第9話
バイオメトリック・同期プロトコル
【外観維持システム:擬似皮膚モード】
概要: 非変身時における潜入・生存を容易にするためのカモフラージュ機能。
機能: 装着者の生体反応(呼吸、瞬き、微細な表情筋の動き)を精密にエミュレートし、周囲に「人間である」と誤認させる。
設計思想: > 兵器が兵器の姿をしている時間は短いほうがいい。最も優れた暗殺者は、隣で微笑む隣人である。ただし、鏡に映るその「微笑み」が、装着者自身の感情と同期している保証はない。
第9話:鏡像の孤独
国境沿いの荒野にポツンと佇む、無人のガソリンスタンド。
剣は、ひび割れた洗面台の鏡の前に立っていた。
変身は解除されている。
鏡の中にいるのは、煤けたシャツを着て、どこにでもいる疲れ果てた青年の姿だ。第6話で負った右腕の火傷も、擬似皮膚の自己修復機能によって、今は跡形もなく消え去っている。
「…………」
剣は、鏡の中の自分の顔をじっと見つめた。
第8話で、あの整備士を見捨てた瞬間の自分。システムが強制介入し、冷徹に「正解」を選んだ時の自分。
彼は、鏡の中の自分の頬に触れてみた。
【触覚データ:右手指尖部より入力】
【対象:顔面部表皮。弾性、温度(36.4℃)を検知】
指先が脳に送ってくるのは、完璧な「人間の肌」のデータだ。
しかし、剣の心はその感触を拒絶していた。
「笑ってみろ、早水剣」
独り言が、冷たいタイルに跳ね返る。
鏡の中の青年が、ゆっくりと口角を上げた。左右対称の、完璧に「親しみやすい」笑顔。
だが、剣は戦慄した。
自分は今、笑おうと「意識」したのか?
それとも、脳が「笑うべき場面」だと判断し、表情筋に電気信号を送っただけなのか?
彼はそのまま、鏡の中の自分の首を絞めるように両手をかけた。
【警告:頚部への過剰な圧迫を検知。気道確保を優先してください】
【生存本能プロトコル:緊急作動】
カチ、と脳内で何かが切り替わる音がした。
剣の意志とは無関係に、両手が弾かれたように首から離れる。
肺が勝手に大きく酸素を吸い込み、肩が激しく上下する。
「……はぁ、はぁ……っ!」
鏡の中の男は、恐怖に顔を歪めている。
だが、その歪み方さえも、あまりに「教科書通り」の恐怖の表情だった。
俺は、生きているのか?
それとも、この精密な「外殻」が、俺という概念を維持するために、ただ効率的に稼働し続けているだけなのか?
剣は拳を固め、鏡を叩き割った。
砕け散った破片の中に、無数の自分が映し出される。
どの自分も、同じ無機質な絶望を浮かべて彼を見返していた。
その時、壊れたラジオのようなノイズが、頭の中に響いた。
『――剣。……お前は……』
父・アルヴィスの声だ。
後に本格的に発見されるはずの、あの「亡霊の囁き」の断片が、精神の摩耗によって一足早く漏れ出したのだ。
「父さん……? 俺は、人間なんだろう? そう言ってくれよ……!」
答えはない。
ただ、荒野を吹き抜ける風の音だけが、センサーを通じて正確な「音響データ」として脳へ送り込まれ続けていた。




