旅路6
エルウッドと別れたタケルたちの行程は、馬車の制限がない分、往路よりも早い歩みとなった。
装甲車の中は和気藹々としている。タケルのプレゼントと博多での休暇がいい効果を表しているようだ。タケルは働いたことがないのでわからなかったが、やはり働き詰めは良くない、リフレッシュは必要だなと実感した。ブラック企業ならぬブラック傭兵団にしてはいけないと、休養の大事さを心に命じた。
その中でも、アルラだけ表情を時々歪めている。顔も耳まで真っ赤だ。
「海は楽しかったけど、こんな事になるなんて……」
「忠告したのに聞かなかった」
「油を塗るなんて食材みたいじゃない。それに普通は油を塗るほうが焼けるはずじゃないの?」
アルラは初体験の海水浴で、サンオイルを塗らなかった上、楽しすぎて一日中遊んでいたために、全身真っ赤に日焼けしていた。元々透けるような白い肌なだけに、見ているだけで辛そうだ。
一方レティシアはこんがりと小麦色に焼けていて、ワンピースの水着跡もあり、夏の健康的な小学生のようだ。
アルラはレティシアに頼まれて塗ったサンオイルのヌルヌル感がイヤで、塗り返そうとしたレティシアに断ったらしい。まさかこんな事になるとは思ってもいなかったようだ。さっきから休憩のたびにグレイヴにドラゴンブレスを適当に空撃ちしてもらい、その時に出来た氷を集めては、車内で肌に当てて冷やしている。
「なんでヒミコは無事なわけ?」
「私はタケルに丹念に隅々までオイルを塗ってもらったから」
それを聞いたレティシアが「その手があったか!」みたいな悔しそうな顔をする。
アルラは焼けていてよくわからないが顔を赤らめているようだ。
塗ったのはサンオイルじゃなくて防水防塵のオイルだけどな。
「今日は野宿は辛いでしょうから、早めに小倉か門司で宿を取りましょう。火傷用の軟膏を買っておいたから宿でタケルに塗ってもらうといいわ」
ヒミコの言葉で、塗られるのを想像したのかアルラの顔が更に赤くなる。
「それなら私も、ご主人様」
負けじと便乗してくるレティシア。お前は必要ないだろ。
軟膏の効果があったのか、2日もするとアルラはまだ肌が赤いながらも痛みは引いたようだった。
その頃にはすでに本州に戻り、ツクシとウェルバサルとの国境に向かっていた。
アルラの回復もあり、またレティシアは小柄なため車内スペースを取らないため、タケルたちの移動スケジュールは以前の、夜も移動する強行軍に戻っていた。
その初日の夜、というか翌朝、夜間に車中で寝る時には、レティシアは事前に精神防御を使うのが賢明だと判明した。レティシアは寝ている時に抱きつき癖があるようで、タケルが目を覚ますと、レティシアに抱き枕にされていた。これがタケルだったから良かったものの、もしグレイヴに抱きついていたら、その瞬間にレティシアは恐怖に跳ね起きる羽目になっていたかもしれないし、最悪、淑女にはあるまじき失態を晒していた可能性もある。
翌日から車中で寝る時には、できるだけ2人の場所を離すようにしたが、狭い車内には限界がある。以降の旅が気まずくなるのは避けたいが故の処置だった。
ちなみに、アルラは大丈夫なのかというと、アルラは逆に驚くほど寝相がいい。寝た時と全く変わらない姿勢で起きるほどだ。聞くと、エルフは本来の意味で睡眠を取ることがないそうだ。勿論、ベッドで眠ることも出来るのだが、エルフが行っているものは睡眠というより瞑想というもので、1日に4時間から6時間ほど瞑想できれば十分らしい。
瞑想というのは人間で言うところのレム睡眠より浅い睡眠状態のようで、瞑想中も外界の反応は分かるらしいし、更に言えば横になる必要もないらしい。なので装甲車での夜間行軍中は、アルラは座ったままで瞑想をしている。
便利だなぁと思う反面、エコノミー症候群とか大丈夫なんだろうかと、心配してしまうタケルだった。
移動を強行軍に戻して2日目の夜、すでにツクシとウェルバサルの国境は越え、ホーフも通り過ぎてフィロシマへと向かっていた。まだ皆が眠りに付かず、装甲車のルーフを開いて、月明かりで歓談をしていた時の事だった。時刻としては夜の10時ごろだろうか。
「タケル、2時の方向、距離約3キロ、海岸から火の手が幾つか上がっているわ。おそらく漁村が海賊の夜襲を受けているようね。どうする?」
タケルたちはルーフから身を乗り出して右前方を見る。月に照らされた青白い空と、暗く沈む大地と海、その彼方に幽かに赤くなった場所があるのがわかる。
九州から本州に戻った時、トンネルの警護の兵が「最近、蛮族どもの動きが活発になっているから海辺は気をつけたほうがいい」と忠告を貰っていたのを思い出す。もっとも、その兵は親切というよりは、ヒミコに話しかける理由が欲しかったようだったので、対価としてはヒミコの笑顔とお礼で十分に報われているようだったが。
「急行してくれ。できれば助けたい」
「了解よ」
ヒミコはハンドルを切ると街道を外れ、不整地を村に向かって一直線に進み始めた。不整地に入ると、装甲車の車高は僅かに下がる。不整地走破用に、タイヤの空気圧を調整しているためだ。
スレイプニルを繋いでいるように見せているロープを解放し、スレイプニルは装甲車に併走させる。
「グレイヴ、先行できるか?」
「いや、この距離なら我の速度よりもこの馬車の速度の方が着くのは速い」
「なら、射程に入り次第、威力は抑えて、住民に被害が出ないようにブレスを撃ってくれ。注意を引きたい。村人に被害が出るようなら撃たなくていい。別の方法を考える」
「承知した」
「それなら照明弾を打ち上げたらいいんじゃない? グレネードランチャーの方が射程は長いわよ」
「そうか!」
ヒミコの助言に従いタケルは太い筒のようなものを引っ張り出し、その筒に握り拳ほどの大きさの弾を装填すると、近づいてくる火の手が上がる村の上空に向けて、斜め上に構えると引き金を引いて発射した。
ポンッ、という気の抜けた音と共に村の上空へ飛んでいった弾は、上空でまばゆい光を放つと、村の光景を照らし出した。
日の光とまではいかなくとも、松明などとは比べ物にならない明るさの光が頭上に生み出され、ゆっくりと頭上から落ちてくる事態に一瞬固まった蛮族たちは、次いでパニックに陥りかけたが、優秀な統率者がいるのか、それとも本能か、自分たちに物凄い速度で接近してくるヘッドライトの2つの光に気付くと、放火を止め迎撃の態勢に入ったようだった。
一方、タケルたちは十数秒程度だったが、照明弾で照らされた村の様子が見て取れた。
漁村には2隻の海賊船と思しき船が海岸付近に乗り上げ、略奪できそうなものは粗方積み込んでいるようだった。照明弾と燃える家屋に照らし出された村には、多くの村人が倒れ伏しており海賊が放火をしている途中で、動いているのは海賊たちだけだった。
村人と海賊の見分けはすぐについた。海賊は夏だというのに毛皮を被り、まさに、未開の蛮族といった風情だったからだ。
蛮族は早くも最初のショックから立ち直り、思い思いに雄叫びを上げこちらを威嚇している。その間にも、2隻の海賊船は押し出され、乗り上げた場所から海へ出る準備をしている。
そこまで見て取れた時点で、照明弾は消え海に没した。
本来であれば、照明弾を時間差で上げて照らし出すところだが、今回は注意を引くのが目的なので既に目的は達している。タケルはランチャーを置き、拳銃に持ち変える。
「村人の救出が優先だ! 逃げる敵は無視していい! このまま村の中まで突入! 突入後グレイヴは単独で周囲の敵海賊を掃討! アルラ、レティシアは装甲車から目に付く敵を攻撃。優先順位は村人の近くにいる奴、こちらに向かってくる奴の順! スレイプニルは村の外周を移動して警戒索敵!」
タケルが矢継ぎ早に大声で指示を出すと、全員が頷き、各々の準備を始める。
装甲車が砂埃を上げ、村の広場に滑り込むと、運転席の上に待機していたグレイヴが大きく跳躍し、海賊の一人にそのまま体当たりを食らわせる。
海賊はその勢いをそのままに受け、背後で燃え盛る家屋に壁を破壊して突き抜けていった。その衝撃で脆くなっていた家屋は火の粉を撒き散らしながら盛大に崩れ落ちる。
漫画の擬音のような派手な音と共に吹っ飛んだ海賊が立っていた場所には、体当たりを食らわせたグレイヴが堂々と立ち、周囲を取り囲む毛皮の蛮族たちに向かって、腕を高速で動かし流麗な動作で体を沈め何かの構えのようなものを取っている。
戦闘スタイルが変わったかと思ったが、タケルはそれが何かすぐに悟った。見よう見まねで無茶苦茶ではあるが、中国拳法の構えのようだ。その上、突き出した手を、クイックイッと手首だけ曲げて挑発するように招いている。影響されすぎだろ。
装甲車に接近してくる敵は、近づく前にアルラが射抜き、レティシアが火炎で焼いている。この砂埃と煙が舞う村の中では、レーザーが効果を発揮できるか疑問だったので、タケルは近づいてくる敵に銃撃を浴びせた。だがそれでもタケルたちへの距離は詰められていた。
蛮族というだけあって、かなり頑強な体をしていたのだ。矢や銃弾を受けても、一撃では倒れない。2発、3発と当たって初めて膝をつく。レティシアの魔法は効いているようだが数で来られると分が悪そうだ。
しかし、突入から数十秒で、戦闘は収束した。
初撃で数人を倒された蛮族は、素早く撤退を選択したようだった。
村に獣の吼え声のような叫びが響き渡ると、潮が引くように素早く船へと逃げ去った。
正直な話、タケルは安堵した。蛮族があれほど強靭な肉体をもっているとは思わなかった。あの2隻の船に乗る蛮族が総出で攻撃に転じられたら、流石に撃ち漏らしが出てくるかもしれない。そうなると安全は絶対とは言えず、村に被害を出すような攻撃をしなければならなくなるかもしれない。
やはり数は力だ。
女性陣に生存者の救出を任せ、タケルとグレイヴは海岸で蛮族の撤退を見張っていた。
実は撤退は見せ掛けで、反転して逆襲してくることを警戒してだ。
幸い、海賊船は反転することなく水平線へと消えていった。
船の形を見るに、海賊船はどうやら大きくはあるが、和船のようだった。
平底の船だからこそ、浅瀬にまで接岸できたのだろう。
そういえばタケルはまだ船に乗ったことがない。この世界での船は和船が標準なのだろうか?
遠洋航海が必要なければそれも十分に考えられる。一度確認をしておいたほうがいいだろう。
浜辺には蛮族の死体が転がっていた。
タケルたちの攻撃を受け、ここまで撤退してきたがここで息絶えたようだ。
タケルはその死体を調べてみた。
女だった。
だが、それ以上にタケルを驚かす事実があった。
『ヒミコ、ロボットに蛮族の死体を調べさせて、データを取ってくれ。蛮族は……人間じゃない』
蛮族。
未開な文化の人間の集団。
日本語が使われているために、その意味するところも同じだと考えていた。
だが、この世界では蛮族の意味は違っていた。なぜならその言葉に相応しい種族が存在していたから。
蛮族は毛皮をまとっていたのではない。毛皮こそが彼らの表皮だった。人間のように直立し、手も道具も使えるが、同時に動物のような外見を持つ彼ら。
野蛮な種族。人間と獣のハイブリッド。野生に近い人のような存在。だから蛮族。
タケルの見ている死体は、体の大部分を覆う黄土色の毛皮に同じ色の髪の毛、本来耳のあるべき位置に突き出た獣のような耳。顔だけはつるりと人間のようだが、口には肉食獣っぽい牙が見える。
外見上は致命傷は無いように見えるが、タケルの銃弾が内臓のどれか、おそらく肺だろうが、それを傷つけたのだろう、吐血して死んでいる。
アルラ、レティシア、そしてグレイヴたち、この世界に住むものにとっては、蛮族の知識は共通にあるのだろう。タケルとヒミコが突然、蛮族の死体を検めはじめたことに対して不審な目を向けるが、自分たちのやるべき事、アルラとレティシアは生存者の捜索、グレイヴは周辺の警戒、は続けていた。
村の家屋は全て火が放たれており、最早どうすることも出来なかった。不幸中の幸いは漁村の為、森から離れており、延焼する危険が無いことぐらいだった。村は文字通り全滅で、一人の生存者もいなかった。倒れている者は全て死体だった。
「敵ではなさそうだが、人間が一人近づいてきているぞ。東側からだ」
グレイヴの声に、全員が東に注目する。
子供だった。8歳ぐらいの男の子が放心したようにとぼとぼと歩いて近づいてきている。
明らかにおかしな様子に、アルラとヒミコが駆け出し、男の子の下へと駆け寄る。
男の子は粗末な服を身につけ、涙を流しながら炎を上げる村を眺めて、呻き声のようなものを上げていた。
近づいた2人には関心を払わず、村を見つめ「あー、うー」と声をだす。
怪我がないか調べるヒミコにも、されるがままになっている。
程なく、タケルたちも子供の周囲に集まる。
「その子はどうしたんだ?」
「怪我はないわ。声が出せないみたい。声帯に異常は認められないから心因性のものでしょうね」
「この襲撃でPTSDにでもなったのか?」
「いえ、それよりも前だと思うわ。もしこの襲撃を見れる場所にいたなら、いまここにいないでしょうから」
あれだけ念入りに村人を殺害して回った海賊が、この子供を見逃すはずがないと暗に言っている。
村人が皆殺しにされた事を、ヒミコは子供の前で口に出すのが憚られると思ったのだろう。
子供は絶望の表情で涙を流している。おそらくは絶叫を上げ泣き叫びたいのだろう。
こんな時に声を出せないというのは、もどかしく、苦しいだろうと思った。
アルラとヒミコが優しく声をかけているが、反応を示さない。
「ヒミコ、少し眠らせてやってくれ。このままでは心が壊れるかもしれない」
ヒミコは頷くと、一瞬だけ子供を両手で持ち上げて宙に浮かせ、その後、首筋に手を添えて鎮静剤を注入した。おそらく体重を測って投薬の量を調節したのだろう。
崩れ落ちる子供を優しく抱きとめると、小脇に抱えた。
「ご主人様、小屋がある」
レティシアの指し示す方を見ると、村から離れた場所にポツンと粗雑な小屋が建っており、子供の歩いてきた方角とも一致していた。
既に燃えるものは燃えつくしたのか、村の火事は沈静化しつつあったので残る必要もない。
「いってみるか」
タケルの言葉に、全員で小屋へと歩き出した。
その小屋はお世辞にも家とは呼べない代物だった。
長年の風雨に晒され、やや傾いでおり、無数の小さな隙間ができ、まさしく雨風を凌げる程度のものでしかなかった。おそらく元々は漁師小屋だったのだろう。家の中には寝台代わりの藁の山と、火を使えるように粗雑に石が組まれた竈のようなものが、かろうじてここが家である事を主張していた。
小屋は狭く、全員は入れないのでヒミコが子供を抱えて中に入り、藁山に寝かせて様子を見ている。
外ではタケル、アルラ、レティシア、グレイヴが手持ち無沙汰になんとなく輪になって座っていた。
「なぜ、あの子だけこんな離れたところにいるんだろう?」
「多分、村八分」
見た目西洋人のレティシアから、物凄く日本的な単語が飛び出してきた。考えてみれば、このメンバーの中で一番この世界の人間社会に詳しいのはレティシアだ。タケルはレティシアにその根拠を説明してくれるよう促した。
「この漁村は海賊に抵抗できるだけの防備がなかった事から、この前冒険者ギルドの依頼で行ったあの開拓村のように、貧しい者や食い詰めた者たちが作った、比較的新しい村。そんな村で障害のある少年を養える余裕のある家はない。小屋の裏に墓標のようなものが見えた。おそらくあの子の親の墓。なんらかの理由で家の稼ぎ手がいなくなり、ここに親とあの子供で暮らしていたが、親が死去し、引き取り手のないあの少年一人で暮らしていた。そのため海賊の襲撃では発見されなかった」
「なにが幸いするか分からぬものだな」
「これを幸いと言っていいのかしら?」
グレイヴとアルラが感想を言い合う。
「だが、あの様子はそれだけとも思えなかったが」
タケルは少年の感情が入り混じった複雑な声の出せない嗚咽を思い出して言った。
「それは虐殺だったからかもしれない。本来なら、海賊は村の皆殺しなど行わない。今回のように夜襲で不意打ちが成功しているときは特に。こんなに念入りに皆殺しにするのは、海賊側に何か理由があった可能性がある」
「それは感じたわ。村人は家の中や逃げようとした人たちはその場で殺されていたけれど、従順な人たちは村の中央に集められて殺されてたし、村の家屋も残らず焼き払われていた。普通ならそんな手間と時間をかける必要なんかないのに」
「村が海賊の恨みを買っていたということではないか?」
タケルの言葉にそれぞれが意見を言う。
本当にそうだろうか?
あの少年は遠目から村の炎上を見ていた。死体も幾つか見ていたかもしれない。だが皆殺しにされたかどうかはわからないのではないか? 村が襲われたこと自体にショックを受けているようだったが。
海賊が村人を皆殺しにした理由も不明だ。
この世界で夜に移動することはほぼないとは言え、近くにいた軍や街道巡視兵や冒険者が火災を目にしてやってくることも皆無ではない。
事実、タケルたちはやってきた。
略奪という目的を果たせば出来るだけ早く引き上げるに越したことはない。にも拘らず蛮族は時間をかけた。あの撤退の引き際の良さからすれば統率は常に取れていたようだし、襲撃の狂騒によるものではない。何か目的があって、それが果たされていないから長居をしていたのか?
最近海賊の動きが活発になっていることと関係があるのか?
わからない。わからない以上今考えても仕方ないのだろう。
もし蛮族の宗教がらみとかだったら、見当もつかないしな。
気がつくと、グレイヴとアルラが何事もないように立ち上がっていた。
タケルはキョトンとしているが、2人の様子を見てレティシアはさりげなく手元に杖を引き寄せる。
遅まきながらタケルも気付く。というより気付かされる。
『小屋の裏の雑木林に熱源2が接近中です。熱源の1つは巨大です』
タケルがヘルメットのバイザーを下ろすと、俯瞰の簡易マップの小屋の反対側の茂みに光点が2つ見える。小さい1つは近づいてきている。
マジか。グレイヴとアルラはよくこれに気付いたな。
タケルは音を立てないように立ち上がるとハンドサインで小屋を示した。
全員音を立てないよう気をつけながら、小屋の陰に身を寄せて隠れる。
茂みから出てきた人影は小柄な子供のようだ。音も立てず素早く小屋まで寄る。
挟み撃ちにすべく、二手に分かれて回り込む。グレイヴに反対側に回ってもらい、飛び出してもらう。
驚いたその人影は元の茂みに飛び込もうと走り出すが、それを先回りして捕まえる……はずだったのだが、思ったよりも相手が早かった。驚くべき俊敏性で半ば先回りしていたタケルたちを振り切って茂みに飛び込もうとしている。
タケルは全力ダッシュで飛びついて、茂みに入る本当に直前に、辛うじてその人影にタックルをすることが出来た。
暴れるが、その体躯は軽く、本当に子供であるようだ。
だが、次の瞬間、タケルはその子供を抱きかかえたまま硬直する。
目の前の茂みをかきわけ、タケルの眼前30センチの距離に、巨大な肉食獣のぎらついた双眸があったのだ。
その時タケルは思いの他冷静に「あ、コレ死んだ」とか思っていた。
諦めとかそういったものではなく、本能的な感想だった。
まさしく蛇に睨まれたカエル状態。
おそらく体長4mくらいはありそうな巨大な虎のようなもの。
ような、というのは、タケルの知るトラの形はしているのだが、相違点があったためだ。
こんなに巨大なトラは知らない。それにトラは黄色と白に黒の縞模様のはずだが、このトラは緑に茶と黒のタイガーストライプだった。こんなガチの迷彩の生物は見たことない。
この巨躯を見れば、タケルの持っている拳銃なんて豆鉄砲である。
暴れる子供以外、タケルの世界の時間は停止していた。
ほんの数瞬だったのだろうが、タケルの走馬灯仕様で延ばされた時間を打ち破ったのは、頼れる仲間だった。同時に飛んできた2本の矢と火炎が、タケルに後ろへ飛びのく動作を取らせる。
その迷彩虎は茂みから飛び出し、矢と火炎を避けると、月光の下、全身をあらわにする。
やはり4mは超えていそうな巨躯である。そして尻尾が異様に長い。威嚇するようにひゅんひゅんと体の上で鞭のように振り回されている。しなやかな肢体は強さを備えた美しさを持っていた。優美な体を全身のバネを利用して力を溜めるように前半身を深く沈め、尻を上げ、尻尾を振り回す。陸上選手のスタートの前のような緊張感が漂う。飛び出したら止められないような殺人的なロケットスタートになるのだろう。こんな暴走機関車の前に立ちたい人間なんか一人もいないだろう。
だが、この世界最強を自負する種族が、不敵な笑みを浮かべてそこに立ち塞がっていた。
「面白い。久方ぶりに我のちからうぉぉぉぉおおおお」
別にグレイヴがおかしくなったわけではない。グレイヴの口上など気にも留めず、準備が整った迷彩虎が立ち塞がる邪魔者に突撃しただけである。
迷彩虎は頭を軽く下げ、頭突きのタックルでグレイヴを吹き飛ばそうとした。
虚を突かれたグレイヴはそれをマトモに食らい、だが、怯まずに胸で受け止め上から相手の首を抱え込む。しかし弾き飛ばされなかったものの、足場が悪く、そのまま後ろへと押されてゆく。
いつの間にか、暴れていた子供も、タケルに抱えられたまま、タケルたちと一緒になってその光景を固唾を呑んで見守っている。
足場が悪く、このままでは止まらない事に気付いたグレイヴは、背中の翼を広げ羽ばたき始める。その行為自体には羽が小さく物理的な意味は殆どないのだが、それにより発生する飛行の魔力の推進力を迷彩虎の突撃力の相殺に充てているのだ。
数メートルの距離を押されて、ようやくその突進力は弱まってきた。
「ひ」
そしてグレイヴの腕に力が込もる。
「との」
そしてその突進が止まるかと思われた瞬間。
「言葉は最後まで言わせんか! この畜生がー!」
セリフを言えなかったのがかなり頭にきていたのか、そんな叫びを上げると同時に、グレイヴは両腕で迷彩虎の首を抱えて、その膂力で地面から引っこ抜いて投げ捨てた。いわゆる「投げっぱなしジャーマン」である。
宙を高く舞う4mの巨体。月夜に舞い上がったそれは、いろんな意味で現実の光景とは思えない幻想的なものである。迷彩虎の悲しげな鳴き声が拍車をかける。
そしてタケルは気づいてしまう。
「あっ、バカっ! そっちはマズイ」
迷彩虎の悲しげな鳴き声は、落下していくみすぼらしい小屋へと尾を引いていく。虎の鳴き声にギャラリー4人の悲鳴が混じる。
その悲鳴に、グレイヴも自分が何をしでかしたのか気付いたようで、硬直している。
盛大な破壊音を立てながら、300キロを優に超える肉食獣は自分の意思とは関係なく、辛うじて小屋の体裁を保っていた家屋を粉微塵にただの廃材へと変える。
迷彩虎はその生涯で初めて味わう衝撃で、即気絶してしまう。
朦々と砂埃が立ちこめる中、ゆっくりとそのシルエットが姿を見せる。
ヒミコが両手で子供を抱えて、砂埃から歩みだしてくる。
ヒーローの生還に、固まった皆の体が動き出す。皆がヒミコに駆け寄る。一名を除いて。
喜びの言葉をかけられながら、子供をアルラに預けると、ヒミコは微笑を湛えて離れている一名に声をかけて近づいていく。
「グレイヴ、ちょっとお話があるのだけれど」
張り付いたような微笑が怖い。
「ヒミコ、聞いて欲しいのだが、我はワザとやったわけではなくてだな……」
言い訳を言いつつ腰が引けている最強生物。
「私の患者に危害を加えようとするなんて、私が今まで排除してきた敵みたいよねぇ」
「ち、違うのだ! あの畜生めが、我の話も聞かずにだな、そう、あの馬鹿でかい変な模様のネコが悪いのだ!」
「ごめんなさいね、グレイヴ。あなたまだ治さなきゃいけない所が残っていたのね。その戦闘しか考えられない脳細胞を治してあげなきゃいけなかったのよ」
「ヒ、ヒミコ、まて、なぜ刀を抜いておるのだ、ま、待ってくれ、う、うわーーー!」
ついにグレイヴは背を見せてヒミコから逃げ出した。
ついさっき、本能的な生存の危機を感じていたタケルは、その生物を気絶させた最強種族と、それを追い回す医療用ロボットを見て、複雑な力関係を考えさせられた。
それはさておき、改めて、自分の腕の中の子供を見る。
アルラの抱く男の子を心配しているようなので、解放すると、男の子の様子を見て無事を喜んでいるようだった。
その女の子の背はレティシアより少し低いくらい。小学校高学年くらいだろうか。日焼けした小麦色の肌にぴっちりとした短パンというかスパッツのようなものを穿き、同じくぴっちりとした短いチューブトップのようなものを身につけ、まるで水着のようである。その上から腰布と革のベストを身に着けてはいるが、それは全く体を覆う機能は果たしていないように見える。しかし、彼女の最大の特徴はそんな服装などではなかった。緑色に黒のメッシュの入ったショートカットの間から突き出したピンと張った猫耳、臀部から腰布を押し上げて垂れている尻尾、足首から下を覆った獣毛と靴を履く必要のなさそうな獣の足。毛皮こそないものの、彼女は蛮族の子供のようだった。
少年の様子が問題ないようだと悟ると、今度は小屋に墜落した迷彩虎い向かって、心配そうな顔で駆け出した。「ママー!」という叫びと共に。
なんと、ここは虎の穴だったのか。
虎穴に入るつもりも、得るつもりもなかったが、いつの間にかタケルはその手に虎子を得ていたようだ。
ふと、別のファンタジーもの書こうと思って、3000字ほど書いたところで全部消えました。
これは一本書き上げてから別の話にとりかかれという事だなと思い、浮気はせずにこのシリーズに専念することにします。
最近書きながら寝落ちすることが多くて、たまにやってしまっています。かく言うこの話もなんやかんやで4000字くらいは消してしまってるんですけどね。




