第一章・童顔教師・一
「先生、おはようございます」
朝の校門前。女子児童がわたしに挨拶をしてくる。
「ああ、おはよう」
わたしは彼女にあいさつを返す。
それが小学校の、朝の日課だろう。
子どもたちの元気な声を聞くと、活力が出るとはよく云ったものだが、まさにその通りだった。
みんな、元気に登校している。
「菰田先生、おはようございます」
わたしが担任を務めている六年四組の生徒である、礫石まさみが挨拶をしてきた。
それから続けざまに、潜木康生、桟原隆盛、神代優奈と、続けざまに登校してきては、わたしとあいさつを交わしていく。
わたしは、その一人一人に対して、
「おはよう」
と、返事をしていく。
「あふぅあぁ」
起きた時間が早かったせいか、あくびが出てしまう。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
そう挨拶をしてきたのは、雄ケ原たけしだった。
「先生、おはようございます」
小さな声が聞こえ、そちらに目をやる。
「田之中くん、おはよう」
そう挨拶をしたが、田之中は、まるで逃げるように校舎へと向かっていく。
それを目で追いながら、彼女が校舎の中に入っていくのを確認すると、自分の腕時計を見やった。
時間は八時五分。
「ほらぁっ! まだそんなところチンタラ歩いてんのかぁ! さっさとしねぇと校門しめっちまうぞ!」
わたしは、まだ校内に入っていない生徒に発破をかける。そして校門にグッと手をかけ、ゆっくりと閉めていく。
それを見て、慌てて走りだす子どもたち。おお、慌てとる慌てとる。
「先生おはようございます」
「おはようございます」
と、続けざまに何人かが走っていく。
それでもあいさつを忘れないのはいいことだ。
「菰田先生、おたくの生徒は?」
「多分全員来ていると思います」
同僚の、崩山という女教師にそう言うと、わたしはゆっくりと背中を伸ばすや、六年四組へと向かった。
「起立、礼。着席」
クラス委員長である雄ケ原たけしが号令する。
「うし、全員来てるな」
わたしは生徒全員の顔を見渡す。
席にひとつも空きはない。
「欠席はなし。何か体調が悪いとか、連絡があるものはいないか?」
そうたずねたが、子どもたちはとくに手をあげる仕草を見せない。
「よし、みんな元気みたいだな」
「先生、出席は取らないんですか?」
千々石有希が手をあげながらたずねてきた。
「出席を取るっていうのは、朝の会の時点で来ているかどうかだ」
わたしは教室の隅にある教師用の大きな机に座ると、生徒たちの名前が書かれた出席簿に、○を付けていく。
「それに、さっき体調が悪い子は言えって云ったよな?」
そう聞くと、子どもたちはうなずいてみせる。
「返事がないってことは、元気ってことだろ。うし、そんじゃぁ今日の受業だが……」
出席簿の記入を終え、立ち上がると、壁に貼られた時間割に目をやった。
「今日は四時限目に道徳があるな」
そう言うと、生徒の何人かが、つまらなそうな顔をする。
まぁ、道徳が好きな奴はいないだろうな。
その四時限目のことだ。わたしは子どもたちに――。
「今日は先生が体験した話をしようと思う。一回しか言わないからな」
そう言うと、わたしは椅子を教壇の横に持って行き、それに座った。
子どもたちの何人かは、一語一句逃さないように、真剣な表情で聞こうとしている。
いい姿勢だ。
こういう真剣さを、今のわかい部下たちは持っていない。
正直、見習わせたいくらいである。
「これは昔、ちょうど先生が学生の頃だったかなぁ。ある日、先生が通っていた学校で大きな事件が起きたんだよ。生徒の一人がいなくなってしまったんだ。先生はその生徒とは友人でね、よく一緒にバカやってたものだ。そいつは底抜けに明るくてな、三枚目気取りのムードメーカー。誰からも愛されていたと先生は思っていたよ。それがある日突然、なんの前触れもなくいなくなっちまったんだ。教室中は大騒ぎになるどころか、普通に受業を進めていった。最初からいなかったと云ってるようなものだったよ。先生はそいつの母親に会って、旅行に行っているって聞かされたんだ。でも先生はどうもそれが信じられなくてね。こっそりあいつがいつでも来ていいって渡してくれた鍵で、誰も居ない時を見計らって、そいつの部屋の中に入ったんだ。そしたら、そのなかも綺麗サッパリなくなっていたんだよ。あいつが大切にしていたゲームとか何もかもな。それで先生はわかったんだよ。ああ、いなくなったんだなぁって」
ここまで話し、一度深呼吸する。
そして子どもたちの目を見た。
何人かは、話の内容に気付いたのだろう。
震えた表情で私を見ている。
「学校は、そいつがどうしていなくなったのかを調べようとしなかった。わたしはそれがどうも納得いかなくてね、ちょうどこんな暑い日だったかな。ある日先生はクラスメイトのいじめグループに呼び出されたんだよ。そいつはちょっと調子に乗っているやつでね。わたしのことをいじめようとしたんだ。でもね、わたしはそういうのは嫌いなほうで、逆にそいつらを懲らしめたんだ。そしてわたしはそいつが、友人がいなくなった原因だって事がわかったんだ。正直、同じ目に合わせてやりたいと思ったよ。でもね、それは出来なかった。いや出来なかったんじゃない、してはいけないんだと、わたしがその同級生をこの世からいなくしてしまえば、結局はそいつとおなじになってしまう。いなくなった友人に、顔が合わせられないと思ったんだ」
わたしは、話を終わらせる。
「先生、その後その人はどうなったんですか?」
斎藤優子が挙手してたずねた。
「どうもならなかったよ。先生から反発されるのを恐れてか、二度といじめるようなことはしなかったが、他の生徒を見つけてはいじめていたよ」
「先生は、その人のためを思って考えなおしたんですよね?」
「そうともいえるかな? いや、あいつが目の前にいたら、先生は半殺しにされていただろうね。あいつはそんなやつだった。自分で考えて、そして自分で決着をつけた」
雄ケ原が、静かに手をあげる。
「どうして先生は、僕たちにこんな話を?」
「ただの気まぐれだ。先生の昔話を聞いてもらおうと思っただけだが?」
「でしたら、もう少し身になる話をしていただけないでしょうか?」
「ほう、たとえばどんなだ?」
わたしは、ちいさく首をかしげ、雄ケ原にたずねた。
「そうですね。今の世界情勢とか……、今日から役に立つことを話していただかないと」
わたしは雄ケ原を片目で見やった。
「それじゃぁ、今日はもうひとつ話をしようじゃないか」
子どもたちの何人かが背筋を伸ばす。
「じつはな、今日ニュースで聞いたんだが、ある家が小火に遭ったらしい。まぁ小火で済んだから良かったものだが、一歩間違えれば大火災。その家は全焼だったろうな。そうなるとそこに住んでいる人たちはどうなる?」
そう質問を投げかける。
「住む家がなくなってしまいます」
「そうだな。住むところがなくなったら困るものな。他には?」
「食べ物に困ります」
「そうそう、腹が減っては戦はできぬってな」
「中に人が取り残されていて、その人は焼け死んでしまいます」
そう答えたのは、田之中だった。
「ああ、人がいない時間帯なら誰も死ななかったかもしれない。でもな、人がいたら、その人は殺されたも同然なんだよ」
そう言うと、わたしは全員を見渡す中、ある生徒だけを一瞬に視線を送る。
そいつも気付いたのだろう。
わたしからあからさまに視線をそらす。
「いいか、小火っていうのは、放火魔だけの話じゃない。寝ながらのタバコや、点けっ放しのガスコンロに石油ヒーター。タコ足配線といった具合に、いろいろな形で起きる危険性がある。実際は放火魔の被害よりも、こういった油断からの小火が多いんだ」
そう話しながら、ゆっくりと、その生徒の近くまで歩み寄る。
素通りするように、うしろのロッカーへと行くと、それにもたれながら、その生徒をうしろから見る。
「たとえ小さな火でも、気付いた時にはもう遅いこともあるんだ」
子どもたちはゆっくりと、わたしの視線の先を見た。
「おい、どうかしたのか? 司――」
葛籠さとるが、母ケ浦司に声をかけた。
その母ケ浦は、青褪めた表情を浮かべている。
「先生、変な言いかかりはやめてくださいよ? オレがなんでそんなことしないといけないんですか?」
母ケ浦は震えた声で言った。
「ロケット花火だっけかな? 近所の人がその時間帯に耳を劈く……あぁ、つんざくというのは、突き破るという意味でな。その音がしてから一時間後に燃え始めたそうだ」
わたしがそう説明すると、桟原がゆっくりと口を開いた。
「先生、それが司がしたことっていう証拠はあるんですか?」
「したことというより、その近くにいたという証言はいくらかあったよ」
「だったら、したっていう証拠にはならないんじゃないですか?」
「ああそうだな。それに司はわざわざ一人でやっていたとも限らない」
そう言うと、母ケ浦はわたしを一瞥する。
その目は、警戒しているような眼だった。
「オレ、その日は塾でしたけど? それに、火事があったのは夜の十時でしたよね?」
「ああ、それも知っている。しかしな、わたしはいつ火事が起きたのかなんて、一言も言ってないぞ?」
そう言い放つと、母ケ浦はゴクリと喉を鳴らす。
「それにな、近所で花火を買っていたという店の人からの証言もあってな、まぁ誰が買ったのかは、云わなくてもわかっているんだろ?」
わたしはそう言うと、教壇へと戻っていく。
その時、母ケ浦の肩を優しく叩き、
「心配するな。お前がやったという証拠はない。花火の音が鳴ったという時間、お前は塾にいたんだからな」
13・10・7:文章修正。




