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ヤイバガタマシィ  作者: 夜方宵
4/7

そして剣は孤独なままに


 翌朝、昨日よりも少し早い時間にミノルは目を覚ました。


 身体を起こし、火ヶ吏が寝ているのを確認して、立ち上がる。


 そして向かったのは、やはり狭い個室トイレの中であった。


 昨日と同じように便座に腰掛けて、ミノルは一つ溜息をつく。


 何を朝から神妙な顔をしているのか。


 それは当然、昨日に聞かされた火ヶ吏の言葉を思ってのことだった。


「どうしたもんかな」


 困ったように眉を下げて笑うミノル。


 実際、同居人のお嬢様にはほとほと困らされていた。


 くしゃくしゃと寝癖頭を掻き回して、ミノルは昨日を思い出す――。





 ――完全に日も暮れた頃。


 ミノルと火ヶ吏の姿は女子寮の一室、火ヶ吏の部屋の中にあった。


 テーブルを挟んで向かい合うようにして座る二人。


「で、どうやってミガカを倒すって言うんだよ。というか何故明日なんだ。お前の考えを聞かせてくれ」


 ミノルが訊ねる。


 どうして急に知らされた全校集会でミガカを討つなどと火ヶ吏が言ったのか、彼には皆目見当がついていなかった。


 ミノルの言葉に、火ヶ吏は落ち着いた佇まいで耳を傾けていた。


「そうだな。まずは何故明日なのか、という問いについて答えよう」


 小洒落たカップに注がれたコーヒーを一口啜って、火ヶ吏はまた口を開く。


「ミノル、君はこの学園に編入してからの二日間で華画ミガカを目の前に見たか」


「なんだよ、質問に答えると言っておいて早速そっちから質問か?」


「いいから答えてくれ。君は華画ミガカの姿を見たのか」


 不満そうな顔をしながらも、気を取り直してミノルは火ヶ吏へ答える。


「ああ見たさ。見たに決まってんだろ。毎日の朝礼でああもでかでかと目の前に姿を見せられちゃあ嫌でも目に入っちまうってもんだ」


 熟れきった桃のような髪色をした金眼のゴスロリ幼女風の成人女性。


 自身の目で見たからこそ、ミノルはミガカの名を聞いてその容姿を思い浮かべることができる。


 ところが。


「違うな」


「は」


「違うよミノル、そうじゃない」


 火ヶ吏はそう言って首を横に振る。


「ならば訊き方を変えるとしよう」


 と言って火ヶ吏はミノルの目を見つめた。


「ミノル、君は華画ミガカの実物をその目で見たことがあるか」


「それは」


 思考し、記憶を模索して。


 やがてミノルの脳は結論に至る。


「……ない。俺は、奴をこの目で実際に見たことがない」


「そうだろう」


 その言葉を待っていたとでもいわんばかりに、火ヶ吏は深く頷いた。


「華画ミガカという人間は、生徒の前にその生身を晒すことが極端に少ないのだよ。常日頃より奴との接触を持つ人間など、それこそ六年生、もしくは教師役を受け持つ特待上級生くらいのものだろう」


「だから普段はミガカと現実に相対する機会が皆無ってわけだな」


「そうだ。だがしかし、そんな奴が確実に我々一般生徒の前に実体を曝け出す場面が存在する。それが――」


「――全校集会、ってことか」


 わずかに口角を上げ、火ヶ吏は無言で首を縦に振った。


「ミガカは全校集会には必ず出席をする。特に明日は、実力考査優秀者の表彰式があるのだ。きっとミガカによる表彰状の授与が行われるだろう。そのとき、ミガカとの距離は限りなくゼロに近くなる。その瞬間こそが奴を討つ最大のチャンスだ」


「なるほどな」


 華画ミガカとの距離をほぼゼロまで縮めることのできる機会。


 確かにそれをチャンスと呼ばずにはいられないだろう。


 しかしだ。


「けど、一つ問題がないか」


 その計画には一つ、重要な前提が必要だった。


「なんだ」と、火ヶ吏が問う。


「確かにミガカが俺たちの前に姿を見せる全校集会は、それだけで奴を打倒するチャンスに間違いはない。けれど奴を確実に倒すとなれば、やっぱり限りなく距離を縮めた上での不意討ちじゃないと厳しいだろう。そうなれば壇上に上がることは必須の条件、延いては実力考査の優秀者であることが必要不可欠になってしまうじゃないか」


 ミノルの言う通りだった。


 ミガカとの距離を詰めるには、自身が表彰を受ける立場でなくてはならない。


 つまりは、実力考査において優秀な成績を収めた者である必要があるのだ。


 けれどもミノルの疑問を受けた火ヶ吏は、にやり、と笑った。


「言っただろう、ミノル。私はこのときを待っていたのだと。来たるべきミガカ討伐の日のためにやるべきことは全てやってきた。いいかい、全てやってきたのだよ。故に準備は完了しているし、計画には何の支障も生じ得ない」


「つうことはお前」


「ああ。私は今回の実力考査において学年一位の成績を獲得している」


 この自信に満ちた、そしてどこか自慢するような顔。


 決して嘘ではないらしい。


「得意そうだとは思っていたが、お前ってそんなに勉強ができたんだな」


「好機を逃さぬためだったのでな。死に物狂いで頑張ったんだよ」


 真面目な火ヶ吏のことだ。その言葉に偽りなどなく、きっと本当に死に物狂いで勉強に励んだのだろうとミノルは思った。


 そんなことを考えるミノルの正面、火ヶ吏は、ふう、と息をつく。


「さて、話すうちに二つ目の質問にも答えてしまったな。それでは内容をまとめるとしよう」


 そう言ってミノルの前に手を掲げ、指を立てながら言葉を紡いでいく。


「まず、何故ミガカの討伐が明日でなくてはならないのか。それは明日こそがミガカに近づく貴重かつ絶好のチャンスだからだ。次に、どうやって奴を倒すのか。簡単だ。成績優秀者として私は壇上に上がり、奴との距離を縮めきったところで不意を討つ。これが君の問いに対する答えであり、私の計画の一部始終だよ」


 火ヶ吏の説明を聞き終えて、ミノルは。


「そうか」


 と、一言を零す。


 確かに至極単純で、しかし最も期待値の高い作戦だった。


 だがしかしそれは、華画ミガカを倒すことについてのみいえば、だ。


 諭すようにミノルは言った。


「だがよ、火ヶ吏。仮にミガカを倒せたとして、その後はどうするつもりなんだよ。全校集会なんだ、きっとその場には特待上級生たちだっているんだろ。だとするなら教師役の幹部たちだっているはずだ。目の前でミガカが倒れてみろ、そいつら全員が血眼でお前をぶっ潰そうと襲いかかってくるに決まってるじゃないか。そいつらのことを、お前はどうやってかわそうと思っているんだよ」


「別にかわしてやろうなどとは思っていないよ」


 ミノルは、我が耳を疑った。


「お前、本気で言っているのか?」


「ああ」と、軽々しく頷いてみせる火ヶ吏。


「襲ってくるのであれば迎え撃つだけだ」


 その言葉を聞くうちに、だんだんミノルの胸中にはもやもやとした感情が湧いてくる。


「勝てると本気で思っているのか」


「まさか。そこまで自分の実力を見誤ってはいないよ。ミガカさえ倒してしまえば、どっち道にしたって指導者を失った特待上級生たちの結束は瓦解していき、最終的に現在の体制は崩壊を辿るだろう。けれどできれば残党の数を減らしておければと、そう思って戦うだけさ」


 何を言っているんだと。


 何をふざけたことを言っているんだと。


「それじゃ火ヶ吏、お前は学園を変えるための犠牲になるっていうのかよ」


 怒りにも似た感情を抑えきれず、強い語気を伴って放ってしまったミノルの台詞を前にしても。


「ああ、そうだ」


 火ヶ吏は躊躇うことなく頷いた。


 そして力強く言い放った。


「それが、真・生徒会会長として担うべき私の務めだ」


 その瞳には有無を言わさぬ威圧感があって。


 ミノルは、何も言えなくなってしまったのだった――。





 ――ミノルの思考がトイレの中に戻る。


 そしてミノルは、再び三度と溜息を重ねずにはいられなかった。


「なんで、あそこで退いちまったかな」


 昨日の自分を責めるミノル。


 火ヶ吏が見せたあまりの気迫というか覚悟に尻込みして、つい反論するのを止めてしまったことを、今のミノルは酷く悔いていた。


 ぼそり、とミノルは呟く。


「……そろそろ白状するべきだろうな」


 そうだ。そうするしかあるまいと、ミノルは自身に言い聞かせる。


 そうすることで自分がどんな仕打ちを受けるのだとしても。


 火ヶ吏を一人で戦わせるよりはマシだろうとミノルは考えた。


「よし、そうとなれば顔でも洗って覚悟を決めねえとな」


 両膝を叩き、ミノルは勢いよく便座から立ち上がる。


 そしてトイレの外へと出ると、無心で隣にある洗面所へと続くドアに手を伸ばす。


 それはまるで時間を遡ったように昨日と同じ光景だった。


 ミノルは気がつかなかった。


 気がつかないままに、迷いなくそのドアノブを回して、引いた――。



 ――そこにあったのは、昨日と同じように全裸で佇む火ヶ吏の姿だった。



「あ」


 時、既に遅し。あるいは、万事休す。


 ミノルと火ヶ吏の視線は真っ直ぐにぶつかってしまっていた。


 昨日と同じように、にっこりと笑んだ火ヶ吏の双眸がミノルを見据える。


 対するミノルも昨日と同じようにぎこちない笑顔をたたえてみる。


「や、やあ火ヶ吏。おはよう」


「おはよう、ミノル。昨日の今日で再び覗き行為か? 二日連続ともなれば、流石に君の脳内が性欲で満たされていることを疑わずにはいられないな」


「違うんだ火ヶ吏。今日は本当に考えごとをしていてだな」


「今日、は? ならば昨日はどうだったというのだ」


「違う、誤解だ。今のは言葉の綾ってやつだ」


「ふん、まあいいさ。私だって、いつまでも素っ裸のまま君との押し問答を続けたくはない。大事な日に体調を崩したくはないからな。だからひとまず、君の責任追及についてはここまでにしよう」


「そ、そうか」


 ホッと胸を撫で下ろそうとしたのも束の間、風が吹いては光が駆け抜け、ミノルの眼前には昨日と同じように剣姫白鳳が掲げられる。


「え」


 硬直するミノルに前には、にやりと笑む火ヶ吏の顔。


「だからひとまず、ここは君の行為に有罪判決を下すことで言い合いに結びをつけるとしようか」


「ちょ、おま、それは」


 またもや弁解の余地なく、時間なく。


 さらには逃げる隙なく、暇もなく。


「さあミノル、処罰執行の時間だぞ」


 満面の笑みから繰り出された疾風の刃が、昨日と同じようにミノルの身体を巻きこんでは洗面所を走り抜けていった。





「今度こそ死ぬかと思った」


 既に朝食を終え、火ヶ吏が用意してくれた食後のブラックコーヒーを啜りながらミノルはぼやいた。


「身体を張った天丼とは、君はもしやお笑い芸人でも目指しているのか」


 流し台の前で手際よく食器を洗いながら火ヶ吏が言う。


 美味しそうにコーヒーを啜っていたミノルは、彼女の言葉を聞いた途端に苦い顔をしてみせた。


「んなわけねーだろ。つかあんな状況、一体誰が笑えるって言うんだよ」


「冷静に考えてみると、ちょっと面白かったなって私は思ったぞ」


「俺に向けてヤイバを振り下ろした張本人が言ってんじゃねえよ。第一、俺は他人を笑わせるよりも、他人に笑わせてもらう方が好きなんだ」


「そうか? なにかと君の言葉には頬を緩めさせられることが多いと思うのだが」


「そりゃ俺のせいじゃなくお前自身の問題だ」


「ふふ。そうか、そうか」


 そう呟いては頬を弛緩させて、火ヶ吏は再び手元の食器たちに目を落とす。


 二人は沈黙し、流し台の蛇口から流れ出る水の音、そしてかちゃかちゃと食器たちがぶつかる音ばかりが部屋を満たした。


 手持無沙汰になり、なんとなくまた一口、コーヒーを喉に流し込むミノル。


 いつまでも黙っているわけにもいかないなと、ミノルは思った。


 そして、やがてミノルは口を開く。


「さて、と。そんじゃここで一つ二つほど、なぞなぞってもんをやってみるとしようか」


「なんだい、急に」と訝しげな表情をする火ヶ吏に悪戯っぽい笑みを向けて「まあまあ、部屋を出るまで時間もあるんだし、暇潰しだと思って相手をしろよ」と、ミノルは言う。


「暇潰しに興じるくらいなら食器の片付けでも手伝ってくれると助かるんだが」


「釣れないこと言うなって。それじゃいくぞ」


 ぴん、と人差し指を立てるミノル。


「第一問。無駄なお話ばっかりべらべら喋る、うるさい木。これってなーんだ」


「べらべら喋る木だと。そもそも木が喋ったりするのか? 意思を宿した樹木か? ひょっとしてゲームにでも登場するものなのか、それは」


「残念、不正解だ。ていうか思考が堅苦しいぞ。なぞなぞに向いてないな、お前」


 こうも火ヶ吏がなぞなぞを苦手だとは知らず、おかしそうにミノルは笑う。


 ちょっとばかり恥ずかしそうに火ヶ吏は頬を染めた。


「不慣れだったもので調子が出なかっただけだ。それでミノル、答えは一体何なのだ」


「答えは俺さ」


「君が答え?」


「ああ。答えはこの俺、雑木噺ミノルだ。俺の名前を文字として見てみろ。雑木、噺、ミノル。すなわちその雑木(ざつぼく)にはお話が雑多に実っていて、それらの実が一斉に落ち始めるとうるさくてたまらないのさ。実物の俺だって、まんまその通りだろう?」


「なるほど。いやはやこれは感心した」


 感嘆しつつ火ヶ吏は頷いた。


「なぞなぞってのはそういうもんだよ。それじゃ第二問だ」


 続けてミノルは中指を立てた。


「上は大水、下は大火事。さて、これってなーんだ」


 問題を聞くなり火ヶ吏は、今度は余裕の笑みをたたえてみせた。


「あまり私を馬鹿にしないでくれ、ミノル。それくらいの問題、私にだって答えられるさ。なにせ昔、既に私はその問題を見たことがあるんだからな」


 そして火ヶ吏は堂々と言い放つ。


「答えは風呂だ」


「残念、不正解だ」


「んなっ」


 予想外の事態に困惑を見せる火ヶ吏を眺めつつ、してやったり、といった表情を浮かべるミノル。


「んなありきたりな問題を俺が出すはずないだろう。第一、流れを読めって言うんだよ」


「流れ?」


「そうだよ。一問目の答えが人の名前だったんだ。二問目だって同じような問題がくるかもしれないって、そう思って答えを探るんだよ」


「それじゃ答えというのは」


「ああ。答えは千氷火ヶ吏、お前だよ」


 驚く素振りを見せる火ヶ吏だったが、それもすぐ、彼女は首を傾げる。


「しかし、私の名前が上は大水、下は大火事とやらになるのか?」


「なるさ」と、ミノルは即座に答えた。


「さっきと同じように名前を文字に起こして眺めてみろよ。千氷火ヶ吏。上に氷で、下に火だ。つまりは氷を下から火で炙っているんだぜ? とっくに氷は溶けて水になっちまってる。だから上は大水、下は大火事ってことになるのさ」


「言われてみると確かにそうだな」


 幾度か頷き、しかし火ヶ吏は、納得はしていないといった風の表情を模る。


「だがしかし実物の私は大水だったり大火事だったり、そんなに忙しい女じゃないよ。それに私の名前をよく見れば、氷と火の間には何もない。すなわち、千の氷を直に炙っているわけだ。そうなれば溶けた氷は多量の水となって火の中へと滴っていく。千の氷が溶けるんだ。炎ならばともかく、火などすぐ消えてしまうに違いない」


「ほう」と、ミノルは愉快げに口角を上げる。


「だったらお前は、自分のことを大火事なんて起こさない冷静な性格だって、そう言うのか?」


「そうなるな。私はいつだって、穏やかな水面のように冷静で沈着な人間さ」


「そうか」


 ミノルは待っていた。


 全ては彼女にそう言わせるためのゲームだった。


「だったら一度、冷静になってみろよ」


 食器を洗う火ヶ吏の手が、止まる。


「またも唐突になんだ、ミノル。君は私に何を冷静になれと言うんだ」


「分かってるだろ。全校集会のことだよ」


 ミノルの表情からは笑みが消えていた。


 部屋を満たした沈黙が、再び食器同士が擦れ合う音に掻き消されていく。


 構わずミノルは言葉を続けた。


「一人でやるには、やっぱり危険が過ぎる。理事長の華画ミガカは、仮にも天才と謳われた人間なんだろう。だとしたら、いくら不意を突くにしたって成功する可能性はそう高くはないんじゃないか。それに一番の問題はその後だ。ミガカを倒したところで結局は自分を犠牲にするしかない作戦なんて、作戦として成り立っちゃいねえよ。いや、成り立ってはいるかもしれないが、とても冷静な計画なんて呼べたもんじゃない」


 ミノルの言葉を静かに聞き届けて。


 火ヶ吏はそっと、その瞳に長い睫毛のついた瞼を重ねる。


「君の言うことはもっともだ。けれど、誰かがミガカを倒さなくてはならないこともまた揺るぎのない事実なんだよ」


 洗い残した食器はもうなくなっていた。


「そのための犠牲が、たまたま私だったというだけだ」


「だからその犠牲が必要だって考えを捨てろって言うんだよ」


「ならばどうすればいい? 犠牲なくしてミガカを倒すには、私は一体どんな手段を用いればいいんだ。考えたんだよ、私は。考えて、考えて、考えて、考え抜いた結果に最善の策として思いついたのが今日の作戦なんだ。それよりも良い案が、君の中にはあるっていうのか?」


「あるさ」


 一拍の間をも置かずに、ミノルははっきりと答えた。


 そして流し台に立つ火ヶ吏の目を見つめる。


「簡単だよ、火ヶ吏。計画の仲間に俺を加えろ」


 ミノルは本気だった。


「俺が手伝ってやる。俺が、お前を犠牲にせずに済むようにしてやる。だから火ヶ吏、俺を仲間に加えるんだ」


 ミノルの目を見つめ、言葉を聞いて。


 少しだけ嬉しそうに目を細めると、火ヶ吏は目線を下げた。


「そう言うと思っていたよ。いや、君ならそう言ってくれると信じていた」


「なら」


「しかしそれは駄目だ」


 火ヶ吏の語調は強かった。


 決して譲らぬ意志が、そこにはあった。


「前にも言っただろう。君をここに住まわせているのは、君を危険から遠ざけるためだ。君に安全な学園生活を送らせるためだ。決して君を私の戦いに巻き込むためではないのだよ」


 蛇口を閉め、火ヶ吏は流し台からミノルの元へ歩み寄ってくる。


「君の気持ちはありがたい。君の言葉を聞くだけで、それは励みとなり私の中に勇気をもたらしてくれる。けれど、それだけで充分だ。それ以上に私から君へ望むことは何もない。私は、ヤイバを持たない君を危険な場所に立たせたくはないから」


 やはりそうきたか、とミノルは思う。


 ここで言うしかないと、ミノルは歩み寄る火ヶ吏を見上げ勢いよく腰を持ち上げた。


「違うんだよ、火ヶ吏。お前は盛大な勘違いをしている。俺はお前が思っているような人間じゃない。だって、俺、は――」


 そのとき、ミノルの視界がぐにゃりと歪んだ。


 途端に身体から力が抜けていき、ミノルの尻は再びソファーへと落ちていく。


「な……これ……は…………?」


 襲いくる睡魔。


 一体どうなっているんだと、混乱し。


 ミノルは視界の端に、それを認めた。


 それは、飲みかけのコーヒーカップ。


 ミノルの思考は至った。


 火ヶ吏の奴がコーヒーの中に薬を仕込んだのだ。


 霞んでいく視界の中で、ミノルの頬にそっと火ヶ吏の手が触れた。


 とても冷たい手だった。


「すまない、ミノル。君のことだ。決して退いてはくれまいと、そう思ったのでな」


 その声はとても優しく、けれどか細いものだった。


「馬鹿、おま……え……」


「許せ、ミノル。いや、許してくれなくてもいい。帰ってきたら、君が許してくれるまで何度だって頭を下げるさ」


 思ってもいないことを、彼女は言うのだ。


 自身の頬を撫ぜる彼女の手を掴んでやりたくて、でもミノルの身体は言うことを聞いてくれやしなかった。


「きっと目を覚ます頃には何もかもが終わって、何もかもが新たな一歩を踏み出そうとしているはずだ。だから今は少しだけ、夢見にそのときを待っていてくれ」


 そして柔らかな指先がミノルの肌を離れていく。


 既に、目に映るものを認識できなくなっていた。


 声すら出せなくなっていた。


 無意識の世界へと落ちていく中で、ミノルは最後に彼女の言葉を聞いた。



「これから先は私の――真・生徒会会長、千氷火ヶ吏の役目だ」


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