07 勝利の朝焼け
次に目を覚ました時、真っ先に目にしたのは妖精グミ。
「ルア様! ルアリス様ぁ!」
淡い橙色の髪を揺らし、涙ながらにぺちぺちと私の頬を叩く。私の小指よりも小さな手。痛くはない。
身体は重いが、戦いの最中の苦痛はない。グミが少し治癒をしてくれたのだろう。
広間には、ドラゴンの代わりに巨大なクリスタルに溢れていた。
魔王を封じているクリスタルだ。私の膨大な魔力の塊とも言える。
まるで氷付けにしまったようにも見えるが、決して冷たくはない。中は透けるようでなにも見えず、ただ私達を鏡のように映す。
私は弾かれて、床に倒れたのだろう。
私が穴を開けた天井は更に崩れて、陽射しが入り込んでいる。空は白が滲む青色だ。千年近くこの城の頭上を覆った黒い雲は晴れた。とても澄んでいる。クリスタルに光を与える陽のおかげか、ここの空気も澄んでいると感じた。
大きく息を吸い込む。
私は、魔王を倒したんだ。
幾度も味わってきた強いものに勝ったあとの達成感。そして満足感。今までとは比べ物にならなかった。
大声で笑いたくなる。声高らかに、魔王を倒したと叫びたくもなる。
代わりに、私を頭の上から見下ろす召喚獣達に、満面の笑みを向けた。
「全く……信じられん。一人で魔王に勝つなど、貴様は化け物か。少女の皮を被った化け物だろう。かつて、こんな偉業を成し遂げたものはいないぞ」
聖獣リューベルは、褒めているのか、貶しているのか、わからない言葉を吐いた。聖獣のくせに、口が悪い。出会ってから、全く変わらない。
千年前に一度魔王を封じた勇者も、仲間とともに魔王と戦った。魔王封じの魔法も、四人がかりで唱えたという。
私は魔王と一対一で勝利したから、私は過去の英雄も超えたと言える。
過去の英雄も超えた。胸を張りたい。
「わっはっはっ!! 流石だな、ルアリス!!」
妖鬼ネシアが、豪快に笑う。
「末恐ろしい娘じゃな」
聖鳥ガルダが腕を組み、静かに笑う。
「はーぁんっ! 流石ルアリ!! もう素敵すぎる! ご褒美に、ちゅー!!」
妖魔アリリスが抱きつき、顔を押し付けようとしたから、鷲掴みにして突き放す。
魔王封じが成功すれば、余波が広がり、魔物は逃げ仰せる。このクリスタルには、魔物は近付けない。だから、私が勝利した時点で、魔物の軍勢は退散したはず。
とは言え、あの数だ。それなのに、皆は無事だった。
「お前達もよく生き残ったな。今戦ったら、勝てる気しない」
下剋上されそうだと、見上げながら笑う。
今更だが、私はかなり心強い味方を得たのか。彼らがいなければ、魔王と一対一なんて叶わなかった。
「フン、魔王を倒した者に勝てる気がしない」
リューベルはそう返すが。
「今は無理でも、わしは必ずお前に勝つぞ」
ネシアは勝つ気満々で言った。それは楽しみだ。
「――…ルアリ」
そこで私を呼ぶ声は、耳から浸透していくような不思議な低い声。私を見下ろすように黒いコートを身に纏う、美しい男の姿をした鬼。リヴェッシュだ。
「リヴェッシュ……なんでここにいる?」
「ルアリの手によって魔王が封じられる瞬間を、見逃せるわけがない」
黒と赤に縁取られた不思議な水色の瞳を細めて、穏やかに微笑むリヴェッシュは、観覧しに来ていたらしい。
一見、雫型の宝石を口元まで差し出された。それにはリヴェッシュの血が入っていて、治癒のために時折私に飲ませてくれる。
より効果的にするために、コーティングをしているから、水晶の中に赤い宝石があるようにも見えた。
口を大きく開ければ、舌の上に雫が置かれたので、こくりと飲み込む。
「今は魔力がないに等しい。ぎりぎりだった」
このリヴェッシュの薬は、魔力も一粒で回復してくれる。
「さっさと帰りなさいよ、もう用がないでしょ!」
「……お前に指図される筋合いはない」
アリリスがしっしっと手を振れば、口元に笑みを浮かべたままのリヴェッシュは冷たい瞳で見下す。
アリリスとリヴェッシュは、非常に仲が悪い。
私を間に挟んで喧嘩される前に、立ち上がって広間を進む。
魔王封じのクリスタルの向こうに、玉座があった。ドラゴンを連想させるような黒い光りする刺々しい大きな玉座の奥に、扉がある。普段は魔王が守っているからなのか、まじないの類いはなく、簡単に押し開けられた。
財宝部屋。
魔王が何千年も貯えている宝だ。本で読んで想像したものより、きらびやか。金貨や金棒が積み上げられていて、金の装飾に溢れ、ダイヤやルビーが霞む。金一色で眩しいな。
「君が宝に興味を示すとは、意外だ」
扉に寄り掛かって私を眺めているリヴェッシュが、声をかける。リューベル達も扉の向こうから見ていた。
「いや、興味ない。一つ、見付けたいものがあるだけ」
金がなくとも不自由なく生活は出来る。今までそうしてきた。
私が探しているのは、一つだけ。それを見付けるには時間がかかりそうだ。
「ルアリ! これきっと似合うと思うの」
アリリスがいつの間にか入り込み、奥から出てきて、首飾りを私につけようとした。青く大きな宝石に、左右には紫の宝石がずらりと並んだ首飾り。
私の首につけようとしたから、アリリスの頭を掴んで引き離す。
「……アリリスの方が似合うよ」
「え? いやん……ルアリったらっ!!」
アリリスの晒した胸元には、それくらい派手な首飾りが似合うと思う。
アリリスは顔を真っ赤にすると、煙になって消えた。
「ありましたわ、ルア様!」
グミが見付けてくれたのは、クリスタルばかりの首飾りだ。小さな身体で私の元まで運んでくれた。
「それは……人間の国宝か」
覗き込む前に、リヴェッシュは気付くなり顔をしかめて離れる。
この首飾りは、人間の王国の国宝。千年前の魔王封じのクリスタルを削って作ったものだ。魔物を寄せつかない結界を張ることが出来る。魔王は復活後に財宝を奪い返すと同時にこの首飾りも奪ったのだ。
私がよく読んだ本には、この首飾りを取り戻すべきだと書いていた。
別に私は国王から命じられたわけじゃない。放っておいてもいいけど、子どもの頃から読んでいる私には、義務に思えてこれだけは回収しておくことに決めていた。
「私と契約していないあなたには、この空間にいる自体、苦痛でしょ?」
リヴェッシュが顔を歪めている原因に気付いて問う。
聖獣や霊鳥は無害だが、鬼や妖魔もこのクリスタルには当てられる。人間と契約して召喚獣になっていれば守られるが、リヴェッシュは契約していない。
「……帰るよ。ではまた、会おう。英雄ルアリス」
リヴェッシュは私の肘を掴んで伸ばして、首飾りをなるべく離す。それから、私の左頬に口付けをした。
「なんでそいつのちゅーはよくて、あたしのちゅーはだめなの!?」
また煙とともに現れたアリリスが詰め寄るが、私は頭を掴んで押し退ける。
「アリリスは唇を狙う……舌を噛みちぎられたら唱えられないから嫌だ」
「噛みちぎったりしないわよ!? ちゅーするだけよ!?」
「唇には触れるな」
頬に口付けを押し当てられても、別になんとも思わない。だが、どうしても唇には触れられたくない。魔法を使う大事な唇なのだ。
アリリスが喚くと、リヴェッシュは鼻で笑い退ける。何故かまた私の頬に口付けをした。忽ち、リヴェッシュとアリリスが騒がしく財宝部屋を出ていく。
「好きなもの持っていけば? ガルダは妻に贈れば?」
「そうさせてもらおう。グミよ。選んでおくれ」
魔王の物は、今や私の物。でもいらないから、報酬として好きに貰えと伝える。
妻のいるガルダは頷き、ネシアは箱一杯の金貨を抱えた。リューベルは、沈黙でいらないと示す。
「ルア様、女神様にも贈り物を……」
「うん、任せる」
女神に贈るに値する首飾りがあるかはわからないけど、許可すればグミは財宝部屋を飛び回った。
「帰るとするか」
ネシアは箱を両脇に抱えて、ニカッと笑う。
「そうだ、契約破棄をしよう」
もう召喚することはないだろう。目的は果たした。
「次会った時は勝つぞ、英雄ルアリス」
笑いながら、ネシアは召喚の陣で元いた場所に帰っていってしまった。
煙とともにアリリスが私の前に姿を現すと、投げキッスをして煙とともに消える。
「もう喚ぶな、英雄ルアリス」
リューベルはそっぽを向くと、宙を駆けて行ってしまう。
喚ぶなと言うなら、召喚獣の契約を破棄すればいいのに。
誰も破棄すると同意せずに帰ってしまった。残っているのは霊鳥のガルダ。
「黒の深い森まで送るぞ。これからも好きに呼ぶがいい。英雄ルアリスよ」
召喚獣のままでいるというなら、別に構わない。
ガルダとは一戦交えたあと、深傷を負ったガルダの代わりに、魔物に襲われていた子どもを救った。その恩で召喚獣になったのだ。恩返しなんて、いらないとずっと言ってきたのだけど。
私はそのガルダの厚意に甘えることにした。
国宝の首飾りは布に包み、グミが選んだ首飾りだけを持ち出す。
広間に聳える魔王封じのクリスタルを見上げたあと、ガルダの背中に乗せてもらい、魔物の国を飛び去る。
巨大な鷹の翼が羽ばたく。その背中は広くて、快適だ。空を飛ぶのは、嫌いじゃない。空から空を眺めるのは、中々良いものだ。
魔物の国は、味気ない。
城の周りは荒れ地で、戦場の跡の抉れた岩場に囲まれている。病んでいるような黒ずんだ森。ところどころ街があるが、廃墟も同然。石で積み上げた家や小さな城で、全体的に灰色まみれ。
明るい色をなくした地のようだと感じていたのに、今は素敵な地に見えた。
それは朝焼けのおかげだろう。向かっている地平線に漂う雲は、影が濃い。橙色を纏う白い朝陽が隙間から漏れて、世界をその色に染めていた。
廃墟も荒れ地も白と橙色に輝き、ところどころ赤を照り返す。鬱蒼とした森はエメラルドの輝きを持って、まるで生き返ったようだ。
空は青色を白く染められたが、雲の元は濃厚な青が残され、橙色と混ざった紫色もほんのりと漂う。
金貨の輝きよりも、ずっと美しい眩しさだ。
また叫びたい気持ちになり、私はガルダの肩に足を出して肩車の形にしてから、頭をポンポンと叩く。
「叫んでいい? ガルダ」
「今日だけだぞ、英雄!」
普段はしないから許可を取る。ガルダが笑う声が、座る背中から響いて伝わった。私は両腕を広げて、朝の冷たい風を身体に受けながら、それを肺一杯に吸い込んだ。
「魔王を超えたぞーッ!!!」
朝焼けに向かって、叫ぶ。
嗚呼、冷たい風が、気持ちいい。
嗚呼、世界が、美しい。
生きるための目標を達成した満足が堪らなく、嬉しい。
人生が満たされている。実感した。
何度も何度も、倒れては立ち上がってきた。その甲斐があった最高の最後だ。
この胸に溢れて止まない幸福感、生きている実感、そしてこの美しい世界。
忘れないように、胸の前で強く拳を握り締めた。
短編を書いた際に、連載で長々と書いてみたいと10話書きためたのですが、
私の力が尽きそうなので断念しました。
今回はキリがいいので、7話だけ。
もしも、力が充電できたなら、再開したいと思っております。
目的が生きる力となり、ひたすら進んだルアリスは、他のことには無頓着。
そんなルアリスに、タイトル通り、愛情を注ぎ続ける召喚獣やら他の者達の視点をたくさん書いていきたいです。
充電、貯まれ!
20151023