第四十六話 母の系譜
私には、確認したいことがあった。梅芳の血脈を綴る糸を求めたい。
「――痣よ」
独り言ちたのは、育児日記にも記したことだ。
「伯母さんは、体にしば桜のような痣があるそうね」
「嫁には、右乳房にあるが。本人はネズミイボだと言っておったっぺ」
持田の伯父が教えてくれた。予想が当たってしまい、複雑な気持ちになる。
「幼い頃、お祖母さんと五右衛門風呂に入ったときに聞いたのですが、自分の右乳房とヘソの少し上にあるのはネズミイボだとね。伯母さんも疑う余地なしでしょうよ」
亡き祖母を偲ぶ。夫婦でお見舞いに行ったとき、茅葺の家を懐かしく語っていた。いつも寝かしつけてくれた祖母は母とも違うあたたかみを感じた。
「ネズミイボなら、ママもあるよね」
「全くネズミイボ以外を疑わなかったわ。私のはヘソの上だけにあるの」
ポーラスターで私が肌の露な写真を撮られた。痣を見たとパパに明かした愚かなオトコに対して、寧くんは人を呪わば穴二つと高ぶる私を宥めてくれた。
パパの隣へ寄り添い、手を絡めると溢れる程の安心感を貰えた。
「パパも小さい頃から知っているよ。美桜緒さんも全く同じ所にあるよね」
「私から遺伝したのかしらね。ネズミイボは医学的に母斑と呼ばれるそうよ」
梅芳を気遣って、私が産んだ赤ちゃんとは言わなかった。美桜緒と臍帯が繋がっていた証にも感じる。パパは私の緊張を察してか、ふわっと手を握り返してくれた。
「母上、僕は違うよ?」
「梅芳さんにも痣はあるわよ」
いっそのことはっきり言った方がいいのだろうか。遺伝の秘密を知る者と目を合わせる。彼は僅かに頷くことで、知る権利もあると訴えてきた。
「梅芳さんは乳房にあるの。沐浴のときに、気が付いたわ。まさか、こんな形で母親の系譜を辿ることになるとは思わなかったわね」
頭痛がして来たので、おでこをぐっと押さえる。脳裏にぼんやりと真実の家系図ができた。
「痣で梅芳さんの出自が分かるわ。でもたかが痣の情報よ。気に病み過ぎないでね」
「シュツジだって? 僕の……」
不倫をした伯母には申し訳ないが、正直に伝えるしかない。寧ろ、手をこまねいているのは私達家族だ。
「持田夫妻には赤ちゃんが灯るのを忘れたのよ。伯母さんは子宝に恵まれたかったせいか、姪の私を可愛がってくれた。昭和四十一年、太田総一郎氏との間に奇跡的に緑さんが芽吹いたわ」
「母上? それがシュツジなの?」
私は、今度は梅芳の手を情を細かに覆う。彼女の脈拍が走り出した。元凶とも言える不倫なんてなければよかったのに。もしもは愚門だ。産まれた者の存在を否定することにより、梅芳も消滅してしまうから即却下した。
「平成十七年、陶芸家の紫香として紫堂航丞と出会った。紫堂はギリシャ彫刻のような透明な肌が好きで手が早い。紫香も年下と高を括っていた所を不用意に妊娠してしまった」
梅芳も美桜緒もしっくり来ないようだ。中学生には、妊娠に至るまでの認識は難しい。かく言う私も甘かった位だ。
「緑さんもしば桜のような痣があるのよね。私の従妹だもの。持田の伯母さんから受け継いだら、右乳房にかしら」
「む、娘が従妹か……。痣なら緑にあるが。自分は黒子のようなものだとしか思わなかった」
太田氏が認めた。貴重な証言だ。話が聞ければと、緑の方へ二、三寄った。
「娘は急に巣立ってしまった。陶芸の研究をすると出て行ったはいい。他の窯で影響を受けたようだった。けれども、自分が心配しては見つけ出し、家に連れ帰るのを繰り返したものだ」
太田氏によれば、緑は相当ふらふらしていたようだ。やけっぱちだったのだろうか。
「平成十八年もそうだったのかしら」
「ママ、傷付くからよした方がいいよ」
私は首肯して、大丈夫と口唇で伝言した。すぐさまパパに引き寄せられて、話を聞くなと胸に埋める。耳栓つきで身動きも取れない。
「六月だった。既に陶芸への夢も希望も抱かなかった娘は、雨の中を飛び出して行ったな。帰宅した娘は体を赤く塗りたくり、休みたいと自室へこもった」
車中でお産を一人で行ったのには家出したからか。パパの胸から私は顔を助け出した。店長は娘の顔を覗き込む。赤ちゃんのだよと膝に本を置いてやった。手作りの布絵本で、ひよこが愛くるしい。
「切実に時間を元に戻したい。喧嘩するのではなかった……。出自に拘らずに孫の誕生を諸手を挙げて祝福すべきだったな」
そこで語り疲れ、溜息をどぶっとと吐いた。太田氏にも思う所があるのか、布絵本の裏表紙を見ていた。真っ赤な林檎が微笑んでいる下に、『かず』と刺繍してあるのがよく見えた。
「……お父さん」
「緑? 怖い夢でもみたのか」
「ごめんなさい……」
緑はか細く念を吐く。この贈り物が母からだと知らされていたのか。ぼつぼつと雫を落とす。
「しば桜に似た痣が生まれ落ちた赤ちゃんにもあれば、自分の子どもではないと否定できないわよね」
緑が震え出した。絵本で顔を覆ってしまう。
「緑さん、もう一息がんばれるかしら」
「僕からも頼む」
二人で頭を垂れた。
「シドウコウスケとは一切連絡が取れなくなった頃、車中で陣痛と戦いながら女児を出産した。臍の緒も自分で対処したはいいけれども、ぐったりしている赤ちゃんが、死ぬんだと思った。昼とも夜とも分からない程の雨の中」
◆◆
現実は凄惨だが、繕いようもない事実だった。梅芳の出自を問われたらこれしかない。
「梅芳さん、産みのお母さんは、私に預けていかれたわ」
「母上! 僕は二分の一成人式の後、両親と養子縁組をしたと聞かされた。でも、でも」
「ちょいちょい、違うの。“愛されている”養子なのよ。美桜緒さんとは再従姉妹だわ」
梅芳はしば桜の見える窓辺を背中を向けて眺望した。気丈にも泣かないでいるようだ。
「美桜緒さんは、ママに似てヘソの少し上にしば桜のような痣があるのよね」
「うん、ママ!」
相変わらずの甘えん坊さん。ママのお腹にぐるっと腕を回した。
「私、思うのね。しば桜は本当の産みの親を教えてくれたわ。でも、家族って一緒に過ごして来た積み重ねで育んで行くのではないかしら」
「痣はどうでもええっぺ。惚れているっぺえな。和の拵える金平牛蒡が好きでな、最初に俺が太くてぶつ切りが好きだと話したらそれ以外の金平牛蒡は出なかったのを思い出したっぺ」
声の主が視界に入る。大伯父が妻をスローモーションのように後ろから抱き締めている。
「あらあら、大きな赤ちゃんね」
「嫁は一生一人だって決めてあっぺ。初めての縁談で惚れ込んだんだっぺよ。優しい笑い顔は、老いても変わらねっぺ?」
持田の伯父は愛も情も深い。一生を添い遂げるには、相手がどのような病に罹っても変わらない愛情があると実感した。誰もが口に戸を立てた。窓に目をやると、ただ、しば桜が舞っているのが見える。
ひゅるふふふ。
ふひゅるうふふ。
暫くして、所長と面会を行い、幾つか確認事項にレ点を入れて行く。母は、介護付有料老人ホーム『しばざくら』に入居が決まった。




