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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第六章 白雨
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第三十二話 縁の開花

 お腹にある痛々しいものに、私は再び困らされていた。


「んぎゃー! ほん、ぎゃあ」

「お母さん、ヘソの緒をどうしよう」

「大体一週間前後で乾燥して取れるよ。優しく消毒して、ガーゼを当ててからおしめを当てるんだ」


 母が母親らしく頼りになると心底思う。


「よかったでちゅね」

「あぶあぶ、ぶぎー」


 私が頬ずりをしたそうにすると、赤ちゃんが興奮した。


「分かった。追加で消毒液とガーゼに綿棒とサージカルテープを寧くんに買って来て貰うわ」

「櫻絵や、頼もしくなったね。赤ちゃんを預かるよ」


 電話する間、母に抱いて貰っていた。玄関の鍵を回す音がする。


「ああ、リアルの神様」

「ただいま。雨も小降りになって来たよ」


 寧くんは、沢山の荷物を分かり易く並べてくれた。


「足りない物は、これから買い足そうな」

「広いお店を広げてくれたわ」

「先ず、着るものは必要最低限だけれども」


 短肌着を六枚、コンビ肌着二枚、長肌着二枚、ツーウェイオール三枚を確認した。ベビー服は小さくて儚い感じがする。


「次に、おねんね用品だよ」


 白いベビーベッド、男女を問わない緑のベビー掛け布団と敷布団、ドーナッツ枕、シーツ、おねしょパッドで赤ちゃんもすやすやだ。


「それから、三時間置きに交換するものだね」


 新生児用テープ型紙おむつ、お尻拭き、おむつ替えシートはフル稼働しそうだ。哺乳瓶のセット、缶入り粉ミルク、哺乳瓶消毒アイテムでミニュトン、肩掛けやお口拭きにガーゼ、赤ちゃんを膝に乗せる三日月の枕までは分かる。寧くんは赤ちゃん用に適温のお湯を沸かせるポッドも買って来た。確認すると、寧くんが消毒や湯の支度しに行く。


「櫻絵さんが既にしていた沐浴用セットだ」


 ベビーバス、湯温計、長いガーゼ、沐浴剤、やわらかいバスタオルはお休み前も使おう。


「清潔や体調管理には、これで気を配ろう」


 ベビー綿棒、保湿剤のベビーオイルとベビーパウダー、湯上りにおやすみベビーローション、ベビー用爪切り、ベビー用体温計、お洗濯に赤ちゃん用洗濯洗剤と十分に揃っている。


「赤ちゃんの安全の為、後でリアシートに固定するよ」


 チャイルドシートはしっかりしている。寧くんは必要だと思うと奮発するタイプだ。


「便利だし記録にもいいし想い出にもと思って。最初のお世話は櫻絵さんに書き込んでほしい」


 パパとママの為の育児日記帳だ。次々と繰り出す魔法が、私をママどうへと誘った。


「寧くんお疲れ様。お臍のガーゼとかあったかしら」

「お手当セットが売っていたよ」

「きゃーん。やったあ」


 母に聞いたように丁寧にお世話をする。プラスチックケースにまとまって入っていて、さっきまでの困ったできごとが大丈夫になった。消毒液をベビー綿棒でやわらかに臍の緒の付け根に塗る。綿のガーゼで臍の緒を覆い、サージカルテープで十字に貼って固定した。


「気持ち悪かったでちゅね。おむつを当てまちゅよ」


 おむつ替えシートの周りに必要な物を並べる。お尻拭きを用意してくれて助かった。お湯から上がってから、またおしもが汚れてしまったので綺麗にする。おむつを下に敷いた。


「よいちょでちゅよ」


 後ろから前へおむつを整え、左右のテープで股ぐりも漏れないよう、きつくないように留めた。


「櫻絵さん? 赤ちゃんに、櫻絵さんと同じ痣があるよ。しば桜のような……」

「沐浴のときに私も気が付いていたわ。思い出したくもない恐ろしい証だから、封印して置きたい」

「はあ、ネズミイボかい? あたしにもあるよ」

「お母さんにもある位だわ。よくあるのよ」


 短肌着を着せる。赤ちゃんのお肌に優しく、縫い目が表に出ていて、紐を前で蝶々結びにするものだ。


「ふぴ、すうーぴ」

「ご機嫌さんでちゅね。ミルクにしまちょう」


 寧くんも流石同じ本で学んでいただけある。哺乳瓶などの消毒担当を申し出てくれて、手際よく人肌のミルクが渡された。


「ありがとでちゅね」

「僕にまで、赤ちゃん言葉かい」

「てへ」


 沐浴奮闘が余程のことだったのか、家族がいるありがたみが分かる。


「ありがとでちゅね」


 哺乳瓶で口元を擽ってやると、くんと吸い付いてくれた。


「げべばあー」

「きゃあ、戻しちゃったかな」


 私は肩越しに赤ちゃんを掛け、げっぽとんとんと歌いながらゲップを出させた。


「寧くん。小さいのないかな丸穴のSSサイズ」

「一緒に消毒したから変えて来るよ」


 来た来た。


「はーい。美味しいでちゅよ」


 警戒するかと思ったが、甘いミルクの独特な香りのせいだろうか。心配なく吸い付いた。


「んっく、んっく、んく」

「よかったわ」

「僕だけぼんやりしているようで悪いな」

「沢山買い物してくれたわ」

「僕にできること、ベビーベッドを用意して来るよ」


 母がずっとあたたかい目を向けている。


「お母さん、どうしたのかしら」

「櫻絵や」


 私はげっぽとんとんをさせて、ガーゼで拭いたりしていた。


「櫻絵や……。私は悪の沼に足を取られたよ」


「どうしたのよ、お母さん。幸せそうで泣けてしまったのかしら」


 母は暫く緘黙かんもくしていた。


「櫻絵や。この赤ちゃんは、櫻絵が産んだんだろうよ」


 呆けて来た訳ではない。


「櫻絵が産んだんだ」

「お母さん、捨て子なのよ」

「櫻絵が産んだ」

「違うわ。私、産んでいないわ」


 赤ちゃんはミルクが終わると、眠たそうに身を任せた。


「あたしは、櫻絵の子だと思っているんだから」


 私はえにしを感じてやまない。紫香さんが投げ出すように私に託した命を。立ち寄った陶芸店で働いていた彼女は、母親を放棄したのだ。


「お母さん、私……」

「なあ、櫻絵や」


 足音で分かる。寧くんが夫婦の部屋から帰って来た。


「おーい、ベビーベッドと布団の支度できたよ」


 話の流れが彼には分からなかったのだろう。


「ここは縁の花が咲いたと思って。なあ、櫻絵や」


 私は生唾を飲み込んだ。


「縁の花……」

「どうしたんだい」

「縁があったと。勝手に解釈したら犯罪でしょう」

「いや、櫻絵が産んだんだから、間違いない」


 寧くんが目を丸くした。


「ちょちょちょ。縁って、駄目でしょう」

「子どもが授かれないことで悩んでいたことは、知っているよ。母親だからね」


 母の目が本気でぎらついている。


「でも、櫻絵さんの妊娠を医師が確認して、定期的に通院していないですよ」

「助産師に頼んだことにして、出生届を受理させればいいだろう。混乱の時代には血の繋がらない親子もあったもの」


 無茶苦茶なカーブへ単独で走り出した。


「どんな顔かなんて、分からないものだよ」


 赤ちゃんは疲れもあってか大人しくしている。


「しー、起きないようにしてね」

「僕達のことで、お義母さんも心に痛みを抱えているんだよ」


 可愛い赤ちゃんは、もうおねんねしたいようだ。


「赤ちゃんを寝かし付けて来るわ。寧くんはこちらにいてね」


 ゆっくりと立ち上がり、夫婦の部屋へ行った。ベビーベッドがあり、緑の布団に夢見るうさぎさんが描かれている。


「よいちょこ、よいちょ」


 布団に寝かせて緑のうさぎさんドーナッツ枕を使ってみたが、赤ちゃんには大きい感じがした。代わりにタオルを折って枕にする。


「あら、可愛いわね」


 私は即興で夢見るうさぎの子守唄を口ずさんだ。母は自分が音痴だからと歌わなかったそうだ。代わりに、父の背で私は歌を覚えていた。


「歌一つにも想い出があるわ」


 外を窓越しに見る。雨上がりに小さな虹が架かっていた。父が夢に出てくれたかのように。


「ふんふん……」


 秋荒ぶ

 枯葉の吐息

 真昼の迷宮

 忘れじの恋

 嵐の間に間に

 見えぬ明日を

 彷徨いて求めし

 君の面影

『秋の面影』

 作詞、作曲、生原志朗。


「思えば、子守唄かしらね……」

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