はじめに
凄惨な殺人事件を扱った書籍の感想なので、もしかすると残酷描写が紛れ込んでいる可能性があります。その点ご注意くださいませ。
元少年Aを名乗る著者による本、『絶歌』が今年(2015年)刊行されました。
これを書いているのは刊行から15日余り経っている時点なのですが、まあ大騒ぎです。その狂乱じみた空気の中、わたしはこうしてキーボードを叩いています。
『絶歌』について書こう――。そう決めたのは、わたしの心の奥底に恐れめいたものがあるからです。
酒鬼薔薇聖斗とわたしは、紙一重なんじゃないか? と。
詳しくは語りませんが、わたしはかつてカウンセリングを受けている子供でした。疎外感を抱えながら隠花植物のように蔭にうずくまっていたわたしにとって、酒鬼薔薇聖斗は(同年代ということもあって)決して無関係な存在じゃありません。『もしかしたらわたしも酒鬼薔薇聖斗になっていたかもしれない』という危機感を強く持っています。
そして一方で、わたしは特に触法行為をすることなく今こうして暮らしているわけで、その差についても考えさせられてしまうのです。
――という個人的な思索を繰り返しているうちに、もしかしたら公共に資するかもしれない考察が生まれたので、こうして書き残して発表することにいたしました。
こんなセンシティブな語りからスタートする割に、中身はからっからに乾いた内容なので、そのあたりはご安心ください。
(逆に言えば、こういうセンシティブな語りから始めないと『絶歌』に言及できない現状にとにかく辟易しているんですけどね!)