第二十一話 美しい姓
私達は、晴れて結婚することとなった。楽しさを通り越して、眩暈ささえ覚える平成八年三月二十一日は、雲一つなく美しい。朝八時三十分には市役所に着いていた。私は髪をバレッタで留めて白いワンピース姿、彼は濃いグレーのスーツがカッコいい。
「ねえ、本当に生原姓でいいのかしら」
「気にすることないよ。一人娘だしね」
「橘寧くん。キミも一粒種だぞ」
寧くんは破顔一笑する。婚姻届の『婚姻後の夫婦の氏』の欄は、『妻の氏』にチェックがあるのを確認した。その他の項目も全てよく確かめて提出する。
「大丈夫かな。受理されるだろうか」
「ネガティブ要素ないわよ」
すると、私達が呼ばれた。
「ご結婚誠におめでとうございます」
「あ、いやはや。ねえ、櫻絵さん」
「ええっと、こちらこそ。ありがとうございます」
私達は緊張まで揃っている。役所の方はお幸せにと祝福してくれた。
「櫻絵さん、お茶でも飲んでから帰るかい」
来る途中に見た朱色で塗られた看板を思い出す。
「近くに益子焼のお店があったわよね。お待ちの皆さんにお土産を買って、おうちでモカをいただきたいわ」
寧くんが首肯した。お店、朱の炎のショーウィンドウを見るなり、私は戸を開けていた。追うように、寧くんが入って来る。
「いらっしゃいませ」
小さく口髭を蓄えた店長らしき方だった。
「あの、あの。店頭にあった大きなお皿は売っておりますか」
「残念ながら、あれは非買品です。濱田庄司先生の作品ですから」
人間国宝の作だったのか。
「櫻絵さん、見る目があるんだね。流石、上野美大だ」
「お客様は美大を出ていらっしゃるのですか」
「東京の上野美術大学を出たばかりです。専攻は油彩画でした」
役に立つとは思わなかった芸術の学びが、嬉しい程に胸の戸を叩いた。
「ほう、お目が高いですな。真贋が正しいのだね」
店長は、いい作品を目立つように展示して、店の格を上げたのか。
「軽いひび、陥入も見られて、いい作品だと思うわ」
「櫻絵さん、芸術に関しては一段と細やかだね」
首を横に振った。
「忘れていたけれども、絵画も描きたいと思うようになって来たわ」
店内の品を楽しむ。
「ねえ、この群青のもいいわね」
「一つのコーナーを任されているのか」
寧くんが、顎に手を当てて感嘆した。
「こちらは、新人の紫香が手掛けたものです」
店長が案内してくれる。
「おお、青みがかったシリーズものだね」
寧くんは、楽しそうな顔をした。
「結婚の記念に、一揃い買って行こうか」
「一揃いなんて、いいのかしら」
「新婚生活にも潤いがあるだろう」
「まあ! ありがとう。寧くん」
近頃、驚かされてばかりな気がする。店長が一つ一つ割れないように包んでくれた。私はちょっかいを出して、寧くんの背中にのの字を書いていた。動じない彼が可愛くない。
「お客様のご結婚でございますか」
「僕達のです」
「私達のです」
嬉し過ぎるからだろうか。斉唱するように答えてしまった。店長が奥へ行くと、今度は二人で戻って来た。妙齢の背筋の伸びた女性だ。
「私が紫香です」
「ああ、この作家さんなのですね」
私は同じ芸術家として興味を持った。特に手の節々がしっかりした所に目が行く。
「この度は、誠におめでとうございます」
彼女は深く頭を下げる。
「ありがとうございます。このような素晴らしい作品をお若くして作られるとは、僕は驚きました」
「まだまだ修行中の身ながら、店長が置いてくださるので、甘えてしまっております」
「はは。ご謙遜を」
寧くんと二、三話していた。私はどうしてなのか、紫香さんと店長に紫色をしたしば桜の香りを感じる。
「陶芸を志しているからなのよね」
独り言ちてみても同じ空気感は否めない。
「おお、昭和四十一年ですよね。僕と紫香さんは同い年なのですか」
婚姻届を出したばかりの二人に割り込もうなんて、聞き捨てならなかった。
「あら、寧くん。私は五つ下でもやっかまないわ」
「櫻絵さん。結婚してもう一日目だろう。朗らかにしようよ」
いつから私は意地悪くなったのだろうか。
「独占欲を持っていただきまして、僕は嬉しいけれども」
「ふふふ」
私はにやりと笑ってあげた。店長は綺麗な梅柄の包みに熨斗紙もあしらってくれた。
「少々重い品となりますので、お車で配達いたしますよ。どちらですか」
「店長さん、それは悪いですよ。栃木市でも遠いですよ」
「折角だし、お願いしようかしら」
私は虫歯の痛むポーズで、考えている感じを出す。
「櫻絵さんったら」
「では、了解いたしました」
夫婦茶碗、箸置き、ティースプーン、夫婦湯呑みと急須、コーヒーカップとドリッパー、ティーカップとソーサー、鉢、大皿と中皿と小皿、焼き魚用皿と鳩型のお皿、スープボウルや丼、二合徳利とぐい吞み、記憶にあるだけでこれ位だ。流石に申し訳なくなって来る。
「すみません、丁寧にお包みいただいて」
「いらっしゃってすぐにお得意様です。お客様はありがたい存在ですから」
紫香さんも運ぶのを手伝っている。
「ああ、ありがとうよ。ここからは自分が行く。紫香は制作に戻る前に、店番していてほしい」
「店長、私もお客様へお届けさせてください」
「紫香、気持ちも贈り物だと思う。自分と来なさい」
群青シリーズは、ワゴン車にしっかり詰められた。
「私達らしいお買い物ができてよかったわね」
運転席が寧くんを吸い込み、私も助手席で膝を揃える。セダンで先を行くと、ルームミラーでワゴン車が微笑みながら祝福してくれているのを感じた。
「ささやかだけれども、僕からのお祝いだと思って」
「これからは生計が一にするのよね。結婚を実感したわ」
「二人のものだよね」
間もなく、実家で母を喜ばせることができる。




