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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第六章 白雨
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第三十五話 母さくら

 帰宅すると、大変なことになっていた。玄関脇のしば桜が一日で引き戸の入り口まで広がっていた。まるで絨毯だ。


「お母さん!」


 白と薄桃の小枝が刺さるように、母が倒れていた。梅芳ちゃんを抱っこ紐で胸に埋めながら駆け寄る。


「しっかりして」


 頭を打ち付けたりしていないだろうか。揺り動かして悪化してもいけない。


「ママ、救急車を呼んだから」

「私、付き添うわ」

「いや。妊娠初期の母体が大切だ。僕が行くよ」


 ひやっとする記憶が過った。母が父の危篤を知らせる架電の前だ。優しい父が、悪夢を払拭するように虹を渡って会いに来てくれたこと。


『――さくらと自分が、手塩に掛けて育てた娘だ。綺麗な花を咲かせるのはもう暫し後になるかの。紫堂殿、悪さをしたらお仕置きするぞ』


 父の言葉は一言一句忘れもしない。燦展受賞後の悲劇まで、全て父のお見通しだった訳だ。紫堂には鉄槌が落ちるといい。しかし、人を呪わば穴二つとも言う。私もこんな考えはよそう。母の無事を祈る方が大切だ。


「ばあば、ねんねん、めっ。ばあば、ねんねん、めっ」

「梅芳ちゃん。ばあばはね、お昼寝しているのよ……」


 私は梅芳ちゃんを抱いて、母とパパを乗せた救急車のサイレンに向かって叫んだ。


「転ばないのよ――!」

「ばあば、パッパ」


 救急車が砂利を踏みながら茶の垣根から消えて行く。サイレンは母とパパの道程を教えてくれていたが、聞こえなくなってしまった。


「ばあば、パッパ」

「優しいわね。梅芳ちゃん」


 頭をよしよしして、茅葺の家に入る。


「ばあば、ばあばー」

「お母さん、よくお世話のお手伝いをしてくれたから。梅芳ちゃん、懐いていたのよね」

「パッパ」

「パパから、後で連絡があると思うわ」


 私はしば桜を避けて入れないかと通り道を探していた。けれども、息を呑むことになる。


「はっ……。赤がぽつぽつと」

「ぱぴっぷ」


 先程の母が倒れていた所に、血が流れていたことを知る。


『薄桃よ』

『白よ』


 久し振りにしば桜の声が聞こえた。花は咲いてなくても意思があるらしい。


『私のような薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟と言われるよ。大丈夫かしら』

『では、白い私の〝忍耐〟で根絶を避けたいと願うわ』


 秋風が荒ぶ中、しば桜は木霊するように囁きを繰り返した。まるで合唱のように。


「ごめんなさいね。今の私は、白も薄桃もしば桜を恨んでいるわ……。どうして助けてくれなかったのよ!」


 血を浴びた荒んだしば桜を睨み付けた。


「正直、母の無事に対して〝臆病な心〟だわ。母の回復を待つのに〝忍耐〟が必要なの。しば桜には縁の心があると思っていたけれども、私が愚かだったわ」


 自身の頭を掻きむしる。


「ん、ばあば! ばあば、いないいない」


 梅芳ちゃんの声で目覚め、私は携帯電話を見る。午後三時二十一分現在、着信はなかったようだ。やっとメールが届いた。


『救急治療室に入った。救急車で既に意識障害があったようで、僕も懸命に呼びかけたが、反応がなかった。 パパ』


 父危篤の連絡が背筋を凍らせたことを思い出した。


『母の命が危なくなる前に、病院で面会したいわ。 ママ』


『ママは妊娠しているし梅芳ちゃんは小さいから、中々厳しいな。 パパ』

『間に合うように、連絡をしてね。 ママ』


 時代は移り行き、通話よりもメールの場合が増えたのが少し寂しい。寧くんの直筆の文字でもない。電送されたドットの塊が、鬼のようだ。


「まんま、まんま」

「うん、お昼だったかな。納豆ごはんにしようかしらね」


 ベビー椅子に座らせて、柔らかいご飯に甘い出汁の効いたタレを掛けて準備万端だ。さあ、歌おう。


「なーっと、混ぜ混ぜ、混ぜ混ぜ、納豆ちゃん」


 ナットソングを歌いながらよく混ぜると、美味しそうだな、食べたいなと思うのだろう。


「うまうま」

「はーい。納豆ちゃん、あーん」


 梅芳ちゃんには空腹のふりかけも掛かっている。


「よく食べまちゅね」

「まー」

「納豆ご飯でちゅよ」


 赤ちゃんだから無心なのも分かる。頬に納豆一つとご飯粒二つがあるから、ちょんと摘まむ。


「まーまん」

「召し上がれ」


 宝物だから食べたいらしい。梅芳ちゃん、可愛い。


「まんま。マッマ、マッマ」

「あら、私ったら」


 いつの間にか、膝に哀しみを落としていた。いくらでも雫が落ちそうだ。笑顔をお届けしないと。


「大丈夫よ。ママはいつでも元気だから」


 すっかり納豆ご飯を平らげてしまった。細やかに気を配って拵えた離乳食よりも、こっちの方が楽でよく食べてくれるとの矛盾がどうにも不思議だ。


「ただいま」

「まだ六時よ。お帰りが早くないかしら。お母さんはどうだったの」

「パッパ、パッパ」


 ただいまの代わりに、二人は頭をくしゃりとされた。


「一つ一つ答えて行くよ。お母さんは意識を回復して入院した」

「入院の方が万全ね」


 覚悟していた。とにかく命に別条がないのに安堵する。


「着るものなどは病衣を借りるし、売店で下着などを買ったよ。ご飯は無論のこと水分も上手く取れないので点滴だね」

「お母さんには、いつ会いに行けるのかしら」

「僕は、今日と明日の分、仕事をするよ」

「明日もお見舞いに行くのね」

「飲み込みが早いね」


 留守中に描いた葉書を封筒に入れて渡す。


「花とかダメだろうから、この絵手紙を持って行って欲しいわ」

「了解だよ。見てもいいかな。芸術家としての生原櫻絵ファンとしてね」


 葉書に青墨で描いた絵は、白と薄桃のおしゃぶり二つだ。そこに、添え書きがある。


『豊の秋、恙身つつがみながら、子を宿す。 櫻絵』


 私の中の祈りを知って、母にも喜んで欲しいと思った。けれども、直球過ぎる表現はしたくない。奥ゆかしい方がいいと思った。


「随分と思い切ったね。絵手紙でお義母さんはひっくり返るよ。本当に」

「ああ見えて、勘が鋭いのよね」


 ◆◆


 翌日、絵手紙を携えてパパがお見舞いに行った。

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