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ヤイバガタマシィ  作者: 夜方宵
3/7

火ヶ吏の孤独

 

 時刻は既に正午を回っていた。


 四限目の授業を終えたところだ。これから昼食だという頃であった。


「ミノル、昼食の時間だ。一緒に学生食堂へ行こう」


 意気揚々と正面に立つ火ヶ吏を、ミノルは気だるそうに見上げた。


「昼飯まで一緒なのかよ」


「当然だ。君を一人にするわけにはいかん。それとも既に君は私以外に食事を共にできるような友人を獲得しているとでもいうのか」


「俺が一人の食事を好むという可能性は?」


「ないな。言葉を交わす度に一言も二言も多い君のことだ。一人での物静かな食事など、きっと君の性分には合わないだろう」


「言ってくれるじゃないか」


 まあ、間違ってはいなかったのだけれど。


「さあ立て。急がねば席が埋まってしまうぞ」


 火ヶ吏に急かされ席を立つと、ミノルは彼女に従って教室を出た。


 いまだ注がれる多少の視線に気づいていない振りをして廊下を歩くうちに、目の前には開けた空間が広がった。


 五百人は収まろうかという場所だった。壁や天井は汚れ一つなく真っ白で、奥の壁には特大の液晶テレビが設置されていた。至る所に名前も分からない観葉植物が並べられ、おまけに中央では三段状の噴水が優雅に滝を流していた。よく見れば二階席まで設けられている。厨房と向かい合った壁は全面ガラス張りで、外にはテラスで食事をとる学生たちの姿もあった。


「立派な食堂だな。もっと油に塗れてギトギトしたような場所だと思っていた」


「ミガカは学園理事長に就任以来、校舎の改装に莫大な資金を投じてきたからな。要らぬ設備が大半とはいえ、これについては唯一奴を褒めるべきところだ」


「要らない設備?」


 朝礼用に変形する校舎。そして巨大ホログラム。


「……ああ、確かにあれは不必要だわな」


 ミノルは納得した。


 券売機の前に並び、食券を購入して、料理を受け取る。


 ミノルは刃ヶ剣山学園特製ランダムランチなる定食を、対する火ヶ吏はオムライスセットを受け取っていた。


 一階の隅に空席を認め、二人はそこに腰を下ろす。


「いただきます」「いただきます」


 二人一緒に合掌をして、ミノルと火ヶ吏はそれぞれ箸とスプーンを手に取った。


「それにしても、どうして君はそんな物を選んだんだ」


 火ヶ吏が問うた。


「なんで不思議がる」


「だって君、この食堂を利用するのは初めてだろう。ここがどんな味を提供しているのかも知らずに、ランダムランチなどという無作為に選ばれた品々が盛りつけられるそれを選ぶのは少々冒険が過ぎるというものだ。別にこの食堂にはカレーライス等、比較的当たり外れの起伏が少ないメニューも存在しているのだから、無難な料理を選ぶという選択肢もあったと思うのだが」


「ほう、昼飯一つでそこまで考えられるお前に少し驚きだよ」


「すまない。別に君を非難するつもりは少しもないんだ」


「気にすんな。怒っちゃいねえよ」


 申し訳なさそうに目線を下げる火ヶ吏に向かって、ミノルはにかりと笑った。

「俺さ、退屈ってのが嫌いなんだよ」


 ミノルは言った。


「確かにカレーなんかを選べば、最低限の味は保証される。でもそれだとつまんないんだよ。思ったよりも旨かったとして、逆に不味かったとして、けどそれは所詮、誤差の範囲に収まっちまう。それじゃ何の面白味もないのさ。だから多少リスキーだったとしても、俺は振れ幅の大きい方を選ぶ。これは料理に限らず、俺の人生における全ての選択について言えることだ」


 いつの間にか真面目な顔をして聞いていた火ヶ吏を前に自信に満ちた表情を模ってみせると、「それに」と言って、ミノルはよく分からないタレのかかったよく分からない個体を箸に掴んだ。


「大抵の場合、俺の選択はプラスの方向に大きく振れる」


 そして、ぱくり。ミノルはそれを口の中に放り込んだ。


 咀嚼して、飲み込む。


「うん、旨い。初めて食う味だが、とびきりの旨さだ」


 それを見た火ヶ吏はほどなくして頬を弛緩させると、ぷっ、と息を吐いて笑った。


「面白い人間だな、君は」


「俺自身が面白いことを好きだからな」


「今の話を聞くに、君、実は私の部屋に住むことを内心では良しとしているんだろう。だって君はリスキーでも面白い方の選択を好む人間なのだからな」


「馬鹿を言うな。女子寮に住むことのどこが面白い選択なんだよ。それは単にリスキーで面倒なだけだ」


「私の裸が見られるということはプラス方向への振れ幅じゃないのか?」


「結果として刃物が飛んでくるんだ。どう考えたってマイナス方向に振れちまってるさ」


「それもそうだな」


 と、火ヶ吏は納得したように頷いてみせる。


「けれど疑問を口にしてみてよかったよ。結果、こうして君という人間をより理解することができた」


 そう言って、嬉しそうに顔を綻ばせる火ヶ吏を眺めて、ミノルはなんだか恥ずかしい気分を覚えた。


 ぷい、と顔を逸らしてミノルは言う。


「俺のような奴一人を理解したところで、そんなに喜ぶようなことでもないだろ」


「喜ばしいことさ」


 火ヶ吏は即答した。


「人と交わり、人を理解できるということは実に喜ばしいことなのだよ」


 とても優しい声色だった。


 けれど同時に、それは少し寂しげな声色でもあった。


 追及しようとして、しかしミノルは止めておいた。


「ま、お前が勝手に喜ぶ分には、ちっとも俺は構わないさ」


「そうだな」


 そう言葉を交わし、二人は食事を進める。


 ことが起きたのは、二人共にあらかた昼食を食べ終えた頃だった。


「ちょっと! あなたこれは一体どういうつもりでして!?」


「す、すみませんっ!」


 甲高い怒声と、震えた声が食堂に響く。


 視線を向ければ、そこにあったのは怒りに目を吊り上げる女子学生と委縮しきった女子学生の姿だった。


 五人の男を従えているところから察するに、おそらく激怒する女は特待上級生。そして泣きながら頭を下げる女子は一年部の生徒らしかった。


「まさか、この(わたくし)を五年〇組所属の特待上級生、東條煽(とうじょうあおり)と知っての狼藉ではないでしょうね」


 東條と名乗る女の制服はべとべとに汚れていた。下級生の少女がカレーライスやサラダの乗ったプレートを彼女にぶつけてしまったのだ。


「い、いえ決してそんなことは……っ! すみません! すみませんっ!」


 何度も何度も頭を垂れる少女を、東條はゴミを見るような目で見下していた。


「ふん。けれど考えてもみなさいな。今あなたが汚したこの服は何でして? そう、誇り高き私立刃ヶ剣山学園の制服に他ならなくてよ。だとすればあなたの行為はこの学園の誇りに、延いては学園理事長でいらっしゃるミガカ様の頭上にその猫飯がごとき残飯をひっくり返したのと同じことではないかしら!」


「ち、ちがっ」


「いいえ違いなどありません! よってあなたはミガカ様に対する謀反の意志を覗かせた反逆者! まさに学園の膿! したがってこの私、東條煽がミガカ様に代わって処罰を与えてくれますわ!」


「そ、そんな……っ!」


 愕然とし、絶望し、恐怖に歯を打ち震わせる少女。


 それを見て、東條煽は愉悦の表情をたたえる。


 一連の様子を遠くから眺めるミノルは呆れていた。


「東條とかいうあの女、俺でも言わないような屁理屈を並べてやがる」


「ああ、全くだ」


「いやそこは否定しろよ」


 ジト目を飛ばすミノルを横目に、火ヶ吏は席を立つ。


「無駄話は後だ」と、火ヶ吏。


「いくのか」


「当然だ。私を誰だと思っている」


 そう告げて一瞬だけ白い歯を覗かせると、火ヶ吏は走った。


 高く掲げられた東條の両腕に稲妻が集う。


 やがて稲妻は二手に分かれ、東條の両の手へと収まっていった。


「おほほほ! いかがでして、私のヤイバ――《舞姫・弧姫(まいひめ・こひめ)》の美しさは!!」


 それは巨大な扇子の形をした二つのヤイバだった。扇面が鋼になっていて、開かれたそれは東條の身体を隠してしまえるほどに広い面積の刃を持ち、剣であると同時にまるで盾のようにも見えた。


「さあ制裁でしてよ! 学園を穢すお馬鹿さんは我が舞姫・弧姫の踊りに斬り裂かれて一緒に紅い血を舞わせなさいな!」


 東條の哄笑が制裁の開始を告げる。


 そして厭らしく吊り上がった唇のように扇面を広げた双子のヤイバが、舞い踊るように少女へと降り注いだ――。


「残念だが、制裁を受けるのは貴様の方だ」


 その言葉が東條の鼓膜を揺らした頃には、既に舞姫・弧姫は剣姫白鳳の白銀の刀身に堰き止められていた。


「なっ! あなたは、もしや千氷火ヶ吏!!」


「誉れ高き特待上級生様に名を覚えて頂いているとは、至極光栄なことだ」


 口ではそんなことを言いながら、火ヶ吏は一切の加減なしに東條へ蹴りを叩き込む。


 ヤイバの扇面で蹴りを受け流し、東條はくるくると踊るように距離をとった。


 面食らった様子の東條だったが、再び火ヶ吏と視線を交える頃には落ち着いた表情を取り戻していた。


「二年生の分際でこの私の制裁を妨害するなんて一体どういうつもりでして、千氷火ヶ吏さん」


「制裁などと戯けたことを。今のはどう見たところで素行の悪い先輩がか弱き真面目な後輩にいちゃもんをつけているだけだったぞ」


「あらそう。けれどそれならそれで構いませんことよ。大義名分があろうとなかろうと、この私にくっさい汚物をぶちまけやがったそのゲロブスをぶっ殺すことに変わりはありませんもの!!」


「だとすれば、なおさら邪魔をせずにはおけないな。上級生から下級生への理不尽な暴力を見逃すほど、真・生徒会はいい加減で怠惰な組織ではない」


「組織? 組織ですって? あなた、独り遊びに組織も団体もなくってよ」


 腹の底からおかしそうに嘲笑する東條に対して、火ヶ吏は何も言わなかった。


 しばらくして東條の笑い声が消える。


「まあいいですわ。仮に真・生徒会を組織だと認めれば、それは学生が主体となる団体。学園の規則に違反した団体ですわ。加えて私の制裁をも妨害したとくれば、これはもうあなたを制裁の対象とする上での立派な大義名分となる」


 紅が塗られた唇を歪めつつ、東條はヤイバの姉妹を構える。


「私たちからして目の上のたんこぶのような存在であるあなたを打ち倒したとなればきっとミガカ様もお喜びになられるに違いありませんわ。ですから千氷火ヶ吏、あなたは――」


 床を思いきり踏み蹴って、東條が火ヶ吏を目がけて飛びかかった。


「――ここで私に倒されてくださいな!!」


 並の人間では両手で抱えるにも苦労するはずの鋼鉄の扇子が、まるで紙か何かであるかのように軽々と振るわれて火ヶ吏へと殺到する。


 しかし、火ヶ吏の瞳に一切の怖れはなく。


「悪いが近寄らないでもらえるか。少々カレーの臭いがきついのでな」


 刹那、火ヶ吏を中心に疾風の防壁が展開した。


「んきゃうううううううううっ!」


 強引に部屋から叩き出されたミノルと同じように、弾き飛ばされる東條煽。


 それでも宙に飛ぶことは必死に抑え、床に一直線の摩擦痕を残して静止すると、見せつけるように彼女は笑った。


「なるほど。それがあなたのヤイバが持つ固有スキル、《不染の領域》ですか。確かに厄介な能力ですこと」


「ああ、そうだな。貴様たちの中にこのスキルを持つ者がいたらと想像して薄ら寒く感じることが私にも時折あるよ。しかし現実は私のヤイバが持つスキル。この潔白の領域は私を護るためにのみ存在する。この意味が分かるか。すなわち、貴様に勝ち目はないということだ」


「勝ち目がない?」


 東條の口振りは火ヶ吏を馬鹿にしていた。


「そうとはまだ決まりませんわ。確かにあなたのヤイバは敵と見なしたあらゆる人間を寄せつけない。けれど――――これなら果たしてどうかしら」


 東條は、右腕を大きく掲げて。


 そのまま振りかぶると、巨大な鋼鉄の扇子を火ヶ吏目がけて放り投げた。


 ブーメランのように回転しながら空気を滑り、ヤイバが火ヶ吏に迫る。



 ――そしてそれは、絶対の領域、風の壁を越えた。



「――っ!」


 咄嗟に上体を逸らして扇子を回避する火ヶ吏。


 しかし、油断しかけた彼女を旋回して舞い戻ってきたそれが再び襲う。


 首と胴体が斬り離されてしまう寸でのところで、火ヶ吏はそれを弾き返した。


 火ヶ吏の首を刈り損ねたヤイバは、しかし役目は果たしたと言わんばかりに悠々と東條の手元に帰っていく。


「やはり思った通りでしたわ」


 東條は、実に満足げに微笑んだ。


「あなたのそれ、人間以外には効き目がないようですわね!」


 哄笑、哄笑、そして東條の哄笑。


「何人すら侵せぬ不染の領域も今ここに敗れましたわ。そしてそれは同時に――」


 再び、さらに今度は姉妹揃って空中を走る舞姫・弧姫。


「――私の勝ちが確定した瞬間でしてよ!!」


 縦横無尽に宙を舞う舞姫・弧姫は、地を這う蛇のように不可解な軌道をして火ヶ吏に襲いかかる。


それを懸命に弾き続ける火ヶ吏を眺めながら、東條は喜悦した表情で声を張り上げる。


「私の舞姫・弧姫が持つ固有スキルは《一人舞踊(オータナマス・ソロ)》。所有者が扱わずとも、ひとりでに舞い踊っては相手を八つ裂きにしてしまうのですわ! このスキルを前にしてはあなたのスキルなど死んだも同然! 例えるなら今のあなたは針を失ったハリネズミ! すばしっこく逃げ惑うしか能がない裸のネズミですわ!」


「だがしかし貴様は丸腰だ」


 意気揚々として語る東條に一瞬の隙を認めた火ヶ吏が、舞姫・弧姫の嵐を突破して東條本人を討ちにかかった。


 しかし。


「私のヤイバは、とても私のことを慕っていてよ」


 背後から火ヶ吏に迫る舞姫・弧姫。


 あえなく彼女を刻むことには失敗しても、次の瞬間には東條の手に収まっていく。


 そして始まる、火ヶ吏と東條による剣戟の応酬。


 武器の軽さで優る火ヶ吏が圧倒的な手数を放つが、東條のヤイバは非常に強固な盾となり攻撃を通さない。加えて、踊るようにくるくると身体を回しながらヤイバを振るってくる東條の動きはとても奇妙でかわしきれず、いつの間にか火ヶ吏の制服は至る箇所がぱっくりと切れてしまっていた。


「ほら、ほらほらほら。私の優雅な舞に見惚れていては、いつか身体が真っ二つになってしまいますわよ!」


 チッ! と火ヶ吏の頬を扇子の切っ先が掠める。


 甘めの一撃を弾き、火ヶ吏は一旦東條から距離を取った。


 しかし、そうすれば今度は《一人舞踊》によるヤイバたちの自律的な攻撃が始まる。


 結局状況は時間を遡ってしまっていた。


「そろそろ諦めなさったらどうでして? これ以上抵抗を続けても無駄に体力と時間を消耗するだけですわよ」


 意地の悪い声音と見下した表情。


 東條煽は自身の勝利を確信していた。そしてそれは、周囲の人間とて同じことだった。


 しかし、絶え間なく続く舞姫・弧姫の乱舞の隙間から覗くそれは。


 千氷火ヶ吏の目は、生きていた。


今一度、ヤイバの嵐を脱して東條へと猛進する火ヶ吏。


「だから無駄だと言っておりますのに」


 舞姫・弧姫を手に戻した東條が火ヶ吏を迎え撃つ。


 再び、剣戟の応酬。


 甲高い金属音が無数に飛び交い、火花が四散する。


 これもまた、時間を遡ったかのような光景であった。


「我が舞姫・弧姫は剣であると同時に私を護る鋼鉄の鎧! それを貫くことは千氷火ヶ吏、あなたの剣には不可能でしてよ!」


 不規則な軌道を伴って襲いくる鋼鉄の姉妹と、厭らしい笑い声。


「さあさあ早く諦めて私のヤイバに斬り裂かれてしまいなさいな!」


 その言葉を、火ヶ吏は。


 勝利への執念のみを宿したその双眸で一蹴し。


 東條の頭上へと跳び上がる。


 そして振り下ろされる白銀の一撃。


「愚かな」


 あえなくそれは鋼鉄の扇子に防がれた。


 しかし火ヶ吏の狙いは別にあったのだ。


 華麗に身を翻すと、火ヶ吏は。


 あろうことか、その巨大な扇子の扇面に足を着けた。


「な――っ」


 驚愕する東條の頭上、火ヶ吏は大胆に笑んだ。


「私のスキルの使い方は一通りではない。最初にやってみせたではないか。あえて相手を近くに置き、そこで発動することによって弾き飛ばす。そんな風にも使えるのだよ」


「それがどうし」


「さっきは水平方向だったが、この体勢ではきっと地面に対して垂直に力が働くだろう。さて、この場合貴様の身体はどうなってしまうのだろうな?」


「――はっ!?」


「――《不染の領域》」


 須臾を待たずして、一切の敵を撥ね退ける絶対の力が発動する。


 そしてそれは、敵に他ならぬ東條煽を地面に向かって一直線に弾き飛ばした。


「ぐげべふっ!!」


 手入れの行き届いていた綺麗な床に自身の型をつけて、なお余る反動により東條の身体が宙に舞う。


 それは綺麗に、剣姫白鳳を構える火ヶ吏の前へと差し出された。


「飛べ――――《白き鳳の翼閃》!!」


 純白の剣から放たれた鎌鼬が、東條を飲み込み裂いては食堂中央の噴水へとその身体を叩き込んだ。


 東條煽は、立ち上がってはこなかった。


 崩れた噴水に埋もれた東條を、付き人の特待上級生たちが必死に引っこ抜く。


「一応水洗いで応急処置は済ませたが、放っておいては染みになりかねん。大切な制服なのだろう? そのままクリーニング屋にでも持っていけ」


 そんな冗談を投げやって、火ヶ吏は笑む。


「それとも貴様たちが私に制裁を下すか?」


「「「「「ひいいいいいいいいいいいいいっ!!!」」」」」


 怖れ慄いた付き人たちは、気を失った東條を担ぐと悲鳴を上げながら一目散に食堂から逃げていった。


「ふん」


 小さく息を吐いて、火ヶ吏はヤイバの具現化を解く。


「流石だな、火ヶ吏」


 一部始終を見守っていたミノルが、火ヶ吏のもとに歩み寄る。


 火ヶ吏の顔がミノルを向いた。


「流石と言うほどではない。五年生を相手に少々手間取ってしまった。こんな様では、ミガカの奴を打倒するなどと言ったところで、鼻で笑われるのが落ちというものだ」


「まあそう言って落ち込むなよ。実際、東條とかいう特待上級生のことはぼこぼこにしてやったんだ。それでひとまず、お前のやるべきことはやれたんじゃないか」


 そう言ってミノルは親指で少女を指す。


 ぺたんとへたり込んでいる少女。それは東條煽にいちゃもんをつけられた彼女だった。


 火ヶ吏は口許を緩める。


「ああ、そうだな」


 そして火ヶ吏は少女へ歩み寄ると、膝をついて彼女に微笑みかけた。


「君、大丈夫か。案ずることはない。特待上級生の奴はこの私、真・生徒会会長の千氷火ヶ吏が退けてやった」


 そう言って手を差し伸べる火ヶ吏。


 ちゃっかり真・生徒会をアピールしやがって、なんて思うミノルだったが、ここは口を出さずに優しく見守ってやった。


 少女の顔が火ヶ吏を見上げる。


 そして差し伸べられた手を握ろうとして。


 けれど少女は顔を逸らすと、何も言わずに立ち上がり、その場から去ってしまった。


「お、おい」


 つい引き止めようとしたミノルだったが、自分は部外者であることを思い出し、さほど強くは言えずに少女を見送ってしまう。


 けれどなんだか納得がいかなくて、ミノルはくしゃくしゃと頭を掻いた。


「せっかく助けてもらったっつうのに、結構薄情な奴だったな」


「そう言ってやるな。彼女の立場に立てば、これは仕方のないことさ」


 火ヶ吏は優しく、しかし寂しげに笑む。


 ミノルが追及する前に、ぱっと表情を切り替えて火ヶ吏は言った。


「さあ、そろそろ昼休みが終わる。食器を片付けて教室に戻るとしよう」


 そう言われてしまっては話を続けられない。


「ああ」


 釈然としない気持ちを抱きつつ、ミノルは火ヶ吏に従った。





 午後の授業を終え、ミノルと火ヶ吏の二人は屋上で風に吹かれていた。


 ミノルはだらしなく柵に腕をもたれ、対する火ヶ吏は、ぴしっと背筋を伸ばした状態で軽く手を柵の上に置いている。


「どうだミノル。ここは気持ちがいいだろう」


「そうだな。悪くはない」


 ミノルは頷く。


 初夏に入りつつあるこの頃はだいぶ気温も高い。そんな日中を過ごして火照った身体を労わるように撫でていく涼風がとても心地良かった。


「それにここから見える景色はとても綺麗なんだ」


 高く聳える校舎の屋上からは、随分と遠くの景色まで見渡すことができた。


 学園の門を越え、そして学生寮や学園生徒専用の量販店等が並ぶ敷地を越えた向こうには、決して栄えてはいないものの穏やかな街並みが広がっていて、さらに向こうには低く連なる山々が深緑をたたえていた。どこか懐かしさを覚えるような、そんな風景。それを夕陽が優しく照らす様子は、ミノルの目にも美しく映った。


「この美しい景色だけは、いつまでも変わらないでいて欲しいものだな」


 心のうちから漏れ出すように、火ヶ吏から言葉が零れた。


 それは変わってしまったこの学園を思っての言葉だったのか、ミノルは確かめることはしなかった。


 そしてやってきた沈黙の中、やがてミノルが口を開く。


「なあ」


「ん? なんだ」と、火ヶ吏。


「仕方がないってどういうことだよ」


「はて、一体何の話かな」


「昼休みの話だよ。お前は昼休み、自分が助けた生徒が礼も言わずに去っていくのを『仕方がない』と言っただろう。その理由が知りたいって言ってるんだ」


 あの時に感じた釈然としない気持ちは、放課後を迎えてもずっとミノルの中に残り続けていたのだ。


「なるほど。それがずっと気になっていたものだから、君は午後からずっと大人しかったわけだな」


 くくく、と笑って、火ヶ吏は遥か遠く橙色の空を眺めた。


「簡単なことだよ。礼など言えば、私に味方をしたことになるだろう。それはすなわち、真・生徒会会長である私と志を同じにしていると主張するようなものだ。そうすれば、私に救われたところで今度は私のせいでミガカ共による粛清の対象とされてしまうかもしれない。そんな状況の中で、私に礼など言えるはずもないじゃないか」


「いいのかよ、それで」


「なにがだ」


「生徒のために身体を張ったって礼の言葉の一つももらえず、それでも一人化け物じみた奴らとの戦いを続けなくちゃならない。そんなんでお前は本当にいいのかよ」


 火ヶ吏の意志は正しい。ただひたすらに正しい。


 けれどその正しさを前にして彼女自身の安全が、安心が、安寧が、平和が、幸福が、蔑ろにされているようでならなかったのだ。


「当然じゃないか」


 微塵も躊躇うことなく、火ヶ吏は言った。


「か弱き生徒を守ること、そしていずれは学園の在るべき姿を取り戻すことが私の望みであり目的であり、正義だ。そのために私一人がどのような扱いを受けたところで、何の障害にもなり得はしないよ」


「それじゃまるで孤独だな」


 皮肉るように言ったミノルに、火ヶ吏はそっと微笑んだ。


「正義のヒーローというものは、得てして孤独な存在さ。私が漫画やテレビで見てきた正義の味方たちは、皆が独りぼっちで、しかしそれでも護るべき世界のために命を張って戦っていたよ。だから私は、自身の置かれた状況を嘆いたことは一度もない」


 そして傾く夕陽を今一度見つめて言った。


「私立刃ヶ剣山学園、真・生徒会会長の千氷火ヶ吏は正義の味方だからな」


 それはミノルに告げているようで。


 けれど自身に言い聞かせているようでもあった。


 二人の間を、ちょっと冷たい風が吹き抜けた。


「少し寒くなってきたな。そろそろ寮へ戻るとしよう」


 柵から手を離し、火ヶ吏は階段の方へと歩いていく。


 その背中を、ミノルはじっと見つめた。


「……孤独の生徒会長、ね」


 続けて、呟く。


「なあ火ヶ吏。それってやっぱり、ただの生徒だぜ」


 足を止めた火ヶ吏が振り向き、首を傾げる。


「なんだ? 何か言ったか」


 どうやら聞こえてはいなかったようだ。


「うんにゃ、なんにも」と、ミノルは首を横に振った。


「そうか。というか君もこっちに来ないか。早く寮へ戻らねば風邪を引いてしまうぞ」


「なんとかは風邪を引かないって言ってな。生憎と病には強い性質なんだ」


「ふふ、君は馬鹿ではないだろう。君ほどに理屈や屁理屈を並べることが得意な人間が馬鹿であってたまるものか」


「やれやれ、褒められているのか貶されているのか分かったもんじゃないな」


「勿論、褒めているに決まっているさ」


 互いに笑い合う。


「さて、それじゃ帰るか」


 ミノルが柵から離れたのを確認して、火ヶ吏は再び階段の方へと歩き出す。


 と、それは唐突に。


 ――ピンポンパンポーン。


 校内放送の開始を告げるチャイムが学園内に響き渡る。


 数秒後、スピーカーから聞こえてきたのは幼げで、けれど妖艶な声音だった。


『――皆さんごきげんよう。学園理事長の華画ミガカです』


 火ヶ吏の纏う空気が一気に張り詰めたのが、ミノルにも分かった。


 何も言わず、ミノルもミガカの言葉に耳を傾ける。


『少々遅い時間の連絡ですが、この学園は全寮制なことですし問題はないと判断して放送を行いました。以下とっても大事なお話なので、皆さんよく聞いてくださいね』


 学園全体が静まり返っていた。


 つまり、全ての生徒が口を一文字に結んで放送を聞いていた。


 静寂の中、スピーカー越しのミガカの声が告げる。


『明日の午前、一限目に当たる時間を使って、当学園の体育館において全校集会を行います』


 ミガカの言葉は続く。


『内容は新学期を迎えてすぐに行われた実力考査の優秀者を対象とした表彰を行おうと考えております。対象者の方はご自身で分かっておられると思いますから、明日は全校生徒の前に立つ心積もりで登校して来られますよう、お願い致します。連絡は以上です。全校集会は大切な学校行事ですから、表彰を受けない皆さんも明日は普段以上に身なりを正し、凛とした姿勢で会に臨まれますよう、よろしくお願い申し上げます。それでは失礼致します』


 そうして学園理事長による校内放送は終了した。


 はて、とミノルは内心で首を傾げる。


 たかが全校集会ごとき前日に連絡する必要もないだろう。それをわざわざ、しかも学園理事長自ら行うとは、やはり変わった学校だ。


 そう思い、けれどすぐにどうでもよくなってミノルは足を動かし始める。要するに、ミノルにとって今の放送はその程度のものだった。


 しかし火ヶ吏は違っていた。


 拳を握り、肩を震わせ、全身に力を漲らせていたのだ。


「……待っていた。待っていた。このときを、待っていた」


 何度も繰り返し、その度に火ヶ吏の語気は強まっていく。


 それは膨らんでいく風船のようで、いつか破裂してしまうんじゃないかとミノルに思わせるものだった。


「おいどうしたんだよ、火ヶ吏。一体何を待っていたって言うんだ」


 ミノルの問いを受け、火ヶ吏は自身を落ち着けると大きく深呼吸をする。


 そしてゆっくりと振り返った。


「待っていたんだよ、全校集会が開かれるこのときを」


 その双眸の中に映るのは覚悟であった。


 真っ直ぐにミノルを見据え、艶やかな唇を不敵に模って。


 千氷火ヶ吏は、確言した。



「――明日の集会で、私は華画ミガカを討つ」


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