第二十三話 祝宴と操
私達は晴れて夫婦となれた。幾度も恋を寄せ合って、難しい想いを乗り越えた記憶が巡る。気持ちは一つに結ばれ、籍を入れる重みを感じた。今夜は座敷に義理の両親も泊まって行かれる。
「さあさ、お召し上がりくださいな。あたしは漬物位で、すまないよ」
母はいつの間にかお寿司を頼んでいた。箸袋からして、金の蔵からだと分かる。あそこの一等いい六人前だ。
「これは、ご馳走で。倅と同様、雲丹に目がないのですよ」
「お父さん、恥ずかしいからよしてくださいな」
「お母さんだって、漬け鮪と恋に落ちてもいい位でしょうよ」
「あら、いやですわ」
義理の両親が仲良くしているのは嬉しい。寿司談義に母が微笑んだ。
「あたしは、櫻絵と同じくいくらの軍艦巻が好きなんだよ」
「お母さんったら、私まで食いしん坊みたいで恥ずかしいわ」
母の割り箸で、いくらが母と私のお皿に取り分けられた。
「七五三のときに親戚の集まりで、お寿司をちょうだいしたのね。箸使いを隣にいた父と母から学んだわ」
「大切なことですわね」
「見ただけでは、中々正しく使えなかったの。お義母さん」
「上手にできていますよ」
義母は破顔一笑した。すぐにも打ち解けて歓談する。寧くんのご両親が漬物もとても褒めてくれたので、一層場が和んだ。義父がスーツのジャケットを脱いだ頃からだ。お疲れだからとの理由の他に、義父のアルコールもあるのだろう。
「いやあ、寧がさ、倅がね」
義父は、くっとグラスの縁から底まで純米吟醸酒を消滅させた。生前、父が愛用していた江戸切子のグラスを母はお出ししたが、まさかの吞みっぷりだ。
「寧がさ、妻となる人をね」
もうお猪口は止めて、ワイングラスでもよさそうだ。
「娶るなんてさ」
なみなみと注がれたお酒がまたふっと消える。
「櫻絵さん。本当に頼む。死んでもずっと仲良くしていてほしい」
「お義父さん」
へっと頭を下げられた。畳に擦り付けられて、私は困惑する。慣れないアルコールを私もいただいていたせいだろうか。
「寧くんとなら……。どちらが先ともなく添い遂げますよ……」
私は、寧くんの膝の上で彼の手を求めた。そっと上に被せる。すると、彼の掌がもう一つ上に合わせられた。
「……頼む。お義父さんからのお願い」
真顔になってゆっくりと言の葉を吐いた。手を絡め合った後だ。皆、指先一つ動かさなかった。数を数えられない程に。だが、玄関前の柱時計だけは、十二時五十分の先を思い出したようだ。低い音が一つ聞こえる。一時を知った。
「あれあれ、新婚のお二人さんも」
「あらあら、お父さんも。お酒はこれだけよ」
母と義母が、まるで遮光器土偶が動いたかのように見えた。象徴するものが女性や妊婦だからか。美術史かと私は自分に突っ込みを入れていた。
彼の膝にいた手を取り、柔らかく包む。
「寧くん。私、覚悟しているから」
「分かっているよ。これからずっと傍にいてほしいし、僕も寄り添うと誓うから」
私を愛する訳を尋ねようとする口をつぐんだ。愚問だから。
「私、寧くんの優しさを愛していた気がするわ。けれども、理由などないと分かったの」
「僕は最初から理由を作らなかったよ」
短かった恋の想い出を振り返る。
「不思議な縁ね」
「初恋の人と結婚したいとも思っていた。大切な願いが叶って、嬉しくて眠れそうにもないよ」
義父が真っ先に眠くなってしまったようだ。私は寧くんに手伝って貰い、皆にお風呂をご馳走した。
「やーだー。ケーキ入刀みたいね。初めての共同作業かしら」
「一生懸命生きていれば、涙する場面でも噛み締めて行けると思うよ」
彼の存在が近い。
「うん……」
「寄り掛かると火傷するからな」
「え? 僕にヤケドするなとか、結構気障だったのね」
私は、でこぺしをする振りで可愛く逃れた。私達も湯を上がった後、私の部屋で延々と話をしていた。
「おやすみのキスは、いつできるのかい? 姫様」
「キ、キシュでございますか?」
私の声は上ずってしまった。
「いつでも。いつでも、いいですよ」
顔が近い。ぐっと目を瞑る。私は心のどこかで、早く終わらないかと思っていた。
「お姫様、本日のおやすみのご挨拶は手の甲にいたします」
「う……。ごめんなさい」
「いいから、いいから。焦っていないから」
頭をぽんぽんされた。
「限界なのかも知れない」
「僕は毛布でいいから。櫻絵さんはお布団に寝ていてね。さあ、どっちが早起きできるか競争だよ」
程よいアルコールで、よく眠れたようだ。どの辺りから夢か分からない。夢の中で、どこか父を待っていた。
◆◆
翌朝、数分だけ私が早く起きられたと思った。けれども、寧くんのことだ。狸寝入りの一つはしたのかも知れない。
「お、おはよう」
「櫻絵さん、初めての朝だね」
「深い意味ではないわよね。やーだー」
私はすぐ紅潮するようになっていた。実は照れ屋だったのか。
「カーテンを開けて、太陽を呼ぼうよ」
夫となっての初仕事がカーテンとは、楽しい方だ。朝日が私達を祝福してくれている。どうしてだろう。私の頬を濡らすものがあった。
「櫻絵や。朝ごはんの支度に手を貸しておくれ」
土間の方から声があった。母は漬物ばかりを選んでいたから、私も微笑ましく思いながら支度をした。のんびりとした空気で心地よい。昼には寧くんのご両親が帰り支度を終えた。玄関の傍らで、しば桜がゆるい風になびいている。
『よかったね、櫻絵さん』
『白も嬉しい。櫻絵さん』
「ありがとうね」
白と薄桃にご挨拶をした。皆、義父の車の前に集う。
「どうか、これからも寧をよろしくお願いいたします」
「私も寧とはよく話しました。信じております」
橘のご両親は真面目だとよくよく分かった。
「あたしも寂しくなくしてくれて。優しい息子さんをお預かりして申し訳ない」
義父と義母は、振り返る毎に頭を下げて車で帰って行った。
「がんばって行こうね」
「私からもお願いね」
私達は強く手を結んだ。




