女子力全開! 犯人を華麗にノックアウト
スーパーの明るい照明の下で、私は5歳の娘・ユイの手をしっかり握っていた。
夕方の店内は家族連れで賑わい、買い物カートがゆっくりと通路を行き交っている。
私は夕飯の材料をカゴに入れながら、時々ユイの小さな手を確かめていた。
「ママ、お菓子取ってくるね!」
ユイが目をキラキラさせて上を向いた。
いつもの元気いっぱいの笑顔だ。
「いいよ、でもすぐ戻ってくるんだよ? 迷子にならないようにね」
「うん! 約束!」
ユイはピンクのスニーカーをぴょんぴょん鳴らしながら、棚の向こうへ駆け出していった。
私は牛乳パックを手に取りながら、笑顔で声をかけた。
「うん、気をつけてね」
……それが最後だった。
ほんの十秒ほど目を離しただけだった。
牛乳の賞味期限を確認して、カゴに戻した瞬間には、もうユイの姿はどこにもなかった。
「ユイ? ユイちゃん!」
声が少し上ずる。
私はカートをその場に置いて、近くの通路を走り始めた。
お菓子売り場、ジュースコーナー、玩具の近く、果物売り場……どこを探してもいない。
心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。
「ユイ! どこ!? ママだよー!」
店内放送で呼びかけてもらう。店員さんや警備員さんに必死で聞き回る。
「ピンクの服を着た、5歳の女の子です。髪はツインテールで……」
誰も見ていないと言う。
防犯カメラを確認してもらうが、ユイが映った直後に死角に入ったまま見失ったらしい。
時間が経つごとに恐怖が胸を締め付けた。
30分、45分……1時間。
喉はからからに渇き、スマホの電池は残りわずか。
足は棒のようになり、頭の中は最悪の想像ばかりがぐるぐる回っていた。
誘拐。
連れ去り。
事故。
……考えたくないことばかりが浮かんで、涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。
「もう警察に行こう……」
私は震える足で駐車場に向かった。
その時、古びた廃墟のようなビルの入り口に——
ユイが今朝履いていた、小さなピンクのスニーカーが片方だけ、ぽつんと落ちていた。
「……っ!」
心臓が凍りついた。
息が止まる。
拾い上げた靴は、まだ少し温かかった。
ユイの匂いがした。
怖かった。
警察を呼ぶべきか、このまま入るべきか。
でも、迷っている暇なんてなかった。
ユイがこの中にいるかもしれない。
今、この瞬間も泣いているかもしれない。
私はユイの靴を胸に抱きしめ、暗いビルの中に飛び込んだ。
崩れかけたコンクリートの階段は埃だらけで、蜘蛛の巣が張り、足元は不安定だった。
息を切らしながら必死に駆け上がり、暗闇を突き進む。
時々壁に手をつき、転びそうになりながらも上へ上へと進んだ。
すると、上の方から男の低い声が聞こえてきた。
「へへっ……お前みたいな可愛い子、外国に売り飛ばせばかなりいい値になるぞ。
大人しくしてろよ」
そして、泣き叫ぶ声。
「うわーん! ママー! ママぁぁぁ! 助けてー!」
ユイの声だ。間違いない。
私は最後の力を振り絞って、錆びた鉄のドアを**バンッ!!**と全力で蹴り開けた。
冷たい風が一気に吹き込んでくる。
「娘を離しなさい!!」
そこにいたのは、薄汚れたTシャツを着た男と、
手足をガムテープでぐるぐる巻きにされ、口に雑巾を突っ込まれたユイだった。
ユイの目は真っ赤に腫れ、私を見た瞬間、大きな涙が溢れ出した。
男は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに舌打ちした。
「ちっ……なんでここが分かったんだよ。
まあいい。お前が来たんなら、ついでに二人とも堪能してやるわ」
ぞっとするような、ねばつく笑み。
気持ち悪くて吐き気がした。背中が総毛立つ。
「娘を……今すぐ離しなさい。このクズ……!」
私の声は低く震えていた。
男は肩をすくめて笑う。
「だったら俺と決闘しろよ。
勝ったら娘を返してやる。
どうせ女が男に勝てるわけねえけどな!」
……決闘?
この状況でそんな馬鹿げたことを言う男の顔を、私は本気で殴りたくなった。
でも、他に選択肢はない。
ユイを救うためには、どんなことでもしなければ。
私は静かに息を吸い、拳を握りしめて構えた。
男は最初から本気だった。
「くたばれ!」
低い踏み込みから放たれた右ストレートが、風を切って私の顔面に迫る。
咄嗟に後ろに下がったが、拳の風圧だけで頰が熱くなった。
続けて左のフック。
私はガードした腕に直撃を受け、ゴンッという鈍い音と共に体が吹っ飛んだ。
コンクリートの床に背中を打ちつける。
肺から空気が全て抜け、息ができない。
「ママー!! やめて! ママにやらないでぇぇ!!」
ユイの叫びが、屋上に木霊する。
男はニヤニヤしながら近づいてきて、私の髪を掴み上げた。
「ほら、もっと泣けよ。興奮するぜ」
そのまま顔面に拳をガツン、ガツンと二発。
唇が裂け、血が口の中に広がる。
さらに腹に容赦ない膝蹴り。
内臓が捩れるような激痛に、私は声を上げてうずくまった。
男の靴底が、私の脇腹を何度も蹴り上げる。
ドスッ、ドスッ、ドスッ。
骨が軋む音がする。痛みで視界がチカチカする。
(このままじゃ……ユイが……)
私は歯を食いしばり、這うようにして立ち上がった。
足が震える。左目が腫れて半分見えない。
それでも男の懐に飛び込み、必死に掌底を顎に叩き込んだ。
「ぐっ……!?」
男が初めて小さく呻いた。
私はそこからローキックを連打。
男の太ももを狙い、動きを鈍らせる。
しかし男はすぐに反撃。
大振りの右回し蹴りが私の肩を捉え、再び床に叩きつけられた。
「まだやるのかよ、このクソ女!」
男が飛びかかってくる。
私は転がるようにして逃げ、屋上のフェンス際に追い詰められた。
男の拳が雨のように降ってくる。
ガードする腕が痺れ、肩、胸、腹……全身が打撃の嵐に晒される。
痛い。
苦しい。
でも、ユイの泣き声が聞こえるたび、消えかけた意識が何度も蘇った。
その瞬間——
朝の占いが脳裏に蘇る。
『今日のラッキーカラーは赤。危機に陥った時、赤があなたを守り、力を与えるでしょう』
(今日のラッキーカラーは赤か……
赤は、ヒーローの色。正義の色。女子の色。そして、強い色——)
この色に賭けてみよう。
私はヨロヨロと立ち上がり、
着ていた薄手のジャケットを勢いよく脱ぎ捨てた。
鮮烈な真っ赤なカーディガンが、夕陽に照らされて燃えるように輝いた。
風に翻るその赤が、私の目に、胸に、拳に力を注ぎ込んでいく気がした。
「ふん、何だその派手な色は」
男は怒りながら、再び突進してきた。
私は低く腰を落とし、すべての力を右の拳に集中させた。
男の重い右フックを、ギリギリで体を沈めてかわす。
拳が私の髪を掠める。
その瞬間、私は男の懐に滑り込み、
左の肘打ちをみぞおちに叩き込んだ。
「ぐおっ!?」
男の体がくの字に折れる。
私は止まらない。
右の掌底で鼻を打ち上げ、
続けて左フックで頰を抉り、
さらに右のローキックで膝を砕くように蹴り上げる。
男の動きが明らかに鈍くなった。
(これが赤の力かもしれない……
もしかして勝てるかも。
赤が私の女子力を高めている……!)
「この……っ!
くそ女が、派手な色をしやがって!」
男の目に、初めて恐怖の色が浮かんだ。
女に負けるかもしれないという、屈辱と恐怖。
男が最後の力を振り絞って大振りのパンチを繰り出す。
私は一歩踏み込み、すべてを避けながら男の体に密着。
そして、腰の回転を最大限に使った——
あたしの女子力を食らいなさい!
全力右アッパーカット。
「たぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
拳が男の顎を完璧に捉えた。
ゴキッという嫌な音がして、
男の巨体が一瞬、空中に浮いた。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
男は派手に後ろに吹っ飛び、
屋上のコンクリートに頭から叩きつけられた。
体がビクビクと痙攣し、もう立ち上がる気力は残っていなかった。
私は荒い息を繰り返しながら、ゆっくりと拳を下ろした。
指の関節が腫れ上がり、血が滴っている。
全身が痛みで悲鳴を上げていたが、
心は不思議と晴れていた。
(これが女の、そして母の本気よ……!)
「……参ったか」
ユイの元へ駆け寄り、ガムテープを必死に剥がした。
手足に食い込んだテープの跡が赤く残り、ユイの細い手首が痛々しかった。
口に詰められていた雑巾を抜き取ると、ユイは大きく息を吸い込み、すぐに私の胸に飛び込んできた。
「ママぁぁぁ……! 赤いママ、かっこよかった……! 本物のヒーローみたいだったよ!」
小さな体が激しく震えていた。泣きじゃくる声が、胸に染みて痛い。
私はユイを強く、強く抱きしめ、背中を何度も撫でた。
自分の体もまだ震えが止まらなかった。
「ごめんね……ママが目を離したから……本当にごめんね」
涙が溢れて止まらなかった。
「もう二度と離さないから。絶対に」
ユイが私の赤いカーディガンを小さな手で握りしめながら、
「うん……ママの赤、魔法だった……怖くなかったよ」と嗚咽混じりに言った。
私はユイを抱き上げ、ゆっくりと立ち上がった。
全身が痛みで悲鳴を上げていたが、娘の重みは心地よかった。
「女はいざという時、最強なんだよ。
ユイも、いつか分かる日が来るからね」
真っ赤なカーディガンが、優しい夕陽の中で静かに揺れていた。
私は娘の手を固く握り、廃ビルの屋上を後にした。
階段を下りる間も、ユイは私の首にしがみついたまま離れなかった。
外に出ると、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
私がスーパーの駐車場で警察に連絡を入れていた通報が、ようやく繋がったらしい。
廃ビルの前にパトカーが数台到着し、制服の警察官たちが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!? 怪我は!?」
私はユイを抱いたまま、簡単に状況を説明した。
屋上に倒れている男のことを伝えると、警察官たちが一斉にビルへ突入していった。
数分後、男は手錠をかけられて連行された。
意識はあったが足取りはおぼつかず、私のアッパーカットを喰らった顎を押さえながら、
恨めしそうな目でこちらを睨んできた。
しかし私は、ユイを抱いたままその視線を真正面から受け止めた。
男はすぐにパトカーに押し込まれ、連れ去られていった。
その夜、病院でユイと一緒に検査を受け、軽い打撲と打撲傷の診断を受けた。
ユイはショックで少し高熱を出したが、翌朝には落ち着いた。
そして翌日のニュースは、大きく報じられた。
【速報】廃ビルで幼女誘拐事件 母親が犯人を単身制圧 「娘を守るために戦った」
「5歳の女の子がスーパーから誘拐され、廃ビルに監禁されるという事件が発生。
母親(32)が娘の靴を手がかりに現場に突入し、犯人の男(35)と素手で対決。
激しい格闘の末、男を倒して娘を無事救出しました。
警察は『一般市民がここまで犯人を制圧したケースは極めて稀』と驚きを隠せません……」
テレビでは私の赤いカーディガンを着た後ろ姿や、
倒れた男が連行される映像が流れ、
「母親の愛と勇気」「現代のスーパーマン(ウーマン)」「赤いカーディガンのヒーロー」といった見出しが躍った。
インタビューも少しだけ受けた。
「ただ、娘を守りたかっただけです。特別なことは何も……」
そう答えるのが精一杯だった。
数日後、私は少し恥ずかしさを感じながらも、
ユイと一緒に近所の公園を歩いていた。
「ママ、ニュースでいっぱい出てたね!
みんなママのこと『強いお母さん』って言ってるよ!」
ユイが嬉しそうに言うので、私は頰を赤らめた。
「ちょっと恥ずかしいよ……ママ、ただ必死だっただけなんだから。
あの赤い服、魔法みたいだったけど……」
でも、心のどこかで、
誇らしい気持ちが確かにあった。
娘を守れたこと。
いざという時に、自分の中にこんな力が眠っていたこと。
そして、ユイが「ママはヒーローだ」と言ってくれること。
私はユイの手を握り直し、空を見上げた。
真っ赤な夕焼けが、
あの日の屋上を思い出させた。
女はいざという時、本当に最強なんだ——
私はもう一度、心の中でそっと呟いた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この話は「いざという時の母親の強さ」をテーマにした、痛快短編です。
普段は普通の母親である美咲が、娘を守るためだけに立ち上がり、赤いカーディガンを翻して女子力全開で逆転する——という、ちょっと夢のあるファンタジーです。
「女はいざという時、最強なんだよ」という言葉に、母の愛の強さを込めました。
少しでもスカッとしていたり、胸が熱くなったりしたら嬉しいです。
短い物語ですが、最後までお付き合いいただき本当に感謝します。




