第四十三話 衝撃の滝
不思議な縁を感じていた。ふと窓を眺めると、ポーチの近くに停めてあった車からお年寄りが降りて来た。車椅子でスタッフの方に迎えられている。同じ入居者だろうか。母のホームでの生活を考えて、親しくしていただけるようにがんばろう。
「こんにちは」
私は精一杯の笑顔で迎えた。同時に一陣の風が吹き込み、しば桜の花びらが口の中にも入って来る。前が霞み、ご老人は見えなかった。
「まあ、お若い方って珍しいわ。初めまして」
近付いて来て見えるようになると、正体を知る。伯母だった。私達をすっかり忘れているようで、空虚な笑顔を振りまく伯母の姿に胸がちくりとした。大正と昭和のある年生まれだから、もう九十五歳にはなるだろう。持田の伯父さんも付き添って来た。伯母とは同じ年なのだが、大伯父さんの方が活力がありそうだ。
「パパ、日本画を嗜んでいらっしゃった伯母は、私の誕生祝に琵琶の絵を贈ってくださったのですって。お母さんから聞いたわ。父はいたく感動して、名前に『絵』の字を入れたそうよ」
「素敵だね」
楽しい話へ不穏が投げられた。
「和さんですか」
朱の炎の店長が知っているようだった。同じ県内で益子焼を扱っている店舗が市街地にあるからだろうか。
「ああ、持田和だっぺ」
一方、伯母は本当に分からないようだ。首を傾げ、困ったような顔をしている。
「あら、そちらのお嬢さんは?」
パパと同じ歳の緑さんに和伯母さんが微笑み掛けた。
「自分の娘ですよ」
店長が、車椅子をぐっと前に押す。
「――和さんとのね」
私に、あらゆる情報が一遍に流れ込んで来た。不倫と言う言葉が過る。店長と伯母との関係を秒で理解した。先程のスタッフの方に駆け寄った。
「すみません。持田ご夫妻は親戚でして、お話をしたいのです。入居前に申し訳ございませんが、面会室をもう少しお借りしてもよろしいですか」
「ごゆっくり。所長のお話は、後程にいたします」
面会室内には自動販売機があった。私は梅芳さんにブラックコーヒーと、美桜緒さんにヨーグルトドリンクを買う。パパがモカを二杯用意してくれた。サンクスと受け取る。
「お話しをしてもよろしいかしら?」
「ママ、無理なら僕が語ってもいいからな」
「ありがとう、パパ」
首を縦に振る。
「つまり経緯はこうよ」
私は唾で喉を動かして、渇いた声帯を動かした。
「生原和伯母さんは、昭和元年に元お祖父さんとフクお祖母さんとの間に生まれ、殊の外愛されて育ち、高校まで行かせて貰ったと聞くわ」
「そうだったね。ママ」
いただいたコーヒーの一口で、緊張で渇く喉を潤した。少し熱かったので、目が覚めて気合が入る。
「母ちゃんの話か?」
大伯父がはっとし、慌てて立ち上がった。私は二度頷いた。
「生原の家では、昭和三年に産まれたばかりの幸伯父さんを病気で亡くし、昭和六年に胸に抱いた誠伯父さんを十三歳で戦死させてしまったらしいの」
祖父母は、誠伯父に生原姓を継がせようと思っていたから、伯母は持田姓になったらしい。
「昭和十九年の戦中に、末子の次女のさくらを授かったのね。母からしたら、和伯母さんは十八歳も上の姉に当たる訳なのよ」
「櫻絵さん、家では伯母さんとお義母さんの姉妹の話は少なかったね」
母が語りたがらなかっただけだと思う。私は伯母さんを好きだから、話したかったけれども。モカが人肌になったので飲めるようになった。
「和伯母さんは、戦後すぐの昭和二十一年、自分が結婚していないと急に気が付いたらしいの。ご友人の紹介で、真岡で梨園を営む持田大伯父さんの所に嫁いで行ったとは、前にお話ししたわよね」
パパに目配せをすると、母の言葉を再現してくれた。
「よくお義母さんから零されたよ。姉は颯爽と出て行ったはいいけれども、ご両親と三人暮らしがご自分に負担が掛かってしまったとか」
茅葺の家でお茶の時間にこんな懐かしい話をよくしたものだ。パパも傍で物静かに聞いていたと思い返す。
「和伯母さんは、夫には不満がなかったようだったけれども、一つだけ残念に思っていたことがあったそうです。お分かりになりますか? 持田大伯父さん」
伯父はおののきながら、付き添っていた伯母から三歩下がった。
「俺が答えるっぺか? 分かってっぺよ。仮にも夫だっぺ」
頬を膨らませたり、肩を小刻みに震わせている。狼狽えた伯父を初めて見た。でも、ここは明瞭にしたい。
「分かっているのなら、教えてください」
「め、目の前に和がいっぺーな。そんなこと、恐ろしくてできね。妻が傷付くっぺな」
伯父も優しいから言えないのだろう。けれども、梅芳ちゃんの為にもすっきりとさせたい。斬らせていただく。空のモカをテーブルに置いた。
「では、私から話すわね。姪でありながら、とても可愛がっていただいたわ。持田家では生憎お子様に恵まれなかったから。私達も難航したので、よく分かるの」
パパが童謡の鼻歌を少し歌う。伯母からいただいたアレだ。
「ママはパパにこの歌のオルゴールをいただいたとか、お話ししてくれたね」
私が、綺麗だったり可愛かったりするものが好きなのは、伯母に似たのだろう。母はキャラクターものと言えば、うさぎさん風のミミちゃん以外はあまり与えようとしなかった。
「伯母さんは、答えられそうにもないの。太田総一郎さん、どうか教えてくださらないかしら?」
太田氏が弱々しく想い出を紐解いてくれた。
「和さんは仰っていました。旦那様との夫婦茶碗を買いにうちの店に立ち寄ったと」
パパが暫く考えて続けた。
「僕の推察ですが、伯母さんが四十歳のとき、三十歳の太田総一郎氏と出逢ってしまったのかと」
初めはどの夫婦茶碗がいいかと見て回ったことから、今日のお天気の話になり、理想の異性像まで深く話したのだろう。私の推測と妄想の産物だが。
「細かな経緯は分からないけれども、二人は初めての寝屋を共にしたと思われるわ」
「あのさ、ママ。伯母さんと店長の話になるとは……。僕も思わなかったよ」
私もまさかのまさかだと思った。伯母さんの前まで歩いて行く。
「昭和四十年、一夜限りかも知れない。運命の悪戯だったのか、和伯母さんは子を授かったようね」
「和! そんなことなかっぺよ?」
伯父は真っ青になった。伯母は心に花畑と精霊さんがいるような感じになっている。まともな返事は期待できない。
「和伯母さんは、長期で持田家を離れていたことがなかったかしら」
「ずっと、いたっぺえ。俺が入院しているときもお見舞いに来てくれたっぺよ」
伯父は、伯母の名を四度は呼んで、肩を軽く叩いた。
「あらあら、泣いてしまったの?」
「いつから惚けているっぺ。いつまで惚けているっぺよ! 明るい和になる為に、このホームにいるっぺよ?」
伯母は、先に『しばざくら』に入居されていたのか。知らずに手続き等をして来てしまった。
「ふざけるな! おい、陶芸屋の! どうして、和に手を出したっぺ?」
「お、奥様が望まれたことです」
「男のくせに汚いっぺえよ。ああ、苦しいっぺ。和が、和がそんなに子どもが欲しかったって、どうして仏様に背くことまでして……」
怒り心頭に発する、怒髪天を衝く、伯父は形容し難い思いなのだろう。この秘密を明かしたことに胸が痛かったが、本当の母が現れたのだ。梅芳さんの為にがんばろうと思った。




