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エルソード  作者: 水前寺鯉太郎


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第5話

■まえがき:帝国怪人ファイル

【排除対象:コード:スパイダー・バキューム】

種別:帝国怪人(キメラ型)/元識別番号:K-049

改造前素性:元マケドニア帝国軍・工兵部隊所属。任務中の負傷により下半身機能を喪失。帝国の「再生プログラム」志願により現在の形態へ。

特性:蜘蛛の遺伝子と超高圧吸引装置の融合体。

兵装——

粘着バキュームネット:エルソードの豪腕でも引き千切れない特殊粘着糸。対象のエネルギーを強制吸引する。

解析コメント:10分という活動限界を「吸い取る」ことでゼロにする、対エルソード専用の栓抜き。物理無敵に意味はない——動力がなければ、鎧はただの棺桶だ。

第5話:超重力の産声


【BATTERY: 0% / SYSTEM DOWN】

 無機質なアラートが、一度だけ鳴った。

 銀色の装甲が、光の粒子となって霧散する。剥き出しになった膝が、泥を踏んだ。冷たい。重い。自分の体がこんなに重かったことを、剣は忘れていた。

 ダークマスクは、すでにいない。グレアム大佐の撤退命令に従い、闇に消えた。代わって剣を見下ろしているのは、八本の異形な脚を持つ影だった。

 スパイダー・バキューム。

 人間だった頃の名前は、もうどこにも残っていない。

「ひひっ……」

 嗤い声が、雨の中に溶けた。粘着糸が剣の四肢に絡みつき、地面から吊り上げる。抵抗しようとする。指が動かない。筋力の感覚が、スーツと一緒に消えている。

「無敵の盾も、電気がなけりゃただの肉袋だなぁ。お前の『力』はどこへ行った?」

 剣は答えなかった。答えられなかった。

 糸が締まるたびに、関節が軋む音がする。スーツ装着中には存在しなかった音だ。骨が、鳴っている。自分の骨が。

「安心しろ。殺しはしない。帝国がお前の『中身』を欲しがっている。まずは……余計な機能を、一つずつ壊してやろう」

 爪が、剣の頬を裂いた。

【損傷アラート:右頬部・表皮損壊】

【痛覚信号:遮断不能——エラー】

 センサリー・フィルターが消えた脳に、信号が直接流れ込んだ。

 熱い。焼けるように熱い。そして——痛い。

 痛い、という感覚を、剣はいつから知らなかったのだろう。スーツの中では数値だった。衝撃値、損傷率、修復優先度。しかし今、右頬を伝う熱は、どんな数値にも変換されずに、ただ「痛い」という原始的な事実として脳を叩いていた。

 その痛みの中で、断片が走った。

 立ち上る炎。崩れる天井。血まみれの手で剣を押しやろうとする、父・大地の顔。

 そして——剣を見下ろす、銀色の甲冑を纏った人影。

 子供の目線から見上げた、その顔は見えない。ただ、冷たい瞳だけが記憶の中に残っている。誰なのか、剣にはわからない。わからないまま、その記憶だけが——胸の奥で、ずっと刺さり続けていた。

「あ……が、ああああ!!」

 絶叫した。

 痛みへの悲鳴ではなかった。記憶の断片が引き金を引いた、何か別のものへの——抑えようのない、根源的な拒絶だった。

 心臓の奥底で、何かが逆回転を始めた。

 ドクン。

 黒い脈動。

 周囲の「音」が消えた。降り注ぐ雨が、剣を中心に円を描くように軌道を変え、地面に届く前に圧縮されて、消えた。蒸発ではない。潰れた。空気ごと、潰れた。

「……な、何だこの重……」

 スパイダー・バキュームが言葉を終えることはなかった。

 剣の瞳が、赤黒い光を放った。

【超重力制御システム:強制アクセス検出】

【封印シーケンス——突破】

【警告:事象地平への接触を確認】

 見えない「壁」が、全方位から圧縮した。

 三トンのパンチとは、種類が違う。三トンの拳は「当てる」ものだ。しかしこの力は「当てる」という概念すら必要としない。ただ、空間が縮む。その空間にあったものが、縮んだ空間に合わせて、縮む。

 悲鳴も、骨が砕ける音も、重力の歪みがすべて飲み込んだ。

 バキ、という短い音だけが残り——

 次の瞬間、そこには直径五十センチほどの黒い球体が転がっていた。

 肉も、金属も、かつてK-049という識別番号を持っていた何かも。すべてが一点に押し潰され、ただの無機質な質量へと変えられた、成れの果て。

「はぁ、はぁ……」

 重力の檻が消えた。剣は地面に突っ伏した。

 雨が、頬の傷を打つ。痛い。まだ、痛い。センサリー・フィルターはまだ戻っていない。この痛みはデータではなく、本物だ。

 泥の中で、自分の手が震えている。

 敵は倒した。傷一つ負わずに——いや、違う。頬は裂けている。血が出ている。生身の自分は、傷を負った。

 しかし。

 倒した手応えがない。

 三トンの拳で殴った時には、確かに「当たった」という感触があった。重さがあった。相手がそこにいたという事実があった。しかし今は——ただ、世界の一部が「消えた」だけだ。そこに何かがあったという痕跡すら、黒い球体の中に圧縮されて見えない。

 剣は、球体を見た。

 雨に濡れながら、動かない球体を、ただ見た。

 怖い、と思った。

 敵が怖いのではない。敵はもういない。自分の内側に、今も静かに脈打っている「それ」が——怖かった。

 あれは怒りが引き金を引いた。ならば次に怒った時、また起動するのか。もっと強く怒った時、黒い球体はもっと大きくなるのか。地形を変えると、まえがきには書いてあった。地球規模の災厄と。

 剣は、震える手を泥の中に押しつけた。

 力を込める。指が泥に沈む。ただの人間の手だ。今は、ただの人間の手だ。

「……俺は」

 声が、雨音に消えた。

「俺は、何を守るために——これを、持っているんだ」

 返事はない。

 黒い球体が、雨の中で静かに濡れていた。

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