第四十八話 花の囁き
しば桜が茅葺の庭から姿を隠してしまったことに発端する。ホームしばざくらの所長が、沢山元気のいいしば桜を持たせてくれた。白と薄桃に紫だ。皆の株から子ども達を得て、家で増やそうと決める。令和三年から、私にしば桜の声が聞こえなくなったのを心配していた。庭のしば桜が枯れてしまい、手入れも難しくそのままだった。ゴールデンウイークを四人家族で満喫することにした。
「はあーい! 園芸大会よ」
私も皆も帽子をしっかり被って、軍手に袖抜きまで準備万端だ。
「挿し木をやってみましょうね。新しい葉を残して残りは取り、切り口に発根ホルモンを付けて、無菌の培地に挿すのよ」
「母上は色々ご存知ですね」
声より先に梅芳の背中が揺れる程、叩いていた。
「やーだー、付け焼き刃よ。うん、梅芳さんが向いてそうよ。お願いしていいかしら」
「OK」
紙に図を描きながら再度説明する。
「次に株分けもしようね。時期は春でもいいようよ。昨日たっぷりのお水をやったのがコツみたいね。芽や根がついているのを確認して、切り離したらすかさず植え直すの。枯れないようにお水遣りが大切だわ」
「ママ、物知りなのね」
「こまめなお世話は、美桜緒さんを頼りにしているわね」
ペン一つ落としても音はない程に黙り込んでいた家が、わっと賑々しくなった。
◆◆
令和四年四月になったばかり。
「ママ、ホームしばざくらから電話だよ」
「パパお待ち願って」
黒電話に出たはいいが、切れてしまっていた。
「ごめんなさい。間に合わなかったみたい」
折り返し架け直さなければと思った。番号を調べようと思い、電話帳を漁る。電話台の引き出しの奥に、セピアのスナップがあった。裏書きを読む。
『志朗さん、愛しています、さくらより。 さくら』
母は文が巧い訳ではなかったが、想いは伝わる。
『昭和四十三年、二十四歳にて結婚す』
「あら、パパいるかしら。とてもいいもの見付けたわ」
父母が出逢ったしば桜の丘が分かった。
「ママ。ネットで調べたけれども、既に公園はないらしいらしいね。あまり気落ちしないで、フォトフレームに入れようか?」
「うううん……。いいの」
訪れることは叶わなかった。時間は有限なのだろう。心の扉にスナップを仕舞って、いつでも傍に置きたいと思う。この写真から想像する立木としば桜の絨毯を思い描きながら、雨畑硯で青墨を磨る。
「絵手紙にして、母へ次のお見舞いにしよう」
画仙紙への伸びがいい塩梅だ。
「白と薄桃に紫、寄り添っていて素敵だわ。鯵の干物を描くより、気持ちが入ってしまうのよね」
「がんばっているね。ママ。はい、モカだよ」
冷えた手先をパパが逞しい手で包んでくれた。
「ありがとう。もう、ほっかほかよ」
五十代になっても照れ臭いものは致し方ない。一枚描き上げたのをパパにお披露目した。
「やはり花が主役の感じがいいわよね?」
「ママがそう思うならいいね」
「あの、相談しているのよ」
「結果や結論は自分で出さないと、しっくり来ないよ」
◆◆
花吹雪の令和四年四月下旬となった。
「はい、水遣り大会は終わり。しば桜も今度は元気に咲いたわね。お疲れ様拍手!」
パチパチ……。
「いえーい、美桜っちもがんばったよ。姉ちゃもね」
「陰ながら草刈に奮闘しました。多分三日目の腰痛が怖い」
「ママはお花をお手入れしたわ」
そろそろ十二時近い。
「庭でお食事会をするわよ。焼きたい物を持って来てね。題して、『焼くだけパーティー』なのよ」
悔しいけれども物に当たってはいけないから、群青シリーズは普通に使う。家族大サービスデーとなる。
「待って、梅芳姉ちゃ!」
「あはは、アタシに追い付けないよ」
「キャーハハハ」
梅芳は自分をアタシと呼ぶようになった。美桜緒からピンクのカチューシャを借りている。しば桜の花が舞い散り続けていい感じだ。広い花畑を。白が逆巻く怒涛のごとく。薄桃がシャワーのように振り注ぐ。皆、皆、素敵な精霊だ。二人の娘が追い駆けたり手を繋いだりと仔猫のようだ。しかし、パパのせいで私は構っていられなくなった。
「……ん、パパ。キスが甘いわ」
彼の口元に人差し指を当てる。私はしば桜の中で、甘いひとときを過ごしていた。
「よし、お姫様抱っこかな? 重くなったなあ! ママ」
「やーだー! 抱っこは子ども達で卒業したのよね」
「ママ、命が失せようとも僕の傍にいて欲しい」
パパは時折いたずらっぽくなった。一陣の風に、白いスカートも舞う。
『こんにちは。櫻絵ちゃん。あわわ、もう櫻絵さんよね。大きくなって……。私達、もう見守らなくても大丈夫かな』
沢山のしば桜の声に驚いた。私にとって特別だったしば桜、別れのときに初めて意味を知る。
「独り立ちするときに、両親が寂しくないように渡してくれたから。離れて暮らしていても父と母の眼となったのね……」
囁きは、風と共に掻き消えて行った。最期の想いだと両の肩にじんじんと感じる。
「ねえ、ママ。櫻絵ちゃんって聞こえなかった? 誰かいるの?」
「美桜緒さん……?」
パパは私をしば桜の前に立たせた。白、薄桃、紫と仲間外れができないように、綺麗に植えた花。新しい花壇は時を得て咲き誇った。ああ、しば桜よ。別れのときが引き潮にすくわれるようだ。父と母から引き継ぎ、自分の家庭を持てた。ありがとう、ありがとう。血潮を巡り、万感の思いが込み上げる――。
「やっほ! 誰かいるの? 美桜っちと遊びましょう」
美桜緒が友達を求めて駆ける。ちりちりと花びらが空高く舞う。
『美桜緒ちゃん……! こんにちは!』
『こんにちは!』
【キミへ囁くしば桜 了】




