第二章・異方性・四
現川くんにお願いして、学校の仕事が終わった後、彼女の車で居無己病院に向かうことにした。
校庭を見ると、まだ学校に残っている生徒がチラホラと見える。
「ほら、早く帰りなさい」
わたしが帰宅を促すと、生徒たちは、
「はーい」
と言って、近くにおいてあったランドセルを背負って、校門へと走っていった。
「菰田先生、今帰りですか?」
声をかけてきたのは、千々石だった。
「千々石、お前も遅くならないうちに帰りなさい」
「はーい。あ、そうだ」
千々石がなにか思い出したように、わたしを見る。
「先生、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ?」
「最近、この学校でおばけの噂があるのご存知ですか?」
――おばけ? まぁ、学校だったら、それくらいの噂のひとつやふたつあっても、可笑しくはないだろうな。
「いや、知らないな」
わたしは、興味がないといった表情で、千々石を見遣った。
「そうですか。それじゃぁやっぱり嘘なのかな?」
千々石は、納得がいかない表情を浮かべながら、首をかしげる。
「なんだ? そのおばけの噂は結構知られているのか?」
「うちのクラスだけですけどね。なんでも夜中、パソコン室にある一体が勝手に動くって」
「誰かがイタズラで、自動起動にさせてるんじゃないのか?」
「でも、その時間も曖昧なんですよ。夜中の一時だったり、朝の五時だったり、違うパソコンだったり」
「それを実際に見たというやつはいるのか?」
そうたずねると、千々石は黙り込んだ。
「ほれ、噂はあくまで噂だ」
千々石は頬を膨らませる。
結構負けず嫌いな性格らしい。
「ほら、遅くならないうちに――」
「わかりました。先生さようなら」
千々石は不服そうな顔で頭を下げ、校門へと走っていった。
しかしPC室のパソコンが勝手に動くとはなぁ。
これが本当におばけの仕業だとしたら、なんともインテリな幽霊だ。
と、自分で考えて、思わず吹き出してしまった。
「菰田先生、どうかされたんですか?」
うしろから声が聞こえ、そちらに視線を向ける。
「これは、崩山先生。先生こそこんなところでなにを?」
「いえ、駐車場に行こうとしたら先生の姿がありましたので」
「そうですか」
わたしは、ふと崩山がPC室のパソコンを管理していることを思い出す。
「そういえば、今子どもたちの中でこんな噂があるんですけど」
「あら? 噂ってなんですか?」
「なんでも、PC室のパソコンが、深夜勝手に起動するらしいんですよ」
そう言うや、崩山は驚いた表情を見せる。
「ウイルスでも入ったのかしら」
「――ウイルス?」
「でも可笑しいですわ。ウイルス対応ソフトは入れてますし、子どもたちが危ないことをしないように、危険なサイトへはフィルタリングで観覧できないようにしていますし」
崩山は、うーんと唸った。
「もしかして、誰かが間違って遠隔操作になるウイルスソフトを入れてしまったのかしら」
「でもあくまで噂ですからね」
「そうですわね。明日早くに来て調べてみますわ」
そう言って、崩山は駐車場へと向かっていった。
わたしはふと、先日現川くんに言われたことを思い出した。
最近の小学校は、受業の一環として、パソコンを使うこともあり、崩山が言う通り、ネットが繋がっているため、調べ物をすることもできる。
「先輩、どうかされたんですか?」
「お、現川くん。迎えに来てくれたのか」
わたしを探していたらしく、すこし息が上がった現川くんが、ちいさく頭を下げる。
「そういえば、こちらに向かうさい、髪の長い綺麗な女性を見たのですが」
「ああ、たぶん崩山先生だろう」
何気なく説明すると、
「結構美人でしたよ。ね?」
現川くんは、わたしの顔を覗き込んだ。
「――なにが言いたいんだ?」
「別に、なんでもないですよ。それじゃぁ、居無己病院に向かいますか」
現川くんの態度がすこし気になるが、わたしは現川くんの車に乗り込み、土師野尾が入院しているという居無己病院へと向かった。
居無己病院に到着すると、どういうわけかパトカーが何台か停まっていた。
「すみません。現在立入禁止となっています」
制服姿の、二十代後半の若い警官が、現川くんの車を停止させる。
「すみません。N県警の現川ですが」
現川くんは懐から、警察手帳を取り出し、身分証明を警官に見せた。
「同僚のものとは露知らず、失礼なことを」
警官は現川くんに向かって敬礼をする。
「いったい、なにがあったんですか?」
「実は、ここで入院をしていた患者が昨晩自殺をしておりまして」
車窓から居無己病院の看板を見る。
【精神科・心療内科】と書かれている。
「その自殺したのは、いったいどんなやつだったんだ?」
「なんなんですか? このガキは。現川巡査の弟さんですか?」
警官は、疑問に思ったらしく、わたしを睨む。
わたしは、すこしムッとした表情を浮かべたかったが、それを表に出さず、スーツの内ポケットから、警察手帳を見せた。
「なにを見せるんだ。こんなおもちゃを――」
「これがおもちゃに見えるかね?」
「ちょっと見させてもらうよ」
わたしは手帳を彼に渡すと、手帳を凝視しはじめた。
そして、身分証明を見るや、手帳とわたしを交互に見てから、震えた手で手帳を返してきた。
「け、けけけけけ警部補どのでございましたか」
と、怯えた表情でわたしに敬礼をする。
「警部補殿とは露知らず、とんだご無礼をしてしまい、まことに申し訳ございません」
若人よ、それはわたしを知らない警官みんながしたことだから、別に気にはしていない。
むしろ自分の容姿を考えたら、そう反応されても可笑しくないだろう。
ということで、諦めてはいる。
「いや大丈夫だ」」
「しかし、なにゆえお二人はここに?」
「いや、すこし別件でな。そうだ君、この病院に土師野尾という男が入院していると思うのだが、事件捜査のため、入院患者のリストかなにかを見せてくれないだろうか」
「あ、はい。すこし待っていてください」
そういうと、若い警官はそそくさと病院に入っていった。
ふと現川くんを見ると、彼女はクスクスと含み笑いを浮かべていた。
「笑うことではないだろ?」
そう注意をすると、
「ですが、先輩を知らない警官は、たいていああいう反応ですよね」
「それを一々気にしていては身が持たんし、君だってそうだったじゃないか」
「――ええ。そうでした。でも今は嬉しいですよ。こんな可愛い人が、私の上司なんですから」
そう言うや、現川くんは自分の胸にわたしの顔を押し付けてきた。
「や、やめんか」
「やーん、先輩照れないでくださいよ。うん。先輩パワー充電完了」
そう言うや、現川くんはわたし放した。
二人きりになると、だいたいこういったことになる。
どうやら、自分よりも小さい子ども(特に男の子)が好きらしいが、この変貌っぷりはどうにかしてほしいものだ。
――そもそも、先輩パワーってなんなんだ?
ドアを叩く音が聞こえ、そちらに視線を向ける。
先ほどの若い警官が戻ってきたようだ。
窓を開けると、警官は覗きこんできた。
「お待たせしました。こちらが入院している患者のリストです」
そう言って、書類をこちらに渡す。
「ありがとう。拝見させてもらうよ」
わたしは警官から書類を受け取り、一枚一枚内容を見ていく。
「あった、土師野尾。入院したのは去年の十二月か」
「ええ。なんでも学校で盗撮をしていることがバレ、警察沙汰になったそうです。ですが証拠が見つからず、彼は釈放されたそうなんですが、務めていた学校はクビになってしまい、さらには奥さんとは離婚。周りの目を気にするあまり精神に異常をきたして、ここに入院したようですね」
「彼と会話することは?」
「できなくはありませんが」
「ならば話をさせてもらおう」
わたしは車を降り、病院の中へと入っていく。
「あ、ダメだ。今は立ち入りを禁止している」
と、玄関ロビーで警備をしていた警官に押し戻されてしまった。
「ええい、わたしはこういうものだ」
と少しムキになって、自分の警察手帳を見せる。
「こ、これは警部補どのでしたか」
もうやだ、一々こうやって警察手帳見せるのって。
そうちいさく肩を落としていると、
「先輩が警察手帳を見せないからですよ」
現川くんがちいさく笑いながら言った。
「ところで、先ほど入院した患者が自殺したと聞きましたが、なにか事件性があったのですか?」
「ええ。自殺した患者の名前は【雄ケ原信行】」
――雄ケ原?
「ちょっと待ってくれ? いま、雄ケ原と言ったな?」
「ええ、そうですが」
「その自殺したガイシャ。もしかして息子がいないか?」
「あ、はい。たしか小学六年になる息子がいるとか」
やっぱりだ。
しかしなぜ雄ケ原の父親がこんなところに入院していたんだ?
「しかし、どうしてそのことを知ってるんですか? もしかしてあの事件についてなにかご存知で?」
「事件? いったいなんのことだ?」
「去年あったことなのですが、雄ケ原は自殺をしようと、大量服用による自殺をしていたそうなんです。なんでも会社の金を使ってしまったらしく」
「それでここに入院していたというわけか」
「その、自殺した雄ケ原ですが、――死因は?」
「シーツを引き裂いてロープ状にしたものを首に括っての自殺となっています」
警官の説明を掻い摘むとこうらしい。
死亡推定時刻は昨夜の八時前後。
見回りに出ていた警備員が病院内を見回ったのが夜の九時から十時のあいだ。
そのさい、部屋の中を見て回ってはいなかったが、ある部屋から音が聞こえたらしい。
そして、宿直室に戻ると、雄ケ原信行が入院している部屋からナースコールがしたらしく、彼らはそちらに向かった。
そして、雄ケ原信行の死体が発見された。
というのが、一連の流れらしい。
「すこし気になるな」
わたしは、現川くんと二人、病院のロビーで土師野尾の担当医を待っていた。
「気になるって、なにがですか?」
「警備員の二人は、雄ケ原信行の部屋からナースコールがあって部屋に向かった」
「ええ。その二人から聞いた話ではそうでしたね」
「――可笑しいとは思わんかね? 雄ケ原信行の死亡推定時刻は昨夜の八時頃だ。そして見回りをしたのはその二時間後となっている」
「ええ。そうですね。それに部屋には鍵がかかっていたようですし」
「その状況で、誰がナースコールをするんだ?」
そう聞かれ、現川くんは、
「たしかに可笑しいですね。それじゃぁもしかして」
「誰かが部屋の中にいたというのが考えられるな」
「発見された時、部屋の電気は点かなかったそうですからね」
「――偶然か、それとも意図的なものか。なんにせよ、そちらは彼らに任せよう」
わたしが現川くんにそう伝えていると、
「これはこれは、警察の方がなんの御用で?」
と、もの腰の低い白衣の男が、わたしに話しかけてきた。
「N県警の菰田といいます。実はこちらに入院していらっしゃる土師野尾さんに少しお話を聞きたいと思いましてね」
わたしはふと、違和感を覚える。
「土師野尾さんの担当をしている南風崎といいます。なんでも土師野尾さんと面会したいそうですが、すみません彼は私ども以外とは誰とも会いたくないそうなんですよ」
「それは何故ですか?」
「ほら、ここに入院した理由は、やってもいない盗撮で訴えられた挙句、色々と犠牲にしてしまったわけですしね。こちらとしてもあまりフラッシュバックに関連するものは刺激できないんですよ」
医師はわたしに視線を向ける。
その視線は、帰れと言わんばかりだった。
「わかりました。今日のところはこれで失礼します」
わたしはちいさく頭を下げ、
「ほら、現川くん行くぞ」
病院を後にした。
「え? ちょ、ちょっと先輩?」
現川くんは、慌ててわたしの後を追った。
「どうしたんですか? ここまで来るのにどれくらいかかったと思ってるんです?」
現川くんは頬を膨らませる。
「こちらとて、ここに来た理由の人物に話が聞けないのではどうすることもできまいし、それにだ。――わたしはあの医師に、自分が警官だとは一言も云っていないぞ」
13/10/07:文章修正




