第二十七話 トチノキ
『私のような薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟と言われるよ。大丈夫かしら』
『では、白い私の〝忍耐〟で根絶を避けたいと願うわ』
「白と薄桃が囁くわ。どういった記憶かしら」
「櫻絵ちゃん、関東大震災のフクお母さん家にいたしば桜よ」
伯母の冗句だと思った。あの大火で生き残れる筈がない。伯母の顔を窺う。
「花も根も焼き尽くされたと思いますよ。お祖母さんが、戦後落ち着いたときに元気なしば桜を手に入れたと聞いたのよ。櫻絵ちゃん」
「お亡くなりになったばかりで、稀なことだわ。記憶は花々に本当にあるみたい。壮絶だわ」
「櫻絵さんは声が聞こえたのかい?」
私は首肯する。
「縁の花壇とは、誰かと誰かを結び付けるものなのかしら」
「櫻絵さんと僕のようにだといいな」
寧くんの挙げた例が嬉しかった。
「私達も弱くなく、とても強い縁だけに執着する所があるみたい」
「強いか。呪いではないから好む位かな」
ノロイなら写真を撮られたとき、寧くんの心を縛ったのがある。私に落ち度があったオトコのことだ。
「しば桜はね、私の体にもあるでしょう。あれが申し子みたいでね。自分で固執しているのよ」
独り言ちた。
「伯母さんにもしば桜の痣があるのよ」
「初耳だわ。黒子みたな遺伝かしら」
母からも聞かされていなかったので新鮮に感じた。
「伯母さんは、年頃になって気が付いてね。最初は病斑を疑ったのよ。病院にも行かなかったけど大丈夫みたい」
伯母の話を聞き、私は寧くんと目を合わせる。
「病斑は考えたことがなかったわ」
「僕も頭が回らなかったよ」
伯母はゆっくりと息を吐いた。
「大さんは、ネズミイボの一種だろうって。戦後すぐで病院もなく、行ける状態でもなかったからね」
「櫻絵さんが病気の可能性があるのなら、行かないとね」
寧くんがいつもさり気なく支えてくれる。
「まあ、いい旦那様だこと。櫻絵ちゃん、幸せね」
ころころと笑う伯母は愛らしい。母はどちらかと言えば男性らしさがあるから対照的だと思った。
「てへー」
「まあ、仲睦まじくて」
「伯母さんは、いつも優しくて大好きよ」
寧くんが目を細めて私達を見ている。
「恵のトチノキへ、そろそろ行きましょうか。ご夫婦にはいい所よ」
「楽しみね」
伯母と祖母と父のお葬式について話をしながら、眼下に広がるしば桜を愛でていた。
「お祖母さんは、長生きしたからともかくもよ。志朗さんは、まだ早かったのに。逝ってしまうなんて、酷よね」
「父が亡くなる前に虹の階にいたのよ。紫色に腰掛けて、会いに来てくれたのよ」
伯母の大きな手が私の髪を撫でる。彼女は梨園で働き、しば桜公園で働き、恐らくは子どもに恵まれない苦しみを辿りつつ生きて来たのだろう。日に焼けた笑顔で私を包み込んでくれた。
「さあ、そろそろ恵のトチノキよ。ここからの感動は二人で味わって来てね」
伯母の配慮があたたかい。
「すっかり和伯母さんにご案内していただいて」
「いいのよ。幸せでいるのよ」
幸せの一言が涙腺に訴えるものがあった。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
二人で礼をした後、踵を返して一歩一歩を踏みしめる。少し丘陵の上へ行くと、トチノキが見えた。ふさっとしている木の存在感が生半可ではない。
「凄いな。絶句だよ」
「私も言葉が出なかったわ」
ただ大きいだけではない。霊感を感じた。
「私としては、こちらに子宝をお願いしてもいい感じがする」
「櫻絵さんの霊感は強過ぎかも知れないね」
木の近くに、パリにでもありそうなベンチとテーブルがあった。
「寧くん、ここへ来て。ね、ね!」
私が先に来てトートバッグを置き、腰掛けた。
「OK」
高い所なので、風が吹いて来た。トチノキを見る。
『とうとうと、我に祈り給え』
「誰かしら」
耳を澄ました。我と名乗った。周辺には人影がないのに。
「疲れたのかな。櫻絵さんの顔色が優れないよ」
寧くんが隣に腰掛けて来た。おでこに手を当てられる。熱ではなかった。興奮して微熱はあるのかも知れないが。
「お気遣いありがとう。ちょっと耳に、ちいさいおじさんがいるみたい」
「初耳だな。お家に帰ったら、お掃除しような」
「やーだー。空耳なだけよ」
バッグから取り出してお店を広げる。モカ、ポテトサラダとレタスのサンドイッチ、ゆで卵、チーズタルトだ。もう一つあるけれども、それはサプライズにする。
「いただきます。喉が渇いたから、先にモカがほしいな。まだあたたかいといいな」
「OKよ」
水筒の他に、紫香さんの群青シリーズからコーヒーカップを持って来ていた。ととっと注ぐと香って来て、喉が刺激される。
「んん、サンドイッチに才能を感じるよ」
「えへー。褒めても櫻絵さん照れるだけよ」
殻ごとゆで卵をアルミホイルに包んである。
「黄身が真ん中にあるね。才能を感じるよ」
「寧くん、語彙力捨てたかしら。才能はほしい技能だわね」
二人で微笑み合った。
「ああ——! 幸せ。少なくとも私には最高だわ」
「僕もだよ」
さあ、今朝見せびらかした例の物だ。
「チーズタルト、ちょっとあたたかくなってしまったけれども、いただきましょう」
「美味しそうで、もう待てないよ」
がんばって拵えたので、私も顔がゆるむ。美味しいを連発している寧くんが可笑しかった。
「ボキャブラリーが上昇中だよ」
「あは、寧くんの好物もいただくからね」
もう福が一杯で仕方がない。トチノキのお陰で、このベンチで過ごせた。
「どうぞ、私からのサプライズなのよ」
薄桃色の封筒を差し出す。封蝋は、アルファベットのIを選んだ。彼の震えた声を聞く。
「これは、ラブレター?」
「うふ」
彼は読むと泣きそうだからと、春コートのポケットにひそませた。記念写真を撮ったりして、公園巡りを終える。
「来年も訪れます」
「素敵な想い出をありがとうございます。和伯母さんにもよろしくお願いいたします」
受付にいた伯父に声を掛けてから、車を出した。




