<帰郷の空>
この日もまた、リノの閃かせた剣撃によって意識を現実へと引き戻された。しかし、今回のものは以前まで気いていたものとは違い、シュッ、シュッ、というキレのある鋭い音とは別に、チリチリという、聞き慣れた趣深い音とともに耳に響いていたのだ。
ギルドにある窓は基本的に、伝説的スキルを誇る名工によって作られたものなのだが、これが特殊で音をよく通すのだ。
まぁそういう前置きはよしとして、エルナードの脳裏には、すでに《謎の音》の正体がちらちらと顔を見せつつあり、徐々に胸の中で嫌な感じをじわじわと溢れさせていた。
我慢できなくなり、猛スピードでベットから飛び降り窓まで行くと、バッと両開き窓を開け、外を見る。
――想像していたものはピタリと的中した。
ギルド裏の小さな空き地で、リノがご丁寧にキャンプファイヤー規模の焚き火を築き上ており、そこへ自前の細剣《フリズレイト》でさっさと突きを繰り返していた。
一体何の練習をしているのか……エルナードには想像もつかない。
「ん?」
さらによく見てみると、窓から覗いてギリギリ見える位置、多少身を乗り出してみないと気付かない位置に、やはりといえばやはりなのだが、ユウカまでもがいる。
しかも、同じく名工の作品のひとつ《暗転花火》を大いに無駄遣いしている。特殊に配合された火薬を動力をして闇を作り出す優れものなのだが、なにより作成者が行方知らずという状況ゆえに残量が無い。それなのに、ユウカは馬鹿みたいに着火し続ける。
その所為で、あたり一体が黒ずんでいた。
その様子にエルナードは思わず、
「おいユウカ! お前何のつもりだ!」
窓から怒鳴りつけた。
するとその声でようやくエルナードの存在に気付いたらしく、ユウカもリノも窓のほうを向いていた。ユウカの微笑む姿が見えた気がした。
あまり言い予感はしない。
少しずつ、少しずつユウカが近づいてくる。
「エルナードぉ?」
「な、なんだよ……」
無駄にニコニコ、しかし明らかに目が笑っていない。そんな形相でユウカが窓に身を乗り出すエルナードに声を掛ける。
「忘れたとは言わせないわよ? 2年前、あなたが家のガラスぶち破った事」
しまった。そう、エルナードは確信した。
2年前、エルナードはたしかに酒場で呆気なく酒を飲まされてしまい、つい酔って喧嘩になり、ガラスを破ったことがあるのだ。
そのことを思い出し、返す言葉が見つからない。――しかし、返さなくてはならない。
「あれは、オレが酔っていてたまたま……。――えぇ……」
取り合えずではボールを打ち返した。そう思ったのだが、違った。
ユウカの左腕には、がっしりと酒瓶が握られていたのだ。
「――お前わざとだろ!」
ついそう言ってしまった。
最近妙にユウカが突っかかってくる。一体どうしたというのだろうか、エルナードは必死に考えていた。
あまりに考えすぎて、他の成すべきことがままならなくなってしまっていた事に気づいたのは、いつのことか……。
――少なくとも、この時ではない。
それから24時間。エルナードは、ギルド玄関に立たされていた。
「なにこれどういうこと?」
エルナードがなにを言おうと周りの人物――ニーナとリノはなにも答えない。
「だから、今日出発なのよ?」
「なんでいきなり?」
「ぜんぜんいきなりじゃないわよ? ニーナとリノちゃんは知ってたからちゃんと準備してるじゃない」
「オレは?」
「さぁ?」
単調な会話が続く。基本的にはユウカが攻め、エルナードが受けだ。
「ていうか、なに? まさかユウカまでついてくる気か?」
エルナードたちの目の前にいるユウカは、コート、マフラー、手袋のフル装備。
「当たり前でしょ?」
「ギルドは?」
「知らない」
もはや言葉すら出ない。目の前にいる女が本当にユウカであるかどうかすら疑問に思えてくる。しかし、この嫌味な性格は彼女しかいないと、体中の細胞が訴えている。
くそっ。エルナードは悲痛した。
――そして、それからさらに24時間が経つ。
現在。
どこからともなく流れていく凄まじい音がほとんどの音を削り取っていくようであった。エルナードの体温もともに。
「何なんだよっー! こっちってこんなに寒かったかー!!」
だらだらと垂れる鼻水と涙を結晶化させて、エルナードの声はほとんどかき消される。無事聞き取れたのは隣にいたユウカくらいだ。
「当たり前でしょー! いま冬なんだからー! なんで防寒具持ってないのよー!!」
「知らなかったんだよー! ていうかそんな余裕無かったろーがー!!」
ゴウゴウと吹き荒れる吹雪の中、極限まで張り上げた大声で、彼らは会話していた。
ギルドを出発してから1日。さっそく、困難に差し掛かる。
冬のコルニード山道は基本的に四六時中吹雪。それなのになぜエルナードが知らないか。
それは、この道が近道という名の危険ルートだからだ。ギルドから進行ルートとして許可されていないほどの。
しかし現在は依頼の進行中でもなんでもない、という事で、そんな危険ルートを通っているのだ。
下手をすれば命を落としかねないルートを何故わざわざユウカは選んでしまったのか、それはまったくの謎だ。