第三章・鬼哭・二
職員会議が終わり、職員室の自分の机で、ホッと息を吐いていた時だった。
自分の携帯が鳴り、着信に目を通す。
相手は、現川くんだった。
「もしもし。どうした?」
「先輩。あれから色々と調べましたが、まずはIPについて説明した方がいいですかね?」
「なにかわかったのか?」
「はい。あの書き込みがあったIPは、確かに先輩がいる学校からだったんです。で、今まで捜査に出れなかったのは、書き込みがあった時間帯にPCが使用されるはずがない。もしかしたら先輩が聞いた噂が関係しているんだと思います」
「誰かが遠隔操作のウイルスを仕組んだ可能性があるというやつだな」
「もしそれで書き込みをしたとすれば、送信したPCのIPになりますから、犯人の特定は難しいかと。それからもう一つ、葭川誠についてですが」
「葭川誠……。ああ、あの書き込みにあった金融会社の社長か」
すこし沈黙が訪れ、
「……先輩、もしかして忘れてました?」
と、現川くんがあきれた声で聞く。
「そんなわけないだろ? それで、そいつがどうかしたのか?」
「あの書き込みがあった晩、拳銃の音があったとあの書き込みにありましたよね?」
「あの後、運営に消されてはいけないと君に云われて、HTMLファイルで保存しているからな。家に帰ればすぐに調べられる」
「あの晩、先輩が帰った後に近辺を捜索しましたが、薬莢がなかったんですよ。それから拳銃も見つかりませんでした」
わたしは不思議に思い、聞き返す。
「だが、あの書き込みをした男性は、拳銃の音がしたと供述しているんだろ?」
「はい。ですがその拳銃が見つかっていない以上、彼の供述を立証することはできないんですよ」
しかし、どうしてあの書き込みをした犯人は、葭川誠の殺人を依頼したのだろうか。
「葭川誠には警備がついていたな」
「はい。殺人予告があった以上は仕方ないですが」
「……イタズラで済めばいいのだがな」
だが、現実的に拳銃の音があった。
が、それが本当だったのかどうか、わたしには確かめる術がない。
つまり犯人は……、実際には聞いていないか、実際に聞いてはいるが、わたしたち警察が思い浮かべる拳銃を使用していないのではないだろうか――。
「菰田先生、どうかなされたんですか?」
職員室に入ってきた崩山が、わたしに声をかけてきた。
「今日の飲み会どうなされます?」
そう言われ、時計に視線を向けた。
時刻は夜の七時になっていた。
「いや、今日は遠慮しますよ」
「あら、この前もそうだったじゃないですか。先生って付き合い悪いんですね」
崩山は残念そうな表情を見せる。
「すみません。帰って今度のテストの内容を考えないといけませんから」
「そうなんですか。大変ですね、私なんてネットで問題集を調べて調整してますから。大体ほとんど適当ですよ」
それはどうなんだろうかと思いつつ、わたしは苦笑いを浮かべた。
「それじゃぁ、また月曜日に」
そう言って、崩山は職員室を出て行った。
さて、わたしもそろそろ帰るか。
スーツの上着を着て、鞄を持つ。
ふと、なにか忘れている気がするのだが――。
「――先輩、酷いですよ。こんど今日の電話代払ってもらいますからね」
と、電話先で現川くんが言った。
彼女と会話をしていたことをすっかり忘れていたのに気付いたのは、ちょうど家に着いた頃だった。
わたしに対するいじめは、徐々にエスカレートしていた。
最初は無視から始まり、先の一輪の花もそうだし、給食の時のゴミもそうだ。
給食の時は、菰田先生の目が光っているせいか、あまり誰も仕掛けてこないけど。配膳時の量は、明らかに他の人よりも少なかったり、わざとこぼさせられたりしている。
それから、放課後とか昼休みに、あまり人が来ない場所(たとえば体育館の裏とか)に呼び出されそうになることはあっても、多分、本能的にわかるんだろうな。
放課後や昼休みに入ると、私は一目散に教室を出てるから、遭っていないだけだと思う。
「鑓川さん」
ランドセルに教科書を入れている時、神代さんから声をかけられた。
「…………っ」
お互いに沈黙。
「あ、あのね――」
先に口を開いたのは、神代さんの方だった。
「きょ、今日も一緒に帰らない?」
彼女のぎこちない表情を見て、すぐにわかった。
いじめられっ子に手を差し出せば、今度は自分がいじめられる。
もし私がそっちの立場だったら、なにもできなかっただろう。
だから私は、彼女が強いと思ってしまった。
いじめを受け入れようとした自分よりも、はるかに強いと――。
「ごめん、今日は急いでるの」
私はランドセルを背負うと、急いで教室を後にした。
学校を出て、少し歩く。
うしろの方を見ると、神代さんが歩いていた。
まぁ、帰る方向が一緒だから仕方ないけど。
私の視線に気付いたのか、神代さんは、あっと驚いた表情で顔を上げる。それからすこしして、また顔をうつむかせた。
私は、彼女から逃げるように足取りを早くする。
自分で言うのもなんだけど、かけっこは負けない自身があるし、神代さんは運動神経があまり良くない。
結果的に彼女をまいて、私は自分の家の前にいた。
うしろを見て、神代さんが来ていないのを確認する。
それから私の中で少しだけ、声をかけてきてくれた彼女に対する罪悪感が残った。
ポケットから鍵を取り出し、ドアを開けようとしたが、一瞬違和感があって、ドアノブを回してみる。
ドアはすんなりと開いた。
――開いてる。
足元を見ると、女性の靴があり、お母さんが帰ってきてるのだとわかるや、私はためいきをついた。
「ただいま」
靴を脱ぎ、家の中に入る。本当は自分の部屋に直行したいけど、喉が乾いていたこともあり、水が欲しかった。
「お帰り……」
リビングのテーブルで、お母さんはなにかを読んでる。
「あんた、この前、塾を休んだみたいね」
そう言われ、私はなにも云わなかった。
「それから、最近ちゃんと勉強してるの? このところ点数が良くないじゃない。先生が変わったからじゃないかしら」
「――大丈夫だよ」
私がそう言うと、お母さんは、睨むように私を見た。
「なにが大丈夫なの? あんたはこれからいい中学、いい高校、いい大学を出て、将来しっかりとした収入のある仕事をしていかないといけないのよ。高々小学生の問題も満足にできないで、なにが大丈夫よ?」
お母さんが、ヒステリックな声で言った。
「大丈夫だよ」
「またそうやって逃げようとする。いい? 最初が肝心なの。小学生の頃につまずいたら、後は転々と転がっていくだけなのよ。失敗するだけなのよ。あなたにはそんな思いをさせたくないわ。まったくどうしてお母さんはお父さんと結婚してしまったのかしら? もし相手にしっかりとした収入があれば、こんな苦しい生活をしていなかったはずよ」
「でも、お父さん頑張って働いてるんだよ?」
「梨花はなにもわかっていないわ。あの人が今働いている会社を何年務めていると思う? もう二〇年よ? それなのに未だに高々課長レベル。情けでさせてもらっている以外にないわ。あの人が優秀だったら、もう部長になっても可笑しくない年齢よ」
「でも、お父さん私たちのために」
「だから、だから梨花……、あなたが頑張らないといけないの」
私は、顔を近付けてきたお母さんの顔を直視できなかった。
なぜなら――、どこを見ているのかまったくわからなかったからだ。
「――お母さん?」
「だからね、あれくらいのことでお母さんは怒らないわ」
その言葉に、私は違和感を覚えた。
「ねぇ、あれくらいのことって、……なに?」
「あれくらい、将来を考えたらどうってことないわ。だってあれくらいのことで……」
お母さんは、ブツブツと小声をもらす。
私は、不意にテーブルの方に視線がいった。
テーブルの上には一枚のプリント用紙。
『おたくの娘さんは、万引きの常習犯です』
という、文句の下に私が万引きをしている写真が載っていた。
「お、お母さん……これって?」
「万引きなんて、冗談に決まってるわ。きっとこの写真の子どもだって、梨花なんかじゃない。こんなことで将来がおしゃかになるはずがないわ。だからあなたはなにも心配しなくていいの。こんな嘘であなたの将来がおかしくなるはずがないわ」
そうお母さんは言ったが、私が万引きをしていたのだとわかったのだろう。
「ほら、もうすぐ塾の時間よ」
お母さんは時計を指さす。
時間は夕方の四時を回っていた。
「――わかった」
ちいさく答える。
本当は、行く気なんてサラサラなかった。
だけど、直接口にはしなかったけど、お母さんの、私に対して絶望していたのは、目に見るよりも明らかだと、私はそう思った。
だから嘘でも、
「それじゃぁ、塾に行ってくるよ」
と、言うしかなかった。
「ええ。ちゃんとしっかり勉強してくるのよ」
家を出る時に聞こえたお母さんの声が、よそよそしかった。
塾に行く途中、私は、わざと角を曲がらなかった。
それからしばらくして歩くと、町外れの繁華街に着く。
入り口近くのゲームセンターを横切ると、店の前に置かれたUFOキャッチャーの中に、小さな猫のような丸い生き物のPVが、中心に置かれたモニターに流れているのが目に入った。
――ぐるねこ……かぁ、小さい時よく見てたなぁ。
自分が幼稚園に入る前からあるらしいから、もう十年以上なんて云わないんじゃないだろうか。
ぐるねこが大好きで、よくグッズを集めていたのだけども、ぬいぐるみ遊びなんて子どものすることだって云われて、小学生に入る頃に、ぐるねこのグッズを全部捨てられた覚えがある。
小学生だって、じゅうぶん子どもな気がするのだけど、なにも言い返せなかった。
たぶん、今と違って、お母さんに従順だったんだと、自分がバカに思えてくる。
ポケットの中に入っているサイフを取り出し、小銭を確認する。
五百円玉がひとつに、百円玉がみっつ。
一回二百円は少し高い気がするし、正直苦手だ。
まぁ、一回やってダメならあきらめよう。
百円玉を二枚入れ、穴に一番近いぐるねこのぬいぐるみに狙いを定めてアームを動かす。
爪がぬいぐるみに当たるが、するりと抜けてしまう。
わかっていたこととはいえ、取れないとわかるや、私はためいきをついていた。
「あら? 小学生がこんなところでなにやってるの?」
高校生くらいの、知らない女性に声をかけられ、私は少しばかりたじろぐ。
「え、えっと……」
「ああ、大丈夫。取って食おうなんて思ってないから」
胸まである長い髪の女性が小さく笑みを浮かべた。
その彼女の仕草に、不思議な感覚があった。
どこかで会っているような、そんな感じ。
「優里っ! なにやってるの?」
女性のうしろで、同じくらいの高校生がやってくる。
「あ、ごめんごめん。あなたもうそろそろしたら帰らないと、補導されるわよ」
優里と呼ばれた女性は、私にそう言うと、後から来た友人とどこかへ行ってしまった。
特に行く場所もなかったため、塾が終わるあたりまで、古本屋で暇を潰した。
13/10/07:文章修正




