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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第六章 白雨
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第三十四話 天の恩恵

 平成十九年九月二十九日。私達にとって驚くべきことが起こるとは思いもよらなかった。梅芳がつかまり立ちにも慣れ、ベビーカーに荷物を積んで楽しそうに押して遊んでいる。ママお手製のアヒルさんプルトイもある。はいはいをしながら手で転がし、夢中になって遊ぶ。


「ぷーぷー。ぶっぷーぷー」

「パパ、八月二十三日、大安の日に始まったのを最後にお月さまが来ないわ」

「様子をみようか」


 もしかして閉経なのかも知れないと心配になって来た。


「二か月にもなるわ。検査してみようかしら」

「手術したこともあるから、慎重に行こうな」

「うん」


 薬局で求めたもので簡易検査をする。私は俯いて戻って来た。


「櫻絵さん……。妊娠検査薬は尿中に排出されるhCG、ヒト絨毛性ゴナドトロピンを検出して判断するからな。妊娠三から四週目にならないと勘違いもあるらしいよ。念の為、病院へ行こうか」


 やはりパパは私を気遣うと思った。私は口をドラムに見立てる。


「赤ちゃんは、ダダダダダダダダ……」

「勿体ぶらないでよ、ママ」


 パパは目を細めて、私の唇を横一杯に引っ張った。


「恵まれました! 早い内に産婦人科へ行って来ますね」


 諸手を挙げて喜ぶと、パパは私をやわらかく抱き締めて来た。


「すっかり勘違いしたよ。櫻絵さんは女優だな」

「やったね、にこにこっぷう」


 ひょっとこみたいな変顔を作ってみた。多分可愛いと思う。


「僕をあやさないで、お願い」

「面白かったかしら。梅芳ちゃんに、にこにこっぷうオンパレードしまちょうね」


 ベビーサークルではいはいして遊んでいた梅芳ちゃんと遊ぶ。


「ぷう、ぷう、にこにこっぷう」

「んまんま、まんま。ぷぷ、ぷぷぷ」

「梅芳ちゃん、お上手よ」


 私は幸せ山の頂にいた。総合病院の産婦人科に予約を取って、十月一日、火曜日の大安の日に行くことになった。


「大切な瞬間だから、仕事は休みを入れて梅芳ちゃんも連れて行くよ。お義母さんをがっかりさせないように、診察を受けてからご報告しよう」


 三人でセダンに乗り込む。


「お母さん、お留守を頼むわ」

「はいよ。お買い物かい」


 今日は殊の外混んでいるのか、随分と待った気がした。男性が偉そうに座っていて、妊婦さんが腰を押さえているのに馬鹿馬鹿しさを覚えた。


「ぴいい」

「よしよし。ママ、待合室にいるから」

「OKよ」


 落ち着いた四十代位の女性医師だった。


山下恵やましためぐむと申します。問診票によると、妊娠を確認したいとのことですね」

「はい」

「では、尿検査とエコーをしましょう」


 尿をトイレの窓口に提出する。エコーをする個室をノックした。


「生原櫻絵さんですか」

「はい」

「検査室の施錠をしてください」


 他の人の入室は禁じているようだ。エコーに緊張した。


「お二人目ですか?」

「一人目は……」


 黙っていても仕方がない。


「産みの親がどこかにいる筈なのですが。今は私達の娘です」


 嘘を吐いてしまった。心を揉みながら、退室する。待合室でパパ達と合流し、暫くじっとしていた。


「梅芳ちゃんもおしゃぶりでご機嫌だから、次は僕らも入っていいかな」

「いいわよ。ね、梅芳ちゃん」


 待つのは慣れている筈なのに、気持ちが走るようだ。


「生原さん、生原櫻絵さん。二番ブースにお入りください」


 三人でお邪魔する。


「おめでとうございます。妊娠されております。最終月経開始日を〇《れい》週〇日として、六日までを妊娠一周と数えます。本日で、妊娠週数五週プラス四日です」


 私達は、二酸化炭素を掛けられたみたいにフリーズした。


「計算いたしますと、平成二十年五月二十九日を妊娠二百八十日目、つまりは出産予定日と想定されます」


 私達は、喉が張り付いた蛙のような声で喜ぶ。


「まあ、梅芳ちゃんとほぼ二歳違いになるのね」

「よかったな、梅芳ちゃんの弟か妹だな」


 山下医師は、看護師兼助産師に別室で指導を受けるように促した。


「先ず、母子手帳をいただいて来てください」

「分かりました」


 初めてだと思うと、心の臓が跳ね上がった。


「母親学級を希望されますか」

「はい、お願いします」


 様々なことを避ける意味がない。


「生原様は、この図のような乳首でしょうか」

「いえ、陥没乳頭ではありません」


 テキパキと書類を作りながら教えてくださった。


「授乳は、母乳をご希望でしょうか」

「できましたら」

「混合でもいいのですよ。人工と母乳の」

「母として、できるだけがんばってみます」


 指導を幾つか受けて退室する。車に乗り込み、新しい気持ちで出発する。


「僕達はもう不妊治療をしていなかったよね。神様は気紛れなのかな」


 私は虹があったら父に会えると思って、車窓から上空を見た。飛行機雲が境界線を描く。


「神様はお見守りくださっているわ」


 お父さんは現れてくれなかった。雨上がりではないからだろうか。きゅっと切なくなって、リアシートから彼の逞しい上腕二頭筋を中指で刺してみる。すると、指を握り返されてしまった。


「お社へお参りに行くかい。ママ」

「やーだー。パパったら、お賽銭を奮発するから散財にならないかしら」

「しば桜の公園もいいね」


 指切りの形になり、妊娠が落ち着いたらお参りするお約束をした。


「ふふふんふん……」


 私は高い空に懸けて誓う。パパと梅芳ちゃんに母、一人を欠いてもならない。皆の幸せを願って、お腹の子を育もう。

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