5、「絶歌」において語られていないこと
正直、『絶歌』という手記を読んでも我々の知りたいことのほとんどはわかりません。
なぜ彼があんな犯罪を起こしてしまったのか。彼は本当に更生したのか。彼は果たして本当のことを話しているのか……。何度読んでも彼の本音は隠されてしまっています。皮肉にもこの読後感を与えているのは彼の用いている小説的なレトリックのせいなんですけどね。どこか作り物臭く、コラージュでいっぱいである彼の文章は、彼の生の声が隠されているためにまるで本音が見えてこないんですね。その結果ゴースト疑惑が出たりバッシングが起こったりと香ばしい状況になっていますが、こればっかりは彼の自業自得としか言いようがありません(何かを書いたときの責任は常にその作者にあるものです。もちろんこのエッセイも例外ではありません)。
しかし、わたしはある程度彼の本音に触れることができたと思っています。
印象論とか「そう感じた」というものではなく、推論から導き出された彼の本音に触れることができたのです。
実は、これに気づくまで、このエッセイを書こうかどうか悩んでいました。正直この本についての分析なんていろんな人がやるだろうし(事実多くの人がブログや記事で意見を発信しています)、新しさなんてあるはずもない、と。
でも、わたしの気づいた推論がまだ出てきていないので、じゃあいっちょわたしがやりますか、という風に決めた経緯があります。
と、ハードルを上げて。
何度も繰り返しますが、『絶歌』は手記です。客観的な視点に基づいて書かれたものではなく、酒鬼薔薇事件の犯人という立ち位置から描かれた著作物ということになります。なので、内容については矛盾があることでしょうし、当事者ゆえの潤色も認められるはずです(わたしは歴史学が専門なんですが、歴史の史料を見ていると結構この例があります)。なので、これらの手記を読む際には、「ツッコみながら読む」というのが基本となります。どうツッコむか――。他の資料との突き合わせを行ない、事実関係を浚いながら矛盾点や潤色点を検討していく、という作業を行なうわけです。
そうやってわたしが読んだ感じだと、『絶歌』にはいくつか“語られていない”ことがあります。
まず、他の方が既に指摘していますが、母親との関係について。
事件当時の精神鑑定によれば、酒鬼薔薇聖斗と母親の関係についてかなり突っ込んだことが書かれています。母親の“厳しい教育”により彼の精神が歪み始めてしまった、と母親の存在が大きなものになっているんですね。しかし、『絶歌』の中ではあえて母親が矮小化されて描かれている上に、母親をかばうような記述さえ見受けられます。もっとも、これに関しては彼の人間的な感情が作用した部分ともいえないこともないのであえて不問に付すとします。
しかし、ここからが問題となります。
わたしが『絶歌』作者が彼だと思っている理由、それがこの矛盾点であり、かつ彼の今の心象を表している箇所だと思っています。
母親の手記によれば、幾度目かの接見の際、酒鬼薔薇聖斗が最初に自身を取り調べた警察官の近況を聞いてきた、という記述がありますが、彼はその事実を書いていません。
これには説明が必要でしょう。
最初に取り調べた時、警察には彼が酒鬼薔薇聖斗であるという証拠はありませんでした。彼の脅迫状や作文などの筆跡鑑定も進めてはいたのですが、筆跡鑑定の結果については一致していなかったといいます。しかし、警察側は「筆跡鑑定が一致した」と虚偽を述べて、否認する彼を“落とした”という経緯があります。
つまり、母親にその警察官の近況を聞いているということは、彼はその虚偽を述べた警察官について強烈な悪感情を持っていたという証左となります。
しかし、『絶歌』にその記述はなく、それどころか“しらを切りたい自分ともう罪を認めて楽になりたい自分”がないまぜになった心情を吐露しています。もし彼が当時そんな気持ちを抱いていたのなら、その警察官が虚偽を述べて自白を誘ったという事実について何も憤らないはずです。
この矛盾をわたしはこう見たわけです。『あの当時の彼は、本当はしらを切り通せるものならどこまでも切り通すつもりだったんだな』と。
そしてもう一つ。彼は『絶歌』の中にある重大な時期のことを書いていません。少年院時代です。
なぜ彼が少年院時代を書かないのか。その理由について、わたしは一つ思い当たることがあります。
少年院時代の彼が一つ大きな事件を起こしたということがルポによって判明しています。その問題を起こした彼は近しい人に「少年院ではいい子にしていなければいけない」旨の発言をしたとされています。彼がこの事件を含む少年院時代を描かないということ、そこに彼の本音を見る気がします。
彼にとって、「少年院ではいい子にしていなければいけない」という彼自身の述懐は、今の彼にとっても不都合なんです。なぜなら、それが彼の本音だから――。そう考えたらどうでしょうか。
いい子にしていれば少年院から出られる。この発言を伏せた彼は、この発言が自分の首を絞めるものであることを把握しているがゆえに書かなかった。そう判断すべきだと思います。(前の頁で『酒鬼薔薇聖斗は事件当時のことを忘れているのかもしれない』と書きましたが、一方で彼は親の手記や酒鬼薔薇事件のルポなどの関連書籍を読んでいることも同時に見受けられます。彼はこれらの事実を知りながらすべてスルーしているのです)
そしてここからが大事なのですが、『絶歌』著者が伏せている事実というのは、どれも明らかになると酒鬼薔薇聖斗の名誉を著しく損ねるものであるということです。わたしが『絶歌』が真筆だと思う理由はまさにそれです。たとえば版元がゴーストを仕立ててこういう本を作ったのならばルポにも書かれたこれらの事実から取材しないはずはありませんし、そもそも版元にもゴーストにも彼の名誉を守る必要性はないわけです。版元からすれば、彼が悪逆非道の犯罪者であったとしても問題ありませんし、ドラマツルギー的観点から見れば、とてつもない悪逆非道の犯罪者が様々な困難に出会って最後には改心した、というお話づくりができる分、前半部分での彼が悪逆非道であったほうが都合がいいとすらいえます。また、誰かが酒鬼薔薇聖斗を詐称していたとしても同じことが言えます。
赤裸々に描いているように見せて、ところどころで肝心な事実を伏せている。これはまさしく『絶歌』が酒鬼薔薇聖斗の真筆であるという蓋然性を著しく高める傍証であるとわたしは考えています。
そして、これらのことから見えてきた彼の姿は――。自分のかつて口にした発言にすら向き合わず、周りの目を気にして事実を曲げるという不誠実な32歳の姿なのです。