06 魔王
後ろは振り向かない。
敵は多すぎるが、私の召喚獣はそれほど弱くはない。振り向かなくていい。
私は、前に進む。
胸の鼓動が張り裂けそうなほど乱れる。
巨大な扉を、お手製のボムで吹き飛ばす。
私の心臓まで爆発したのかと思うぐらい、静まり返った。
マントを脱ぎ捨てながら一つ深呼吸をして、中に入れば、長年目指してきた魔王がそこにいた。
その姿はドラゴン。たった一晩で国を滅ぼせるとも言う。そんなこと、十歳になる前から知っている。
広々としているはずの広間に、その身体は大きすぎて溢れそうだ。
背中から生える蝙蝠のような翼は、広間の柱を切り裂くことも出来そうな鋭さがある。
黒光りする身体は、硬そうな皮膚。普通のナイフでは傷一つ、つけられないとわかる。鋼で、何より強い鎧だ。胸の鱗の隙間からは赤い光が漏れる。
炎の類いは効かない。
大きな口には牙がずらりと並び、火の粉が溢れた。熱を感じる。
その凶悪な顔は、私の身長の三倍。黒い角が二本伸びていて、顎はどんなものでも噛み砕けそう。
ギロリと睨み下ろす紅い瞳に、笑っている私の姿が映った。
挨拶もなく、戦闘は始まる。
吐かれた炎は、魔法を相殺する剣で叩き切って道を作った。
顔目掛けてボムを放ち、攻撃を食らわせる。
踏み潰されれば一溜まりもない前足まで、滑り込んで剣で切った。やはり堅い。だが、この剣は魔法で強化した私の傑作品だ。ぱっくりと傷を作った。
しかし、相手は不死身の魔王。忽ち、自己治癒されて傷が塞がる。
そんなこと、十歳の頃から知っている。驚きはしない。
首を切り落とすつもりで、氷の魔法を掛け合わせた斬撃を放つ。巨大な槍のような氷柱の斬撃は、太い首を半分も切れなかった。
魔王は反撃に出る。
噛み付こうと顔を近付けたから、一端離れると、私を追って床から火柱が幾つも飛び出す。
「"――清浄を凍らせ"」
逃げ道を塞がれると気付き、炎も凍らせる氷の魔法を詠唱を始めた。
魔力を込めた言葉が、強い魔法を発動する。
空気が、凍り始めた。
「"炎をも封じて、純白の色に染めよ――"!」
渦巻く火柱は、言葉の通り白に染め上げるように凍り付く。
凍りついた炎を階段にして、魔王に向かえば、深紅の翼で阻まれる。一振りで広間は竜巻が発生したかのように、広間に風が吹き荒れる。
飛ばされる私を飲もうと魔王が大きな口を開くから、そこにありったけのボムを投げた。
爆風を食らうが、距離も取れた。
「"――光を解放せよ、喚き瞬き纏われ"」
広間の柱を駆けるように移動しながら、詠唱する。
剣に火花を散らすように小さな雷がまとわりつく。
魔王は尻尾で先の柱を壊してきた。尻尾とぶつかる前に、力一杯蹴り上げて魔王の頭に向かう。
「"閃光の刃――"!」
と、見せ掛けて、落雷の斬撃を放って、片翼を切り落とした。
ドラゴンの悲鳴が、巨大な城を揺さぶる。
私は攻撃の手を緩めない。
「"――震わせ風よ、集えそよ風。見えなき刃を数多尖らせ、振るえ、荒れ狂い踊れ――"!」
背中に着地して、詠唱しながらも、魔法道具を転がす。発動すれば棘となり、爆発するスピだ。ドラゴンの背に突き刺さっては、爆発する。
放ったスピが全て爆発し終わったと同時に、詠唱も終わった。
私の周囲に集まった鋭利な風が、暴れまくる風の魔法。さっきのお返しだ。
背中の傷を広げていく。このまま畳み掛けたかったが、そう簡単にはいかなかった。
背後から尻尾に叩かれて、壁に叩きつけられる。巨大な分、強烈。痛みに悶える暇もなく、ドス黒い炎が吐かれて、私は避けるために転がってから立ち上がり駆け回る。
目を疑う光景を目にした。
火柱が四方八方から襲い掛かり、柱の隙間には触れたものを吸い尽くす黒の塊が塞ぎ、炎まで吐かれる。逃げ場がない。
一瞬、混乱したが、ならば切るしかない。
火柱を剣で切り進む。しかし、その先に尻尾が迫り、振り払われて、また壁に叩きつけられた。
すぐに起き上がれなかった私の目の前に、牙。
食われかけて、咄嗟に瞬間移動の道具ルボルを使った。溢れた光の粉が召喚陣を作り上げて、瞬く間に天井へ。最後のボムをそこに使った。
天井を崩したあと、尻尾を切り落とそうとしたが、残った翼が生み出した竜巻に阻まれて、吹き飛ばされ柱に叩き付けられる。
その後も、阻むものを削ろうとしたが、駄目だった。翼も背の傷も完治してしまい、私のダメージは計り知れない。
広間に黒い塊が覆い尽くすように現れた。剣で叩き切っても、尻尾の攻撃を受けて身体が悲鳴を上げる。
床に倒れて、身体が重すぎると感じれば、もう死んでいいのではないかと過った。
もう十分じゃないか。
全力で戦ったのではないか。
もう、ここで食われて、楽になってしまえ。
瞼を一度閉じたが、またいつものように奮い起こされた。
これが最期ならば、全てを使い果たせばいいじゃないか。魔力どころか、命さえも使い果たせ。これが最後だ。
ここまで来たんだ。
ずっと目指してきた。
勝つことを夢に見た。
幾度もくじけそうになったが、ここまで何度も立ち上がって進んだ。
魔王に挑むために、魔王を勝つために、魔王を超えるために。
最後ならば、立ち上がってくたばれ。
最後ならば、最後まで、挑んでいけ。
最後まで、挑んで挑んで挑んで、それから朽ちろ。
超えるために進んだ。最後まで、超えるために突き進め。
そのための命と決めた。
「――うああああぁああああっ!!!」
気付けば、全てを振り絞るように、腹の底から声を張り上げて立ち向かっていた。
これが最後だ!
これが私の最後だ!
これが私の命だ!!
私の全てを、ぶちこんでやる!!
全力で走り、ドラゴンの下を滑りながらスピを放り投げる。爆風を利用して尻尾の下まで移動したあと、雷鳴の斬撃で切り落とした。
瓶の中から出した液体を二つの氷山に変えて、翼に落として磔にした。
「"――響かせ雷鳴、駆けろ雷鳴、我が刃の先から! 轟音の剣となれ――"!」
詠唱しながら、こちらに炎を吹こうとするドラゴンに向かい、顎に剣を突き刺す。そして、剣を通して電撃を放つ。
怯んだ隙に、私はとっておきの魔法道具を出す。これは何年も考えて考えて考えて、そして仕上げた傑作。
ドラゴンのような巨大な魔物も拘束できる頑丈の魔法道具。
ベルトを外すと同時に発動すれば、四方の床に釘が刺さる。抜けやしない。釘を結び付ける鉄よりも固い縄が、ドラゴンを締め上げて拘束する。
「"――不滅の者に牢獄を与えん"」
息を吸い、私は最後の詠唱をした。魔王を封じる魔法。
十歳の頃から何度も何度も念じて練習したそれは、歌うように簡単だ。
「"我が命によって、囚われよ。我が命によって、支配されよ。我が命の限り、牢獄は不変"」
私の溢れ出す魔力が、十字形の光となって輪になる。無数の輪が広がり、魔王を包み始めた。それは詠唱に合わせて、踊るような動き。鳥籠のように、何十にも重なった。
膨大な魔力が使われる感覚は、深傷を負い血が流れ落ちる時と酷似している。
もしも魔力を使いすぎていれば、失敗に終わる。私の命も、終わる。失敗の代償だ。
魔王が詠唱を邪魔しようと暴れたが、傑作の魔法道具は暴れるほど締め上げ、激痛を走らせる。翼も動かない。尻尾も治癒が終わっていない。口も開かない。
「"汝の名は我のもの、汝の力は我のもの、汝の力は我のもの"」
背中から魔王の目を見つめながら、唱え続ける。
眠ってしまいそうなほど、穏やかさを感じた。
それでも、魔王を見据えた。
魔王は黒の炎の魔法を発動させたらしい。煮えるような赤と黒の炎が、広間を塗り替える。とかすような熱さも感じた。
しかし、そんなものは私の魔力の光で眩んで見えなくなった。
「"我に囚われよ――"」
詠唱の終わりは、勝利の宣言。
光に包まれながら、私は笑った。
◆◇◇◇◆
魔王封じの魔法。
それは千年前に、強者の仲間とともに勇者が使った。初めて成功させた英雄達。
不死身の魔王を封じる不変の牢獄は、完成すると余波を放つ。禍々しい魔力を持つ魔物は、追い払われる。
魔王の城を中心に、光の輪が世界に広がった。雲をも打ち消し、晴らした空を朝焼け色に染める。
そして、遥か先にある魔王の城の位置を示す黒い雲も、消えたことを世界は知った。
世界中が、知るのだ。
魔王が封じられた。
平和が訪れた。
新たな英雄が、誕生した。