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ヤイバガタマシィ  作者: 夜方宵
2/7

同棲の開始、特待上級生の存在

 翌朝。床に敷いた布団の中で、ミノルは目を覚ました。


 刃ヶ剣山学園の学生寮は各個室にベッドを設けている。それほど高級なものではないが、それでも床に薄っぺらな布団を敷くよりはよっぽど身体を休められるはずで、わざわざそれを使わない選択をする人間などミノルを含めているはずはなかった。


 使えなかったのだ。


 なぜならミノルの隣、ベッドの上には、静かに寝息を立てる彼女がいるのだから。


「……すぅー……すぅー……」


 結局、ミノルは火ヶ吏の部屋で一晩を過ごしたのだ。


 上半身を起こし、ミノルは火ヶ吏の寝顔を眺めてみる。


 硬い口調の女だが、こうして見ると年相応の少女らしさがあって可愛らしいじゃないかとミノルは思った。


 それに、やはり火ヶ吏は美しい。ひとたび都会の街中を歩けば数歩と進まずに芸能事務所からのスカウトが飛び込んでくるだろう美貌が火ヶ吏にはあった。そしてそんな美少女と一夜を共にした事実、またこれからも共にしなければならない未来に、ミノルは興奮よりも頭痛を覚えた。


「とりあえず避難だ」


 そう言ってミノルは狭いトイレに駆け込む。


 特に催していたわけではなかったが、ここが部屋の中で一人になれる空間だったのだ。


 便座に腰を下ろし、ミノルは一つ溜息をつく。


「結局押し負けちまったなあ」


 ぼやきつつ、ミノルは昨日の様子を思い浮かべた――。





 ――火ヶ吏の台詞を前に、即座にミノルは首を横に振った。


「いやいやどうして俺がお前の部屋に住む必要があるってんだよ。一応男子寮に俺用の個室は押さえてあるんだぜ。家なき子ってわけじゃないんだ。第一ここは女子寮だぞ。例えるなら今の俺は男一人で女性専用車両に乗り込んじまってるようなもんなんだ。そんなのここの寮生からしたら、火ヶ吏、お前からしたって愉快な話じゃないだろう? だから俺は帰る。仮にだ。もし本当に帰る場所がなくたってそのとき俺は男子寮に住む誰かに宿を貸してもらうさ。それが一番丸く収まる方法ってやつだ。なにせ俺に宿をせがまれる男一人が多少の迷惑を被るだけでことが済むんだからな。何が言いたいかって? つまり俺がここに残る可能性は全くもって完全完璧にゼロだってことだよ」


「何をそんなに早口でまくし立てる必要がある。別に私は君を困らせようとして言ったわけではないぞ。むしろ、君にとって有益な提案をしたつもりだ」


「俺にとって、有益?」


 そりゃ冷静に考えてむさ苦しい野郎共の巣窟に身を置くよりは甘い花の香り漂う楽園に身を委ねて神様の贔屓と言われてもしょうがないほどに完成された火ヶ吏の全身を舐め回すように鑑賞する毎日を送る方が健全な男子高校生にとっては有益な生活に他ならないだろうけれど。


 と、そんなことを考えるミノルの手前、火ヶ吏は言った。


「ミノル、君はヤイバを持たないのだろう」


「あ」


「いい、言う必要はない。別にヤイバを持たぬ者がこの学園に編入してきたからといって、それを拒むつもりは私にはないよ。ただ、それでは君を学園内で一人にするわけにはいかないと言っているんだ」


「どういうことだよ」


「今朝の出来事を思い出せ」と火ヶ吏は人差し指を立てる。


「君は転校初日の朝に浜地田正平以下五人の特待上級生に絡まれた。しかし君は彼らによる制裁を受けなかった。この私が奴ら打ち負かしてやったからな」


「そうだな。その通りだ」


 ミノルに異論はなかった。


「ここで今言った出来事がミガカたちの耳にどう届くかを推測してみるとだ」


「おう」


「名も分からぬ転校生が編入初日の早朝から特待上級生五人をぼっこぼこにした、と伝えられることになる」


「いやなんでだよ」


 ミノルには異論しかなかった。


「んな情報網ガバガバな組織があってたまるか。あいつらを倒したのは火ヶ吏、お前なんだし、第一浜地田たちとのやり取りを見るに向こうは既にお前のことを敵としてしっかり認識していたみたいだからな。俺のことは真・生徒会会長様に救われたか弱き一般人だと考えてくれるはずだろう」


「確かにその可能性はある。だがしかし、それと同じくらいに私の推測が現実になる可能性もあるということだ」


「だからねえよ」


「それにだ。今君は自分のことを一般人だと言ったな。それだ、それなのだよ。一般人がこの学園に編入してくることなど学園創立以来、初めての事態だ。なればこそ君は奴らの興味を充分に引きかねないと私は思うのだよ。きっと今頃、ミガカや教師役を兼ねた特待上級生たち幹部は君への対処をどうするか話し合っているぞ。それは大変に危険なことだとは思わないか」


「いつの間にか根拠がすり替わっているぞ」


「とにかくだ。今、君を一人にしてはとても危ない状況なのだ。一抹の不安が拭えない限り、私は真・生徒会会長として君を帰すわけにはいかん。だから、したがって、私の胸にあるこのざわめきが収まるまででいいから。ミノル、君はしばらくここに住め!」


「それにしたってやっぱり女子寮ってのは」


「それについても心配ない。君はさっきこの女子寮を女性専用車両に例えたな。それは正しい。そして正しいからこそ心配する必要はないのだ。日本の公共交通機関における女性専用車両は、実は男性が乗車することを禁止してはいない。禁止する法的根拠がないのだよ。そして、それはこの女子寮にも共通する。女子寮とは名づけられているが、男子学生が入寮することを禁止する規則は、厳密には規定されていないんだ。だから案ずるな。案ずることなくここに住め! 頼む! 頼む! 頼む!」


「分かった、分かった! 分かったから顔を離せ」


 ミノルを説き伏せようと必死になるうちに、火ヶ吏はミノルの肩を掴み、自身の顔を限りなく彼のそれへと肉薄させていた。


「あ、ああ。すまない」


 ミノルの言葉を受けて状況を把握した火ヶ吏は、恥ずかしそうに頬を染めつつミノルから離れる。


 なんだよちょっと可愛い反応しやがって、とミノルは思ったが口には出さなかった。


「そこまで言われちゃ仕方がない」と、ドアノブ伸ばしていた手を戻して頭を掻きつつ、ミノルは、どすん、と再びソファーに座った。


「住んでやるよ。お前の気が済むまでここを俺の根城にしてやる。けどいいのかよ」


 わざとらしく、意地の悪い笑みをミノルは模った。


「俺は聖人君子でもなけりゃ英国紳士でもない。思春期真っ盛りのクソガキだぜ。そんな野郎を、見れば誰もが振り向く美少女のお前は自分の部屋に置いておけるのか?」


「び、美少女……っ!?」


 驚いた顔をして、またもや頬を林檎色に変える火ヶ吏。


 しかしそれもすぐ、火ヶ吏は深く息を吐くと余裕に満ちた笑みをたたえた。


「問題はない。君は無防備でいたいけな少女を襲うような野蛮な人間ではないと、私は信頼しているよ」


「随分と簡単に信用されたもんだ」


「それに私は決して無防備な少女ではないからな」


 風が吹き、火ヶ吏の笑みを光が照らし上げる。


 瞬刻の後には、ミノルの眼前で五人の男たちを薙ぎ倒した純白の剣が彼女の手に握られていた。


 ぎらり、と透けるような銀色をした刀身が輝く。


「君くらいの男、いざとなれば細切れのサイコロステーキに変えてしまうことはそう難しくはないよ」


 その言葉を受けて、ミノルは。


 サイコロステーキってのは、多くがミンチや牛脂を混ぜ合わせた上でサイコロ状に成型したものなんだぜ。だからその表現は厳密に言えば適切じゃない。俺のことを細切れの肉片に変えてやるって意味で例えるんなら、その場合はカットステーキの方がより正しい表現さ。


 ……なんて揚げ足取りをする度胸もなく。


「それを聞いて安心した。おかげで余計なことに頭を悩ませず、ぐっすりと眠ることができそうだ」


 と、引きつり気味に苦笑を浮かべたのだった――。





「――いやいや、やっぱり安心できないだろう。甘んじて受け入れるべき状況じゃないだろこれは」


 回想を終えたミノルは昨日の自分につっこまずにはいられなかった。


 別に己の理性が信用できないわけじゃない。そもそもミノルは、口では色々と言ってはいたが実際は野蛮でも何でもないのだ。むしろ同年代の男子と比較すれば肌色要素に興味を示すことが少ない部類の人間だった。


 では何をそう悩んでいるのかと言えば。


「先の展開が読めちまってつらいところだ」


 そう呟いて、ミノルは誰に向けたのかも分からない笑みを浮かべた。


 そこで一旦、思考を終える。


「とりあえずは顔でも洗って目を覚ましておくか」


 温まった便座から腰を上げて、ミノルはトイレから出た。


 部屋の奥、その窓際にかかるカーテンの隙間から漏れる日差しは幾分明るみを増しているように思われた。


 結構長い間トイレに籠ってしまっていたようだな、なんて考えつつ、ミノルは洗面所や浴室へと続くドアに手をかける。


 そしてそのままドアノブを回すと、欠伸交じりに足を進めた――。



 ――しゃわあーーーーーーーっ。きゅっ、きゅっ。



 浴室には灯りがともっていた。なんなら磨りガラスの向こうにはぼんやりと丸みを帯びたシルエットが見えてしまっていた。


 ちょっと視線を落としてみれば、籠の中には純白の下着類にピンク色のパジャマが放り込まれていた。


 間違いはない。生命の危機だった。


 だがどういうことだろう。咄嗟のことだったからか、それとも顔を洗う前で目が覚めきってはいなかったからか、ミノルの身体は硬直してしまっていたのだ。


 結果として、撤退する暇もなく。


 ――がらがら。


 ミノルの目の前で、その扉は開かれてしまう運びとなった。


 滴したたる艶やかな黒髪をバスタオルで拭きつつ浴室から出てきた全裸の美少女と、魚のように口を開けた少年とが互いに視線を交わらせる。


 その顔は当たり前に美しくて、しかしほんのりと頬を上気させた様が非常に色っぽかった。続いて細く長い首を辿っていくと、健康的に浮き出た鎖骨がミノルの目を惹いた。けれどそれも束の間で、たわわに実った二つの形良い果実がそれはもう元気に弾んで自己の存在を主張する。やがて果実からしたたる水滴を追っていくと、それは引き締まった腹部から小さく可愛らしいへそを通って柔らかそうな太ももを流れ落ち、果ては綺麗に筋の通ったアキレスを伝って床へと染みた。得も言われぬ旅であったと満足げに消えていく滴を見届けて、ミノルの視線は再び火ヶ吏の視線と交わった。


 火ヶ吏はにっこりと笑っていた。


 応えるように、ミノルもぎこちない笑顔を模ってみせる。


「や、やあ火ヶ吏。お前は確か昨日の晩にも風呂に入っていたようだが、まさか朝にもシャワーを浴びるタイプの人間だったんだな」


「ああ。朝にシャワーを浴びると、それだけですっきり目が覚めるからな。そういう君は早朝から早速覗き行為か? いや、そんなはずはないさ。だって昨日も言った通り、私は君が野蛮な人間ではないと信頼しているからな。その信頼に間違いはないはずだよ。そうか、寝惚けているんだよ君は。人は寝惚けているとよく分からない行動をとってしまうものだからな。そうだろう?」


「あ、ああそうなんだ。実を言うと俺はとても寝起きが悪い人間でな。寝惚けていたもんでついここへ入り込んでしまったようだ。いやー悪い悪い」


「そうか、そうか。それは大変なことだ。それなら早く君の目を覚ましてやらねばなるまい」


「へ」


 瞬間、洗面所の中を突風が駆け抜けたかと思うと、次にミノルが目を開けたときには火ヶ吏の手に剣姫白鳳が握られていた。


「いや、ちょ」


 ミノルの額に冷たい汗が滲む。


 けれど弁解の余地なく、時間なく。


 さらに逃げる暇なく、隙もなく。


「……参ったな」


 やがて、諦観と反省を抱きつつミノルは笑んだ。


「もっと目先の展開を読んでおくべきだった」


 そんな台詞を掻き消すほどの暴風が、既にミノルの前にはあった。


 火ヶ吏の笑顔が告げる。


「――おはよう、ミノル。もう目を覚ます時間だぞ」


 そして無情にも剣は振り下ろされ、疾風の刃が再び洗面所を疾駆した。





「死ぬかと思った」


 日も昇りきっていないというのに、早くも疲れた様子を見せるミノルの姿がそこにはあった。


「死を覚悟するほどの事態に巻き込まれたにもかかわらず生きているのか。君は実に幸運な人間だな」


「んなわけねーだろ。ったく、朝っぱらからあんな目に遭うなんて一人でいた方がよっぽど安全だぜ」


「私の裸体を覗きに来た君が悪い。どうにも寝惚けた身体が勝手に動いて仕方がないというのなら、今晩からは君の両手両足を縛り上げて眠りに就くことにするぞ。これでお互い安心して眠ることができるだろう」


「遠慮しておく。自分の身体くらい自分で管理できるさ」


 実際は寝惚けていたわけじゃないしな、とミノルは心のうちで付け加えた。


「君がそう言うのならば信頼しよう」


 そう言って、火ヶ吏は黙々と箸を進める。


 二人は食卓を囲んでいた。


 テーブルに並べられた品々は、その全てが火ヶ吏の用意したものだ。白ご飯に、卵焼き、味噌汁に焼き鮭、そしてほうれん草のおひたしと沢庵が数切れ。バランスの取れた見事な和朝食だった。


 文句を垂れるのはやめにして、ミノルも朝食を口に運ぶ。


「ん。旨い」


「そうか。それは嬉しい限りだ。私の料理が君の口に合うかどうか心配だったのでな」


「お前って料理上手だったんだな」


「意外だったか?」


「まあな」


「ふふ。しかし別に上手と言うほどでもないよ。人並みにこなせるだけだ」


「これを人並みと呼んでいたんじゃあ、他の人間に失礼だぜ」


「そこまで褒められるとなんだかむず痒いな。けれど、ありがたく受け取っておこう」


 嬉しそうに顔を綻ばせる火ヶ吏。


 きっと本当はものすごく料理を作ることが好きなのだろうなとミノルは思った。


 というか美人で強くて人格者で、おまけに料理も上手いとくればこの少女の一体どこに欠点があるのだろう。こういう人間がいるんだから、きっと世の中には不細工で弱くてひねくれ者で、おまけに料理もド下手な人間だっているに違いはない。


 天は二物を与えず、なんて言葉があるがあれは嘘だ。本物の神様はもっと気まぐれでずぼらな性格に決まっていると、ミノルはそう思った。


 なんてことを考えながら食事を進めていると、不意に火ヶ吏の手がミノルへ伸びた。


「な」


「じっとしたまえ」


 そう言った火ヶ吏の指先がミノルの頬に触れ、そして去っていく。


 ミノルの視界に映った彼女の指の先には、米粒が一つ乗っかっていた。


 俺の頬についていたのか。言ってくれれば自分で取ったのに。


 言おうとしたミノルの眼前、火ヶ吏はその白米を、


「ぱくり」


 あろうことか、自身の口に含んだ。


「んな」


 思わず言葉を失うミノル。


 ミノルのそんな様子を見て、火ヶ吏は申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまない。はしたなかったな」


「いや、そうじゃなくてだな……」


 続けようとして、ミノルは言うのを止めた。


「もういい。早く食ってしまうぞ」


「ああ、そうだな。うかうかしていては遅刻をしてしまう」


 その後はお互いに無言で料理を掻き込みながら。


 ったく、変な女だぜ。


 ミノルはそんなことを考えていた。





 それからしばらく。


 朝食を終え、片付けを終え、登校の準備を済ませたミノルと火ヶ吏の二人はそろそろ部屋を出ようとしていた。


 ドアの前に立つ火ヶ吏が振り返る。


「そろそろ出るぞ、ミノル」


「ああ」と生返事をして、ミノルはハッと思い至る。


 先ほどの自分がこのときを思って悩んでいたことに。


「ちょっと待て、火ヶ吏」


「なんだミノル、忘れ物でも思い出したか。それはここにあるのか。それとも男子寮に置いてきてしまったりしたのか」


「いや、男子寮に残してきたものはないし、そもそも忘れ物でもない」


「だったら何だと言うんだ」


 急かすように問う火ヶ吏の顔を見つめて、ミノルは。


 大きく深呼吸をして、言った。


「ひょっとすると今は、多くの学生が登校している最中じゃないのか?」


 それを聞いた火ヶ吏は、呆れたように肩をすくめた。


「当然だろう。だからこうして私たちも部屋を出ようとしているところではないか」


「だとしたら今、女子寮の廊下は女子学生で溢れ返っているんじゃないのか?」


「まあ、そうだろうな。実際に今、扉の向こうから無数の足音が私の耳に届いている」


 やはり。ミノルは思った。


 予想通り。これは実に憂うべき事態だ。


 けれど予想をした上で、ミノルは対策を考えていた。


「先に行け、火ヶ吏」


「なに」


「先に行けって言ってるんだよ。心配するな、後でちゃんと行くから。遅刻もしないように心がける。だから行け」


「何故そのようなことをする必要がある。それに今出ないと遅刻を避けることはできないぞ」


「察せってんだよ、馬鹿。今、外に出たら男の俺が女子寮で夜を明かしたってことがバレるだろうが」


「何を言い出すかと思えばそんなことか。それについては心配ないと昨日言っただろう」


「お前はそう言うけどな。いくら規則上は大丈夫だからって、やっぱりまずいものはまずいんだよ」


「だからといって二人別々に登校していては、結局は君を一人にしてしまうことになるじゃないか。それでは君をここに住まわせている意味がない」


「通学の間くらい大丈夫だって。そんなに学園と離れているわけじゃないし。とにかく先に一人で行けって」


「いやだ」


「行けって」


「断る」


「いいから行けって」


 しばしの押し問答の末。


「全く。我儘ばかり言う奴だな、君は」


 溜息をつく火ヶ吏。


 やっと折れてくれたか。


そう思って一息つきかけたミノルの期待を裏切って、火ヶ吏はドアから離れると部屋の奥に進んでミノルの真後ろに立った。


「何やってんだよ。俺の頼みを聞いてくれるんじゃないのか」


「聞くわけがないだろう。仕方がないから私が力ずくで君のことを部屋の外に出してあげるのだよ」


 言うが早いか、火ヶ吏は剣姫白鳳を具現化する。


 そして、身構えようとするミノルを待たずに言った。


「固有スキル――《不染の領域》」


 火ヶ吏が持つヤイバのスキル、それは敵と認識した者を一定以上近づけない能力。


 今このときの火ヶ吏は、意識の中でミノルを敵だと認識した。


 故にミノルは火ヶ吏の側にはいられない。


 ならばどうなるのか。


「うおおおおうううわあああああッ!?」


 途端に激しい風による壁が展開され、ミノルの身体は大きく吹き飛ばされた。


 そしてそのまま部屋のドアを突き破り、ミノルは見事に女子寮の廊下へと放り出されたのだった。


 焦り、驚く女子学生たち。


 けれど、そんなことを気にしている余裕などミノルにはなかった。


「お、お前それは反則だろう……!」


 壁にめり込むミノルを満足げに見下ろして、火ヶ吏は言った。


「さあ、学園へ向かうとしよう」





「いてててて。どっか折れてたとしても不思議じゃねえぞ」


 痛む身体を自分でさすりながら、ミノルは火ヶ吏の横を歩いていた。


 ジト目を向けて非難の意を顕わにするミノルだったが、当の火ヶ吏は、


「時間がないというのに駄々をこねた君が悪い」


 と、反省の色なし。


「……やっぱ男子寮で暮らしてえわ」


 火ヶ吏には聞こえないように愚痴って、ミノルは周囲に視線を配った。


 やはり注目されている。


 女子らの注目は当たり前だった。転校二日目にして女子寮からの登校だし、それ以前に女子寮内であんな騒ぎを起こして注目を浴びない方がおかしい。


 けれどミノルに奇異の眼差しを送るのは決して女子ばかりではなかったのだ。


 男子学生の多くまでもがじっとミノルに視線を向けてはひそひそと噂を立てていた。


 少し考えれば理由は分かった。


「やっぱりお前って、学園じゃ有名人なんだな」


「私がか? そう感じたことは一度もないが」


「感じたことがないだけさ」


 千氷火ヶ吏以外に、男子の視線が向く理由など思いつかない。


 黙っていたって超がつくほどの美少女が真・生徒会会長だなんて名乗って学園理事長に抗うような真似をしていれば、そりゃあ皆に覚えられないはずがなかった。そんな彼女が連れている名も分からない少年が誰なのか気になって仕方がない。そんなところだろうとミノルは想像した。


「ったく、昨日の件なんかよりもこっちが原因で目をつけられるような気がしてならねえんだよな。気のせいであって欲しい限りだが」


 なんて自嘲気味にミノルは笑ってみせる。


 既に校舎は目の前に見えていた。


 中庭を通りながら時計台に目をやると、時間は八時十分を指していた。


 今日は遅刻するようなことはない。


 したがって特待上級生に絡まれることなどないはず。


 ない、はず。


 はず、だった。



「――お前が雑木噺ミノルか」



 地鳴りのように低く、しかし真っ直ぐ鼓膜に届く、まるで淀みのない声音だった。


 それが周囲に響いた途端、弾かれたように学生たちは左右に整列して昇降口からミノルたちへと続く通路を形成する。


 かつり、かつり、と小気味好い足音を鳴らしながら、声の主は昇降口から現れた。


 巨人。そう呼ぶに相応しい大男だった。


 体長は優に二メートルを超えていた。基本的に細身ではあるようだったが、無駄なく鍛え抜かれた身体には鋼鉄のごとき筋肉の鎧が纏われており、決して華奢などという印象をミノルに抱かせはしなかった。


 その屈強な肉体が、ミノル、そして火ヶ吏の前に立つ。


 目の前に立たれると、それはまるで大木のようで、思わずたじろいでしまいそうになるほどの凄みを備えていた。


 けれど怯みはしない。むしろ浮かべるのは、挑発的な笑み。


「そうだけど。そういうあんたは何者なんだ」


「これは失礼した」


 言葉では言うが、頭は下げない。見下ろす姿勢に変化はない。


 分厚く膨れた胸板を張り出し、男が言う。


「私の名は仁王川轟鬼(におうがわごうき)。六年〇組に所属し、この学園において体育科教諭を任された特待上級生である」


 それを聞いてミノルは思い出す。


 この男が、昨日の朝礼の際に全校生徒に対して号令をかけていたことを。


 最高学年の六年生であり、なおかつ教師役を務め、行事の際は号令を出す立場にある特待上級生。


 つまりは、それだけミガカに信頼されて高い地位を持った人間だということだ。


「なるほど。あんたが特待上級生の中でもさらにお偉いさんの、いわゆる幹部クラスの人間って奴か。で、そんなお偉いさんが俺に一体何の用だ」


「まさか……! 私の予想通りこのミノルが転校初日から特待上級生を相手に暴れ回った事実を受け早速粛清に出向いてきたというのか」


 何故か割り込んでくる火ヶ吏。


「違う」


 しかし、あえなく一蹴。


「そもそも浜地田らを討ったのは千氷火ヶ吏、お前であろう」


 切れ長で鋭い仁王川の目が、ぎろり、と火ヶ吏を見る。


 だが火ヶ吏も肝の据わった人間だ。


 負けじと口端を歪めては眼前の巨人を睨み上げた。


「その通りだよ、仁王川。だったら私を粛正するか?」


 仁王川は、数拍の沈黙。そして。


「いや。この学園では強者こそが絶対。浜地田達がお前に負けたのならば、その場で正しかったのはお前だということだ。それを今更覆そうなどとは決してせん。したがってお前に対する制裁はなく、雑木噺の遅刻についても不問とする」


「そうか」


「――だが」と、仁王川の発したその一言が一瞬にして空間に重圧をかけた。


「この私の前で学園、延いてはミガカ様に仇成す行動を取った場合には問答無用で制裁を下す。己の過ちを悔い、無知を恨み、ミガカ様への敬畏と共に血の涙を流すまで徹底的に罰を与え抜く。その事を肝に銘じておけ」


「その忠告、ありがたく受け取っておこう」


 なおも挑発的な笑みを崩さない火ヶ吏だったが、そのこめかみには一筋の汗が伝っていた。それほどの威圧感が仁王川にはあった。


「ところでよ」


 ミノルが言った。


「結局、俺を呼び止めた理由は何なんだよ。大したことじゃねえんならもう行くぞ。この後には我らがミガカ様のありがたーーーーい朝礼が待ってることだしな」


 ぬっ、と仁王川の顔がミノルへ向けられる。


「雑木噺、お前に一つ忠告がある」


「忠告?」


 そしてまたしばしの沈黙。


 その間の重圧が、ミノルにはたまらなく苦しい。


 しかし挫けず、火ヶ吏と同じように不敵に笑んで睨み返す。


 やがて仁王川は重々しくその口を開いた。


「異性間の交遊には気をつけろ」


「は」


「既に情報は聞いている。お前は昨晩、女子寮にある千氷火ヶ吏の部屋で寝泊まりしたらしいな。確かに校則または寮則に明文上それを禁止する箇所はないが、道徳上、高校生の身分であまり派手な男女交際は控えておけ」


「お、おう」


 あまりに大人らしい普通の指導だったので、思わずミノルは素直に頷いた。


 言い終えると、仁王川はミノルたちに背を向ける。


「以上だ。登校完了時間が迫っている。急いで教室に向かえ」


「本当にそれだけか?」


「ああ」


 軽く顎を引くと、そのまま仁王川は昇降口の方へと戻っていく。


 あまりに拍子抜けだったので、ミノルの口は軽く開いてしまっていた。


 と、仁王川の歩みが止まり、その横顔がミノルを見た。


「付け加えて言うならば、あまり我々の目につかぬよう努めることだ。ただでさえお前はヤイバを持たぬ一般人。ミガカ様がお掲げになっている学園の方針に照らし合わせれば、不要物となるべき最有力候補の一つなのだから」


「貴様、ミノルが不要物だと……っ」


 柳眉を逆立てて仁王川に殴りかかろうとした火ヶ吏をミノルは制し、代わりに仁王川へ不快感を与えられるよう精一杯に口角を吊り上げてみせた。


「そりゃご親切にどうも。せっかくだから頭の片隅にでも置いとくよ。ま、なにぶん隅っこなもんだから置いたことすらもすぐに忘れちまうかもしれないけどな」


 仁王川は、何も言わなかった。


 無言のままに前を向き、また小気味好い足音を鳴らして、無言のままに昇降口の向こうへと消えていった。


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