第二十九話 授産難航
茅葺の家へ落ち着いて随分経つ。平成十七年四月、未だ子宝に恵まれていない。私もアラサーなだけに焦っている。
「赤ちゃんか。上手くいかないわね」
四月末になると神社へお参りし、その足でしば桜公園へ寄ることが恒例となっていた。勘が鋭くなり、頭が冴え、心が豊かになる体験ができる。
「神社やしば桜に頼っていては、子どもは厳しいな」
私達で布団を敷いていた。
「寧くん、チャレンジを止めてしまっては、可能性が下がるばかり。今夜こそ恵まれますように」
手を組んでありがたそうなもの、白と薄桃にお願いをしてみる。しば桜に超能力があるとは思わないけれども、拠り所のような存在だ。
「四月のお祈り繰り返して来たね。櫻絵さんはお疲れにならないかい」
おかしな気遣いだと思った。
「不妊治療しますか。私」
「心に苦痛が伴うものは避けた方がいいね」
優しくしないで欲しい。喉に込み上げるものがあった。
「僕の検査ならいいよ」
「え? 二人で病院?」
「駅前に看板あったね」
私の我儘で子どもを望んでいる訳ではない。星降る夜に、父母が揃って願うものだろう。金平糖のような小粒で甘い赤ちゃんを。
「ごめんなさい、もう少し待ちたいわ」
私の焦りから生まれた台詞を焦って消火しに入った。
「大丈夫だよ」
「寧くんだって、パパになりたいって願っているのに」
私も同じ希望と理想の家族像を描いている。
「妊娠する前に、パリへ旅行するかい? 貯金もOK。お仕事の方もOK」
「本当はね、行きたかったの。高額な不妊治療費の代わりに、気分転換もいいわね。パリ子ちゃん恵まれないかな」
急に気分はルンルンだ。うさぎになって跳ねまわりたい。
「どうしても子どもに恵まれなくても悩みながら幸せに過ごされている方いるよ」
そろそろおやすみだと電灯を消す。
「僕が一人っ子なのはね、母が心臓に爆弾を抱えていたからなんだ。命と引き換えなら、妻だけでいいとよく父が語っていたよ」
布団に潜りながら、寧くんが打ち明けてくれた。
「でも、僕は要らない子どもにはならなかったよ」
「溺愛されているわよ」
「あれで、父は厳しい人なんだよ」
「京お父様もお優しそうだったけれども。ふあーあ」
欠伸を一つした直後、私はもう寝付いていた。
◆◆
暫く後。私は、一人神奈川へ向かっていた。
「僕も行くよ」
「いいの。私の償いだから」
「無理するのはよくないと思うよ」
寧くんには、しっかりと止められたが、彼を茅葺の家に残して私は消えた。蒸発した訳ではない。明確に目的があった。
「橘のご両親にお会いして謝罪しなければ」
バスや電車を乗り継いでの旅となった。乗り物は揺れて気持ちが悪い。やがて、最終目的地の案内があった。
「鶴見ー、鶴見」
「降りなきゃね」
町の景色は真っ白で目に入らなかった。道をレールの上をなぞるように進んで行く。どこにも寄らずに、真っすぐ着いた。見たことのある瀟洒な門扉にびくつく。
「チャイムを押したら、生原櫻絵ですって言おうかしら」
少し考え直した。
「生原は要らないわね。櫻絵とだけ、大丈夫かな」
暫く問答していたら、急に肩を叩かれた。振り向く前に、包み込むように後ろから抱かれる。
「はあ、はあ……。駄目だって、そんな体で出歩いたら」
「にゅあう? ね、寧くん!」
私は驚きと緊張が解けたのが一度に来て、化粧が崩れる程の涙が出た。
「あああん! 寧くん。寧くん……。私の旦那様だわ。流石、優しい夫は違うわ」
「櫻絵さん、分かっているよね。体を冷やしたり無理な行動を取ってはいけないって」
私が仔犬のように縮こまってしまった。
「叱っているの?」
「優しさには、毅然としたつよさも必要なんだ。甘いばかりなのは、飴の変わり玉みたいに、すぐに色が変わってしまう。ときに支える力を夫は持つべきだと思うよ」
これまで見たこともない彼の様子だった。私が彼を仔犬のようだと思っていたのは、間違いだと実感する。
「さあ、寒いから家に入ろう」
「うん」
寧くんが門扉を開錠して、玄関も生体認証でロックが解除された。
「ただいま。お母さん、お父さん」
「お邪魔します。櫻絵です」
奥からスリッパの音がする。
「まあまあ、二人して。ようこそいらっしゃい。さあ、上がって」
義母の顔が久し振りで、もうお化粧は崩壊に近いと思う。鶴見の実家へは五度目になるのか。ポーラスターを引き払うときに初めて寄らせていただいた。茅葺と瀟洒なお宅で、家の違いを知ったものだ。
「ただいま」
「お義母さん、お変わりないですか」
息子だと、寛いだ感じになるのも当然だ。義母が飲みたいものを聞いて来る。気働きしなければと、スリッパの音を義母に合わせる。
「まあ、座って待つのがいいよ。うちは女は嫁ぐものだとか、働き手を増やすものだと言う概念がないから」
「でも申し訳ないわ」
無理にでも座らせようと背中を押される。
「僕がキッチンへ行くよ。一等美味しい紅茶をお待ちください。姫様」
結局ソファーに腰掛け、アールグレイなどいただいてしまった。義父は仕事で留守なようだ。義母のお喋りが堰を切ったかのようで、寂しい思いをさせていたのを反省した。
「櫻絵さん、顔色が悪いのかしら」
「お化粧が決壊してしまって」
「ありのままの櫻絵さんは、とても綺麗なのですよ」
鶴見へ来たのには訳がある。私が母としてしなければならないこと。信念に照らし合わせて、ただ一つ。




