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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第二章 微熱
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第九話 雷鳴墓場

「夜用のなら大丈夫かも知れないわ」


 買い置きと一式の支度がお手洗いの棚にある。苦労して手当をしたものの間に合う量ではなかった。


「く……。二枚で」


 季節外れの雷が光った。すぐさま轟も響く。


「きゃああ……」


 背中にナイフを突き立てられたように驚く。刹那、電話に呼ばれた。


「誰? どちらでもいいわ」


 番号を知っているのは、母か寧くんに決まっている。這って出て、居間の電話に縋った。


「助けて!」

『櫻絵かよ』

「ひいい――!」


 紫堂だった。受話器をクッションに投げる。あれ程頼っていた電話なのに、ただの凶器になった。大学のどこかから私の電話番号を得たのだろう。


「私の前から消えてよ! 悪魔! ストレスだわ……」


 私が打ちひしがれる間隙をついて、もう一度大きな雷が光った。しば桜のシルエットが黒い受話器に落ちる。悪魔の道具はもう捨ててしまえとも思ったが、母や寧くんだといけない。元に戻すなり、けたたましい鳴音が私に刺さって来た。


「しつこいから。もう近寄らないで!」


 黒電話が穢れたようで、オトコを怒った。すぐに通話を切ろうと思ったけれども、弱々しい声が漏れ聞こえる。訝しみながら、耳に当てた。


「私よ」

『櫻絵や。どうしたのかい』


 急に炬燵に蜜柑のあたたかくも甘い声が届く。母だった。


「ごめんなさい。悪魔と人違いをしたわ。大きな声を出して、本当に悪かったわ」

『櫻絵や。心配ごとに遠慮は要らないよ』

「お母さん。あの、あのね」


 一言目がもぞもぞする。父の件で力落としの母に相談するのは酷だろう。


『どうしたんだい。多分、青い顔をしているんだろうよ』

「流石に分かるわよね。あのね、お母さん」


 口まで穢れそうで戦慄が走った。でも、母からの助言があるのかも知れない。黒雲に雷が潜んでいるのだろう。虹の階さえあれば父のいる天国だろうに。


「恥ずかしい写真を撮られてしまったの。不浄な娘を怒るかな……?」


 一際大きな雷鳴が轟いた。肩を震わせる。雷が怖いのではなく、暗く垂れこめたストレスに負けているからだ。


『人の子は、人と思わないかい』


 とても母らしい姿が目に浮かぶ。子機を持ってお手洗いへ駆け込んだ。上からは嘔吐、下からは経血と体の状態が忙しなく悪くなる。救急車かタクシーを呼ぶしかないと決めたはいい。背中を丸めて頭が白くなり、百十番だったか百十九番だったか迷っていた。


『櫻絵ちゃん、王子様がお越しよ』

『櫻絵ちゃん、助かるわ』


 しば桜ちゃんの声も遠くなっていく。


「寧くん」


 私の脳裏にあたたかい笑顔が過る。遠くで雷鳴が孤軍奮闘し出した。ポーラスターから出るのにいい機会となったのか。


「寧くん、寧くん、寧くん」


 急ぎコールする。


「一、二、三、四、五回目の呼び出し音。留守かしら」


 一旦受話器を切って、再度かけ直す。


「寧くんが出ないわ」


 私は知らない人になって行くのか。近くを流れる中川なかがわに身を投げて、誰もいない地獄の世界へ逝くとき、初めて贖罪となるのか。後ろ向きに考えていたときだった。雷鳴とともに電話が震え出す。


「誰かしら」

『櫻絵さん、僕に電話をくれたよね。出遅れてごめん』


 今更感たっぷりの寧くんだった。嫌味が通じるだろうか。


「よかった。入水しようと思っていたの」

『どうかしたの?』

「いざとなると語れないわ」

『きちんとお話しして』


 自分で電話をした切っ掛けを振り返る。助けてほしかったのではないか。


「ええ、ストレスでメンスが乱れたみたいなの。重くて常備薬もないし」


 二の句が継げなかった。自分のことなのに。


『お家であたたかくしていてほしい。大丈夫だよ』

「いいの。もう終わったことなの」


 やけっぱちの櫻絵ちゃんになっていた。


『体は大切にしようね。僕との信頼関係だと思って休んでいてほしい』


 一言を添えてゆっくりと通話が切られた。


『お電話ありがとう』


 彼の言葉が耳に残る。


「もう、思考力がないわ。私の道はどこからどこへ繋がっているのかしら」


 段々と血の気が引く。


「あたたかくしないとね」


 部屋の隅へ追いやったミミちゃん布団にくるまった。


「ごめんね、ミミちゃんが汚れちゃうね」


 自分でも制御できない程の血だ。ミミちゃんの耳を撫でてみた。後悔しかなかった。真っ黒な塊が私を覆い尽くす。


「気持ち悪いわ」


 少し雷が遠くへ行ったのだろうか。窓から差し込む雷光が私を弄る。神様は宗教画でしか知らなかったけれども、きっといる。私に降りた怒りのいかづちだ。背中にすんと刺して来る。


「電話?」


 躊躇う余裕もなく耳にあてた。


「はい、生原です」

『櫻絵かよ。俺だ! 玄関開けろ』


 遠のいていたと思った雷が、傍に墓場を作った。コイツを殺して、私も川へ身を投げるんだ。悪い感情に支配される。出て行ってと追い払うつもりなのに、私の悪魔は紫堂にさえ救いを求めて鍵を開けたくなっている。だが、踏ん張った。


「どうしても動けないの」

『助けを呼んだり失敬な悲鳴を寄越すから、来てやった』

「待って」


 寧くんがこちらへ向かっているのを思い出した。


「やはり、出て行ってよ」

『どっちなんだよ!』


 強く言われて困った頃、チャイムが鳴った。絶対、寧くんだ。


「やめてよ」


 最悪な関係から、抜け出せないでいる。沼に片足を取られていた。

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