2、「絶歌」というテクストの特徴
さて、1でとりあえず「絶歌」の著者があの酒鬼薔薇聖斗であるという蓋然性が高かろうという暫定的な結論が出たところで(もちろんこれは100%を保証するものではありませんが、そもそも世の中に溢れている本の実作者が誰であるかだって100%の保証なんて出来ません)、「絶歌」をテクストとして分析してみましょう。
まず、「絶歌」について挙げられる特徴として、これが回顧録であるということです。
マスコミ報道などでよく引用されている文章なのでご存知の方も多いでしょうが、彼は序文の中で「スクールカーストの最下層に属する“カオナシ”」と当時の自らを表現しています。
彼が事件を起こしたのは1997年。そして“カオナシ”の引用元である『千と千尋の神隠し』の公開が2001年です。なので、「スクールカーストの最下層に属する“カオナシ”」と自己評価しているのは1997年当時の彼ではありえず、2001年以降の彼であるといえるわけです。つまるところ、彼は「今にして思えばこんな子供でしたよ」と述べているのです。実はこのスタンスは随所に見受けることができ、「今にして思えば」などのフレーズは頻出しますし、最後のほうで記憶を繋ぎ合わせてこの本を作ったという趣旨の文章が出てきます。
次に、この「絶歌」の特徴として、明らかに文体に村上春樹氏の影響があるということです。
文体の影響というのは数値化がかなり難しく一概には言えないものですが、半ばネタ的に言われているのが「村上春樹氏は『やれやれ』という言葉を多用する」というものがあります。そして『絶歌』では何か所か『やれやれ』を見受けることができるのです。
また、『絶歌』にはどこか“おしゃれ”なたとえ話や比喩、心象風景を比喩的に用いる手法が多いのですが、このやり方も、アメリカ文学の方法論を日本の文壇に持ち込んだとされる村上春樹氏の影響が見て取れます。
もう一つ特徴を挙げるとすれば、構成の妙です。
「絶歌」のあらすじを言ってしまえば、「酒鬼薔薇聖斗が罪を犯して警察に捕まり裁判所の判断を受けて少年院に入院し、退院してからの生活をつづったもの」とでもなります。しかし、これをそのまま時空列に従って書いてしまっては単調な読み物になっていたはずです。しかし『絶歌』においては、この時空列を大幅に動かします。
まず、警察に捕まった日のことを描き出したあとに罪に至るまでの道程を描いてやり、ところどころで酒鬼薔薇とその周囲の人々とのやり取りを適宜配置してやって過不足なく説明してから少年院に送致される、という風に、(素人にしては)かなり難しい構成を取っています。
以上三つの特徴によって、「絶歌」の読後感は一種特殊なものになっています。
「絶歌」は当事者が書いたもの、すなわち「手記」ですが、読んだ感じでは「実録小説・私小説」に近いものになっているのです。