


 違うとすれば、剣姫白鳳よりも虚無の発動した《不染の領域》の方が強力であったという点のみ。


 剣姫白鳳と同じ物なのか、違うものなのか。どっちにしろ、火ヶ吏にとって喜ぶべき代物でないことは確かだった。


 困惑し、混乱する火ヶ吏の様子を嬉しそうに眺めて、ミガカ再び口を開こうとする。


 だが、しかし。


「ミガカ様。どうかもうヤイバをお納め下さい」


 暗く低い声音がそれをとどめた。


 モーゼが割った海のように左右に分かれた生徒たちの中、そして壁にもたれてへたり込む火ヶ吏の正面に佇むのは、隆々とした肉体を持つ巨大な男。


 仁王川轟鬼がミガカを見上げ、立っていた。


「この程度の人間に、ミガカ様自らが虚無を振るわれるに足る価値など微塵もございません。ですから、この場はどうかこの仁王川にお任せを」


「あなたが彼女に制裁を与えると言うのですか」


「はい」


 大木のごとき大柄の人間が、苗木のごとく小柄な少女に対して頭を下げて言葉を待つ。


 やがて小柄の少女、学園理事長は笑んだ。


「いいでしょう。千氷火ヶ吏の処分は仁王川、あなたに任せます。学園理事長に刃を向けた罪の重さをしっかりと理解させてあげてください」


「御意に」


 ミガカがヤイバの具現化を解き、再び椅子に腰かけたのを見届けて、仁王川はその冷徹な眼差しを火ヶ吏に向ける。


 火ヶ吏には、自分の目の前に壁ができたかのように思われた。


「立て、千氷火ヶ吏。今からお前の相手をするのはこの私だ」


 睨みつけられるだけで息が苦しくなるその眼光。


 だがしかし、火ヶ吏は挑発的に笑んで立ち上がった。


「なんだ、仁王川。貴様はそんなに私に斬られたいのか」


「お前如きに斬られてやるつもりなど砂粒程も無い。以前、忠告してやっただろう。この私の前でミガカ様に仇成す行動を取った場合には徹底的に罰を与えてやると。私は言葉通りに行動をするだけだ」


「律儀な男だ。だが貴様は結局自分の言葉に嘘をつくことになるだろうさ」


「心配は要らん。例えお前が私と刺し違える覚悟で向かってきたとしても、お前は私に傷一つすらつけることは出来ん」


 そう言い放って、仁王川は自身の胸の前に両手を構える。


「――むんッ!」


 仁王川が気迫を放つと、彼の全身を閃光と稲妻が駆け巡る。


 ――バチイッ!! ――バチバチバチイッ!!


 やがて小さく収まっていくかと思われた稲妻が、逆に大きく膨らんでいく。


 そして形作られて姿を現したのは、まるで巨大な岩石から削り出したかのように荒々しく頑強な見た目をした大剣であった。


「――《轟剣・金剛丸鬼綱(ごうけん・こんごうまるおにつな)》。それがこのヤイバの名だ」


「ふん。剣というよりは巨大な石器だな。いかにも脳筋が好みそうな見た目をしている」


 火ヶ吏の悪態にも仁王川は眉一つ動かしはしなかった。


「いくぞ千氷火ヶ吏。忠告通り、お前が己の過ちを悔い、無知を恨み、ミガカ様への敬畏と共に血の涙を流すまで、痛みという名の罰を徹底的に刻み込んでやる」


「望むところだよ、仁王川。ミガカの右腕としてか弱き学生らに対し数々の非道を重ねてきた罪、今ここで真・生徒会会長であるこの千氷火ヶ吏が裁いてくれる」


 互いが互いの主張を交え、沈黙。


 一秒、二秒、そして三秒。


 二人の姿が――――――消えた。


 同時に、鼓膜を劈くような高音と弾ける火花が体育館の中を跳ね回る。


 一撃一撃が相手を仕留めるために放たれる、剣と剣の衝突。


 そしてそれは、ヤイバを振るう者たちの心の衝突。


 自身に退く気などなく、目前の敵へとただひたすらに力をぶつけ合う光景がそこにはあった。


 剣戟の中、しかし、火ヶ吏は驚きを感じていた。


 彼女のヤイバ、剣姫白鳳は細身の剣。それ故に軽い。そして、だからこそ空を舞う鳥のように俊敏かつ自在な剣筋が可能となっていた。対して仁王川のヤイバ、轟剣・金剛丸鬼綱は、およそ七尺五寸はあろうかという長大な刃渡りに加えて火ヶ吏の胴ほどの分厚さをもつ岩石の大剣。いくら仁王川が屈強な体躯を持っていようとも、彼が人間である限りはそう軽々と振れた代物ではない。


 だというのに、彼の剣捌きは異常なまでに速かった。火ヶ吏と同等、いや、それ以上の速度を持って仁王川のヤイバは火ヶ吏の身体を叩き潰しに迫ってくるのだ。それが火ヶ吏にとっては驚愕すべき事態だった。


 剣を交えるうちに、一撃の応酬を繰り返すうちに、やがて疲弊するのは火ヶ吏が早かった。当然だ。絶え間なく、かつ際限なく岩石の塊を叩きつけられた衝撃は疲労となって瞬く間に彼女の両腕に蓄積されていくのだから。


 痺れを生じてきた腕を、けれど休ませることなく酷使して、火ヶ吏は甘めに振り下ろされた仁王川の大剣を弾き上げた。


「――む」


 仁王川の懐が顕わになる。


 ここで押し切らねばと、火ヶ吏は本能的に感じた。


「もらったぞ、仁王川!」


 火ヶ吏は、《不染の領域》を発動した。


 瞬間、展開された不可侵の壁が体勢を崩しかけていた仁王川を弾き飛ばす。


 両腕は高く掲げられたまま押し返される仁王川は、背中を地に着けないよう耐えることに精一杯のはず。


 そう断じた火ヶ吏に握られる剣姫白鳳の刀身から仁王川を追うようにして飛び出したのは、滑空する大鳥のごとき鎌鼬。


「斬り裂け――――《白き鳳の翼閃》!!」


 空を裂く速度を伴って、火ヶ吏渾身の一撃が一直線に仁王川を目指す。


 姿勢の安定しない仁王川は避けられない。私の勝ちだ。


 火ヶ吏はそう確信していた。


 ――ところが。


「ぬうううううううううううん!!」


 ギュギュギュギュウウウウウウウウッ!!


 消魂しい摩擦音と立ち込める煙。


「ば、馬鹿な!」


 火ヶ吏は目を見張る。


 抗ったのだ、仁王川轟鬼は。


 東條煽のそれとは違い、仁王川は自身が弾かれるその速度を力ずくで殺していた。


 そして体勢を立て直し、思い切り踏ん張って。


「――ふんッ!!」


 勢いよく大剣を振り下ろし、《白き鳳の翼閃》を叩き消した。


 その後はまた自身を押し出す力に身を委ね。


 絶対不可侵のその領域を出た外に仁王川は立つ。


 何故だろう、火ヶ吏は。


 自分に手を出せない距離まで弾き飛ばしたはずの男の姿が、近くで剣を交えていたときよりも巨大に思われて恐ろしかった。


 こめかみに一筋の汗を伝わせ、それでも火ヶ吏は笑む。


「驚いたよ仁王川。まさか剣姫白鳳のスキルに抗える人間がいたとは。いや、本当に人間なのか、貴様は」


「今の私は人間の身でありながら既に人の域を超越している」


「超越、だと」


「ああ」


 長大な岩石を肩に抱え、仁王川は淡々とした声色で言う。


「私のヤイバに備わる固有スキルは《心身鋼化(インクリース)》。所有者の身体能力を数倍にまで引き上げる能力だ。故に今、私の動きは人間の枠に収まることを知らない」


「なるほど。どうりでそのデカブツを随分軽々と振り回せるというわけか」


 斬ることよりも殴ることに特化したヤイバ、そして所有者の身体能力を上昇させる固有スキル。心底肉体派の男らしいと、火ヶ吏は内心で思った。


 仁王川は表情を変えない。


「そういうことだ。ところで一つ私からも言わせてもらうが千氷火ヶ吏、お前のヤイバのスキルには驚かされたぞ。まさか《心身鋼化》を発動させた私を押し返すことが出来るなどとは思いもしなかった」


「ふん」と火ヶ吏は鼻を鳴らす。


「一切の色に染まらぬ純白の造形。そして、染まらぬが故に一切の敵を寄せ付けない絶対不可侵の領域をスキルに持つか。己の正義を愚直に信じ抜きたいと願う心がお前にもたらしたヤイバ、それが剣姫白鳳なのだな。実に高潔で、一本の芯を通した美しい剣だ」


「なんだ仁王川。貴様、一体何が言いたい」


 言い知れぬ焦燥に駆られ、語気を荒げる火ヶ吏。


 仁王川は変わらず沈着として告げた。


「――だが、その高潔さ故に孤立したお前の《ヤイバ(心)》は酷く脆い」


 胸のどこかが痛むような気がした。


 火ヶ吏は、ぎり、と奥歯を噛み締めて仁王川に鋭利な眼差しを突きつける。


「どういうことだ」


 しかし、仁王川は火ヶ吏の問いに答える素振りを見せなかった。


 ただ黙々と火ヶ吏を見据える。


 それが数拍の間続いて、やがて仁王川は口を開いた。


「千氷火ヶ吏、お前は何故我々に抗う」


「何を今さら」


 火ヶ吏の目がより鋭くなる。


「そんなこと、貴様ら特待上級生共が、そして貴様らを束ねる華画ミガカがこの学園に不当な悪政を敷いているからに決まっているだろう」


「それが理由か。我々が掲げる学園の方針が気に食わないからお前はそれを悪政と呼び、私達に剣を向けるのか」


「違う! それだけじゃない。貴様らの支配は現に多くの学生たちを苦しめている。だからこそ私は彼らを救うために剣を取ったのだ!」


「つまり千氷火ヶ吏、お前は私達に怯える一般生徒を守るために反抗を続けるのだと、そう言うのだな」


「そうだ。それこそが私を突き動かす最大の理由だ」


 弱者を虐げる悪を打倒する。そしてか弱き者たちを守ってみせる。


 それが正義であり、自分の戦う理由。


 それを疑ったことはないと、火ヶ吏は胸を張って言える。


「そうか」


 仁王川が言った。


「しかしお前に守られるはずの者達は、果たして本当にお前に守られたいと思っているのだろうか」


「なん、だと」


 火ヶ吏には、仁王川が何を言っているのかすぐに理解することができなかった。


 ミガカを恐れながら暮らす者たちが、私に守られることを否定しているとでも言うのか? 馬鹿な、そんなはずはない。だって私が彼らを守らなければ、彼らはずっと苦痛からは逃れられないのだぞ。


 内心で困惑する火ヶ吏の正面、仁王川は淡々とした声調で話していく。


「お前が我々に剣を向ける度、例えば特待上級生を一人また一人と打ち倒していく度に、我々はお前の存在を問題視する以上に一般生徒に対する監視の目を厳格にしていく。お前のような反逆者をこれ以上生み出すわけにはいかぬ故、当然の対応だろう。そうなれば一般生徒達は今まで以上に恐怖に震える学園生活を送らねばならぬようになるわけだが、それを甘んじて受け入れている生徒など果たしているのだろうな」


「私のせいで、より恐怖に怯える学園生活……!?」


 思いもしなかった状況。


 そんな状況が本当にあるのかと、火ヶ吏の胸中は不安に騒ぐ。


「そうだ。お前のせいで、例え本心ではどう思っていようとミガカ様の方針に従っていた一般生徒は、それまで平穏でいられた日常をお前によって破壊されるのだ。言わばそのような学生にとっては千氷火ヶ吏、お前こそが敵に他ならん」


「私が、敵……!」


 心がざわつく。


 冷静になれ。火ヶ吏は必死に自分に言い聞かせる。


「そんな馬鹿な……そんなはずがない……っ!」


「本当に無いと言えるのか。馬鹿の戯言だと、お前は本当に笑い飛ばせるのか? 出来んだろう。何故ならば、私の言葉が真実だからだ」


「くっ……!」


 ちゃんと奴の言葉を聞け。か弱き生徒たちが私のことを敵視しているなど、そんなはずがない。きっと仁王川は適当にそれらしい言葉を並べているだけだ。聞け。理解するんだ。そして看破しろ、奴の戯言を。


 だが既に、火ヶ吏の思考は混乱しきっていた。


「私は、私は……私は……っ!」


 強く拳を握り、火ヶ吏は懸命に自身の気持ちを支える。


 けれどそれはもう、さながら崩れかけのジェンガのようであった。


 辛うじてバランスを保ったそれを押し崩そうとして。


「信じられんか。ならば見せてやろう」


 仁王川はそう言った。


 そして周囲で戦闘を眺めていた一般生徒の群れに言い放つ。


「――お前たちの中で千氷火ヶ吏の行いを良しとしない者は、今すぐこれに対してヤイバを構えろ」


 生徒らは、沈黙。


 そしてそのまま佇む。


 ……かに思われた。


 そうあって欲しいと、火ヶ吏は願っていた。


 だが、しかし。


 ――一つ。


 ――また一つ。


 ――そしてまた一つ。


 一般生徒がヤイバを構えていく。


 果てには、幾百の剣先が火ヶ吏の瞳に向けられていた。


 心が軋む。油の切れた機械のように音を立てて鳴く。


 しかし、それでも必死にこらえようとして。


「あ」


 火ヶ吏の瞳に映ったのは。


 東條煽から救った少女が、そして無言のままに自分のもとから立ち去ってしまった彼女が、自分に対してヤイバを向ける姿だった。


 火ヶ吏の中にある何かに亀裂が走る音がした。


「どうだ、これが現実というものだ」


 俯く火ヶ吏に投げつけられる仁王川の言葉。


「理解したのならば、大人しく私の制裁を受けろ」


 言って、仁王川は轟剣・金剛丸鬼綱を構え、腰を落とす。


 火ヶ吏は剣姫白鳳を握る手に力を込めて歯を食い縛った。


「……うるさい!」


 瞳から溢れそうなる感情をどうにか抑え込み、火ヶ吏は眼前の巨体を睨みつける。


「私は貴様たちに刃向うことを止めない! か弱き生徒たちを守ることを止めない! それが私の正義だ! それが真・生徒会会長、千氷火ヶ吏の務めだ!!」


「その言葉、本当に心の底から言えているのかを今、確かめてやろう」


 告げ、仁王川が床を踏み蹴る。


 スキルによって強化された強靭な肉体から繰り出される踏み込みは、瞬く間に仁王川の巨体と岩の大剣を火ヶ吏の眼前へと肉薄させた。


 心の底から言えているか、だと。そんなこと。


「言えているに決まっている! 固有スキル――《不染の領域》!!」


 そして鉄壁の護り、何者の侵入をも許さぬ領域が展開される。


 だがそれは、絶対不可侵などという言葉からは程遠く。


 吹き荒れるはずの疾風は、とても弱々しいものだった。


 仁王川の身体は、火ヶ吏へと猛進することを止めない。


「どうやらただの強がりに過ぎなかったようだな」


「くそっ! そんなはずが――」


 振り下ろされる大剣を弾き返そうとして、火ヶ吏は剣姫白鳳を振り抜く。



 しかし一瞬後に火ヶ吏の眼前を舞ったのは、銀色の輝きを放ちながら砕け散る鋼の欠片たちだった。



「――そんな」



 火ヶ吏のヤイバが、心が、折れた。


「だから言っただろう」


 地鳴りのように低い声を伴って、長大な剣が火ヶ吏を襲う。


「お前のヤイバは酷く脆いと」


 ――――――――――ッ!!


 火ヶ吏の華奢な身体に巨大な岩塊が叩き込まれる。


「が、……ぐふ……っ……!!」


 壁にめり込む火ヶ吏の肉体。


 だが仁王川の攻撃は終わらない。


 火ヶ吏の髪を掴み強引に壁から引き抜くと、今度は彼女の身体を床へと叩き込む。


 何度も。何度も、何度も、何度も、何度も。


 鉋がけの施された艶やかなフローリングが血に濡れては捲れ上がっていく。


 そしてまた壁に火ヶ吏の身体を撃ち込み、追い打ちをかけるように金剛丸鬼綱で殴り、殴り、殴り殴り殴ってさらに殴る。


 最後に大きく剣を振りかぶり、仁王川の言葉。


「――砕け果てるが良い、孤独な反逆者よ」


 轟音。続いて空気を震わす衝撃と、塵へと崩れた体育館の欠片が煙となって巻き上がった。


 煙が晴れていく。仁王川の眼前の光景が顕わになっていく。


 そこにあったのは、全身を傷だらけにし、整ったはずの顔を血塗れに変え、虚ろとした双眸をして壁に埋まる火ヶ吏の姿だった。


 ぱら、ぱら、と砕けた壁が床に落ちる。


 やがて壁から剥がれ重力に従おうとした火ヶ吏の首を仁王川は乱暴に掴み、彼女の身体を持ち上げた。


「が……んぐ……あ……っ……!」


 火ヶ吏の瞳は既に色を失くし、仁王川へと焦点を定めることすらままならなかった。


 ふん、と仁王川は小さく鼻を鳴らす。


「結局は私の言葉通り、お前はこの身体に傷一つ与えることは出来なかったな。お前という人間など、所詮はその程度の存在だ」


 火ヶ吏の返事は、ない。


 つまらなそうに火ヶ吏を見やり、やがて仁王川は壇上から一部始終を眺めていた華画ミガカへとその視線を移した。


「ミガカ様。この仁王川、一つ妙案が浮かんだのですがよろしいでしょうか」


 愉快げな表情を崩さずにミガカは仁王川の目を見る。


「それは千氷火ヶ吏に対する制裁の続きを所望する、ということですか」


「はい。これ程反抗的だった生徒に対する処罰をこの程度で済ませてしまっては、我々特待上級生の面目が立ちません。なればこそ完膚なきまでに制裁を与え抜き、更には学園規律の強化に役立ててご覧に入れます」


 仁王川の言葉を聞き、ミガカは笑む。


「いいでしょう。許します」


 仁王川はミガカに対して軽く頭を下げ、そして今一度その手からぶら下がる火ヶ吏を見やる。


「そういうことだ、千氷火ヶ吏。今日まで散々学園内の規律を乱してきた分、最後は学園の礎となって消えるがいい」


 抑揚なく簡単にそう言ってのけ、仁王川は。


 体育館中に響き渡るように声を張り上げた。



「――これより、千氷火ヶ吏の公開懲罰を行う!!」


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