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キミへ囁くしば桜  作者: いすみ 静江✿
第三章 切情
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第十六話 甘い囁き

「疲れたろう、なるべく早くおやすみ」


 頭をくしゃりと撫でられた。特別なデートにセットしたヘアースタイルが鳥の巣だ。


「美容院のトリートメントで、さらさらにして来たのにな」


 ツンツン櫻絵で照れ隠しをする。


「寧くんに頭を触れられたのは、初めてなのよ」


 ぷうっと頬を膨らませて、横からちらっと寧くんを射る。微笑ましいと顔に書いてあった。


「大遅刻よ。生原櫻絵の人生に、乗り遅れているの」


 寧くんは全てお見通しの顔をした。素敵な方と初めてを一緒に経験していきたいと考えているのは、両親の背中を見て育ったからだ。


「ごめんなさい」

「素直でよろしい。えっへん」

「僕は大切に思っているから。結婚するまで、純でいようよ」


 私は冷たい態度を解除した。


「ええ、清くいようね。汚れを拭ってほしい」

「卑屈になっていると、もっと疲れると思う」


 作り笑いを見透かされた。


「そうね。脆弱過ぎたわ」

「いや、そんなことないよ。不可抗力だっただろうし、トラウマになっていやしないか心配しているよ」


 彼はゆっくりと髪を撫でてくれていた。寧くんのワイシャツの香りが近い。ふいに、ぐっと抱き締められた。心と体をあたためてくれる寧くんもいいと、頬を埋める。


「寧くん。手も中々繋がなかったのにね」

「災害で別れてしまうのが怖くて仕方がないよ」


 私へ回した腕が、肩をもしっかりと抱いた。禁猟区に飛び込んだようだ。すっと恍惚に浸りたい。


「どきどきして、もしかしたら気絶するかも知れないわ」

「大丈夫、朝には起こすから」


 分かっているのか、はたまた冗句か。


「天然なの、お互い様だと思うけれども」

「仲がいい証拠だろう。さあ、忘れて眠るといいよ」


 耳元の息が甘く眩暈がした。あたたかい彼の胸元で、眠ってしまえばいい。夢幻の小鳥の囀りで起こしてくれる。


「毛布は大丈夫だって言ったのに」

「風邪を引いたら大変なんだよ。熱は辛いから」


 さっきよりも心地がいい。


「関東大震災の中、祖母もこうして祖父と恋に落ちたのね……」

「櫻絵さん、恋を感じたのが初めてなのかい。出逢ってから僕達はお付き合いしていたよね」


 彼の胸で微睡んでいた。別れ話にしたい訳ではない。彼の頬に手を添えて暫く考えた。


「多分、友達以上恋人未満だったのだと思うわ」

「恋さえも居心地が悪ければ、愛も育たないだろう」


 私の思考は停止の方へ向いてしまう。


「どうしたの。私よりも小難しい話をしていると、鶯谷大学大学院修了生が、賢くなくなるわよ」

「櫻絵さんは学歴を気にしないと言ったよね。僕は偶々、心理学を活かした広告を打ち出したかったので、相応しい研究をしようと進学しただけだよ」


 私はお尻が段々冷たくなって来た。ストレスで生理不順となり、女の子にある赤ちゃんの一滴でも命を落とすことは、私の冥利が悪いだろう。


「寧くん。大学二つ行ったわよね」

「鶯谷大学の前に、東大学あずまだいがくの短期大学部を出たよ」


 上野美で絵画漬けになっていたので、部活はギター部を選び気分転換をした。同級生とは仲がよかったけれども、先輩の無情な捨て去り方に打ちひしがれたものだ。四年間、東大学へ合同練習をしに向かう。皆賢そうな印象が強かったが、誰にも惚れなかった。面倒だったからか。


「東短大でも卒業制作しないといけないし、楽じゃないわよね。万能なのね」

「怒っているのかな」

「僻んでいます」


 私は、ぷうっと頬を膨らませ続けている。忘れん坊のリスさながらだ。どこにドングリ埋めたっけ。


「さっきのツンツン櫻絵さんが直ったと思ったのに」

「私だって、東大学を出ないと」

「関係ないよ。学歴関係なく、燦展受賞したと思うのに。櫻絵さんが東大学で人間関係に悩んだりする姿を想像したくない」


 上野美で友達関係を上手く築けなかったのを心配されている。五人展にだって呼んで貰えたのは奇跡だろうか。彼女達の優しさに感謝しなければならない。縁を大切にしなければ。


「私って、そんなに人と上手く行かないのかしら」

「地震が落ち着いたら、ゆっくりするといいよ」

「ぷう。呑気な気持ちではいられないわ、ととっと」


 余震が来た。失念した頃に揺れるようだ。彼は落ち着くように包み込んでくれた。私は恥ずかしくて下を向いたが、数ミリに感じる距離感を堪能したい。見れば、彼がいつにない真摯な様子だ。


糟糠そうこうつまどうよりくださず。櫻絵さんとは、そうなれると思っているよ」


 しば桜の薄桃が遠く私に囁く。


『私の花言葉、〝臆病な心〟を振り切って。これは、一世一代の求婚よ』


 懸命な寧くんの瞳にやられた。もう仔犬を感じてはいけないだろう。


「後漢書を引用して、三度目のプロポーズなのかしら」


 私の声が暗くなった。彼は知性派で、私みたいな芸術爆発派とは反りが合わないだろう。


「プロポーズだよ。どんな言葉になっても僕の気持ちは変わらない。願いを込めているんだ」


 彼は、私を毛布に包んで、ビルの壁に寄り掛けた。


「僻んで悪かったわ」

「それも櫻絵さんだから、大丈夫だよ」


 芋虫みたいになったので自分で解く。すると、外気が入って来て鳥肌が立った。


「平成元年四月だったね。メトロの出逢いは、櫻絵さんが上野美大一年生、僕が鶯谷大学三年生の頃だった」

「震災の中、想い出のアルバムを開くとは、私の祖父母と同じだわ」


 やはり毛布を巻く。芋虫のまま寧くんの懐に転げ込んだ。


「寝物語にいいと思って」

「言葉は要らないの。顔を埋めているだけで、心音が聞こえてとても落ち着くわ」


 さらさらと私の髪が肩から落ちる。手櫛でもいい。この瞬間、綺麗に輝きたい。私は純白のウエディングドレスを着て、あなたの元へ向かっている。

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