第二十八話 雀サブレ
「ただいま、お母さん」
「お待たせいたしました。お義母さん」
やっと居間に落ち着いた。
「新婚でのお参りは楽しかっただろう。お出掛けはいいものだよね」
群青の湯呑み茶碗が三つ、母がちょこんとお留守番させているのが嬉しい。
「僕も贅沢させられないけれども、お仕事をがんばっています。新婚旅行はゆっくりと時間を取ってから、櫻絵さんの行きたい所へと考えております」
「パソコンでパチパチしたり電話しているのがお仕事とは、時代は分からないね」
お湯を沸かす位はさせて貰った。新しい時代では土間ではなく、湯沸かしポットを使えるので便利になったと母も思っているだろう。
「寧くんのお勤め先は、千代田区にある大手広告業なのよ」
「僕は、デザイナーさんとのやり取りをさせていただいております。技術が進んで遠隔地で通信手段が変わりましたが、基本的には仕事の内容は変わらないですね」
私は丁寧に煎茶をお出しする。母が寧くんに興味を持ったのか身を乗り出した。
「櫻絵と同じ美術関係のお勉強をしたのかな」
母は寧くんに話し掛ける。思えば、彼に対して婿さんとも寧さんとも呼んだりして来なかった。
「櫻絵さんは、上野美術大学ですよね。僕は近くの鶯谷大学大学院の美術研究科です」
彼は照れ笑いしながら、私の方へ目配せをして続ける。
「メトロで出会えたのも、近所に暮らしていたのも一つあると思う。運命的だね」
私もその通りだと思い、三度は頷いた。若かった私は彼と出会って結婚に至るまで迷子のミミちゃんだった。
「大学院まで長くお勉強したとは、偉い旦那様なんだね」
「四年制大学の後、二年で修了いたしました。一年生の夏休みにフランスに短期留学し、刺激を受けて来たこともあります。費用を惜しみなく出してくれた両親には、感謝しております」
忘れていたお土産の雀サブレをお茶菓子入れに並べた所だった。
「やーだー。フランスの話は初耳だわ」
「隠していた訳ではないよ」
私は美大でフランス語を履修していたり、文化も勿論学んでおり、一度は訪れたいと思っていた。
「フランスかあ。モンマルトルとか憧れるわ。ああ、芸術家の集いし丘かな」
胸の前で手のハートを作り、左右に振っている。私の想いを伝えたい。
「僕もいい印象を受けたよ」
「やーだー。羨ましい」
寧くんの背中を倒れる程叩いてしまった。
「やーだー。よし、三回言ったぞ」
彼の口元がゆるんでいる。思惟している模様だ。
「大学の話ね。修士の先輩は教室が別だったけれども、洋画科の研究室でお茶位はご一緒したわ。卒業制作とかどうしたのかしら」
「パソコンに残してありますよ」
母が雀サブレを急いで飲み込む。私がお茶を差し出すと、母は流し込んだ。咳を二、三すると、大きな笑顔を咲かせる。
「あたしも見たいね。こちらにあるのかな」
「お義母さん、嬉しいお申し出です。見易いように印刷して来ますね」
寧くんが席を立った。母の歯は幼い頃に乳歯を抜かれて隙間があったことを思い出した。
「ごめんね。雀サブレ食べ難いよね」
「小さくて食べやすいよ」
適度な大きさでよかった。寧くんが書類を幾つか持って来てくれた。
「お待ちどうさま」
卓袱台を片付けて、卒業制作を広げた。
「私も初めて見るわ」
母と私で覗き込む。
「修士のときに書いたものです。修士論文ですね」
私はてっきり卒業制作ならパネルに仕上げるものだと思っていたので驚く。
「あら? デザインではなかったのかしら」
「僕は美術史専攻ですよ。西洋美術史チームだよ」
寧くんは母に優しく説明してくれた。
「フレスコ画とかテンペラ画とかも描かせていただいて、時代における画法の検証をしたのですね。他の時代の画材も書いてありますよ」
彼の実証したテンペラ画などは、後ろの方に掲載されていた。難しい話より絵そのものに親しみがあったから、私は楽しめる。母は懐かしそうに絵や文を眺めて、声を漏らした。
「あたしは櫻絵の卒展があって、上野に行ったきりだったね。大きな絵は新巻鮭が吊るしてあって、本当の晩ご飯が進んだよ」
「やーだー。寧くんの前で恥ずかしい。燦展は鯵の干物だったから、ご遠慮願ってよかったわ」
母の背中を音がする程叩いた。咳をしてしまったので、背中を擦って謝る。
「絵はどうしたんだい」
「売れたのよ」
「勿体ない!」
寧くんが高らかに笑った。
「漫才みたいだね。はっはっは」
驚くことに母も腹を抱えて笑い出した。
「あたしも寧くんって呼ばせて貰おうかな……」
「お義母さん!」
寧くんがびっくりする。
「僕も精進しますね」
「お堅いねえ。寧くんは」
「うわああ! お義母さんが寧くんだって。櫻絵さんが呼ぶのと同じだよ」
「お母さんと私の声が似ているから、気を付けてね」
「うん、声色がそっくりだし。くっ……」
私は彼に薄桃のしば桜を刺繍したハンカチを差し出す。
「ありがとうございま……。へっくし」
彼のくっさめは止まらず、ハンカチは有効活用された。
「よかったら、幸せを呼ぶかも知れないハンカチを差し上げるわ」
「手洗いして返すから、鼻水も拭いたい」
「中学生かって突っ込み入れるわ」
「悪い、櫻絵さん」
吹き出したのは、母だ。
「漫才みたい。はーはっはっは」
五七五七七が整ったわ。
『子を望み、伯母と再会、しば桜、笑い合う旅、もう春になる。 生原櫻絵』
「いつもの通り駄作だわ」
「櫻絵や、いいと思うよ」
独り言ちて雀を一匹いただいた。夫婦の部屋の戸を閉める。母に伯母さんと会った話をしそびれていたと思い出した。




