第二十話 生存流転
私は橘に嫁ぐのかと思っていた。ゆっくり疲れの垢をお風呂で落としてから出ると、寧くんから驚かされる。
「櫻絵さん、両親がこちらへご挨拶に伺いたいと話していたけれどもいいかな」
「唐突過ぎだわ」
「お風呂に入っている間に、電話で話したんだ」
「まさか結婚の話をしたの」
「その件で」
驚き二倍だ。
「寧くん。もっとゆっくりした方だと思っていたわ」
「お互いに信頼し合って結婚するまでと、自分の枷にして来た。結婚したら、結婚したらと我慢していたよ」
「ちょっと、私はぽんすけだわ」
彼に頭をくしゃりとされた。ドライヤーでセットまでしたのに。どうして彼が我慢していたと気付かなかったのだろうか。いつだって優しくしてくれたのに。
「僕達や周りの方々が、地震に遭った。けれども、生きているだけで幸いだと思わないか」
二度、三度頷いた。
「幸せを急いでいるのかしら」
「明日、いや、今! 結婚したいと思っているよ」
やややや。まさか、がっついていないだろうけれども。
「一応婚前だから、寧くんは居間に寝てくださいね。はいはい」
「意味が違うよ。愛している」
婚前のことなら、私が悪かった。愛の言葉を囁かれて火照ってしまった。
「おやすみなさい」
「あ、おやすみなさいの時間だね。実家に連絡を入れるよ」
◆◆
翌日のお昼過ぎ。
「父さん、母さん。道は大丈夫だったかな」
「はいよ。父さんの運転は確かですからね」
寧くん、寛いでいる感じでよかった。
「橘と申します。私が京で、妻が瞬です」
「初めまして。申し遅れました。生原櫻絵と申します。遠い所をありがとうございます」
私は緊張しながら深く頭を下げた。横で寧くんも首を垂れた。
「橘さん、よくおいでくださいました。散らかっておりますが、お上がりください」
母がのっそりと玄関を開ける。昨日、直してくれた白を鉢にして貰った土には、沢山のお友達がいた。
「あら、この玄関脇にあるお花は、これから咲くのでしょうか」
義理の母となる方と実母が言葉を交わす。
「春を運ぶ花でね。桜に似た可憐さがあり、あたしの特別なお気に入りなんですよ」
私が口を挟んでいいのか分からなかったけれども、花の名前だけは伝えたかった。
「まだ咲いておりませんが、しば桜です」
差し出がましかっただろうか。
「さぞかし綺麗な花でしょうね」
「花のないときも、薄桃も白もがんばり屋さんなの」
私はウインクでしば桜に合図をした。
『薄桃は、花言葉で〝臆病な心〟だけれども。生原家の力になりたい気持ちだけはあるのよ』
『白は〝忍耐〟で、地震からの立ち直りを願うわ』
座敷に上がっていただいた。お土産をお預かりして、仏壇のお父さんの前へ置く。どこか気配を感じて、白い簡易包装の裏を見る。私達が買って来たお饅頭と全く同じだった。
「私達、ご両親のご心配をしていたのです。地震、ご無事でよかったとほっとしております」
どうも畏まってしまう。寧くんのご両親が、綺麗な恰好をして上品な振る舞いで、とても真面目そうだからだ。寧くんが生真面目に育ったのもよく分かる。名前通り、寧くんの言葉はいつもきちんとしていて優しいと思うから、価値観が合って好意を寄せている。
「鶴見は河川が心配だった位で、家で落ちた物もありませんでしたよ」
「父も母も仕舞い込んでしまう質で、箪笥も耐震用に固定してありますから」
昨日のお饅頭を挟んで、母がお茶をいただく。
「生きてさえいれば、いいこともあるよ」
暫く、物思いに耽っていたが、お茶を置いて切り出した。
「あたしの父親、生原元は、明治も終わりに産声を上げて、生きていれば、九十四歳になるんだ。九十三歳になる母親のフクをお空の向こうから未だ見守っているよ」
義理の母となる人が興味を持ったようだ。
「ほう、この風情のあるお宅にお住まいなのでしょうか」
母は長い溜息の後に吐露した。
「四年前まで一緒に暮らせていたけれども」
「では、病院やホームにお入りになられたのですか」
このお年での話題として、大切なのだろう。
「父親は山を持っていたからね。それを切り崩して、奥の方にある介護付有料老人ホームで、母はぼちぼち暮らしているようなんだ」
祖母のこと、私は毎日考えていなかった。元気にお暮しだろうと勝手に思い込んでいて。
「姉が時折お見舞いに行って、野の花で祖母を楽しませているそうだよ」
初耳だったので、私も反省した。
「私も中々お伺いできないのに、和伯母さんには悪いわね」
暫く、再び湯を沸かす程、お茶飲み話を続けた。
「お、お茶を頂き過ぎたみたいだ」
座布団を蹴るように寧くんが席を立つ。五分位して帰って来た。
「櫻絵さん、昨日の今日で申し訳ないけれども、話を進めてもいいかな」
改まって、これは本気の目だ。
「心構えは繕い中なのに」
「その為に両親が急いだんだよ」
義父となる方が座布団から身を下げる。
「お嬢さんを僕にくださいと、まだまだひよっこの倅がお願いしたと聞きました。我々といたしましても、すぐにでも参るべきかと思い、来た次第です」
将来の義母も畳に膝を置いて背中を丸める。
「この通りです。寧が、一人の人と添い遂げたいと思うとは、素晴らしいお嬢様に違いありません」
母が私の顔を十秒は眺めた。
「あたしの娘は、器量も生活力も画才も真ん中だよ」
「そうよ。お優しい寧くんには、相応しい方がいると思うわ」
私はどうしても俯いてしまった。
「どうして、ここで身を引くんだ」
「だって」
心を照らすのは、いつも月のような貴方だと思って来た。けれども、私は汚れているから。
「気にしていないって言っているだろう」
黙って寧くんの手を握った。
「僕は、櫻絵さんの喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、寄り添うようにお付き合いをして来た。生きていれば、心変わりもあるだろう。けれども気にはしない」
組んだ手の上に、私の涙が数える程に落ちて行く。面を上げると、寧くんの瞳を逸らせなくなった。
「私も寧くんと寄り添いたい。祖父母のように長生きをして、微笑み合って行きたい」
初めて、自分の言葉で言えた気がした。




