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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第一章 難破
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第七話 雫の人形

「ただいま」

『おかえりなさい』

『おかえりなさい』

「あら、しば桜ちゃん」


 出窓のしば桜に癒される。十八歳の旅立ち、宇都宮の新幹線ホームで渡されたものだ。父は、「――櫻絵よ。少ない行李こうりで離れるのか。二鉢だけど持っておゆき」と背中を押してくれた。


 葬儀で和尚さんに褒められた絵手紙は、いただいた白と薄桃を描いて投函したものだ。


「ああ、家に帰った感じがする」


 ミミちゃん布団は、上手く持ち出せた。ポーラスター六〇三号室での置き場はベッドの上に被せるのがいい。


「もう、ミミちゃんにダイブするわ」


 大の字になり、くるりと丸くなった。布団がやわらかく優しくしてくれる。色々なことが重なって人恋しさも増していた。


「上野の燦展からだわね」


 自宅に来ていた郵便物を仕分けていると、確かに開催のご案内が届いていた。上野美大に友人がいない。


「燦展へおデートなら寧くんの細やかな感想を聞かせてほしかったな。うーん、別れを告げたのは私の方で気まずいマックスよ」


 布団でまんじりともせずにいた。これでは休めないので、ポケベルに頼ることにする。


「寧くんからだわ。『4492』は、ショクジのお誘いね」


 アイブロウペンシルが切れていたので、薬店へ出掛けようと外開きの玄関ドアを出たときだった。


 ◆◆


 災厄の火が散る。


「櫻絵。燦展に入ったって噂だぜ」


 白いドアが閉まらないように足を差し込んだのは、洋画科の紫堂航丞だ。卒業して最高にお別れできたと思っていたのに。苦虫を噛み潰したような顔で言い放つ。


「お酒臭いわ」

「皆でお祝いするから渋谷しぶやに来いよな」


 ミンナにいい想い出などなかった。アルコールもタバコも経験すらない。断りたいと必死に言い訳を織り始める。


「私の友人は唯一無二よ」

「俺だったって? フフフ」


 昔と同じく厚かましさは天下一だ。私は手を扇子に見立てて自分の顔に風を送った。


「愚かしくて私が嗤うわ」

「おお? 馬鹿にするな! 俺だっていい就職できたんだぜ」


 私の顔付近にあった両の手首を引っ張られた。


「暴力反対」

「櫻絵は言葉で斬り、俺は腕力でバトルする。対等だろう」


 脳みそ筋肉が考えた結果か。自宅前とは場所が悪い。部屋に入られては危険だ。


「渋谷ね。一旦マンションの外へ出ましょう。廊下で大きい声を出すと、住まいを追い出されるの」


 舌なめずりした顔が憎らしかった。強く手前に引いたが向こうもノブを握っている。ミンナと言う鬼門とは離れたかったが、ドアから倒れるように入られて部屋の廊下を進み、白い戸にぶち当たった。


「警察呼ぶわ」

「ククク、フルヌードになれよ。海原からのボッティチェリときた」


 紫堂の手が伸びる。私は手の甲で叩いてプライドを保った。


「脱いだらそれ以上は手を出さないで」


 上野美では、他の科でクロッキーをするのにセミヌードモデルにはなったことがあった。ボランティアだと思えばいいだろう。


「いい体してんな。お利口さんな学生の頃よりずっといいぜ。想像通りの純白のブラとショーツがたまねえ。櫻絵はギリシャ彫刻のような顔をして、誘ってるの気が付かね?」


 カシャ。


「まさか撮っているの?」

「陶酔要素盛り沢山じゃねえか……」


 床の水色の服を着ようとしたが、手首を強く握られた。力の差を思い知り、オトコは馬鹿でオンナは弱いとも分かった。体のみならず、心にも雷が落ちたような痛みを覚えた。顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。促されてブラを外す。あとは一枚のみ。


「ほらほら、モデルだろう。脱げ」


 ここは砦にしたかったのに。左右の脇に手をやり、少しずつ下げていく。大人の体を知られるなんて、屈辱的だ。


「寧くん、助けて……」

「ははは! 櫻絵、ヘソの上に変な痣があるんだな。いいこと知ったよ。今度彼氏に教えといてやる」


 本気だと思うと空寒い。寧くんは見たことないから。


「自刃してやる……!」

「一丁前に脅し? 櫻絵と歩く橘に会ったぜ。俺様よりも背が低くて、シャツをインするようなイモじゃねえか。お前のヌードがほしくてほしくて」


 寧くんなら喜んでフルヌードになるが、気持ちは相手によるものだ。紫堂は白い戸の先も入られた。


「だっせえ。うさぎの布団なんて赤ちゃんじゃねえか」

「お母さんの大事なものなの」

「お母さんだって、バブちゃん? お袋の面すら思い出せねえ。愛なんてこの世にないって知っとけ」


 間隙に着るものをと思ったが、お尻を撮影された。


「布団に横になれよ」

「私は人形……。心は礫の人形なんだわ」


 人形は泣いたらいけないと堪える。小さな出窓で冬越しをしているしば桜が、懸命に私に歌を歌ってくれていた。


『櫻絵ちゃん、〝忍耐〟で私から応援するよ』

『私からは、〝誠実な愛〟よ。きっと心から結ばれる人がいると思うの』


 白と薄桃が、私の代わりに辛さを引き受けてくれている。


「ありがとう、しば桜ちゃん……」


 心に雫が落ちる。

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