第二十二話 佇む紳士
「もうすぐ生原の家よ。心が弾むわ」
「僕も生原寧となって、嬉しいよ」
「食器も益子焼で用意できて、本当に感謝しているの」
ルームミラーからは、朱の炎の店長と紫香さんが乗る車が見える。私は幸せの道を歩んでいるのだと、心に沁みるものがあった。
「茶の垣根、茅葺屋根に土間。古臭いと思われるかな。これが私の故郷なのよ」
「郷里を想うことは素晴らしいと思う。櫻絵さんが悩んでいた、真実の自分へ歩み寄る一つなのだろうね」
砂利道を寧くんのハンドルさばきで乗りこなす。
「鳥小屋のある方へ車を停めてほしいわ」
「奥だね。任せて」
私達がセダンから降りると、垣根の前でワゴン車が入りあぐねていた。
「どうぞ、牛小屋も鶏小屋もありますが。坂を上がってください」
「失礼いたします」
運転席から店長のやわらかい声が届く。無事、玄関前にワゴンを停めていただいた。
「櫻絵や」
「お母さん」
玄関から真っ先に母が出て来た。いつもと違う留袖で綺麗な顔をしている。でも、私を見ると涙ぐんでしまった。
「お母さん、私達は籍を入れたわ。寧くんが生原姓にしてくれたの」
後から、義父と義母が洋装で現れた。
「橘さん、櫻絵が我儘を申したようで」
「倅も承知いたしておりますから」
橘のご両親と母との間で話が行き来する。
「あの、お時間を取らせてはいけないので、ご紹介してもいいかしら」
「なんだい、櫻絵や」
ワゴン車から二つの影が降りた。
「こちらは益子焼のお店、『朱の炎』の店長さんと作家の紫香さんです。お買い物をしたら、商品を丁寧にも車で運んでくださって」
「ご親切にお運びくださり、ありがとうございます。生原櫻絵の母、さくらでございます」
「寧の父、京です」
「母の瞬と申します」
母が腰を曲げる。義理の父母もお辞儀を丁寧にした。
「はじめまして。最近店を出したばかりで慣れておりませんが。太田総一郎と申します」
その刹那、実家のしば桜が揺れた。風などあったのか。いや、殊の外いい日和だ。
『いらっしゃいませ。紫さん』
『こんにちは。白さん薄桃さん』
揺れる揺れるしば桜。
「しば桜がご挨拶をしているのかしら」
「櫻絵さん、お義母さんが頭を上げないんだよ」
「お母さん、どうしたのよ。ぎっくり腰かな」
「さ、櫻絵や。本当に腰が凝り固まったようだよ」
太田店長が母を支えに行く。
「大丈夫ですか。ゆっくりと部屋で休まれてください」
「いや、あたしは大丈夫だよ」
「お着物でお疲れになったのでしょう」
私は、玄関まで送って行く店長の紳士的な背中を感じていた。けれども、むかむかする。
『紫さん、紫さん。遊びましょう』
『寂しかったのですね、白さん薄桃さん』
『紫さん、今夜はお月さまが綺麗よ。私達でも宴をいたしましょう』
お月さまが綺麗な夜に祝宴とは、しば桜から知った。感謝の念で背筋を伸ばす。
『皆さん、おめでとうの次にさようならの予感がします』
『お別れが待っていると紫さんは感じるのかしら』
『出会いもあるけれども、辛い別れが待っております』
私は、玄関の戸を閉めながら聴いてしまった。ショパンの別れが、真珠のイヤリングに流れるからだ。ピアノの物悲しくも情熱の焼けかすが胸を縛った。
「以前に寧くんを自分の都合で振ったのが、全く分からないわ。どうにかしてあの日をやり直せたならと後悔することしきりよ」
「櫻絵さん、聞こえたよ。昔話と涙とは祝宴で振り切ろう」
私の中に吐き出したい言葉が迷子になっている。丸めて口にするのが、精一杯の愛情表現だ。
「月が綺麗に出るそうよ」
「伝聞になっているけれども、誰かから教わったのかな」
「勿論、白と薄桃よ」
もう一度、玄関を開けた。風がすいと吹き込む。しば桜達の歌声がノクターンの細やかな音を拾う。
「失礼します」
太田店長が母の次に物を運んだら、会釈をして来た。品物を割れないように送りに来てくれたのを思い出した。
「さあ、紫香もご挨拶をして」
「本日はおめでとうございます。今後ともご贔屓に願えれば幸いです」
二人は来た道をなぞるように帰って行った。
「お母さん、腰は大丈夫かな」
母は広縁で、店長と紫香さんに手を振っていた。小さな手をやわらかく合わせ、祈り始める。落ちてもいけないと思い、私も外から石を踏んで広縁に上がった。
「志朗さんが佇んでいたんだよ」
「落ち着いて。お父さんは、お墓と仏壇にいるの」
母は肩を小刻みに震わせている。悪寒がする訳ではないようだった。
「お義母さんは大丈夫なのかな」
玄関の方から寧くんが近付く。
「志朗さんとはね、大きな木があって、その周りにしば桜の敷かれた美しい所で知り合ったんだ。木は葉桜で、寄り掛かり本を読んでいた影を忘れられない。あたしの愛しい志朗さん」
「初耳だわ」
「しば桜は、それはそれは祝福してくれてね。あたしが頬を染めると、春の歌で切なさを散りばめてくれた」
「お母さんって浪漫持ちだったのね」
知らなかったことに、私がときめいてしまった。
「志朗さんが、そこにある木に立っていたろうよ。本も読んで。しば桜も微笑んでいたよね」
「お義母さん、陶芸店の方を見間違えたのですよ」
「あたしは惚けていないよ」
母が寧くんへ歯を見せた。
「やだ、二人とも仲良くしてね」
母の手を取り、立ち上がらせて体の向きを変える。
「さあ、奥で橘のご両親がお待ちだわ」




