表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第八章 春望
47/48

第四十七話 パンドラ

 私はお集まりの方々から離れて、一人窓際から母を見つめていた。


「次の面会を楽しみにしてほしいわ。だって、お母さんは娘だって分かるのよね? 本当は」


 母が自分が音痴だからと歌わなかった分、父の背中で私は歌を覚えて行った。風流の好きな父らしい子守歌。


「ふんふん……」


 秋荒ぶ

 枯葉の吐息

 真昼の迷宮

 忘れじの恋

 嵐の間に間に

 見えぬ明日を

 彷徨いて求めし

 君の面影

『秋の面影』

 作詞、作曲、生原志朗。


「とても子守唄にはならないけれども、今の私には、感じ入る所があるわ」


 この歌を聴かせても母に反応がなかった。物侘しさが沁みて来る。


 ◆◆


 ポーラスターでパパが銀幕に流した。確か、『ヒトミ物語』だった。主人公のヒトミが国境なき医師団を取材する中で、治療に当たっていたテントに駆け込む影が映る。身籠みごもったおんなが役名だ。予期せぬ妊娠を強いられ、体と心に傷を負った女性が宣言する。


『私にも人権があります! 人権があります……!』


 容易に人権を侵害される社会に、私は迂闊にも涙を堪えていた。自分が主張したいことは、人権なのだろうか。私の瞳に、ヒトミさんが映る中で、考え込んでいた。


「ママがショックだったのは分かるけれども、梅芳さんも美桜緒さんも心配しているよ。考え事かな」

「うん……。私に人権ってあるのかしら」

「当然、心配しないで」


 項垂れていたら肩をとんと叩かれた。動物のひっかき傷のある細い指は美桜緒さんに違いない。梅芳さんはピアノで鍛えられているから、十本の指が大きく開くし節も発達している。


「ジンケンってどんなこと?」


 美桜緒さんは動植物が好きな優しい子だが、学校では漢字や用語が苦手だ。


「仕方ないな、美桜っちは。僕が教えてあげるよ」

「姉ちゃ、大好き。やっぱり美桜っちの姉ちゃだわ」


 感涙しそうだった。姉妹で教え合うとは美しく優しいから。


「人が持つ権利ってこと。してもいいとされることだよ」

「流石、姉ちゃなだけあるね。尊敬の眼差しビームしちゃう」

「いやいや、僕もこれ位なら」


 中学三年生と一年生か。大きくなったわね。梅芳さんの一人称、『僕』は現在進行形だけれども。本当は私と呼んで欲しい。


「姉妹で私達の子なのね」

「はは。ママが、どうして人権について悩むんだい」

「あのオトコに蹂躙されたからよ。それに、梅芳さんにも人としての権利があるわ」


 パパは私の髪を優しく抱いた。


「あのね、お父さんが現れて鉄槌を下してくれたようよ」

「確かに人を人とも思わない行為だ。僕も憎らしくて毒蛇の餌食になればいいとも思ったよ。口にしたら家庭を混乱させるから、胸の奥へ隠していただけな」

「あにゃ、珍しいわね」


 腰で拳を握りしめていたパパの力が肩から抜けて行く。決意した顔をこちらに向けた。


「生原櫻絵さんは、幸せかい?」


 大切なことだからと、もう一度訊かれた。


「生原櫻絵さんは、幸せではないのかとの話」

「――私、生原櫻絵と言う一個人がかしら」


 後ろで口ごもる音がする。気に掛けていると、唐突に意識の水風船が破裂した。


「櫻絵や……」


 振り向くと小さくなった母がいた。


「お母さん! 私の名前を呼んだのかしら?」


 私は、母の膝に掛かったブランケットに縋る。母はまだらに呆けていて、正気なときもあるに違いないと信じているから。


「ね? お母さん、もう一度呼んで」


 彼女は黙していた。


「私はね、生原櫻絵です」


 母の肩に私の白いストールを掛けた。車椅子を回転させて、しば桜がよく見える大きな窓へ母を連れて行く。


「渡瀬志朗お父さんと生原さくらお母さんは、しば桜の綺麗な所で出逢ったと聞きます。二人の間に生まれた女の子、櫻絵と申します」


 今日は、風が強いのかも知れない。外で、しば桜が舞い続けていたから。後ろから、母を痛い程に抱き締めた。


「私――。櫻絵ちゃんなのよ? ミミちゃん大好き櫻絵ちゃんよ。時折、四季を問わずに必ず会いに来ます……。寂しかったらしば桜に囁いてね。絵手紙も持ってくるから」


 ホームに預けたままにはしない。母が快適に暮らせると思っての苦渋の決断だった。


「ママ、僕だよ」

「母上、僕も」

「美桜っちもいるよ。ママ」


 家族四人が集まって、蒸すように母を囲んだ。しば桜は囁こうとはしなかった。ただ、真実のみを花散る嵐の中に映す。私にも感じられた。しば桜の中に佇む男性。シルエットは母が思い描く志朗お父さんでもない。母が勘違いした太田総一郎氏でもない。


「私にとって、広大なしば桜の中で木を背に物静かに本を読む姿が見えるの。誰あろう、貴方よ」


 ウインクを同封して届けた。


「ぼ、僕? まるでママの王子様みたいだな」

「やーだー! パパしかいませんって。もうもうもう」


 辛かったことは過ぎ去ったことだ。私には現在がある。パンドラの箱を開けてみると、未来の明るい展望は子ども達に姿を変えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ