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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第八章 春望
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第四十四話 倫理違反

「話は戻すわね。お腹が大きい間、持田家を離れて生原の実家に帰っていたのだと思うわ。お祖母さんが亡くなるときに見た書きかけの俳句の意味が分かったの」


 あの句だ。ありありと思い出す。


『腹が痛いと、泣く子あり。 フク』


 茅葺の家には六十六歳だった父の元、一つ下だった母のフク、二十二歳だった妹のさくらがいただろう。


「今の状況を見ての推察だけれども、伯母さんは無事元気な赤ちゃんを産めたのよね」


 あの俳句は無念のものだろう。本来ならフクの孫なのだから。会わせられなかった曾孫はどこで暮らしているのやら。梅芳と美桜緒を目で探したら、窓辺に椅子を持って行き、飲み物をしっかと抱えて静かにしていた。


「無理しなくていいのよ。ママと外に出る?」

「僕はここでいいよ。子どもじゃないんだ」

「美桜っちも姉ちゃと一緒にいたい」

「僕は金魚か?」

「だったら、餌探さないと」


 思ったよりも窮屈ではなさそうだ。よかった。


「赤ちゃんは非嫡出子だったかも知れないけれども、太田氏が迎え入れた。太田緑と命名され、戸籍も持てて学校などもきちんと行かせて貰えた」


 身二つになれば、本当の我が子であっても会わないで心で遠くから見守ろうとの思いがあったのだろうか。


「実は僕も昭和四十一年生まれで、偶然は怖いと思ったよ」


 パパも同い年だと私も思い出した。五つ上となる。


「私の従妹になるのね……。教えてくださる? 太田総一郎氏」


 彼は娘の車椅子が動かないようにし、手を離す。肩の力を抜いて息を長く吐いた。緊張して当然だ。


「――娘は、自分の影響か陶芸に目覚めて行き、高等専門学校を出て、この道を行くと決めた様子だった。作陶にとても熱心だったな」


 緑は相変わらず口を開かないでいる。私は本人は語れないのかと歩み寄った。顔は曇っている。


「娘は群青シリーズの出展に当たり、名を紫香として南野みなみのデパートで入選及び佳作を取った。大層喜んでいてな、自分に自信を持ち、作風を固めて行ったようにだった」


 緑は細く息を吐いた。大切なことかと思ったが、生憎、聞き取れなかった。


「パパと私は西洋美術史と洋画が専門だから、朱の炎と接点のない生き方をして来たのよ。陶芸の世界まで気付かなかったわ」


 婚姻の届け出をするあの日までは。


「私の想像よ。緑さんの成長を助けるべく、太田総一郎氏は陶芸店である朱の炎で、紫香さん名義の作品を前面に売り出した。合っているかしら」


 太田氏はハンカチで目元を拭った。


「ああ、自分で全て行ったことだ。娘を愛している……。親の気持ちなど両親が揃っていなくても同じだと信じて来た」


 成程、悪い人ではないらしい。しかし、不倫は許されない。


「緑さんからは、母親の話は出なかったのでしょうか」


 パパが核をついた。彼は恵まれた家庭環境にあり、緑が母親探しをしなかったのかと訊きたいのだろう。私には両親がいてくれて、疑うことなく大好きだった。だから、彼女は心に残念な想いを抱えていたと推察する。


「太田緑さん、紫香さんでもある彼女は、結婚をしないで仕事に熱心だった。四十歳のときに、誰の子とも知れない赤子をお腹に抱えてしまった」


 赤ちゃんは生まれるとき、手には沢山の幸せを握っていると信じていた。私の考えは甘かったようだ。窓の外を見ると、しば桜が相変わらず吹雪いている。私の背中を追い越しておくれと、身を任せたくなった。風に乗って、遠くへ行ってみたい。気持ちを切り替えて話を続けた。


「緑さんは順調に大きくなるお腹を誰にも相談することなく、妊婦健診などにも全く行かず、ましてや父親の名を語らないまま、十月十日を過ごしたのね。心細かったでしょうに」


 本当は困った方だと思っていた。でも、話している内に同情めいたものが芽生えて来る。私だって美桜緒のときは、切迫早産で三度も危ない思いをした。てて加えて私に流産の経験があるからと、皮肉だったのかも知れない。


「太田氏のように、彼女も一人親でもいいと思ったのかしら」


 運命って、さだめって怖いと思った。私達も無関係ではないと。


「平成十八年の雨のしぶとく降る日だったわね。車で移動中に産み落としてしまったみたいなの。凄絶だったでしょうよ。知った茅葺があったものだから、投げ渡すように私達に預けて行った……」


 いい方へ解釈しよう。可愛い赤ちゃんと出逢えた。おしゃぶり遊びの上手だった梅芳ちゃんは我が家の天使だ。産みの親の存在など片隅にも思わなかっただろう。窓辺に目をやると、梅芳は凛としていた。パパの願いを込めた梅のように。


「緑さんは、もしかしたら罪悪感があったのかい? 悪の所業と思ったのかな」


 私はお腹の子を天に逝かせてしまった。赤ちゃんが誰の子であっても私には愛しい子に違いない。緑の子を預かって、育児の不安こそあれ、手放そうなどと思ったことはなかった。親子の縁ができてよかったと思っている。美桜緒のお産をしてみて分かったのは、投げ出したい気持ちよりも感動こそあった。でも、パパや母や梅芳が家庭を作ってくれていたからだと心に沁みる。


「緑さんにとっては、婚外子となる訳よね。ただ届け出も出さないで、放り投げられてしまった為、私達生原夫婦で育てることにしたの。赤ちゃんが健康だったのが救いだわ」

「僕達は夫婦で子どもを望んでいたのだよ」


 梅芳を本人が疑問を持つ隙を与えることなく、我が子にすることに一所懸命だった。お陰で、私達の欠けている気持ちを彼女が風船のように覆ってくれた。


「太田緑の名も痕跡もなく、生原梅芳として養子に迎えることができたわ」


 自分の娘に目をやった。梅芳が肩を震わせつつ立ち上がった。


「ええ! 全部が僕の話なの?」

「大丈夫……」


 私も泣きたい位だったが、駆け寄ってやわらかく包み込んだ。


「うちのお姉さん、梅芳さんがいてくれるのだよ」


 パパも胸が一杯だろう。


「姉ちゃは、姉ちゃは、複雑で大変な生まれだったのね……。うえ、う、うえ」


 勿論、美桜緒だってそうだ。


「僕、僕の生まれって……」

「大丈夫よ。大丈夫なのよ」

「母上!」


 私は愛しい梅芳を抱き締めていた。ずっとずっとこうしていたい。初めての産湯から初めての離乳食、ハイハイにオムツ外し、幼稚園へ帽子も鞄もきまっていて、三年後にはランドセルもお似合いだった。元気でと送り出した春からもう遠い。


「は、母上……」


 群青色のワンピースが濡れた。

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